第21話 お呼びでない訪問者




 その日、子ども部屋にて、わたしとリーディアと乳母アリスは三人で遊んでいた。

 午前中は勉強もかねたゲームをするため、クイズに見せかけた算数の勉強をしたり、文字カードで遊びながら文字スペルを覚えたりしていた。リーディアは負けん気の強いコツコツ努力の子なので、このやり方が性に合っているようだ。


 そうして普段と同じ時間を過ごしていると、なにやら外が少し騒がしい。

 不思議に思っていると、わたし付きの侍女のマーサが室内に入ってきた。


「奥様、よろしいでしょうか」

「なぁに、マーサ」

「ここでははばかりりが。外でよろしいですか」

「……? 分かったわ」


 わたしは、「ママ、いってらっしゃい。早く帰ってきてね」というリーディアに、「すぐに戻るわ。大好きよ」と頭を撫でて部屋を出た。これを言っておくのと言わないのとでは、リーディアの子ども部屋脱出欲に大きな差が生まれるのだ。リーディアは私の言葉に、満足そうに頬を緩めている。可愛い。わたしが子ども部屋を出て行きたくない。


 しかし、そんな訳にもいかないので、わたしは廊下に出た。


「マーサ、どうしたの?」

「実は、門の外に、その……アポイントメントのない訪問客がいらっしゃいまして」

「伯爵邸ではこういう場合、まずは一旦お帰りいただいているわよね。もしかして、その人が今、外で騒いでいるの?」

「はい。それで、その……」


 煮え切らない様子のマーサに、わたしはピンと閃く。


「追い返しづらい人なのね?」


 わたしの言葉に、マーサは困った顔で、項垂れる。


「その来訪者というのは、旦那様の元奥様なのです」


 わたしは予想しない来訪者に、目を丸くした。



   ~✿~✿~✿~


「へぇ。あなたがあの人の今の妻なの」


 居丈高な態度の訪問客に、わたしは目を瞬く。


 目の前の女性は、なんというか、わたしの生活圏内にいないタイプの女性であった。

 艶々の緋色の髪に、しっとりとしたタレ目が色っぽい。体つきも凹凸が激しく、今も大きく開いた服の胸元から、たわわな果実が存在感をアピールしている。私は思わず、自分の胸元に目をやった。いや、何も言うまい。私は視線を、彼女に戻した。


「突然のご訪問、痛み入ります。まずはお名乗りいただけますでしょうか」


 そう、まだ彼女は名乗りを上げていなかった。伯爵夫人に対して、驚くべき態度である。


 実は、彼女は門の前で「リーディアに会わせなさいよ!」「私は母親なのよ! 中に入れなさい!」と大声で騒いでいて、リーディアに聞かれる訳にはいかなかったので、仕方なく事情を聞くため、応接室に通したのだ。彼女は応接室に入ると、じろじろとわたしを舐めるように見た後、勝手にソファに座った。そして、ようやく発した言葉が、上記のものである。


 なかなかに強敵である。

 わたしの常識は、彼女には通用しないだろう。どうにも、生きる世界の違いを感じる。


 ちなみに、リキュール伯爵は近くの事務所に居るらしいので、早馬で知らせておいた。

 すぐに駆けつけてくれるとは思うので、それまでなんとか時間稼ぎをしたい。いや、彼がやってくる前に、それとなく帰っていただくのが最善か。


「何よ。あなた、私の後釜なんでしょう? あなたから名乗りなさいよ」

「わたしは今、伯爵夫人としてあなたと話をしています。一介の平民に軽く見られて良い立場ではございません」

「なんて生意気なの!?」

「あなたの方こそ、態度を弁えられた方がよろしいかと思いますよ。今のあなたは、何の地位も財も持たない、ただの民なのでしょう。無礼を働くのであれば、相応の罰を受けますよ」


