第6話 ギャルと日常
「カラメルホイップマシマシアイストップエルトールバベルグランドキャニオンSサイズで」
「あーしはLでよろ」
今のを呪文だと思った方もいるであろう。
その認識は概ね正しい。
忍者は流派によって暗号を使い分けることは珍しくない。
その暗号の多くは同じ流派でなければ解析すら難しいものがほとんどだ。
今のはコーヒー専門店『スタブ屋』においてギャル流が情報交換を行う際に使用する暗号である。
つまり、先程の注文を行った二人はギャルであり忍者である。
「かしこまりました」
当然店員も忍者である。
ギャル流のような戦闘に特化した忍者とは違い、サポートに特化した忍者は特定の主を持たない。
その代わりに幅広い派閥の忍者に様々なサポートを提供することによって主を王にした流派の忍者の傘下に自動的に入るシステムになっている。
そのためスタブ屋を始めとする忍者にサポートを提供する店舗は様々な流派の忍者が利用する。
しかしそこはいわゆる非戦地帯であり、そこで戦闘や諜報を行う忍者はいない。
しかしとして徹底した情報管理を行うギャル流は暗号を用いて情報交換をするのだ。
しかしギャル流の暗号を手記を読んでいる方に原文のまま見せるのはあまりにも酷だ。
即座に更新され地域やコミュニティごとに意味が変わる未知の言語を解読できる者は忍者の中でも片手で数えるほどであろう。
故に理解できる程度に翻訳したものを手記に乗せることとする。
「ミユが彼氏と別れたらしいよ」
「……マジ?」
思わず口に含んでいた氷を噛み砕いたのは褐色肌のギャル、キナコであった。
本来ギャル流ほどの忍者であればもっと自然に動揺を表したのであろうが、ギャル流の中でも比較的新参であることとその内容のあまりの衝撃に感情が漏れてしまったのは仕方ないと言えるであろう。
「まーじ。エグくね?超ラブラブだったのに。エンスタのアイコン真っ黒」
つまり、ミユが死んだということを暗に言っているのだ。
黒のロングヘアーのギャル、アヤカは立場上キナコの上司にあたり、その情報をキナコより先に共有されていたのだ。
「えぐ……やば………」
キナコは辛うじてその言葉を紡ぐのが精一杯だった。
当たり前である。
ミユはギャル流の中でも名の知れた強者であり、彼女を尊敬していたギャルも多い。
キナコもそのうちの一人で、あれ程の実力者が失われたことがどれだけギャル流に損失を与えているのか想像もつかない。
「……ミユの彼氏、名前なんだっけ?」
本人も気付かぬうちに零れた言葉を聞いて、アヤカは思わず吹き出した。
「ヤバ、ウケる。狙ってんの?流石にミユに殺されるっしょ」
───キナコは一瞬、己の胸の中心をアヤカに串刺しにされる光景を幻視した。
瞬きよりも短い時間、キナコだけに分かるようにアヤカが殺意を向けたのだ。
───ふざけるな、復讐でもするつもりか?それでもギャル流の忍者か?恥を知れ。
刹那の殺意に込められたアヤカの意志をキナコは痛いほど感じていた。
「───って、ヤバ。普通に忘れてたわ。私今日バイト入ってたんだわ。わり、また今度埋め合わせするわ~」
アヤカはそういうとお金だけテーブルに置き、急いで店を出て行った。
ようするに、今の状態のキナコではギャル流としてこれ以上の情報を渡すには不足だということだ。
忍者の判断は素早い。
主の益になると判断すれば新参であろうと即座に相応の地位と任務を与えるし、ならないと判断すればたとえ頭領であろうとも任務から除外される。
「お待たせしました。こちらご注文の商品です」
届いたのは二人分のコーヒー。
コーヒーとはいっても凄まじい量のトッピングが乗っており、もはやそれは塔といっても過言ではない。
しかしキナコはそれに口をつけることをせず静かに溶けていくトッピングのアイスを見つめていた。
