第5章…好き
もうすでに好きなんです
―――
昔の夢を見ていた。
10年前、7歳だった頃の楓ちゃんと海辺で遊んでいた記憶。ビーチボールでたくさん遊んだ。
楓ちゃんはすごく楽しそうにボールを追いかけていて、俺もほっこりして楽しかった。
―――――――――
俺は目を覚ました。
現実に戻っても鮮明に脳内に浮かび上がる、子供の頃の楓ちゃん。
すごく無邪気で純粋で無垢な女の子。現在、そんな彼女に劣情を抱いてしまっている自分がいかに醜いかを思い知らされる。
俺は息を長く吐きながら頭をボリボリと掻いた。
妹のような存在だったはずなのに、こんなにも彼女に女を感じてしまうなんて……
俺の心には未だに雲母が大きく残っているというのに。
楓ちゃんへの気持ち、なかったことにできないだろうか。なかったことにしてまた昔のような関係に戻れないだろうか……
……いや、そんなこと考えるな。楽な方へ逃げるな。思春期じゃねぇんだから恥ずかしがって封じ込めようとするな。
楓ちゃんを好きな気持ちも自分の一つだ、ちゃんと受け入れて大切にしろ。自分の心の中に好きな女の子が2人いるのが最低なのは自覚しているが、それでも自分の気持ちは大切にするべきだ。
ところで今何時だ。午前4時、まだまだ起きるには早すぎる。また寝るか……
いや、トイレに行きたい。トイレに行こう。
俺はゆっくりと立ち上がり、寝室を出た。
長い廊下を歩く。庭が見えるが、まだまだ真っ暗で夜中である。
すごく広い和風な家と暗闇の組み合わせはなかなか怖い。子供の頃だったら漏らしてたな。
本当に暗い、早くトイレを済ませて早く寝よう……
……ん? この真っ暗闇の中に明かりが点いている場所が一つだけ……
うわぁ、雰囲気あるなぁ。ホラー映画のシーンみたいだ。
こんな時間になんだ……? 俺はそーっと明かりが点いている部屋を覗いてみた。
「……!」
楓ちゃん……! 楓ちゃんがいた。
包丁でトントンと切る音。料理中だ。どうやらこの部屋はキッチンだったようだ。
楓ちゃん、弁当を作ってくれているのは知ってたけどこんなに朝早くからやってたのか!? いや4時じゃ朝とは言えない、まだ夜中だぞ。
楓ちゃんはもうすでに制服を着ていて、料理中もポニーテールにしていた。そしてエプロンも着用している。
背中しか見えないけどすごく可愛い。料理する楓ちゃんの後ろ姿をコソコソしながら眺める。ポニテだから見える楓ちゃんのうなじに、俺はトイレに行くことも忘れるくらい見惚れてしまっていた。
「どうしたの、涼くん」
!!!!!!
楓ちゃんは料理を続けたまま俺の名前を呼んだ。こっちを向いてないのに気づかれた。なんでわかるんだよ。
「入り口でコソコソしてないで入っておいでよ」
「あ、ああ」
バレてしまっては仕方ないので言われた通りに部屋に入る。楓ちゃんは料理を中断してこっちを向いた。
「おはよ、涼くん」
「お、おはよう」
楓ちゃんの制服エプロン姿……! 後ろ姿だけでも可愛いんだから正面向いたら可愛いに可愛いを重ねがけしている。
「楓ちゃん、まだ4時だぞ。こんな時間から弁当作ってるのか?」
「さすがに普段はここまで早い時間には起きないけどね。今日はたまたま早く起きちゃったから」
「もっとちゃんと寝た方がいいと思うぞ。寝不足は本当によくないから」
「あら、私の心配してくれるの?」
「そりゃそうだろ」
「ふふっ、ありがとう。でも大丈夫。このくらい何てことない。
私料理上手くないし、まだまだいっぱい特訓しないと。私は何としてもキミを振り向かせてみせるんだから」
楓ちゃんはそう言ってまた包丁を握り、料理を再開した。
楓ちゃんは……俺がまだ楓ちゃんのことを好きじゃないと思っている。もっと頑張らなければ俺を惚れさせることはできないと思っている。
楓ちゃんはここまで健気に頑張っている。彼女の頑張る姿を見て俺は心が締めつけられて拳を握りしめた。
俺の気持ちを勘違いしている彼女の認識を正さなければ……彼女の気持ちを弄ぶようなことはしたくない。
勇気を出せ、俺。彼女はちゃんと伝えてくれたんだ、俺だけ隠すなんて許されない。
「……なぁ、楓ちゃん」
「なーに?」
「そのことなんだけどさ……どうやら俺は、もうすでにキミのことが好きみたいなんだ」
「―――ッ!?!?!?」
カシャーン!
