第6話 盗人、何食わぬ顔で現れる

 ――すごい迫力だ。

 私より年上の娘だろう。しかし、店全体に響き渡る泣き声は、まるで幼子のようだった。


「と、とりあえず、座ってみましょうか」


 夫婦で切り盛りしている小さな店なのだ。

 私に店の隅の一席を貸してくれているだけで、茶房自体はやっているのだから、これ以上迷惑はかけられない。

 私はその場でへたりこんでいる彼女を何とか立たせて、向かいの椅子に座らせた。

 真っ赤な襦裙と吊り目が特徴的な娘。

 三日前に占ったばかりの子だ。


(あの時、確か私は?)


 回想している暇もなく、娘が身を乗り出してきた。


「先生! 覚えていますか? もう、お前とは会わないと言われて、先生の仰ったとおり、一度は私も別れに同意したんです」

「そ、そうだったわね。偉かったわよね」


 思い出した。

 ――というより、ここまで印象深い娘を一瞬でも忘れていた自分が危険だった。


「でも、本当にこれで良かったんでしょうか。もしかしたら、あの人、新しい女を作っているかもしれません」

「えー……と。それが本当だったとして、あんたは三日で新しい女を作るような男と、よりを戻したいってことなのか?」

「へっ?」

「あら、いけない」


 ――マズイ。

 うっかり、本音が漏れてしまった。


「うふふっ」


 私は筮竹を擦る音で誤魔化しながら、必死に口角を上げていた。

 幸い、私の独り言は聞こえていなかったのだろう。彼女はすすり泣きながら、言葉を紡いだ。


「もう、連絡してみてもいいですか? もしかしたら、あの人だって気持ちが変わっているかもしれないし」

「それは……どうかしら?」


(いやあ。顔も見たくないと言われて別れてから、三日程度じゃ……さすがに)


 頭の中に白けた感想を浮かべながら、私は表情筋を必死に鍛えていた。


「でも! 今日は私の誕生日だから! 私。絶対この日に連絡をするつもりです。もう、決めたことなんです」

「そ、そうなのね」


 誕生日だから何なのか。


(私の誕生日は、友達に宝物を盗まれるという陰惨な事件が起きた日だよ)


 ――それにしたって、もう、決めてしまったのに、どうして私のところになんか来たのか?

 決めたのなら、実行すればいい。

 それしか、言いようがないではないか。


(まったく……)


 恋愛とは、何と難儀なものなのだろう?

 食べるためとはいえ、私の苦手分野で頑張らないといけないなんて……。


(姉ちゃんなら、共感できるんだろうな)


 もういい加減、忘れてしまいたいのに、恋愛相談ばかり受けていると、いなくなった姉ちゃんのことばかり、頭に浮かんでしまう。


『……春ちゃん。私、好きな人ができたの』


 姉ちゃんが頬を赤らめて告白したのは、三年前の夏だった。

 その人のところに、私も一緒に行かないかと誘われたが、私は断ったのだ。

 姉ちゃんに、裏切られたのだと思った。

 一緒に、桃花源に行こうと話していたくらいなのに……。

 ……恋愛は怖い。

 人生を酩酊させる毒のようなものだ。


(お金は儲かるかもしれないけど、人の恋路にああだこうだって、やっぱり、私には向いてないよな)


 ――その後。

 彼女を何とか宥め透かして、別れた男に連絡する日は、もっと吉日があるのだと説得して、代金だけはきっちり頂いたのだが、悶々した気持ちは残ったままだった。


「ダメ。もう無理」 


 その後、似たような相談ばかり受けていたら、一段と頭が痛くなってしまった。


(今日は少し早いけど、店じまいするかな)


 そういうことで、私が帰り支度をしていると……。


「先生、占って欲しいことがあるんだけど?」


 何者かが私の手前の椅子に、どんと座ってしまったのだ。

 男のようだった。


「あら、ごめんなさい。今日はおしまいということ……で」

「駄目なのか?」

「それは……」


 ――と、純度の高い愛想笑いで顔を上げたところで、私の表情は固まってしまったのだった。


「なん……で、あんたが?」


 無駄に整った相貌は離れている間に、一層、美しくなったように見えた。

 自称武官は、一瞥すると可憐な姫君のようだった。

 しかし、私はこの男の本性を知っている。


(ああ、とってもよく知っているとも) 


 常人離れした体力と、常軌を逸した厚かましさを……。


「どの面下げて、私に会いに来たんだ。霄?」

「どの面も何も……面は一つしかないだろ? ほら「また」って言ったじゃないか。春天」


 約束は守らないとな……。

 そう付け加えた霄に、私は寒気を覚えた。


 ――盗人の分際で、約束は気にするらしい。

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