ギャル探偵は街を往く

@mizno_066

ギャル探偵は山に往く

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「で、それがまたクサくってさぁー」

「え、ヤバーい!! マジウケんだけど!」

「ヒャッ! ヒャァッ!」


パンッ! パンッ! と一本締めみたいな音量で手を叩き爆笑する声が、すぐ後ろから耳に突き刺さる。

彼女ら三人の喉と俺の鼓膜、どちらが潰れるのが先かという謎のチキンレースがここ数分、誰に知られる事もなく進行していた。


バスの座席順は何日か前、担任の意向によって

「クラスでよく話し合い、お互い譲り合って全員が納得するように」

決めることになったものの、性善説ではクラスの上位層が強権を発揮するのを止めることはできず、まず最初に最後尾の一列が彼女たちのエリアに決定したそうだ。

とは言えそれで他の面々が特別不満を持ったわけでもなく、各々の仲良しで固まれるならそれで良いという雰囲気で、残りの席次も割とスムーズに決まっていったらしい。


問題があるとすれば風邪でその日は欠席していた俺の意向が反映されていない事と、後ろから二列目という最も音源に近いこの席を強いて希望した隣の奴が、俺の友人だったことくらいだろう。


「えっ何なに? 何が臭いって?」

「いや橋本はしもとには分かんない話だから。ホラ後ろ向くと危ないから前向いてなって」

「てかなんか顔色悪くない? 一番前の席に替えてもらいなよウケる」

「雑ゥ! 俺の扱い雑じゃない!? せっかくのキャンプなんだから喋るくらいいーじゃん!」

「ヒャッヒャッ! ヒャッ!」


初めて電車に乗った幼児よろしく、座席に乗り上げては女子にちょっかいをかけている。

上位層の女子にも物怖じしない辺り肝が据わっているようにも見えるが、クラスで唯一同じ中学出身の俺から見れば、何でもいいから異性と話したいだけなのは明白だった。

まぁ入学してまだ三ヶ月程度なのに女子のあしらい方が手慣れている辺り、こいつの性格もだいぶ浸透してきたようだが。


「あっそうだ! 俺昨日、眞島ましまさんがインスタムに上げてた写真見たよ!」


取り付く島がなければ作れば良くね? と言わんばかりに、めげない橋本は転がりそうな話題を振る。

インスタムとは「in Studio seems」というSNSの略称で、その名の通り

「スマートフォンでも"スタジオで撮ったかのような"美麗な写真が撮れる——盛れる」

ことが売りの、主に若い女性から圧倒的な支持を得ている写真投稿型の交流サービス。

以上、ネットからの引用。


「この『自撮りの盛り方講座』とかめっちゃ『いいね』付いててビビったわ。照明とか反射板とかよく分かんないけど、俺も今度マンツーマンで自撮りのやり方教えて欲しいなー、なんて! なんて!」

「えー橋本もインスタムやってんだ? じゃアカウント教えてよ」


珍しい。好感触の時もあるのか。


「えっマジ? フォローしてくれんの? ちょっと待って今プロフィール画面を……」

「いやブロックしとかなきゃ」

「何でよ!? 俺も『いいね』押しといたのに!」

「なんか女子の写真とか保存してそーだし……」

「やばー、ハッシーそれはストーカーだよー? キモー」

「ヒッ……」

「いやいやしてねーよ! 人聞き悪いな! ほらなんか皆こっち見てんじゃねーか! コツコツ積み上げた女子たちからの信用に傷が付くようなこと言わないでくれる!?」


そんなものが本当に存在しているならな。

まあ何かやましい事があるなら、わざわざ本人に見ている事を伝えはしないだろう。

橋本はアホかもしれないが別に悪い奴ではない。

実際、休んでいた俺が離れ小島的に孤立しないよう気を回して、自分とセットで席を確保してくれていたりもした。

その結果として今、鼓膜に継続的なダメージを受けていることはこの際、考えないでおこう。


バスが信号待ちか何かで停車し、つられるようにして窓の外に目を向ける。

しつこく続いた梅雨が明け、日に日に気温が底上げされていく七月半ば。

雲の少ない青空は遠ざかるほど白くグラデーションがかかり、盆地の終わりに並んだ山の形がよく見えた。

特に願ったわけでもないが、今日は一泊二日の林間学校、その初日に相応しい日和になったと言えるだろう。



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バスは大きく左に旋回しながら、緩やかな傾斜を上っていく。

キャンプ場までは二時間くらいの道のりと聞いているが、下道ではなく高速を使うらしい。

とんでもない秘境に連れて行かれたりしないといいがな。

現地人と戦闘になったら橋本が真っ先に死ぬだろうな、とようでもないことを考えていると、右腿の辺りに車体の揺れとは別種の振動が走った。


ジャージのポケットからスマホを取り出して見る。トークアプリに新着メッセージが入っていた。


『ねーひま』


ダイイングメッセージでももう少し情報量があると思うが、多分「ねぇ、暇(だから話し相手になってほしい)」だろう。

たったそれだけの装飾も省いているところを見ると、どれだけ退屈を持て余しているのか逆によく伝わってくる気もする。

揺れる車内で難儀しつつ、返信する。


『まだ出発して三十分も経ってないぞ』


 ブ、と即返事が戻る。待機してやがるな。


『ひまひまひまひま』

『周りに友達がいるだろ』

『いない』『みんなしんだ』


だったら殺したのはお前に違いない。

一人だけ生き残るとは不自然にも程がある。


『てか今なにしてんの』

『バスでキャンプ場に向かってる』

『そうじゃなくて😡 橋本と一緒?』


ちら、と横目で奴を見る。

女子のポッキーをせびろうと頑張っているところだった。


『隣でハシャいでる』

『また女子にかまちょしてるでしょ』

『かまかまかまちょくらいしてるな』

『それ』『橋本のキャラだからギリ許されてるけど』『アンタが同じことしたら空気終わるからやめなよ?』


言われるまでもないわ。一体何の釘を刺されているんだ俺は。


『俺がそうしたがってるみたいな表現はやめろ』

『橋本に付き合わされて仕方なくー😅』『みたいなノリも女子にはバレるからね』『まーモテないオタク君にはわかんないか笑』


前から思っていたが、こいつはただ活発ではないだけの人を総称してオタクと呼ぶ癖があるな。

少なくとも俺は特定の何かに造詣が深いわけではないから、本当のオタクが聞いたら気を悪くするんじゃないか。

そしてその直前の中傷については法廷で争ってもいい。


『自分の顔と個人情報をインスタムに上げなくて済むなら、何と呼ばれても構わん』

『なんで知ってんの』『インスタム』『アンタ絶対興味ないでしょ』


俺だって一応高校生なんだが、そんなに意外か?


