第15話 緑雨は新婚さん

『春天。桃花源にはいつでも行けるが、後宮には今この時でなければ、一生行くことが出来ないんだぞ』


 行けないのは嫌だな……と、私は単純に思った。

 興味は、ある。

 私は戦禍から逃れて、あの庵に棲みついた後は、仙人のおっさんから簡単な仙術を教えてもらっただけで、外の世界を知らなかったから。


 ……皇帝が政をする中心地。


 その皇帝の為だけに存在する、閉ざされた後宮ばしょ

 伝説の仙人が修業した土地なら、その場所自体に強い力が残っていてもおかしくない。


(結局、何も分からなかったけど……)


 ――霄のことだって。

 この男がどうしてここまで強引に事を進めるのか、その理由が私には分からない。

 桃花源行きだって、今までは「行ってくればいい」と放任していたくせに、まるで、掌を返したように……。

 それとなく尋ねてみたが、予想通り霄が答えてくれるはずもなく、私は途方に暮れていた。

 こういう時こそ、よく食べて飲んで、無心で寝るに限る。朝になったら、妙案も浮かぶだろう。


「なんか、酒樽ごと飲めそうだ」


 ふふふっと、並々注いだ上等な酒(十杯目)に、頬を赤らめて瞳を輝かせていると……。


「やめとけ。この大食い、大酒飲みが……。明け方には後宮に戻らないと、面倒なことになる」

「大丈夫だよ。酒は飲んでも飲まれないのが私だ」

「飲まれまくっている姿しか、知らねえよ。大体、お前まだ十七歳だろ?」

「十七歳は、立派な大人だ」

「大人……ねえ」

「あのなあ、霄。あんたは私の母ちゃんか? 緑雨さんに言われるのならまだしも、あんたに言われると腹が立つ」

「緑雨は新婚なんだ。深夜は基本的に、俺達には付き合えない」

「……初耳だ」


 確かに、いかにも実直で優しい面立ちをした男だ。

 妻がいても不思議ではないのだが……。

 そんな素振りを今まで見せなかったので、私には意外だった。


「最近まで新妻と離れて住んでいたらしいから、早く帰りたいそうだ」

「うわあ、それ早く言ってよ」


 そんなことは、てんで知らなかったので、先程まで、たらふく酒を飲ませてしまった。


「まさかの新婚さんだったとは。不味いことをしてしまったな。奥さん怒ってないかな?」

「緑雨の妻になろうって人だ。懐は化け物のように深いから大丈夫だ」

「ふーん。二人は文官と武官だって話なのに、随分と親しげだな」

「それは……」


 ……と、わずかな沈黙の後、霄は繕うように早口で言った。


「あいつとは幼馴染みたいなものなんだよ」

「へえ……。じゃあ、親戚みたいなものか」

「そうだな。それに近い」

「はぐらかしたよな、今? いっそ、香樹さまに聞いて……」

「やめろ。俺のことは絶対に誰にも言うなよ。誰かに存在がバレたら……。多分、俺のクビが飛ぶ」

「わ、分かったよ」


 どうしてなのか、自分の素性のことになると、霄は目くじらを立てて、私を威圧してくるのだ。


(この男は、皇帝陛下の隠密部隊か何かなのだろうか?)


 その割に、彼のことを隠れるでもなく、大勢の衛兵が護っているのだから、まったく隠密の存在になっていないような気がする。

 ……と、膨れっ面で、考え込んでいたら。

 霄は強引に話題を戻してきた。


「……て、ほら! それより、問題はお前の方だ。もしかしたら、陛下と謁見ということもあるかもしれないんだ。二日酔いはマズイだろう?」


 やっぱり、母ちゃんだった。


「別にいいだろう? 私は陛下に好かれようなんて思ってないんだ。龍仙珠さえ返してもらえれば、それで、充分なんだから。大体、瘴気が渦巻いているって話だったけど、全然、たいしたことないし。私がここにいる価値ってないと思うんだが?」

「……だろうな」

「え?」

「いや」

「なあ、霄? あの程度で寝込むなんて、陛下は虚弱体質か何かなのか?」

「えー……と。陛下はな」


 霄が顎を擦りながら、言葉をぽつりぽつり足した。


「あの御方は……疲労もあって、影響、受けやすいのかもしれないな。お前が言うんだ、瘴気は祓うほどでもない程度なのかもしれないが、祓っているフリくらいはしとけよ」

「真面目な盗人だな」

「……ふん」


 鼻を鳴らした霄は、ひょいと横から手を出して、私が抱えて飲んでいた酒瓶を奪ってしまった。

 しかも、その酒瓶を口に咥えて、一気飲みしてしまったのだ。

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