いくら動揺したとはいえ、キナコの口から出た言葉は忍者として言ってはいけない言葉だ。
感情に任せて復讐を考えるなどギャル流はおろか己の主さえも危険に晒す行為だ。
仮にここがスタブ屋ではなかったのであればあのままアヤカに殺されていても不思議ではない。
「マジで……何やってんだろ」
はぁ、とため息をついた瞬間、聞き覚えのある足音が店の入り口から聞こえた。
だんだんと近づいてくるのは呼吸音、脈拍、身体の中を巡る血の音ですら己の脳内に刻み付けているこの世で最も尊き存在。
「やっぱりキナコちゃんだ!どうしたの?大丈夫?」
田中 雛。
それがキナコの高校の友達であり、ギャル流における主たる存在の名である。
「───ピナピナじゃ~ん!え、奇遇!どしたん?」
キナコは即座に気持ちを切り替え、高校の友達としての対応を行う。
いくら精神的に動揺していようとも相手は己の主で一般人。
万が一にも忍者の違和感を与えることなどあり得ない。
「たまたま歩いてたらお店の中にいたのが見えたから……なにかあった?」
「あ~、ミユがさ~、てか聞いて!さっきまでアヤカいたんだけどバイトつって帰っちゃって!これどうすんのみたいな?ピナが来てくれて助かったわ~」
キナコは席に座るように促し、雛はそれに素直に従う。
「あ、うん。でもわたしコーヒー飲めない……」
「大丈夫!これコーヒーってかほぼ砂糖だから!無理ならあーしが飲むし」
にしし、とキナコは笑う。
そこに不自然さはなく、完全に女子高生キナコとしての笑顔だった。
「……キナコちゃん、大丈夫?やっぱりなにか無理してない?」
しかし雛は依然としてキナコを心配していた。
キナコは内心それを疑問に思っていた。
一般人と忍者の技量の差は比べ物にならない。
あり得ない話ではあるが、仮にキナコが忍者として雛を倒そうと思ったのならば小指の一本すら使うのは過剰なのである。
ましてや忍者の専売特許である『隠す』『偽る』の分野においてそれが露呈することなど蟻が巨象を一本背負いで宇宙に投げ飛ばすほどあり得ないことなのである。
「あー、ちょっとブルーにはなってたけど心配されるほど病んでないって!」
しかし雛は食い下がるのをやめなかった。
「でも……落ち込んでるのもそうだけど、なんか、なんかわかんないけど心配だよ!」
───その台詞を聞いて、キナコは納得を得た。
おそらく雛が感じているのは技量や能力の話ではなく、直感。
キナコは失念していた。
彼女は一般人ではなく逸般人。
万が一どころか兆が一の選ばれた人間。
彼女は確かに蟻なのかもしれないが、大きいだけの凡百の象ではなく宇宙に飛び出す蟻なのだ。
「……やっぱ雛には勝てないわ。ミユがさぁ、彼氏と別れたんだって。あんな仲良いのが別れるなんてありえねーって思って。あーしも彼氏欲しいけどいざ理想の男見つけても別れるの怖いな~って悩んでて」
キナコは改めて己の主に敬意と畏怖を抱いた。
この方こそ王になるのに相応しい。
なればこそどんな手を使ってでも彼女に王の座を献上するのがギャル流として、忍者として、そして友達として必ず果たさねばならぬ使命なのだ。
「彼氏かぁ……。わたしにはまだよくわかんないけど……キナコちゃんならいい人が見つかると思うよ!」
「女神っ!ピナは優しいねぇ……。もうピナが結婚してくれ~!」
キナコは暖かい日常を感じながら決意していた。
彼女の笑顔を守るためなら何でもするのだと。
「……てかもしピナに男ができたら耐えられねーかも。マジで結婚する?」
決意を固めた忍者は今の実力の二段三段を容易に飛び越える。
ここに一人、恐るべき忍者の産声を世界はまだ聞いてはいなかった。
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