『橋本がお前みたいなギャルたちを相手に、話題に出してたのが聞こえた』『聞き慣れない単語だったからネットで調べたんだ』


返事があるまで少し間が空いた。


『なんだ』『てか二組でギャルってもしかして眞島さんたちのこと?』『あの子たちは別にギャルじゃないでしょ』


そうなのか? 違いが分からん。


『明るい女子をみんなギャルって呼ぶのやめな??』『陰キャがバレるよ🤣👏』


! …………う、うーむ……。

自分と遠い文化圏の人間を雑に括っていたのは、どうやら俺も同じらしい。

ただ活発であるだけの女子を総称してギャルと呼ぶ癖が自覚できていなかったとは、客観的視点というものは難しい。

しかしまさか、キャンプに向かうバスの中で自省する羽目になるとはな。


もう三十分は座り続けているシートの収まりが急に悪くなったような気がして、身体をもぞもぞ微妙に捻っていると、


「あっ! 一馬かずまお前、またこっそりヒナちゃんと連絡取ってんの!?」


いつの間にか女子への攻勢にひと区切りつけていた橋本が、子どもの悪戯を見つけた母親のような顔で俺のスマホを見ていた。

どうしてお前はそう、無闇に耳目を集めるようなセリフしか出てこないんだ。


「別に隠してない。それより声がデカいぞ」

「そりゃデカくもなるわ! 俺が苦労して女子との接点を一つでも増やそうと努力してるその横で、よくまぁ幼馴染とイチャイチャできたもんだな! 人の心とかないのか!」


顔いっぱいに「ずりー!」という言葉を貼りつけて、明後日の方向から非難をぶつけてくる。


「これはただ暇潰しに付き合ってただけで……。そんなに羨ましいなら、お前も会話に招待するか?」

「俺から送ったメッセージは事務的なやつしか返って来ないの分かってて言ってんだろ!」


ふふ。バレたか。

しかしこの流れはまずいな。橋本は一度ひがみ始めると長い。

このまま大声で騒がれ続けると経験上、行き着く先は……。


「え、暮地くれちくんって彼女いるの?」


頭上から突然、声を抑えた問いかけが降ってきた。

振り返ると、ヘッドレストの上からギャ……眞島が興味丸出しの顔を覗かせている。

やっぱりこうなるか。


「違う。今、橋本が言ってた奴はただの知り合いで、普通に雑談してただけだ」

「いや聞いてよ眞島さん。コイツ、今どき家が隣で保育園からずっと同じ学校とかいうベタな幼馴染持ってんのよ!」


幼馴染にベタも斬新もないだろうが。

しかし聞かされた方はより興味を引かれたようで、


「凄ーい、ドラマみたい。え、うちのクラスの人?」

「うんにゃ一組。相真そうま妃直子ひなこちゃんって分かる?」

「やばー! 相真さんてあの、めっちゃキレーな人じゃない? 結構ギャルっぽい感じの!」


眞島……ではなくその隣の女子が、勢い込んで会話に入ってくる。

この分だと、引き笑い担当の最後の一人が参加してくるのも時間の問題だな。


「そうその子。背高くて目立つから、どっかで見たことあるっしょ?」


眞島も思い当たった、という顔をして、


「あ、ウチも一回体育で一緒になったことあるかも。めっちゃ脚長いし顔小さ! ってなったあの人か」

「周りの友達も派手めな人多かったし、雰囲気からして完全に陽キャって感じでキラキラやばかったよねー」


『眞島の隣』が受ける。まさかとは思うが、君らの自認は陰キャなのか?

女子たちの反応を聞いていた橋本は大きく頷くと、


「そうなんだよ! そんな可愛い子と幼馴染に生まれておいて、なーにが『雑談してただけでふぅ↑』だ一馬! いいか、女子との会話ってのは本来、そんなに簡単に手に入っていいもんじゃないんだぞ!」 


おぞましい俺の物真似を挟みつつ、選挙演説の如く拳を作って詰め寄ってくる。マジで何を言っているんだ、お前は。


「俺の生まれはともかく、お前が機会に恵まれないのはやり方に問題があるからだといつも言ってるだろ」

「どこがだよ! 楽しげな会話を率先してリードしつつ、要所要所で女の子の褒めポイントにそれとなく触れる俺の鉄板コミュニケーションを、お前は聞いていなかったのか!?」

「聞いてなかったな」

「ウチらも聞いてなかったよ」

「え、いつやってたん? ウケる」

「もうこのバス降ろしてくださ——い!!」

「ヒャッ! ヒャッ! ヒャァッ!」


その後は予想通り、朝は一緒に登校しているのかだの、バレンタインにチョコを貰ったことはあるのかだの、興味本位であれこれ聞いてくる女子たちの質問にノーを返す作業が到着まで続いた。


まぁアイツのことだ。俺さえちゃんと否定しておけば、仮にあらぬ噂を立てられようと「は? 全然違うけど」とバッサリ斬って捨てるだろう。

威圧することはあっても萎縮することはない女だからな。


周囲への対応に手と頭が塞がる中、右ポケットのスマホは連続して震えていた。

ぶつ切りに終わった雑談と未読無視をなじられていることは見なくても分かったが、始まったばかりの高校生活に禍根を残さないためにも、ここは勘弁して貰おう。



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学年主任からの振りを受け、横に控えていた白髪の男が帽子を取り、前に進み出る。


「管理人の山営やまえいです。皆さん、ようこそおいでくださいました」


硬そうに日焼けした顔をくしゃっと潰して笑い、キャンプ場の主は一礼した。

総勢三百人からなる三角座りの海を前に、最後列まで届けようと懸命に声を張っている。

静謐な空気に満ちた山中の広場ではさぞ遠くまで響くことだろうと思ったが、むしろ森に吸い込まれていくような感じがしたのが意外だった。


バスに揺られること二時間弱。

山間部を切り開いたキャンプ場に到着した俺たちは中央に設けられた広場に整列し、滞在中の諸々についてレクチャーを受けようとしていた。


「当キャンプ場は明日まで皆さんの貸切です。是非めいっぱい自然を楽しんで頂いて、良い思い出をたくさん作っていってください。特に今夜は」


と、人差し指を立てて上を差す。


「天の川が見られると予報が出ていましたから、皆さんラッキーですよ」


にこにこと愛想良く話す管理人の言葉に、生徒の一部から「おー」と反応がある。

俺も生の天の川を見るのは初めてかもしれない。


「おいおい、ってことはうまく女子を夜の散歩に誘えれば、フィールドの効果によってイイ感じになれちゃうかもってことか?」


隣で一人、不純な反応を見せる橋本。

夜なんぞ教員が最も見回りに力を入れてくる時間帯だと思うが、そこまでは考えが及んでいないようだ。


「それでは私から何点か、当キャンプ場について説明させて頂きます。お手元のパンフレットを開いてください」


管理人が、緑色の長方形の紙を掲げるように持ち上げる。

俺も先ほど全員に配られた蛇腹折りのパンフレットを取り出し、脚の上に広げた。

森の中を丸く繰り抜いたキャンプ場の案内図が、紙面いっぱいに描かれている。

共同の水場やトイレ、管理人が詰めるコテージなどの要所が可愛らしい絵でピックアップされ、使用上の注意なども添えてある。

裏面には全く同じ内容が英語で載っていた。


「今、皆さんがいるこの場所が中央広場です。ここを挟む形で左右にテントを張るスペースがありまして、そこに後ほど、ご自分のテントを立てて頂きます」


そういえば広場を縁取るようにレンガが埋めてあったが、あれはテントスペースとの境界線だったわけか。


「既にテントごとに備品類をまとめて置いてありますので、不足がありましたら私かスタッフまでお申し付けください。あ、そうそう」


慣れた様子で説明していた管理人は少し、困ったような笑顔を浮かべ、


「なにぶん山の中ですので、椅子ですとか、欲しい備品がどうしてもない場合もあるかと思います。しかしその場合でも、例えば落ちているゴミを使ったりするようなことはしないようにお願いします。というのも以前いらしたお客様で、森で拾ったダンボールをテーブル代わりに立てて使っていたところ、煙草の火が燃え移ってボヤ騒ぎになったことがありますので……。そうでなくても怪我などする恐れもありますから、基本的にゴミは拾わないようにしてください」


