第20話 (仮)仙女は、皇帝から求婚されているらしい

「うわあ……。香樹さま。こちらの池も伯 朔彭が修業した場所なんでしたよねえ?」 


 私は困った時の「伯先生」に頼った。

 蓬莱池は千年前から存在した天然の池で、中央の小島の切り立った岩の上で、朔彭が修業したといわれている。

 いわば、仙人修業者の聖地で、知らない人間が多いため、穴場中の穴場。

 香樹さまは、いつもこの手の話題になると、猫にまたたびを与えたかのように食いついてくるのだが……。

 

「え、ええ。蓬莱池。千年前、あの真ん中の小山で朔彭は修行をして、白日昇天はくじつしょうてんしたって……。話しませんでしたっけ?」

「ふふっ。白日昇天。伯 朔彭はこの地から、立派な仙人になったんですね」

「……で? それと、今の話題と何の関係が?」

「えー……と」


 ……終わった。

 今日は、まったく飛びついてくれない。

 むしろ、それがどうしたと言わんばかりだ。 

 私にはもう、溜息しか出なかった。

 

「そんなに、気になるんですか?」

「これが気にならないで、後宮になんていられませんわよ」


 香樹さまが鼻息荒く、胸を反らしている。

 いっそ、気持ち良いくらい正直だった。


「やはり、香樹さまも、今の陛下の妃になりたいとか?」

「わたくしが……ですか?」

「多少はあるのだと思っていました」


 ……だから、私も陛下に推薦しようと思っていたのだ。

 占いはあまり良い卦は出なかったけど……。

 でも、現実的な話、太皇上は五十過ぎのおっさんらしいし、今の皇帝なら、年齢的にも香樹さまと釣り合っていると思ったのだ。

 ……しかし。


「あらあら、公主さまったら」


 長い袖で口元を覆って、香樹さまは大笑いしていた。


「あははっ! そんなの、あるはずないですわ! わたくしが後宮に居残っているのは、ここにいれば朔彭の痕跡も見放題だし、蔵書楼ぞうしょろうだって行き放題なので、ぎりぎりまで居座ろってやろうと思っていただけですもの。もちろん、潮時がきたら、とんずらするつもりですわ」

「はあ……」

「ああ、おかしい。やっぱり、わたくし、居残って正解だったわ。だって、陛下が公主様にご執心だなんて。あははっ。国中を揺るがす出来事に、立ち会えたんですもの」


 ……執心?

 それは、有り得ない。 


「国中というより、私が一番、揺ら揺らですけどね」

「えっ? 公主さま、何か仰いました?」

「いえ、何も……。身に余る光栄すぎて、ここの池の水を全部抜いちゃいそうって思っただけですわ」

「まあ、公主さまったら、なかなか野性的なのね。だけど、最初からこうなることは分かっていらしたんでしょう?」

「……私がですか?」


 本心から問い返したのに、香樹さまは、私を信じていないのだろう。

 訳知り顔で、顎を擦っていた。


「貴方様が後宮にいらしたということは、陛下がご自身の妃を見初めたということじゃないですか?」

「違います。わ、わたくしは短期滞在ということで入宮したのです。後宮では皇帝の姪や従姉妹も滞在することがあるのですよね?」

「……公主さま。それ、本当に信じていらっしゃるの?」

「信じるも何も……」


 私は瘴気除け+朔彭の修行場鑑賞+龍仙珠を取り返すために、のらりくらり後宮で寝泊まりしているだけなのだが……。

 しかし、香樹さまは深刻そうな……それでいて、今にも吹き出してしまいそうな絶妙な表情で、唇を震わせながら答えた。


「皇帝の姪や従姉妹が入宮していたのは、戦時中などの稀な場合ですよ。わたくしの知っているところでも、一例しかありません。しかも、姪も従姉妹だって入宮できますけど、大抵、妃としてですね」

「嘘……ですよね?」

「わたくしには最初から分かっていましたよ。陛下は最初から貴方様を妃にする算段で、わたくしたちに、出て行けって重圧を与えたいんだってことくらい」


 断言されてしまった。

 ……ということは、香樹さま以外の二人の妃たちも、当然その認識で私を見ていたということだろう。

 動揺のあまり、きらきら輝く池の水面から視線を逸らしたら、私を横から覗き込む、好奇心ぎらぎらの香樹さまがいた。

 そして……。

 怖気が走って、香樹さまの肩越しを見遣ると、かえって目立つ黒地の衣裳で、二人の妃が私を睨んでいたのだった。

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