第22話 マリアの怒り
「……ママ?」
廊下の影から、白銀の可愛い影が――リーディアが、ひょっこりと姿を現した。現してしまった。
彼女はわたしが作ったウサギのぬいぐるみを抱えたまま、怯えた様子でこちらを見ている。
わたしは、自分の失態を知った。
立場など気にせず、カーラを追い返すべきだった。
カーラは、どう見てもリーディアにいい影響を与えるとは思えない。会わせるとしても、リキュール伯爵の判断を仰いだ上でのことにすべきで、こんな形で対面させてしまったのは、わたしのミスだ。
護衛のマークとフレディに拘束されていたカーラは、リーディアを見て笑った。
獲物を見つけた狼を思わせるその表情に、リーディアはビクリと震える。
わたしは慌ててリーディアに駆け寄り、彼女を抱きしめた。
廊下の向こうから、乳母アリスや侍女達が慌ててやって来るのが見える。
「リーディア、驚かせてごめんね。抜け出してきちゃったの? 今はね、お部屋に戻ろうか」
「ママ? で、でも、その人……」
「そうよ、ママよ! この人は偽物。私があなたを産んだ本当のママなの!」
「リーディア、聞かなくていいのよ。大丈夫だからね」
わたしがぎゅっとリーディアを抱きしめる腕に力を入れると、リーディアはわたしの服をしっかりと握りしめた。
「リーディア、こちらにいらっしゃい。本当のママと一緒に行きましょう!」
「本当の、ママ……?」
「そうよ! あなたは、私が産んだの! あなたは私と暮らすべきなのよ。ここに居てはいけないの」
「リーは、ここに……」
「そんな訳ないわ。ここはリーディアの家よ。あの人の言うことは気にしちゃダメよ」
「……! あなただって、リーディアのことを邪魔だと思っているくせに、本当に偽善者……!」
「マーク、フレディ。早く連れていきなさい」
「……! はい!」
「畏まりました、奥様!」
護衛のマークとフレディはリーディアの登場に戸惑っていたけれども、わたしの再度の指示により、カーラを扉の方に引きずっていった。
わたしは、腕の中のリーディアの体が震えていたので、リーディアからカーラが見えないような角度で、彼女を抱き抱える。
「お部屋に戻りましょう、リーディア。怖かったね、ごめんね」
わたしはリーディアの頭にキスをすると、リーディアを抱えたまま、子ども部屋へと向かった。
蒼白な顔で慌ててやってきた乳母アリス達は、引きずられていくカーラからわたし達が見えないように、体でガードしてくれた。
「ママ……ママ……」
「どうしたの、リーディア」
「ママは……リーのこと、邪魔? リーは……居ない方がいい?」
ポロポロと静かに涙をこぼすリーディアに、わたしは頭の中が真っ白になる。
そこに、追撃のように、遠く、廊下の向こうから叫び声が聞こえた。
「なによ! 子どもなんて、世話ばかりやかせて、面倒で仕方がないじゃない! 私が
「もーっ、ふっざけないで!! リーディアはわたしの子よ!!!」
わたしは怒った。
怒髪天を衝く、とはこのことだ。
わたしの可愛いリーディアが邪魔ってどういうことなの。
悪魔なの?
急に大声で叫んだわたしに、リーディアは目を丸くしている。使用人達も、驚いている。
カーラも、あれだけ叫んでいたのに、言葉を発せず唖然としていた。
しかし、わたしの怒りは収まらない!
「リーディアはわたしの大事な娘よ! 本当のママも仮のママも全部わたしだけ! 他の人にあげるもんですか、この子はずっとわたしの可愛い娘よ!」
「マ、ママ……」
「邪魔なわけないでしょう、リーディアが居て笑ってくれるだけで、どれだけ毎日幸せだと思ってるの! 例え伯爵様と別れたってわたしはリーディアのママよ、あなたの入る余地はないの! 絶対譲らないから! ほら、さようなら!」
「……別れたりは、しないけどな」
ふと、玄関の向こうから、聞き慣れたハスキーボイスが聞こえた。
よくよく見ると、リキュール伯爵が扉の外側に立っている。相当無茶をして来てくれたらしく、髪も息も乱れていた。
リーディアは「パパー!」と喜びの声を上げ、わたしはリーディアを抱き抱えたまま、その場にへなりと座り込んでしまった。
床に足がついたリーディアは、リキュール伯爵の方に駆けていくかと思ったけれども、意外にもわたしにしがみついたまま離れなかった。
リキュール伯爵は、マークとフレディに両脇を抑えられているカーラを冷たく見据えた。
「カーラ」
「あ……、リカルド、これはね」
「再び君と会うことになるとは思わなかったな。それも、こんな最悪の形で」
上から見下ろすリキュール伯爵に、カーラはガタガタと体を震わせる。
「ね、ねぇ。いいじゃない、許してよ。私、リーディアを迎えに来ただけなのよ。あの子がいない方が、あなたも楽でしょう?」
「なるほど、伯爵令嬢の誘拐か。これは大罪だな」
「なぜ!? 私はあの子の母親よ!」
「今の君に、あの子の監護権はないからだ」
正面から言い返されて息を呑むカーラに、リキュール伯爵は続ける。
「カーラ=カウエン。いや、カーラ。君はこの伯爵家を出奔したことで、カウエン子爵からも絶縁されている。ただの平民であり、財に困る君に、あの子と暮らすことが認められることはない」
「……! じゃあもう、いいわよ! ちょっとうまく使ってやろうと思っただけなんだから!」
「いや、君は犯罪者だ。このまま帰すことはできない」
「え!? ち、違うわよ、ちょっと! 私はあなたの妻だった女よ! そんなふうに冷たくするなんて、そんな……」
「連れて行け」
リキュール伯爵がそう告げると、扉の外から衛兵が入って来て、伯爵邸の私兵にすぎないマークとフレディから、カーラの身柄を譲り受けた。
カーラは色々と叫んでいたけれども、あっという間に衛兵の護送馬車に入れられ、連れて行かれてしまった。
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