横の学年主任の目が殊更険しくなる。

生活指導を兼ねている身としては万が一にも、生徒が同じ轍を踏むようなことなどあってはならないと考えています、という顔だった。

点火棒の所持を許可制にしろと言い出しかねん剣幕だな。


「次に、あちらのライトですが」


管理人が俺たちの後方を手で示す。

振り返ると、広場の隅に四角形の機材が十数個、まとめて置いてあった。

軽トラックのヘッドライトだけを抜き出したような見た目で、全て同じモノのようだ。


「夜間用の照明になります。パンフレットにもありますとおり当キャンプ場には外灯がありませんので、日が落ちた後は適宜、あちらを使用して頂ければと思います」


記載によると充電式のLEDライトで持ち運びができ、地面に置くなりテントに吊るすなり、利用者側の裁量で好きに運用していい照明とのことだった。

設備があるのは有り難いが、多分これは実行委員か教員の管轄になるだろう。

数もそれほどないように見えるし、生徒間で取り合いになりそうなモノを放任するとは思えん。


まさにそんな感じのことを言いたそうにして、学年主任が口を挟むべきか逡巡していた……が、管理人の説明が次に移ったことでタイミングを逸し、諦めたようだ。


その後も十五分ほど管理人のレクチャーは続き、天気が崩れたら川に近づかないとか、炭は必ず水に浸けて消火すべきとか、長年の経験から色々アドバイスを送ってくれた。

しかしその全てに毎度眉を寄せる学年主任がチラチラ視界に見切れるので、少々気が散ったのも事実だ。


そしてそこに若干の不穏を感じた俺は、後で足元を掬われても面白くないので、注意事項や説明を頭に入れようと集中していた。

同じ班の橋本が明らかに途中から雲の流れを見始めていたことも、理由の一つではあったが。



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レクチャーが終わり、全体にテント設営の号令がかかる。

生徒は予め決められた三人一組の班に分かれ、これまた予め決められた各々のテントの場所へと散っていく。


「俺たちのテントは何番だっけ?」

「十八番だね。あっちだ!」


欠伸混じりの橋本の問いに、うちの班最後の一人、二本松にほんまつが答える。

答えるというかもう"""応える"""って感じの勢いで話すこの男とは、この高校に入ってから知り合った。

水泳をやって長いというガッシリとした体躯に精悍な顔を載せ、細い黒縁眼鏡で引き締めた笑顔が眩しい彼を初めて見た時は、("正義のヒーロー"と同じクラスになった)と思ったものだ。


その印象を何気なく橋本に話したところ、


「はは確かに! 『学生ヒーロー二本松、参上!』って感じするわ!」


などと本人がいる所で爆笑してくれたものだから、悪口のつもりではないとはいえ、さすがに肝を冷やした。


しかし話の経緯を聞いた当人は、


「ハッハッハッ! そうかありがとう!」


と快活に笑い、何故か握手を求めてくる始末だった。


その場では空気を慮って大人の対応を取ってくれたのだと思っていたが、後で聞いたところによると、単純に褒められたと思ったらしい。竹を割ったような、という表現は彼のためにあるのだろう。

そんな彼の人となりがクラスに浸透していくにつれて「ヒーロー」の呼び名は定着していき、俺たち三人はそれ以来、なんとなくつるむようになっていた。


二本松は指差していた腕を手刀の形にし、俺に向けて切るように振って見せる。


「だがしかし、僕は実行委員の仕事に行かねばならない。悪いが二人で先に行っててくれ!」


今回のキャンプでは、各クラスから実行委員として男女が一名ずつ徴発される。

委員と言っても教員に使われる雑用係で権限も何もなく、そこに"ヒーロー"を充てるのは本来の意味で役不足に思えてならないが、もちろん本人は不満一つ言わない。

まぁその選出に欠席していた俺がとやかく言えた義理ではないんだが。


二本松は俺たちに荷物を預け、意気揚々と駆けていった。

あの調子では積極的に雑用を引き受けて回るだろうし、せめて班で行う細かい作業くらいは、俺と橋本で済ませておくべきだろう。


早速、そこかしこでワイワイと設営が始まっている。

その間を縫うようにして歩きながら、今夜の寝床を目指して進んでいく。


果たして十八番テントは、広場の西側に当たるスペースの一角にあった。

テントの本体らしき大きな茶色い布がレジャーシートのように畳んで敷いてあり、その上に「18」とプリントされた紙、三人分の毛布と軍手、ハンマー、分解された骨組み、設営の手順書などが一纏めに置かれていた。


荷物と備品を脇にどかし、とりあえず手順書に目を通して設営の目算を立ててみる。

手順はざっくり言うと、骨組みを組み立ててテントのスリーブに通し、立ち上げたら根元をペグで固定すればいいらしい。

作業の一つ一つに「うおお」とか「来たわコレ」などと声を上げる橋本と共に、抜かりないよう進めていく。


およそ三十分後、初心者二人では少し心許ないかという予想に反し、テント本体は割とすんなり立ち上がった。あとはペグを地面に打ち込んで固定するだけだ。

脚は六箇所あり人員は二人いたがハンマーが一つしかなかったので、橋本が打ち込むのを側で見ているだけになった。テントスペースは整地されていて、手頃な石も見当たらない。


「家にハンマーとかペンチとかが一つになった道具があったから持って来たかったんだけどさ、荷物検査するって言われたらなぁ」


橋本が無念そうにこぼす。

遡ること一週間前。突如、学年全体に『不要物の抜き打ち検査』をキャンプ中に行うと通達があった。

元々スマホやらゲームやらのキャンプに必要ない物品の持ち込みは禁止とされていたが、それでは不十分だと主張する意見が出て、抑止力として設定されたとのことだった。

主張したのはもちろん、我らが学年主任である。


とはいえ生徒サイドも、ただ黙って従ったわけではない。

例えばスマホはキャンプ当日の朝、クラス担任に預けることになっていたが、用意されたダンボールに皆が入れたのは、どう見ても一昔前の機種ばかりだった。

要はもう使っていない昔のスマホを身代わりとして提出し、普段使っている方は何食わぬ顔でポケットやリュックに忍ばせる。

そういう「対策」が、事前に生徒間で共有されていたのである。

他でもない俺もそのうちの一人だし、正直に普段使いのスマホを提出した生徒はごく一握りだろう。まぁ眞島のように菓子まで持ち込んでいる奴も逆に少ないと思うが。


ただ、担任の表情や生徒全体のスマホ所持率を見る限り、ほとんどの教員らは分かっていて見て見ぬふりをしてくれているように思える。

立場上、表立って反論しないだけで、生徒の規制に肩を回して励んでいるのはあの学年主任だけなのかもしれない。


ポケットの中のスマホに触れながら、橋本に応じる。


「あの学年主任が自ら検査して回るとなれば、キャンプ用品でもどんな難癖を付けられるか分からんしな」

「親父の道具持ち出して、もし没収されでもしたら洒落になんねーよ」


締め付けるのが生活指導の役割とはいえ、可能性で制限をかけられては窮屈になる一方でしかない。

実際に今、号令時に謳われた「速やかな設営」に支障が出ているとも言えるわけで、もう少し後の影響を考えてもらいたいものだ。

そんなことを二人で話しているうちに、片側のペグが打ち終わる。反対側は俺が代わり、最後に全体の皺を伸ばして完成を見た。


少し離れ、自分達の労働の成果を改めて眺めてみる。


「おぉ、結構良くね? なんかテンション上がるわ」


橋本の評価に頷きを返す。

一晩を過ごす場所としては十分なように出来たと思うし、他の班より心なしか芸術的な仕上がりに見えるのは、一種の親バカ的精神なのだろうか。


ささやかな充足感に浸っていると、後方から一歩一歩、踏み締めるような足音が近づいてくる。

振り向けば、実行委員の仕事を済ませたらしき二本松が立っていた。

思ったより早かったな、と声を掛けようとして、ふと気がつく。



表情に少し、陰が差している。



「おっ、お疲れ。どうよコレ、俺と一馬の愛の結晶」


『汗の』の聞き間違いだろう。夏の昼間に怖気が走る。


「うん、すごく立派に出来てるね。二人で設営させてしまって申し訳なかった」


特にツッコミもしない辺りは普段通りだが、やはりどこか笑顔が弱々しい。

俺は極力、何でもないように訊いた。


「何かあったのか」


少し驚いたような顔をして、二本松は俺の目を見る。

そして頬をかきつつ苦笑し、


「顔に出てしまってたかい? ……うん、実を言うとさっき、ちょっとトラブルがあってね」

「実行委員の仕事でか」

「いや、そうじゃない。仕事の最中ではあったけどね。広場で昼食に使う飯盒はんごうの準備をしていたら、女子のテントが集まっている方から大きな、何か言い争うような声が聞こえてきたんだ」


