第15話 総出で心臓を掴みにかかる一族




 朝から頭がショートしていたわたしは、食事が済むと、何はともあれ子ども部屋へと向かった。

 足元はフラつくし、脳裏にリキュール伯爵の笑顔が焼き付いていて、何度も頭がショートして足が止まったけれども、わたし付きの侍女マーサは黙ったまま、根気よくわたしの後ろについていてくれた。本当に頭が上がらない。


「ママ! 今日は何をするの?」


 やっとの思いで子ども部屋にたどりつくと、可愛いリーディアが、わたしを見るなり笑顔で駆け寄ってきた。


 その笑顔に癒されながらも、わたしはハッと目を見開く。

 そういえば、明日のわたしは、リーディアとは一緒にいられないのだ。


 わたしはその場に膝をつき、リーディアに目線を合わせた。


「リーディア。その前にね、伝えておきたいんだけど」

「なぁに?」

「明日はね、わたしは一日出かけるから一緒にいられないの」

「だめ」

「えっ」


 意外な返事にわたしが目を瞬くと、リーディアがわたしにギュッと抱きついてきた。

 そして腕を緩めると、紫色の澄んだ瞳で、上目遣いにこちらを見てくる。


「ママは明日もリーと一緒にいるの。だからだめ」


 可愛い。可愛すぎて、もはや心臓が痛い。銀髪美少女が愛らしい顔で、熱のこもった視線で、わたしを殺しにかかってくる。今日は本当に、一体どういう一日なのだろう。リキュール一族が総出でわたしの心臓を握り潰しにきている。


 全てを放り投げて、「そうね、明日も一緒よね」と叫びたくなったけれども、しかしわたしは必死に堪えた。

 あんなに嬉しそうにしていたリキュール伯爵に、悲しい顔をさせるのは嫌だと思ったのだ。


「リーディア……」

「だめなの」

「で、でもね」

「ママ、明日もリーといて?」

「ううっ……、あ、あのね、明日はパパと一日用事があって……」

「!!? リーも行く!!」


 より興味を惹いてしまった!

 失態! 失態である!


 しかし、目をキラキラさせながら、今まで以上の食いつきをみせるリーディアにわたしが慄いたところで、救世主が現れた。

 乳母アリスである。


「リーディアお嬢様、いけません」

「やだ!」

「お嬢様。旦那様のお言葉をお忘れになったのですか」

「パパの?」

「旦那様は、奥様が特別旦那様を好きになってくださるよう準備をする、とおっしゃられていたのでしょう?」

「ゲッホゲホゲホ」

「ママ!?」

「奥様!?」


 流れ弾で死にそうなわたしに、リーディアは目を丸くし、乳母アリスも驚いている。

 過剰反応で申し訳ない。けれども、その話題を出されると、何だか動揺してしまって、平静な自分を保てないのだ。今まで、こんなふうに自分を持て余したことはなかった。本当にどうしてしまったんだろう。


「だ、大丈夫。何でもないの」

「でも、ママ。お顔が真っ赤よ!」

「大丈夫よ、少しびっくりしちゃっただけ。問題ないわ。話を続けて」


 心配そうにしているリーディアを、わたしはギュッと抱きしめて誤魔化した。可愛いスナイパーは、きゃあきゃあはしゃいで嬉しそうにしている。よし、何とかなったらしい。

 なお、そんなふうに動揺を誤魔化すわたしを見て、乳母アリスは嬉しそうにニマニマしながらこちらをみていた。

 アリスさん……!


「コホン。では話を続けますが、お嬢様の計画のためにも、旦那様を応援しなければなりません。そうですよね?」

「……! アリス、かしこいの! リーはパパを応援する!」

「はい。二人きりにさせてあげてくださいまし」

「うん!」


 そう勢いよく頷いた銀色スナイパーは、ふと、我に返ったような顔になり、目をパチパチと瞬いた後、首を傾げた。


「アリス。特別好きになってもらうのに、リーがいたらだめなの? リーはパパとママと三人でいると、二人のこと大好きになるよ?」

「お嬢様。この場に私の娘のオレリアがいたとして、奥様と仲良くされていたら、お嬢様は……」

「リーはお留守番!」


 そう言うと、リーディアはわたしの方を振り向き、わたしの手を握りしめた。


「ママ……明日、リーは……一緒に行きたいけど……お留守番するね……っ!」

「今生の別れじゃないのよ?」


 目に涙を溜め、意を決した顔でこちらを見るリーディアに、わたしは思わず冷静な言葉を返してしまった。

 そんなわたしとリーディアを見た乳母アリスは、クスクス笑いながら尋ねてきた。


「奥様。明日はどちらに行かれるのですか?」

「街に行くらしいの。伯爵領の首都キュリアに下りるんだと思うわ」

「あら! では本当にデートでございますね」

「デッ……!?」

「リーも行きたい……リーも行きたいの……リーも……」

「お嬢様」

「お留守番する……」


 しおしおと項垂れているリーディアに、わたしも乳母アリスも苦笑する。


 結局、落ち込むリーディアを慰めるため、わたしは自分を犠牲にすることにした。


「アー、えっと、なんてことかしら。明日のお洋服が決まってないわ。誰かー、選んでくれないカシラー」

「!!」

「そうですね、奥様。奥様のお部屋で、侍女のマーサ達が手ぐすね引いて奥様をお待ちしていると連絡が入りました」

「そ、そうなの!?」

「けれども、私ども使用人は、奥様とお嬢様の手足ですからね……誰か、指示を出してくださる方がいるといいのですが……誰か……奥様のお洋服を選んでくださる方が……」


「リーがやる!!!」


 頬を上気させ、やる気に満ちたコーディネーターリーディアは、大きな瞳を溢れんばかりに見開き、小さな両手をギュッと握り締めたまま、わたしと乳母アリスに向かって叫んだ。

 やる気で燃え尽きんばかりの勢いの銀色愛娘に、誘い受けをしたはずのわたしは、つい慄いてしまう。


「そ、そう? ありがとう、リーディア」

「うん!」

「でも、その、リーディアはお洋服選びができるのかしら?」

「任せて! ママ、なんとリーはね、着せ替え人形が……大の得意……!」

「人形」


 そんな訳で、私はそこから一日、リーディアと侍女達の着せ替え人形となることが決定したのだった。


 着替え途中で「もうこれでいいんじゃないかしら」「充分よ」「ありがとう。じゃあもうこの辺で」と何度言っても、彼女達は止まらなかった。


 人形に発言権はないのである。

 

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