第23話 涙と笑顔




 こうして、カーラは衛兵に引き取られていった。


 リキュール伯爵は、大きく息をついた後、わたしとリーディアの方に駆け寄ってきた。


「二人とも大丈夫か。怪我は」

「パパァー!」


 リーディアは、リキュール伯爵に抱きつく。彼はしっかりと、自分の娘を抱きとめた。

 わたしはそんな二人を、ぼんやりと眺めていた。リキュール伯爵の顔を見たら、ホッとして力が抜けてしまったのだ。


「マリア?」

「だ、大丈夫です。怪我は、その。でも、リーディアが……」


 わたしがリーディアを恐る恐る見ると、リーディアは、満面の笑みでわたしに振り返って、わたしに抱きついてきた。


「ママ! ママ、大好き!」

「わたしも大好きよ、リーディア」

「えへへ。ママ、凄くかっこよかったの。リーのママは、ずっとずっと、ママだけ……!」

「あ……そうね、それは、その……わたしは、そうしたいんだけど……」

「……?」


 わたしが恐る恐るリキュール伯爵を見上げると、リキュール伯爵は心得たように微笑んだ。そのご尊顔で、この場面でそんなふうに嬉しそうに笑うなんて、卑怯ではないだろうか。

 リーディアは不思議そうに、わたしとリキュール伯爵の顔を見ている。


「マリア。君にはいつもいつも、助けてもらってるな」

「……伯爵様」

「今日も、リーディアを助けてくれてありがとう」

「と、当然のことをしただけですよ。わたしの娘なんですから」


 わたしの言葉を聞いて、リーディアは感極まったように、わたしに抱きついて、スリスリと擦り寄っている。

 リキュール伯爵は、そんなわたしとリーディアを見ながら、嬉しそうに微笑んでいた。


 一方、わたしはリーディアを抱きしめながら、リキュール伯爵の言葉を噛み締めていた。

 当たり前みたいに差し出されたら感謝の気持ちを、わたしがどれだけ喜んでいるのか、この人は知らないのだ。それをなんとか伝えようと思うけれども、胸が一杯で上手く言葉が出てこない。


「そういう、君がリーディアを大切に思う気持ちにつけ込むようで、思うところはないではないのだが……マリア」

「……はい」

「私はそれでも、君をここにとどめておきたい。どんな理由でもいい、たった一年で、君と過ごす時間を終わらせたくないんだ」


 リキュール伯爵は、「本当は、夜に改めて伝えるつもりだったんだが」と言うと、跪いたままわたしの手を取った。



「私は君を、心から愛している。私の、本当の妻になってくれないだろうか」



 それは、不思議な感覚だった。

 胸に染み入るように嬉しくて、笑顔がこぼれるのに、一緒に涙も出てきてしまう。

 ポロポロと涙をこぼすわたしに、リキュール伯爵とリーディアは、そっくりな顔で慌てていた。


「マ、マリア……泣かないでくれ……」

「ママ!? パパ、ママを泣かしちゃダメなのー!」

「え!? こ、これはだな、リーディア」

「パパ!」

「す、すまない……」


「リーディア、いいの。パパはね、意地悪をしたんじゃないのよ。ママが、パパのことを特別好きだから、涙が出てくるの」

「えっ」


 リーディアは目を丸くし、しばらく固まったあと、紫色の瞳をキラキラ輝かせながらわたしを見た。

 わたしはリーディアの頭を撫でると、リキュール伯爵の方に向き直る。


「伯爵様」

「……リカルド、と」

「……?」

「リーディアだけでなく、私も……名前で、呼んでくれないか」


 その可愛いおねだりに、わたしはクスクス笑ってしまう。

 そして、改めて、目の前の彼と、可愛い愛娘を見た。


 きっと、彼らにとって、もっと良い妻、もっと良い母になれる人は沢山いると思う。わたしでは足りないこと、できないことも多いかもしれない。


 でも、だからこそ、わたしはこの二人に出会えたことを、心から嬉しく思った。


 わたしは完璧ではないけれど、きっと二人なら、わたしを助けてくれる。

 リーディアがわたしと伯爵様の背中を押してくれたように、伯爵様が、カーラさんを追い立てることしかできなかったわたしを補って、助けてくれたように。


 なら、私の答えは一つだけだ。


 わたしは、握られている手にきゅっと力を入れて、恥ずかしそうに目を彷徨わせるにこちらを見るよう促した。



「リカルド様。わたしも、リカルド様のことが大好きです。これからもよろしくお願いします」



 わたしの返事に、リカルドは泣きそうな顔をした後、リーディアごとわたしを抱きしめた。

 リーディアは、「パパ、くるしいー!」と言いながら、きゃあきゃあ喜んでいた。


「ママ。あのね、ママは、パパの本当の奥さんになったの?」

「……! そ、そうよ、リーディア」

「じゃあ、パパの本当の奥さんも、秘密の奥さんも、全部ママなのね。パパとリーはお揃いね!」

「そうね、お揃いね」


 首を傾げるリカルドに、わたしとリーディアはおでこを近づけてクスクス笑う。

 ふと、リーディアが何か閃いたようにハッと顔を上げた。


「そうだ! まだ終わってないの!」

「なぁに、リーディア」

「ママはね、しっかり準備してね。パパ、早く行かなきゃ!」

「どうしたリーディア」

「もう、パパもママも忘れちゃったの? せっかくが整ったのに」


 リーディアは、穏やかな反応のわたしとリカルドに、不満でいっぱいのようだ。

 ふくふくの両手を必死に振りながら、ぷんすか怒っている。



「ママは天使さまなんだから。最後までやり遂げないと、お空に帰っちゃうのよ? ほら、パパ。今からママをいこう!」



 自信満々に促す愛娘に、わたしもリカルドも、「あっ」と声をあげて、蒼白になるのだった。


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