女子のテントは広場を挟んで、真反対の東側に集められている。

俺たちのいる西側からは距離があるので、騒ぎがあったとは気付かなかった。


「生徒同士のトラブルかと思って、他の実行委員と一緒に声の方へ向かった。そうしたら、眞島さんが古井戸ふるいど先生にすごい剣幕で詰め寄っていてね」

「うおっ、マジ? 先生相手に? やべー、眞島さんってキレたら怖いんだな……」


たじろぐ橋本の言う通り、教員を前にしてなお物怖じしないのは相当肝が据わっている。

しかしそれより気になるのは、


「古井戸って誰だ」

「ウソだろお前!? さっきずっとそいつの話してただろが! 学年主任だよ!」


ああ奴か。普段関わりのない教員の名前はどうも覚えづらい。


「そんな目で見るな。まだ入学して間もないんだから、そういうこともある」

「お前が異常な無頓着なんだと思うけど……」


失礼な評価をよそに、二本松に先を促す。


「それで、その古井戸に眞島は何を言っていたんだ」

「とりあえず仲裁に入って話を聞いたら、古井戸先生が『抜き打ち検査』をしたことに対して抗議していた、と」


抜き打ち検査というと、さっきも話していた不要物チェックのアレか。

しかし、


「その決行自体は前から予告されていたと思うが。抗議する余地があるのか?」


もし順当に不要物を見つけられ、没収されたことに対しての抗議なんだとしたら、残念ながら眞島の落ち度と言わざるを得ない。

しかし二本松は首を振って、


「問題は検査そのものじゃなく、そのやり方にあったらしい。何でも、古井戸先生はそうでね。それはいくら何でも生徒のプライバシーの侵害だと、そう主張していたんだ」


…………。

これには俺も流石に、開いた口が塞がらなかった。

生徒の規制が生き甲斐という印象はあったが、まさかそこまで強引な手段に出るとは。


「いやっ……、流石にそれはやり過ぎだろ! 検査とか言ってっけど、もうそれ半分犯罪なんじゃねーの!?」


橋本が憤るのも無理はない。

不要物うんぬんを別にしても、正当な生活必需品の中にだって、他人に見られたくないものはある。

特に今回は女子の持ち物だったわけで、


「眞島が面と向かってキレたくらいだ。検査は古井戸が単独で行い、女性教員の同伴さえしなかったんじゃないか」

「そう聞いてる」


やっぱりか。

別に女性なら勝手に見ていいわけでもないが、古井戸は初老の男だ。女子たちからすれば嫌悪どころか、恐怖を感じてもおかしくない。

それにしても……。


「なぜそんなやり方をする必要があるのか分からん。別に生徒を立ち合わせたところで、タイミングが抜き打ちなら不要物を隠される恐れはないはずだ。その辺、古井戸の言い分はどうだった」


二本松は目線を落とし、少し疲れたような顔をした。


「何を言っても『後ろめたいことがないなら、いつ見られても構わないはずだ』の一点張りだったよ。僕の所感を正直に言えば、会話が成立してないように感じた」


なるほど。

恐らくだが、古井戸は生徒の自主性を端から信じていない男なんだろう。

長い教員生活で何があったのかは知らないが、とにかく相手の裏をかくことでしか、結果を信用できない人物らしい。

そして生徒を一個人ではなく、管理すべき子供の集団に過ぎないと考えている。


「クソじゃん」


橋本が吐き捨てるように言った。

コイツは人一倍女子が好きだが、その分、思いやりも普通の男子より強い。

突発的な行動に出ることはないと思うが、後で一応釘を刺しておいた方がいいだろうか。


「ただ、まずかったのは」


二本松がゆっくりと続ける。


ことなんだ。日木原ひきはらさんのリュックからスマホが見つかって、没収された」


今度は誰だ? と言い出せない俺の顔を見かねて、


「バスで後ろだった、眼鏡の子な」


と橋本が補足してくれる。

今後はもう少し、名前を覚える努力をしようと反省した。


「あの引き笑いの女子か。手元から離したのは迂闊だったな」

「山の中で落としたくなかったのかもしれないし、置いていった実際の理由は分からない。でもまさか、勝手にリュックを漁られるなんて予想はできなかったと思うよ」


それもそうか。不運な偶然が重なってしまったわけだ。


「それで実際に不要物を見つけたことで、古井戸先生は余計、自分の行為の正当性を主張した。日木原さんはショックを受けて落ち込み、その顛末を見ていた眞島さんは先生のやり方が不当だと抗議した。両者の言い分は平行線のままで、結局、他の先生が間に入って話をまとめることになった」


日木原のスマホは当然没収。後日、担任への反省文提出と引き換えに返却される。

そして荷物検査は今後、古井戸の他に女性教員が常に一人帯同し、生徒も立会いの上で行う。

そういう取り決めがなされ、その場は解散となったらしい。

眞島、古井戸両名は最後まで納得しなかったそうだが。


「もちろん、不要物の持ち込み禁止はルールだし、見つかれば没収なのも当然だ。でも、これから楽しい時間を過ごすはずのこの場所で悲しい思いをした人が出てしまったのは、実行委員として少し、やり切れなくてね」


そう言って遠くを見る二本松の表情が、まるで自分の無力を呪っているかのように見えたのは、俺の勝手な想像だろうか。



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それから約十分後、俺は飛び交う怒号の中にいた。


「あいつホンッッットにありえないんだけど!」

「マジそれな! てかキモ過ぎて、あんなのが先生とかマジで無い!」

「次、ウチらに何かしてきたら今度は、」


ここからは描写するのがはばかられる表現が続いたので、俺の判断で割愛させてもらう。

鬼のような形相で人参の皮を剥く眞島と、般若のような表情で米を研ぐ『真島の隣』が、座って火を起こしている俺を挟んで冷めやらぬ怒りをキャッチボールしているのだった。

二人とも明らかに俺より火を起こしやすい状態にあると思うんだが、どっちか代わってくれないだろうか。


テント設営を終えた俺たち生徒は予定表に従って男女三人ずつの班に分かれ、昼食の準備に当たっていた。

炊事場は平べったく敷いたコンクリートの上に木の柱と屋根を載っけただけの「THE・炊事場」といった風情だったが、流しと焚き火台を交互に置くという独特な構造であったがゆえに、俺は通常より高い緊張感の中での火起こしを強いられていた。


グループ分けの際、直前まで話題の渦中にあった眞島班と組むことが決まった時は少し緊張したが、まぁ元気そうで何よりだ。

怒りながらも手は動かしている辺り、意外に仕事が出来るタイプだな。


なおも猛り狂う風神雷神の間から、と目を流しの隅にやると、


「…………」 


しょり、しょり、と力なくジャガイモの皮を剥いている日木原の姿があった。

こちらはこちらで、もう力一杯元気がない。得意の引き笑いも鳴りを潜め、頭上に『しょんぼり』という書き文字が見えるようだった。


眞島がいくらか表情を緩め、日木原の顔を覗き込むようにして声をかける。


「元気出しなよ。さっきも言ったけど、笑子しょうこが落ち込むことないじゃん」

「…………」

「そんなことないって!」

「…………」

「いやウチらは全然気にしてないし、またアイツに絡まれたって別にどうってことないから」


日木原の口が全く動いていないように見えるんだが、なぜ会話が成立しているんだろう。

『眞島の隣』も後ろで頷いているし、自分の感覚器官に自信を無くしそうだ。


二本松から聞いたところでは、日木原は荷物を漁られたショックよりも、自分の落ち度——スマホを見つけられたこと——で友人たちへの警戒が強まってしまったことに対して落ち込んでいるらしい。

幸い、日木原以外の二人は騒ぎに乗じてスマホや菓子を隠すことに成功していたが、しばらく手元に置いておけない不自由を強いる形になったことに、引け目を感じているのだろう。


そのショボくれようは見ていて気の毒だったが、とはいえ、俺にできることは火起こしくらいしかなさそうだった。

それほど親しくもない男子が中途半端に声をかけたところで、大して慰めにもならんだろう。

というかさっきから一向に火が点かないんだが、これはもしかして苦戦しているのか?


