第17話 黒子の陛下

 ――おかしいだろう?


 瘴気が濃いから、皇帝陛下は後宮には近寄れないのではないか……。

 そういう設定だったはずなのに、どういうわけか後宮に……。

 しかも、私に宛がわれている芳霞殿に、わざわざ皇帝が顔を出すらしい。

 いつか謁見の場が与えられるとは思っていたが、まさか……今日朝一番とは。

 しかも、朝議の前という荒業。


(霄が口添えでもしたのだろうか?)


 確か、霄は最初私の暮らしていた玄州の刺史を護る武官だったが、地方に飛ばされていた皇帝陛下が叛乱を起こすのに呼応して、雇われ兵から出世したのだと話していた。

 そんな努力家の彼が……。


(嫌がらせまで、陛下と共謀して頑張ってくるなんて……)


 何にしても、龍仙珠を取り返す絶好の機会だ。

 こういうこともあろうかと、用意してくれた普段より二倍は重い紅の衫襦と長裙を身につけて、桃色の披帛を羽織る。


(付け焼刃だけど、叩頭礼も習得したしな)


 陛下と謁見している間、基本的に俯いていれば、食べ過ぎ、飲み過ぎ、睡眠不足だって、バレないはずだ。


 ――が。

 私が叩頭礼なんてしなくても、私の顔色なんて分からないくらい、陛下は前が見えていない様子だった。


(何で、こんなことになっているんだ?)


 陛下……確か、御名はさい 亮明りょうめいだとか、霄が言っていたが……。

 数人の宦官の手を借りて、優雅に客間の歩いてきた長身の男性。

 すらっとした体躯は武人のようだ。

 初めて目にする鮮やかな龍の刺繍が施された黒地の上衣に、真っ赤な裳。

 圧倒的な存在感には、気が引けてしまう。


 ――しかし。

 どういうわけか、その尊き方は黒い紗で頭から顔まで、すっぽり覆っていたのだった。


「へ……陛下?」

 

 思わず、素っ頓狂な声を発してしまった私。

 成人男性は、公の席では冠を外さないもの……ではないのか?

 ――冠?

 違う。

 これでは、頬被りではないか?

 すっかり、叩頭する機会を逃し、呆然と佇むだけになっている私に、陛下に付き従っている年寄りの宦官が大真面目な口調で……。


「陛下は瘴気除けのために、このような御姿で後宮においでになったのです」


 あまりにもきっぱり言うものだから、私も思わず……。

 ――そうなんだ。

 無理やり、頷くしかなかった。 

 さすがに、声に出しちゃいけないってことくらい分かってはいるけど……。


(いや、瘴気除けってさ?)


 日除け止めじゃないんだから?

 大体、その被り物は、本当に瘴気に効果があるのだろうか?


「陛下。宋沙そうしゃ公の御息女。春世公主様でございます」


 女官さんたちの力を結集させて、急遽、大広間に設営した黄色の坐褥ざしょくを敷いた簡易玉座に陛下がゆったりと腰をかける。

 ああ、私の真正面に、この国で一番偉い人がいるわけだ。

 ――黒い……けど。


 圧倒的な黒さで、表情はおろか、顔の輪郭さえ分からないんだけど……。


(この滑稽さを、誰かに伝えたい)


 微かに黒布が揺れているから、呼吸はしているようだ。

 人形というわけではないだろう。

 生きては……いる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る