 わたしは背筋を伸ばし、毅然として彼女に向き合った。

 そんなわたしに、向かい合った彼女よりも、壁際で控えている使用人達の方が目を見開いている。


 わたしは領民や使用人とは仲がいいし、敬語も使わずに接しているが、別に貴族令嬢としての礼儀作法を知らない訳ではないのだ。

 父は「自ら可能性を潰すのは愚か者のすることだ」と言い、様々な教育をわたしに施した。そういう、最低限の知識と貴族としての自信がなければ、たとえ仮初とはいえ、わたしは伯爵家の妻と言う立場を引き受けたりはしない。ただの隠れ蓑とはいえ――の足を引っ張る存在になるならば、そもそも契約結婚を引き受けないだけの分別はあるのだ。


 私が静かに緋色の彼女を見つめると、彼女は一瞬、怯んだような様子を見せた後、仏頂面で答えた。


「……私はカーラよ。リキュール伯爵の妻だったわ」

「そうですか。わたしはリキュール伯爵が妻、マリアと申します。それで、あなたはこの家に、何をしにいらしたのですか?」

「リーディアを引き取りに来たわ。私は母親だもの」


 当然のように吐き出された言葉に、私は目を見開く。

 そして、怒りで手が震えるのを感じた。

 今更何を言い出すのだろう、この女性は。


「それは、どういう目的で?」

「娘と暮らすのに、理由がいるっていうの?」

「当然です。あなたは自分の意思で、赤子のリーディアを置いてこの家を出ていったではありませんか。六年も音沙汰がなかったのに、急に一緒に暮らしたいなど、何か他に目的があると疑ってしかるべきです」

「……面倒臭い人ね。子どもを引き取るって言ってるんだから、大人しく渡せばいいじゃない。あなたにだって、メリットしかないでしょう?」

「何のことか理解しかねます」


 本当に、何のことかさっぱり分からない。

 眉をひそめる私に、彼女はニタリと笑った。

 わたしは嫌悪感で逃げ出しそうになる体を必死にその場に止める。


「あなただって、新婚だもの。夫婦水いらずで過ごしたいでしょう? 子連れと結婚だなんて、嫌になる気持ちは分かるわ。自分の子を産んでもいないのに親扱いされるなんて災難だったわね。私が責任を持って引き取るから、あとはあの男と、水入らずで楽しみなさいよ」


 ポカンとしたわたしに、カーラは勝ち誇ったように笑うと、その場から立ち上がった。

 扉から出て行こうとするので、わたしは慌てて立ち上がる。


「そんな訳で、あの子は連れていくわね」

「!? 何を言い出すんです!」

「どうせ子ども部屋にいるんでしょう? こっちよね。リーディア! リーディア、いるの!?」

「おやめなさい! マーク、フレディ、この人を追い出しなさい。街に送っていってちょうだい」


 リーディアは上の階の室内にいるはずだ。子ども部屋は比較的防音がしっかりしている方なので、廊下にさえ出ていなければ、はっきりと声は聞こえないはず。

 わたしは、これ以上彼女を伯爵邸に置いておくのは相応しくないと判断し、護衛のマークとフレディに彼女を追い出すように指示をした。

 リーディアの母であり、リキュール伯爵の前妻である彼女を、伯爵の現在の妻であるわたしが無下に扱うことは正直ためらわれたが、彼女の行動は許せる範囲を超えている。


 マークとフレディは、私の指示に即座に従い、カーラを両脇から取り押さえた。


「私はリーディアの母親よ! 伯爵令嬢の母親に、そんな無礼が許されるの!」

「リーディアの母として面会を希望するのであれば、相応しい節度を持ち、然るべき方法で申し出るべきです。……二人とも、彼女を連れていって」

「リーディア、ママよ! あなたに会いにきたわ、リーディア!」

「大声を出さないで。……だいたい、あの子の気持ちをなんだと思って――」





「……ママ?」



 そのとき、廊下の影から、白銀の可愛い影がひょっこりと姿を現した。


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