そんなことを考えながら、またしても枝に火が移らず、丸めたティッシュがただ燃え尽きるのをどうすることもできずにいると、


「えっ、日木原さん皮剥くの上手くね? 見てよ俺のグチャグチャなんだけど」


いつの間に戻ってきたのか、薪を取りに行ったはずの橋本が日木原の横に立っていた。

右手にピーラーを、左手にジャガイモだった何かを握っている。

こういう時、こいつの動じなさは一つの才能のような気がしてくるな。

一般論で言うなら気の立っている女子の群れに割って入ろうとする男など、そうはいない。

見ろ、眞島の「少しでも余計な事を言ったら、今日の昼食はお前だ」と言いたげな顔を。


そんな空気を知ってか知らずか、


「いやー、昼飯にカレーって定番すぎるよなー!」


とか、


「俺の姉貴がまたフラれて荒れててさー」


とか何とか果敢に話しかける橋本だったが、日木原は眉を八の字にしたまま、時折小さく頷くだけだった。

しまいには流しの上にぶら下がっていた裸電球を頭の上で構え、「閃いた!」と叫ぶという意味不明なギャグを披露するところまでいったが、眞島の


「橋本」


という短い戦力外通告を受け、日木原と同じ顔になって俺の横に退却する結末を迎えた。

座り込んで乙女のように両手で顔を覆いながら、


「何言ったらいいのか分かんねぇや……」


と今更な感想を口にしている。


会話を続けるにはオープンクエスチョンが有効だと聞いたことがあるが、今言うべきはそういうことではないだろう。

俺は左の掌に散った、軍手の黄色い滑り止めを見ながら、


「まぁ、お前は頑張ったよ」


と独り言のように言った。


少なくとも、最初はなから諦めていた俺よりは人情に厚いと言ってもいい。

その行動が下心から来るものではないと分かっていたから、眞島もすぐ止めずに様子を見ていたんだろうしな。


ごく短い俺の労いにピクッ、と橋本の肩が反応する。

そして指の間から上目遣いの目が覗いたかと思うと、


「ほんと……?」


とこっちを見つめてきやがった。


思わず眉間に力が入るのを自覚する。

この気色悪いノリはこいつの常套手段だが、食事前にやめてもらいたいもんだ。


俺の渋面を見届けると、橋本は「ははっ」と笑い、足を崩してあぐらをかいた。

そして小さく息を吐くと、小声で話し始める。


「でも実際さ、こういう時ってどうすんのが正解なんだろな。もっと大人っぽくこう、スマートに励ましたくね?」

「イギリス留学でもしたらどうだ。紳士の国で鍛えてもらえ。三年くらい」

「それで高校生活終わったら意味ねーじゃん! ……あーあ、やっぱ高校生如きにゃできないことって結構あんのかなぁ」

「ジャガイモも上手く剥けないしな」

「うっせ! 一馬だって火起こしにどんだけ時間かかってんだよ!」


ぐ。枝の位置を調整しているフリをしてごまかしているつもりだったが、バレていたか。

着火の連敗を物語る高く積もったティッシュの灰を一瞥し、橋本は大げさに首を振ってみせた。


「俺もよく知らねーけど、こういうのって息吹きかけたりするんじゃねーの?」


言いながら、重ねた枝の下でくすぶっている灰の山に顔を近づけ、ふうふう吹き始める。

しかしその吹き方が思ったよりも豪快なので、灰が目に入るから注意しろと声をかけようとした次の瞬間。


バチッ、と爆ぜるような音がして、小さな火炎が立ちのぼった。



「あ゛゛゛っっっっっっっっっっっづ!!!!!!!!!!」



弾かれたようにのけ反り、勢いよく後ろに倒れ込む橋本。

消えかけと思われた灰の中に火種が残っていたのか、強く吹いたことで一瞬、火が巻き上がってしまったようだ。

それほど大きな火炎ではなかったが、顔を近づけ過ぎていてモロに喰らったらしい。


「ウォアアアアアアアアア!!!!!」


と絶叫しながら地面を転がるので、火傷を負ったかと一瞬焦る。

が、すぐにがばりと立ち上がると、


「ねぇ、俺の顔大丈夫!?」


と半泣きでこちらに詰め寄ってきた。

幸い前髪がほんの少し焦げただけで、その他の部位に問題はなさそうだった。全体的に涙と鼻水まみれであることを除けば。

そう伝えて落ち着くように言うも、


「ホントに!? 鼻とか眉毛とかちゃんと残ってる!? 鏡! 鏡ない!?」


と動揺が収まる気配はない。


橋本は昔から不慮の事態に弱く、一度パニックに陥るとそれで頭が一杯になってしまう悪癖がある。

脳容積がハムスターくらいしかないのかもしれんな、こいつは。


近くのテーブルで食器の準備をしていた二本松にも、顔ある!? 顔ある!? としきりに確認を取っている。

その掴みかからんばかりの勢いに驚いた二本松が一瞬、大外刈りの構えを取りかけたのを俺は見逃さなかった。


それにしてもよほど驚いたのか、いつにも増して凄い取り乱しようだ。

キングクリムゾンのジャケットみたいな顔して大騒ぎである。


などと、遠巻きに橋本光一郎こういちろうの狼狽を見届けているところへ、


「ブフォッ!」


といういびつな破裂音のようなものが、背後から聞こえた。

振り向くと、日木原が両手で腹部を押さえて身体をくの字に折り、うずくまっている。

なんだなんだ、小火ぼやの次は腹痛か? と思ったその刹那、



「ヒャァーーーーーーーーーーーーーーーッッッッッッッッ!!!!!!!」



というとんでもない引き笑いが辺りに響き渡った。

切り開かれた森にこだまして、遠くから小さな引き笑いが返ってくる。


「ヒャッ! ヒャッ……ヒャァッ!」


どうやら橋本の異様なビビりっぷりがツボに入ったらしい。いや顔芸の方か?

