一章 リーシャ村
檻の中のスーズゥ
1
ろうそくの火がふわりと揺れた。
スーズゥは読んでいた本から目を上げた。岩壁の向こうから、洞窟の入口の扉が軋む音が響いてくる。続いてリン婆の片足を引きずる足音が聞こえ、スーズゥは本に葉を挟んでページを閉じた。
格子の外にリン婆が現れた。夕食と一緒に何かを抱えている。スーズゥは牢の扉の方に駆け寄った。
「収穫祭の仮面が出来上がったよ」
リン婆は両開きの小さな扉の方から食事と仮面を差し入れてきた。スーズゥは真っ先に仮面を拾い上げ、座卓のほうに戻ってろうそくの光に照らした。
今年は十二歳になるから、少しでも特別にしたくて、スーズゥはいちばん好きな生き物であるワタリガラスの仮面を作った。いつもより丁寧に削って色を塗った仮面は、ろうそくに照らされて表面がつやつやと光っている。仕上げは仮面屋にやってもらうが、毎年色が褪せたりヒビが入ったりして返ってくるので、今年もそうなるだろうと思っていた。だが奇跡的にそんなことは一切なかった。
スーズゥは食事をするのも忘れて仮面に見入っていた。今までで最高の出来だ。スーズゥはますます収穫祭が楽しみになった。
リーシャ村の収穫祭は、どんな者でも歓迎する。妖魔と人の間に生まれたスーズゥも例外ではない。スーズゥはこの小さな牢屋に閉じ込められているが、収穫祭のときだけは特別に自由を許されるのだ。
不意にろうそくの火が大きく動いた。スーズゥははっとして格子の外を見る。リン婆の足を引きずる音はもうしない。とっくにスーズゥのいる洞窟を出て行っているはずだった。
スーズゥは首を傾げた。空気の淀んだこの洞窟では、ろうそくの火は人が動いたときくらいにしか揺れない。耳を澄ますと、何やらカサコソと音が聞こえてきた。リン婆と入れ替わりでネズミでも入ってきたのだろうか。スーズゥはそこで食事のことを思い出した。ネズミに食べ物を取られるわけにはいかない。
スーズゥは再び牢の扉に近づいた。そのとき、格子の向こう側に人の姿が現れた。
「……!」
スーズゥは思わず飛び退いた。驚きのあまり声も出なかった。だが向こうもひどく驚いているようで、口をぽかんと開けてこっちを見ている。
ろうそくのわずかな光に照らされた顔は少女のものだった。めったに外に出ないスーズゥだが、少女が村の子どもではないことは一目でわかった。身なりが全く違う。少しすり切れてはいるが、綺麗で丈夫そうな服を着ていた。
「……ご、ごめんなさい! 勝手に入っちゃって……まさか人がいるとは思ってなくて! すぐに出ていくから見なかったことにしてください!」
我に返った少女が慌てながらスーズゥにペコペコと頭を下げた。その声が洞窟に大きく響いて、スーズゥは慌てて「シーッ!」と口に人差し指を当てた。
「うるさいよ。リン婆に聞こえる」
「あっ……そ、そっか」
少女は少し落ち着くと、きょろきょろと周囲を見回した。スーズゥはそんな少女に、声をひそめて尋ねた。
「どうやって入ってきたの?」
すると少女はいたずらっぽく笑った。
「秘密。ねえ、リン婆って、さっきここに来てたお婆さんのことよね? 確か、この村の祭司の一人だって」
「そう。きみ、収穫祭のために来た旅人でしょ。ここにいるのがばれたらまずいよ。出ていった方が良い」
「じゃあ、あなたはどうしてここにいるの? まさかいたずらでもして、罰を受けているところ?」
「ちがうよ、何言ってるの。とにかく、ぼくのことは見なかったことにして早く出ていけ。リン婆はすぐに戻って来るよ。ぼくもきみのこと、見なかったことにしてあげるから」
少女は納得がいかない顔でスーズゥを見る。すぐに出ていくと言ったのは彼女のほうなのに、なぜだか居座ろうとしているようだった。
「悪いことをしたんじゃないの? こんな檻の中で、しかも
スーズゥはキッと少女を睨んだ。そのとき、洞窟の入口のほうで、ぎいっと扉が開く音がした。
「リン婆が戻ってきた」
スーズゥが囁くと、少女ははっとして身をかがめ、洞窟の奥の方へ逃げて行った。そのすぐ後、リン婆が牢の中を覗き込んできた。
「さっき何か話してなかったかえ?」
「ああ……ネズミに夕飯をとられそうになって、追い払ってたんだ」
「ああ、そうかい。片付かないから、早く食っておしまい」
リン婆は言って、また足を引きずりながら洞窟を出て行った。スーズゥは胸をなでおろし、食事に手をつけた。
少女はちゃんと洞窟から出て行ったようで、スーズゥが食事を終えても戻ってこなかった。
いったいどこから入ってきたのだろう。外に繋がっている場所があるとすれば奥の井戸ぐらいなものだが、当然水に満たされているのでそこから入ることなど不可能だ。まさかスーズゥの知らない抜け道でもあるのだろうか。気になってスーズゥはなかなか寝付けなかった。
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