第16話 お出かけの準備



 デート当日の朝。


 わたしは侍女マーサを筆頭に、やる気に燃える侍女達に囲まれ、出かける準備に追われていた。

 もはや、王都の夜会にでも出るのかという勢いで、磨かれている。


 なにやら、わたしが昨晩呟いた一言が、侍女達の気持ちを煽ってしまったらしい。


 いや、わたしとしては単なる事実を言っただけのつもりなのだ。昼間のリーディアと侍女達の勢いが凄すぎて、夜になってつい、「わたしが着飾ってもね、伯爵様やリーディアには敵わないと思うの」とこぼしただけなのだ。


 しかし、わたしがふとは背後を振り向くと、マーサを筆頭にギラギラした瞳の侍女達がこちらを笑顔で見ていて、「奥様は煽り上手でいらっしゃる」と言いながら、さっさとわたしを寝かしつけた。そして翌朝は、起きた瞬間からギラついた笑顔の侍女達に囲まれていた。ちょっと怖くて変な声が出た。

 それから、風呂にエステにと色々なものを塗りたくられ揉み込まれ、訳が分からないままサンドイッチを口に放り込まれ、拭かれ乾かされまた塗って巻いて装飾してと、何が起こっているのか理解できないまま、わたしはただただ椅子に座っていた。


「奥様、できましたわ!」

「は、はい……」


 もはや目を閉じて精神統一という名の眠りについていたわたしは、目を開き、鏡の中の自分を見て唖然とした。


「え? 誰?」


「奥様、素晴らしいですわ!」

「会心の出来映えです!」

「肌も綺麗で、お顔立ちも化粧映えするから、腕がなりましたわ」

「髪の毛もふわふわで、何をしてもうまく収まってくれるので楽しくて」


 興奮している侍女達を横に、わたしは鏡に釘付けになっていた。

 鏡の向こうにいる女性は、そういえば結婚式の時に一度だけ見かけたことがある気がする。

 けれどもその時よりも化粧は軽やかで、くるりとまとめた髪の毛から後毛が垂らされているため雰囲気も柔らかく、なにより街行き用の淡い黄色のドレスが軽やかな可愛らしさを演出していた。髪を彩る紫色のグラデーションのリボンが、華やかなアクセントになっている。


「す、凄いわ……みなさんの手は、魔法の手……!」


 わたしが心からの称賛を贈ると、侍女達は誇らしい笑顔で応えてくれた。

 そして、その直後、ざわつき始めた。


「奥様、もしかして、あくまでもこれは魔法の効果で、ご自分が美しい訳じゃないと思っていらっしゃいます?」

「顔の造形は変えられないのですよ!」

「この美しさは奥様が持って生まれたものです」

「旦那様に引けは取りません!」

「リーディアお嬢様とはまた違った魅力に溢れて」

「透明感のある可愛らしさが」


「わ、分かったわ! 分かったから、もうやめて……!」


 どうしよう、リキュール伯爵家の侍女達が、こぞって誉め殺しにかかってくる。褒め言葉で溺死してしまう。リキュール伯爵家、恐ろしい家である。


「あの……少しね、自信がついたわ。みんな、本当にありがとう……」


 わたしが恥じらいながらも必死にお礼を言うと、ようやく侍女達は気持ちを落ち着けてくれたようだ。

 ほっと息をつくと、侍女達が嬉しそうに、「旦那様をお呼びしなければ!」「こちらに向かっていらっしゃるんじゃないかしら」「隣の部屋でお待ちになると先程」と言葉を交わしている。

 それを横で聞きながら、わたしはソワソワと手を握りしめていた。


(伯爵様……少しは綺麗だって、思ってくださるかしら)