さしもの眞島たちも友人が突然爆発したので、呆気に取られて固まっている。


「ヒッ……ヒィッ……、ガハァッ……!」


というかあまりに笑い過ぎていて身体的な負担が心配になってくるな。高度に発達した引き笑いは痙攣と区別が付かない。

その様を横で唖然と見つめていた眞島が、憑き物が落ちたように「ふっ」と小さく吹き出した。

そして腰に手を当て、困ったように笑いながら、


「橋本って、本当ほんとバカだね」


と呟くのが聞こえた。

『眞島の隣』も激しく揺れる日木原の背中をさすりながら、つられて一緒に笑っている。


未だ狂乱の渦中にいる橋本は理解していないだろうが、結果的にこいつの望んだ通りに事は運んだようだ。

過程はどうあれ、お前は大した奴だよ。


ふと足元の焚き火台に目をやると、あれだけ苦戦していた木の枝に、小さな火が付いて揺らめいているのが見えた。



      6   



昼食のカレーは米が少し焦げ臭かったものの、まぁ総合してそこそこの出来栄えと言えなくもなかった。

不揃いの野菜も、少し水気が多いルーも、心地良い木漏れ日の下で食えばもう何でもいいような気がしてくるから不思議だ。


腹も満ちたところで、自由時間となった。

次に集合がかかるのは夕食の準備の頃だから、かなり時間がある。


どう過ごすか三人で相談しようとしたところで、女子たちが川へ向かう予定と聞くや否や俺と二本松の意思確認もせずに『自分たちも行く』と宣言した奴がいたので、まぁそういうことになった。


後ほど現地で合流することに決めて一旦、各々のテントに戻るため解散する。

炊事場はキャンプ場の南に位置していて、俺たちのテントがある西側のエリアに戻るには中央広場を経由しなければならない。

迂回する形になり面倒だが、広場へ続く長い坂道を下っていく。


時刻は昼下がり。

木陰を出ると、流石に日差しの強さが身に堪える。

坂の終わりにはこのキャンプ場唯一の水場が道を塞ぐように据えられていて、常に数人の生徒が群がっていた。

俺も試みにハンカチを濡らして首筋に当ててみたものの、まさに焼け石に水だな、と思うだけだった。


汗を拭いながらテントに帰り着くと、俺はリュックから新品の白Tシャツを取り出した。屋外活動用に持参しておいた着替えである。

汚れる前提で着るものだから古着でも良かったのだが、あいにく適当なのがコレしか無かった。まぁ安物だから惜しくはない。


ジャージの上をTシャツに着替え、先に準備を終えてテントの外で待っていた二人の元へ行く。

すると橋本が俺を見るなり、


「白っ! 何そのTシャツ、めっちゃ白くね?」


と、さも面白そうに言った。指を差すな指を。


「そうか? まぁ新品だしな」

「いやそういうレベルじゃないって。なんかすげー反射してて眩しいし」


大げさな。夜間作業服じゃあるまいし、ただの白Tがそんなに煌めくわけがない。

より一般的な感想を求めて、俺は二本松の顔を見やる。


「このキャンプ場、夜は真っ暗になるらしいからちょうどいいね!」


力強くサムズアップしているが、反射が強いことは否定しないらしい。まさか赤鼻のトナカイと同じフォローをされるとはな。


どうやら俺の周りにまともな感性は存在しないようだと諦め、橋本にイジられながら川へ向かって移動を始める。

地図によると河原は俺たちのテントよりさらに西へ、一本道の林道を抜けた先にあるらしい。

その道中、すれ違う同級生らが目を丸くしていたり、クスクス笑っていたりしたような気がするのは多分、俺の被害妄想だろう。


見渡す限りの森の中、木の板を敷いて作られた遊歩道をひたすらに進んでいく。

こういう道を『木道もくどう』と呼ぶのだと、二本松が教えてくれた。高地は雨も多いだろうに、木材で作った道が腐らないのが不思議だ。防腐加工が施してあるんだろうか。

途中で橋本が「一本道の二本松」という三流のジョークをかましたが、それは無視する。

などと、四方山よもやま話をしながら五分ほど歩いたところで突然、前方の視界が大きく開けて新たな景色が広がった。


名も知らぬ川はわりあい幅があり、雨が降れば確かに近づかない方が良さそうだった。

しかし今は流れも緩やかで、エメラルドグリーンに透き通った水が時折白く砕けながら、強い日差しを乱反射していた。

遠くには頂上が岩肌になった山が鎮座していて、よく晴れた陽の下では輪郭がよく見える。

そのあまりに彩度の高い風景は、まるで菓子で作ったジオラマのようだった。


既に見知った顔が何人か遊んでいたので、そこに加わることにする。

その中に日木原と『眞島の隣』を見つけ、橋本が飛んでいった。眞島の姿は見当たらない。花摘みか何かだろうか。

二本松に強く勧められ、わざわざ準備運動を済ませてから川に入る。周囲の視線が気になるし、奥まで行かなければ泳げるほどの深さは無いと思うんだが……。


予想通り、少なくとも河原付近ではやっと足首まで浸かる程度の水深だった。

が、それでも全身に伝わる容赦のない冷気は、それが人の手によるものではないことを実感するには十分なものと言えた。


そのまましばらく自然を満喫していたが、悲しいことに、その時間も長くはたなかった。

ここに来て忘れかけていた過去の問題が、またしても頭をもたげてきたのである。


以下、俺に寄せられたクラスメイトからの言葉をダイジェストでお送りする。


「そのシャツ、目に痛いね」

「背景からめちゃくちゃ浮いてる」

「二キロ先でも分かる」

「爆発の直前みたい」

「歩く画用紙」

「聖なる装備って感じ」

「新手の光学迷彩か?」

「ヒャッ! ヒャッ!」


などなど。いたいけな同級生を捕まえて、酷いと思わないか?


しかしここまでツッコまれ続けると、流石に着ているのが気恥ずかしくなってくる。

そこへ投げかけられた橋本の、


「ジャージが汚れたらそれに着替えればいいじゃん」


という言葉に衝撃を受け、俺は独り、テントへの道を引き返していた。

コペルニクス的転回とは思わぬところで遭遇するものである。


ふと、一本道の先から誰かが歩いてくるのが見えた。

近づくにつれ、小さく手を振っているのが分かる。


「暮地くんじゃん。一人でどこ行……えっ眩しっ」


出会でくわしたのは、さっき姿の見えなかった眞島だった。

日木原たちと川へ向かう途中で忘れ物に気付き、取りに戻っていたらしい。

こちらも深くツッコまれる前に、橋本たちを川に残してTシャツを着替えに戻るところだと手短に話す。

それを聞いた眞島は、


「ふーん」


と、じろじろシャツを眺め始めた。

俺は急いで話を切り上げ、その場を離れる。

これ以上、新しい喩えを追加されてはかなわん。


それから十分ほどかけて着替えと往復をこなし川に戻ると、橋本と二本松が全身くまなくずぶ濡れになっていた。

橋本はまだしも、なぜ二本松まで。


「いや絶対、あのデカさはこの川のヌシだって!」


まくし立てる橋本の言葉でなんとなく察しはついたが、聞くとやはり、橋本の目撃した大きな魚の影を追って、二人して水に飛び込んでいたらしい。

周りのクラスメイトも大小濡れてはいるものの、全身浸かる所まで出張したのはこいつらだけのようだ。

二本松に「よく付き合ったな」と疑問を投げかけると、


「川の流れはまた独特でね、泳ぎの勉強になったよ! それに魚の手掴みがどれだけ難しいことかも!」


と返事があった。

何事にも全力であることは分かったが、彼は一体何を目指しているんだろう。


それとも足首を濡らす程度で満足している俺の方が中途半端な態度なのか、と思案していると、


「あっ! 眞島さーん! この辺にデッカい魚泳いでなかった?」


大きく手を振りながら、また橋本は女子のところへバシャバシャ駆けていく。

林から出てきた眞島が、日木原たちの元へ合流するところだった。

『眞島の隣』が「やっと来た。遅いよー」と出迎えている。


女子に魚に、山まで来てもアイツは本当に忙しないな。

今度こそ穏やかに自然を楽しめる状況に落ち着いた俺は、視界のどこかで大きな影が動くことを期待しつつ、川の流れを眺めることにした。



      7   



ひとしきり川を満喫した橋本が次に放った一言は、


「夜デートのロケハン行こうぜ!」


だった。

一から十まで意味が分からないんだが、俺がおかしいのか?