包丁が床に落ちて転がる。楓ちゃんが落としてしまった。
「あ、ごめん!」
しまった、言うタイミングが悪かった。料理中に言うことじゃなかった。
俺は落ちた包丁を拾おうとしたが、それより早く楓ちゃんがサッと拾った。
楓ちゃんの顔は真っ赤に染まってて、心なしか目がグルグル回っているように見えた。可愛すぎる。可愛すぎるけど俺の本能がこれはヤバイと危険信号を鳴らした。
「……あ、あわわ……あわわわわわ」
楓ちゃんが混乱している! 動揺しまくりながら包丁を振り回している。
わーっ! 危ない!
「落ち着け、楓ちゃん!」
「ハッ……! ご、ごめんなさい! 私ったらこんなに取り乱しちゃって……恥ずかしい……」
包丁をまな板の上に置き、楓ちゃんは両手で顔を覆った。
こんなに動転した楓ちゃんは初めて見る。危険だったけど超可愛い。キュン死する。
そんなに恥ずかしがることはない。俺なんかキミの前で常時恥を晒してるようなものだからな。
「……涼くん……さっき言ったこと、ホント……?」
指と指の間から上目遣いで見つめてくる楓ちゃん。さっきから何をしてても何がどうなってても可愛すぎる。
言ってしまった。好きって言ってしまった。もう戻れない、もうなかったことにはできない。実はウソでした、なんて言ってみろ。すぐそこに置いてある包丁で刺されるぞ。
「ああ、好きだ」
俺は断言した。これで実は聞き間違いだった、みたいな可能性を潰した。
「じゃあ、今すぐ私とキスしてよ」
「!?!?!?」
楓ちゃんと……キス……
楓ちゃんの薄桃色の唇に視線が行ってしまった。こんなに朝早くからリップが塗られてあってぷるんとして柔らかそうで……あの極上の唇と触れ合ったらどれだけ気持ちいいんだろうか、どれだけ柔らかいんだろうか。想像しただけで男の大事な部分に血液が流れ込んでくる。
しかし、楓ちゃんとのキスを意識すればするほど、心に浮かんでくるのは雲母の顔。
水底に沈めたはずの雲母とキスした想い出が、どんどん浮いてくる。雲母とキスしたのは一度や二度じゃないんだ、そう簡単には消えない。雲母にフラれて間もないんだからなおさら。
ダメだ……楓ちゃんが好きで、ものすごく楓ちゃんとキスしたい。だからこそダメだ。
元カノの熱が色濃く残っているこの魂で、楓ちゃんの唇を奪う資格なんかあるものか。
好きだからこそ、キスできない。
「涼くん」
名前を呼ばれるだけでドキッと心臓が跳ねる。彼女の声色からは怒りは感じないけど、どんな男も跪かせるような圧力を感じた。俺の身長は彼女より高いのに、彼女より小さくなっていく感覚があった。
「キミの反応を見る限り、キミは私とキスしたくないわけではなさそうだね。
でも、今のキミは迷っている。その迷いとは何なのかな?」
「っ……」
元カノが忘れられないなんて言えない。自分のことを好きだと言ってくれている女の子の前で、他の女の子の話をするなどセンスがない。
つい最近まで俺に彼女がいたこと、フラれたこと、楓ちゃんは知ってるだろうか。たぶん知ってるだろうな。俺のデータは中条グループにほとんど調べられているっぽいから。
うん、どうせ知られているだろうということで今は元カノの話はするべきじゃない。楓ちゃんには関係ない女のことをわざわざこの場で言うべきじゃない。
俺は、楓ちゃんの問いに答えられない。
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