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 そもそも十二年前、村に産み落とされた半妖のスーズゥを、殺さずに育てようと言ったのはリン婆らしい。そのわりにリン婆は、この暗くじめじめした洞窟にスーズゥを閉じ込め、スーズゥの身の丈に合わない労働に送り出している。リン婆は優しいようでいてそうでもなく、何を考えているのかさっぱりわからなかった。 


 洞窟の奥のほうから物音が聞こえた。どうやら今日もあの少女が来たらしい。スーズゥは今日も厳しい労働で疲れ切っていたが、なんとか身体を起こして座卓の前に座った。


 どうせ収穫祭が終わればヨウランはいなくなるだろう。それまで村人にばれなければ良いし、ばれたとしてもスーズゥが殺されるわけではない。スーズゥは最初の日に、「見なかったことにしろ」とちゃんと言った。ヨウランが勝手にスーズゥに会いに来ているのだ。


 少女はひょっこりと格子の向こう側に姿を現した。ヨウランは格子の前に膝立ちで座った。

「さっきどこかから帰ってきたでしょう。ずっとここにいるわけじゃないのね」

 スーズゥは頷いた。ヨウランは反応があると思っていなかったのか、ちょっと目を見開いた。

「でも、外に出るときも手枷を外されていなかったよ。あなた、もしかして奴隷どれいじゃないの?」

「……まあ、そんな感じかな」

 スーズゥが答えると、ヨウランは格子を握って覗き込むように身を乗り出してきた。


「子どもの奴隷なんてありえない。小さな村だとばれないからって、こういう風習が残っていたりもするけれど……この村であなたみたいな扱いを受けている人は他に見つからなかったわ。あなたいったい何者なの?」


 スーズゥは顔をしかめた。

「どうしてそんなに知りたがるの。言っておくけど、きみがぼくのことを知っているとばれたら、ほんとにただじゃ済まないよ。ここに来るのもやめたほうがいい」

「昨日言ったでしょ。そういうわけにはいかないって」


 ヨウランは不思議なほど真剣な表情で言った。好奇心でも、意固地になっているのでもなかった。たじろぐスーズゥを、ヨウランはまっすぐに見つめてきた。


「聞くからには、あたしもちゃんと言ったほうがいいわね。あたし、ほんとはただの旅人じゃないんだ。あなたが知っているかはわからないけれど……あたしは玄武の塔の乙女なの」

「……玄武の塔、だって!?」


 スーズゥは座卓を倒しそうな勢いで半立ちになった。スーズゥが何度も夢見た海、その創造主。ヨウランは少し驚いて、ぱっと笑顔になった。


「知ってるの? あたし、塔の巫女になるための試練として、旅をしている最中なの」

「塔って、すごく高くて、てっぺんが雲の上にあるっていう……?」

「そうよ。頂上に玄武様がいるの」

「その、玄武様って……海を作ったんだよね。しょっぱくて、広くて、青い水たまり……」

「なんだ、けっこう詳しいじゃない。村の人たちは、そもそも四神を知らないみたいなのに」


 スーズゥはヨウランの前まで移動して腰を下ろした。

「じゃあ、ヨウランは海を見たことがあるの?」

「見たことがあるも何も、海の真ん中に住んでると言ってもいいくらい。玄武の塔は海に囲まれているのよ。海、好きなの?」

「うん。見たことはないけど……」

「そりゃ、そうよね」


 ヨウランはスーズゥの手枷をちらりと見た。そのあと、少しだけ微笑んで言った。

「そろそろあなたのことも教えて。名前はなんていうの?」

「スーズゥ」

 答えると、ヨウランの顔がさっと曇った。

「……それ、古い言葉で『獣』って意味よ」

「そうなんだ」

「人の名前にすべきじゃない。この村では誰が名前をつけるの? 祭司?」

「うん。リン婆がつけたんだって」

「ひどい名前だわ」


 スーズゥは首を傾げた。そうなのだろうか。ある意味言葉通りの存在だし、何よりスーズゥにとって獣は自由の象徴だ。

「ぼくは気に入っているよ」

 スーズゥが唯一持っている自分のものが名前である。それがそういう意味なら、むしろ嬉しいくらいだった。


「そう……? なら、あたしがとやかく言うことじゃないわね」

 ヨウランはそう言いながらも、気は済んでいないようで、目を落としてうーんと唸った。

「でもどうして、そんな名前をつけたのかしら。……まるで最初から、こんなふうに閉じ込めておくつもりだったみたい」

「ぼくは産まれてからずっとここにいるよ」

「……そんな。じゃあスーズゥはどうして閉じ込められているの?」

「それは……言えない」


 スーズゥは目を伏せた。ヨウランは「そっか」と意外にもあっさり手を引いた。見ると、ヨウランは妙にさっぱりした顔をしていた。

「あたしもう戻るわ。最近ずっと日暮れにいなくなってるから、そろそろ怪しまれそう」

「……うん」

 スーズゥが頷くと、ヨウランは立ち上がって、いつものごとく洞窟の奥の方に姿を消した。なんだかスーズゥは胸のあたりが落ち着かなかった。

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