「夜デートって、誰と行くんだ」

「誰かはまだ決まってねーけど、決まってから準備したんじゃ遅いだろ? モテる男ってのは、モテる前に全てを終えているの、さ……」


言いながら、焦げた前髪を精一杯たなびかせている。

今朝、管理人の話を聞いていたときに口走っていた妄言は本気だったのか。

教員の目を盗んだ夜歩きなんて状況では、落ち着いて星を見る余裕などないだろうに。


「だからロケハン行くんだろって。先生の目が届かなくて、かつ天の川が綺麗に見える場所をあらかじめ探しておけばよ? いざ夜を迎えた時、『実は君と行きたい場所があるんだ……』って華麗なエスコートができちゃうわけよ!」


その計画の妥当性は置いておくとして、まぁ他にやることもなし、散策と思えば別にいいか。

一通り歩いて夜デートとやらに適した場所が見つからなければ、コイツも諦めがつくだろう。

そこへ二本松が「天体鑑賞ならやっぱり高所が一番だ! 東側が地形的に少し高くなっていたから、探しやすいんじゃないかな!」と謎に前向きな提案をしたので、俺たちは川を離れ、中央広場へと足を向けた。

そのまま女子テントが密集する東側のエリアも突っ切ると、西側とそう大差のない森に出る。

ひとつ違ったのは、地面が山頂に向かって緩やかな傾斜を描いていたことだ。


振り返ると、少し下にキャンプ場の全景が見渡せた。

その雄大な自然の姿を目にしてようやく、木や土の匂いが肺を満たしていることに気が付く辺り、我ながら漫然と生きているなと思う。

木々の合間に見え隠れする赤いものは生徒のジャージだろう。遠くから聞こえた雄叫びは獣のものか、はたまたテンションの上がった男子のものか。


そうしてあてどなく森を彷徨い続けること数分。

なんとなく気分が遭難者のそれに近づいてきた頃、


「おっ! あそことか良さそうじゃね!?」


と快哉を叫ぶ声が前方から飛んできた。


駆け出す橋本の向かう先に目をやると、斜面から突き出るようにして、小さな高台がせり出しているのが見える。

近づくにつれ徐々に分かってきたのは、そこがまた誰かの作為を疑いたくなるほど、天体観測に適した場所になっていることだった。


危険ではなく、それでいて絶妙に遠くまで見渡せる程度の高度。

見渡す限りの斜面の中で、奇跡のように平坦を保っている地面。

高台だけを避けるようにして生え、葉で覆われた頭上にそこだけぽっかりと空を覗かせる周囲の木々。

森の中に紛れ、キャンプ場からは見えにくい絶好の隠れ家的、位置関係。



————全ての要素が、美しいほど完璧だった。



と、何となく耽美的にまとめてみたくなるくらいには、俺は混乱していた。

世界に二人いるかも怪しい能天気が考えた理想の場所が、全くの偶然に見つかる確率というのは一体どれくらいだ?

高校の数学というのはこうも難しいものなのか。


よもや見つかるまいと思っていた『夜デート』におあつらえ向きのスポットが、何の因果か見つかってしまったらしい。

俄には信じがたい話だが、目の前の光景が現実である以上、もはや受け入れざるを得ない。

指折り数えて声をかける女子の候補を挙げ始めた橋本を、どうやっていさめるべきか。

世界一くだらない問題に頭を悩ませていると、


「そこで何をしてる!」


唐突に、静謐な森林には不釣り合いな胴間声が飛んできた。

振り返ると、臙脂えんじ色のジャージを着た小柄な男が立っていた。


度のきつい、べっ甲柄眼鏡の奥からこちらを睨む小さな目と、頑固そうに凝り固まったへの字口。

猫背ぎみの上半身をがに股の脚で支えた、億劫そうな立ち姿……と来れば、それが誰かは見間違えようもない。


「古井戸! …………先生」


ギリギリ敬称を滑り込ませる橋本だが、表情は露骨に「楽しみに水を差された」と言わんばかりだった。

古井戸はもう一度俺たちをじろりと見回し、


「ここで何をしている」


としわがれ声を出す。


ここで夜デートのロケハンですなどと答えようものならその場で退学処分にされかねない空気だったので、俺と橋本は沈黙するしかない。

だからというわけでもないだろうが、二本松が代表して返答してくれた。


「散策です! キャンプ場を一望したいという話になったので、高い所を探していました!」


この溌剌はつらつとした受け答えは大抵の大人にウケが良いのだが、目の前の男はただ鼻を鳴らしただけだった。これだけ難物だと、日常生活にも支障が出るんじゃないだろうか。

挙句、「何かを隠しているに違いない」といった体で古井戸は、周囲を検分し始めた。

そしてくだんの高台に目を留めたかと思うと、チャッ、チャッ、と不快な舌打ちをしながら視線を注ぎ続けている。

まさか橋本の目論見がバレたわけではないだろうとは思いつつも、何となく発汗量が増えたような気がしてくる。


そのまま一分ほど経っただろうか。

古井戸はおもむろに


「ここは立ち入り禁止とする」


とだけ言った。


一瞬、場に変な間が空いた。

俺たちの中で誰一人、言葉の意味を咄嗟に理解できた者がいなかったからだ。


「はあっ!? な、なんで!」


最初に反応したのは橋本だった。

敬語も忘れ、愕然とした表情で身を乗り出している。


古井戸は橋本の方を見ることもせず、淡々と言葉を紡いでいく。


「あの高台が危ない。万一、誰かが滑り落ちて怪我でもしたら、うちの学校はこのキャンプ場を二度と使わせてもらえんようになるだろう。そうなった時、迷惑を被るのは来年以降にここを使うはずだった下級生たちだ。お前たちにその責任が取れるのか?」


橋本の肩を持つわけではないが、高台の高度は二メートルもなく、特別に危険視する程かは疑問だ。これを危険とするなら、裏手が急斜面になっていた炊事場の方がよほど冷や汗ものだった。キャンプ場サイドからも立ち入り禁止エリアの周知はあったが、この場所は含まれていなかったはずだ。

それに怪我人が出たらキャンプ場から出禁を食らう、という理屈にも飛躍を感じる。

キャンプ場の評判に傷を付けるような大事故でも起こせばそういうこともあり得るのかもしれないが、そんなごく低い可能性まで検討していては何も出来ない。極論、大人数でキャンプをしに来ること自体が危険だということになってしまう。