 彼は毎日あのご尊顔を鏡越しに見ているのだから、わたし程度では心に留まらないかもしれない。けれども、ほんの少しだけでも記憶に残るといい。

 そんなふうに思っていると、侍女達が開けた扉の向こうから、屋敷の主人である二人の声が、廊下に響くようにして聞こえてきた。


「パパはね、ずるいの。リーも今度、ママとデートする」

「だめだ」

「パパ!」

「リーディアは妖精のように可愛いし、ママは天使のように美しいから、二人だけで街に出たら攫われてしまうだろう?」

「そんなことないもん。それにね、ママのことはね、リーが守るから大丈夫よ」

「ママを守るリーディアごと攫われるに違いない。パパならそうする。パパも行かないとだめだ」

「パパは忘れてるかもしれないけど、リーはね、もう六歳なの。すっごくお姉さんなの。だから大丈夫」

「そうか、リーディアはまだ知らないんだな……可愛いお姉さんはな……街を歩いていると、すぐに悪い人に攫われてしまうんだ……」

「そ、そんなの嘘だもん!」

「リーディアは街に一人で出かけたことがないから知らないんだな……」

「じゃあ、一人でお出かけして試してみる」

「絶対にだめだ」

「パパの意地悪!」


 えっと、リキュール伯爵領の首都、そんなに治安が悪かったかしら!?

 街を歩くだけで攫われる、そんな魔境に今から行こうというのか。


 若干震えながら、扉の影から廊下の先、声のした方をこっそり見ると、リーディアを抱えたリキュール伯爵の姿が見えた。


 め、めちゃくちゃお洒落をしている!


 焦茶色のアンティーク調のスーツが、品の良さを醸し出している。立っているだけで、匂い立つほどに美しい。そして格好良い。お人形のような、透明感のある美がそこに成立していた。しかも、そんな彼が、愛らしい美少女を腕に抱きかかえている。夢のコラボである。


 わたしは怯んだ。


 こ、これは、出直した方がいいのでは……。


 しかし、侍女マーサ達がそんなことを許すはずもなく、部屋に引っ込もうとしていたわたしは、気がついたら廊下に押し出されていた。もちろん、人間バリケードの仕業である。


 リーディアとリキュール伯爵は、ポテっと廊下に現れたわたしに、目を留めた。


 そして、二人して口を開けて固まった。


 そ、それはどういう表情なの!


「天使……」

「天使さま……」


「!?」


 口を開けて、そっくりな顔で震えだした二人に、わたしも訳が分からず震えることしかできない。


「あ、あの……」

「ママ。今日はお出かけ、やめよう? リーと一緒にいよう?」

「えっ!? で、でもね、今から伯爵様と街へ……」

「ママ。ママは綺麗で可愛い天使さまだから、街に出かけたらすぐに攫われちゃうの。とっても危険なの」


 それさっき、「そんなの嘘だもん」って言ってなかった!?


「リ、リーディアは大げさね。例え悪い人がいたとしてもね、伯爵様が守ってくれるから大丈夫よ」

「ママ。パパがいても、ママは攫われちゃうわ。リーだったら……ママを見たら、頑張っちゃうもの……絶対に危ないわ……」

「頑張っちゃうの!?」

「絶対に諦めないの……」


 リーディアの手のひら返しが酷い。

 思い詰めた顔をしてわたしに注意喚起しているけれども、それ全部さっきあなたが言われて否定していたことだから!


 助けを求めるべくリキュール伯爵の方を見ると、彼は顔を赤くしてわたしの方を見つめていた。


「伯爵様」

「部屋に閉じ込めてしまいたい」

「えっ!?」

「私は君を守り切れるだろうか……いや、命に代えても君を家に帰す……!」

「そんな危険な街ですか!? リキュール伯爵領の首都は!」

「それくらい君が可愛い」


 あまりにも直球な言葉に、わたしは思わず息を止める。


「あまりにも美しい」

「ママ、綺麗なの……」

「街で見かけたら、声をかけたくなる輩がいるに違いない」

「リーの持ってるどのお人形さんよりもずっとずっと素敵なの」

「式の時も思ったが……マティーニ男爵は宝石を畑の中に隠していたんだな……」

「ママ、可愛いの……あっ、そうだ! パパ聞いて。大事なものには、ちゃんと名前シールを貼って無くさないようにするのよ。ママにもシールを」

「も、もうやめて!? いいから、出発しましょう!」

「名前シールはどうする?」

「は、貼らない!」

「ママ、貼らないの?」

「ごめんね、貼らないの……! 伯爵様! 出発です!」


 必死に促すわたしの横で、リキュール伯爵はくつくつ笑っている。もう!

 一方、リーディアはもの悲しげな顔でこちらを見ていた。わたしは慌てて何とか彼女をなだめ、リキュール伯爵がお土産の話題で彼女の気持ちを盛り上げたところで、即座に二人で馬車に乗り込み、ようやく街へと向かうことができたのである。


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