同じようなことを橋本と二本松も異口同音に反論したが、古井戸はただ黙っていた。

その姿は耳を傾けているのではなく、ただ聞き流しているだけのように見えた。

それを裏付けるように、


「誰が何と言おうとその可能性がある以上、今後ここは立ち入り禁止だ。他の先生方にも周知しておく」


そう言ってようやくこちらに向き直った古井戸の目は、不信と疑念に満ちていた。

その目を見て俺は、自分の中で言葉を尽くす気が急速に失せていくのを感じた。

そもそも古井戸の話をよく聞けば、生徒の怪我を防ぐためではなく学校の将来のために立ち入りを禁止すると言っている。

はっきり言葉にこそしないものの、やはり本音は「面倒事を起こしてくれるな」という所にあるのだろう。

ならばここで俺たちが何を言おうと、この判断が覆ることはない。


なおも食い下がろうとする橋本の肘を引っ張り、


「行こう」


と促す。


橋本はそんな馬鹿なという顔をしたが、悲しそうに頷く二本松の顔が目に入ると、眞島たちの件での古井戸の頑なさを思い出したのか、長い溜息を吐いた。


俺たちは高台に背を向け、その場を後にする。

途中で振り返ると、あれだけ素っ気なかった古井戸が監視するかのように、いつまでもこちらを見ていた。



行く当てを失った俺たちは、とりあえずテントに戻って休憩を取ることにした。

水筒を求めてリュックを開こうとしたところでふと違和感を覚え、周囲を見回す。

そこでようやく、気がついた。

畳んで置いておいたはずの白Tシャツが、どこにも見当たらなくなっていたのだ。



      8   



夕食準備の号令がかかり、そこで初めて、一般的には夕方と呼ばれる時間になっていることに気がついた。

その辺はやはり非日常的空間だけあって、特別な催しがなくとも時が経つのは早い。


夕食はベタにバーベキューだったので、昼間のように調理中の事故が起きる余地もなかった。

橋本は女子に夜デートを持ちかけては玉砕を繰り返すという別の事故に遭っていたが、これは流石にフォローする気が起きない。

準備の最中にも容赦のない呼び出しを喰らい、実行委員の仕事に駆けていった二本松を少しは見習って欲しいものだ。


後片付けもひと段落し、次の予定までまた少し空白の時間ができる。

キャンプ初日の催しも残すところ、あと一つとなった。

明日は場内の掃除をして帰るだけであることを思えば実質、初日にして最後のイベントでもあるのが悲しいところだ。


時間を持て余した俺と橋本は一足早く、その開催場所へと足を向ける。

中央広場から見て北に位置するキャンプファイヤー場には既に、中央で薪が組まれ始めていた。


その横で他の実行委員らしき生徒と立ち話をしている二本松を見つけ、近寄っていく。

話が終わるまで待つつもりだったが、俺たちに気がついた彼は生徒から離れ、こちらに向かってきた。

そして開口一番、


「二人とも、どこかでライトを見かけなかったかい?」


質問の意図を咄嗟とっさに掴みかね、おうむ返しをしてしまう。


「ライト?」

「ほら、オリエンテーションで説明があった夜間用の……」


脳裏に軽トラのヘッドライトが思い浮かぶ。

ああ。四角いLED式のアレか。

俺は覚えがないので橋本を見るが、同じく顔にはてなを浮かべているだけだった。


「いや、見てないな。無くなったのか?」

「うん、僕も今聞いたばかりなんだけど……」 


二本松は少し言いにくそうにして、声を落とした。


「ここだけの話、ただ無くなったわけじゃなく、どうも誰かが持ち去った疑いがあるみたいなんだ。実行委員は周囲に目を光らせるように、と通達が出てる」


なんと。

意外なタイミングで出会でくわした不穏に、少し面食らってしまう。

それはつまり備品の盗難が起きたということで、ついさっき持ち物を失くしたばかりの俺は内心、ぎくりとする。


「穏やかじゃないな。盗まれるところを誰かが見てたのか?」

「そういうわけじゃないけど、無くなったのは担当の先生が目を離したわずか十分ほどの間だったそうでね。風で飛んでいくようなものでもないし、まるで見計らったようなタイミングだからと疑う声があったらしい」


それが本当ならまぁ、意味深長ではあるかもしれない。とはいえ、だから盗難だと決めつけるのも答えが急過ぎはしないだろうか。


「そもそも、その『無くなった』というのが確かなのか? 単にその教員が総数を勘違いしていて、減ったと錯覚しただけだったとか」


二本松は「いや」と首を振り、


「ライトには通し番号のシールが貼ってあったから、最初に十五個あって、そこから一つ消えたことは間違いないんだ。先生も戻ってきた時に欠けてる番号があったから、無くなったことに気が付いたと」


なるほど。あながち根拠のない話でもないわけか。


「誰かが悪意なく、間違えて移動させた可能性は?」

「もちろん、実行委員内でもその線がまず最初に当たられた。でも持ち主はおろか、ライトそのものを見かけたという人もいなかったそうだよ」


手違いで移動しただけなら名乗り出る者がいないのも、ライトが全く人目に付いていないのも確かに不自然ではある。

ならばそこに隠蔽という誰かの意思を読み取ることも、無理筋ではないのかもしれない。


「時間が限定されているのなら、やれた人間も絞り込めるんじゃないか」

「タイミングこそ予想が付いているけど、持ち出しそのものは誰にでも可能だったんだ。ライトは中央広場の隅にまとめて置いてあったし、担当の先生以外に監視の目もなかった。夕食の準備中、僕が呼び出されて抜け出したのを覚えているかい?」


覚えている。橋本にその背中を見習えと思った、あの時のことだろう。


「先生がライトから離れたきっかけが、その呼び出しだったんだ。大した用事ではなかったからすぐに戻って来れたと思うけど、あの時の広場は人気ひとけが少なかったはずだ」


たしかに生徒は夕食準備のため、広場から離れた河原に集まっていたし、教員も同様だった。

それは裏を返せば、人混みの中から誰かが密かに抜け出してライトの元へ行ったとしても、それほど目立たなかっただろうということでもある。


ライトは事故や偶然で消えたのではなく、誰かが持ち去った可能性が高い。

そう考えられている理由は分かった。だが……。


一瞬、会話が途切れた。

この話題からとっくに脱落していた橋本は、組まれた薪をダシに実行委員の女子とコミュニケーションを図っている。

掴みの冗談が滑っているのを目にしながら、俺は残る疑問を口にした。


「そもそも、何でそんなもの持ち出すんだ?」


答える二本松も橋本を見ていた。


「それが僕も不思議なんだ。自分の都合で使える照明が欲しかったのかもしれないけど、この暗いキャンプ場で使えば嫌でも目立つ。危険を犯してまで持ち出すほどのメリットがあるようには、どうしても思えなくて」


物がライトでは、他に使い道もないだろうしな。まさか枕にするわけでもあるまい。

今こうしている間も、ライトを隠し持った犯人がこのキャンプ場のどこかに潜んでいるのだ——と考えても間抜けでしかないが、俺にはそれよりもっと現実的な、別の懸念があった。


「この話、古井戸の耳には入ってるのか」


ただでさえ『かもしれない理不尽』で鳴らしている奴が、実際の盗難事件の話など聞いたらどうなるか。控えめに言って想像したくはない。


二本松は苦笑しつつ、


「幸い、十二番のライトは無くなっても支障の少ない場所に置かれる予定だったから、大事にはならずに済んだんだ。だから今のところ、話は実行委員会の中だけで完結しているけど……。借り受けている備品だし、もし明日の撤収までに出てこなければ、古井戸先生も知ることになるかもしれないね」


刻一刻と導火線が短くなっていくイメージが脳裏をよぎる。無事に地元に帰れるか怪しくなってきたな。



「二つ聞いてもいいか」


頷く二本松。


「まず、ライトはそれぞれ置く場所が決められていたのか?」


彼は「不覚!」みたいな顔をして、


「すまない、言ってなかったね。そう、十五個あるライトは全て設置場所が予め決められていて、地図上で指定されているんだ。こういう風に」


ガサガサ、とポケットから折畳まれたパンフレットを取り出して見せた。

キャンプ場の地図が上面になっていて、そこに②とか⑧といった形で印が書き込まれているのが分かる。


「お昼頃かな。実行委員会で『ライトは夜間の照明として、足元を照らす必要がありそうな要所に設置する』という運用方針が示されたんだ。このキャンプ場は知っての通り外灯が無くて、夜は真っ暗になるから」

「それはいいが、妙にキャンプ場の北側に集中しているのは何故だ」

「ライトの数があまりなかったから、男女のテントスペースとキャンプファイヤーを行う北の広場、それらを行き来するときに通る中央広場の北側半分のエリアに絞って設置ポイントを決めたんだ。この数字はその場所を示していて、同じ番号のシールが貼られたライトが置かれている。紛失の件があったから、ロープで近くの木や柵に固定する形でね」

「だが当の無くなったライトは、それほど重要な場所に設置される予定ではなかった」

「うん。広場に置くいくつかのうちの一つだったから、他のライトの位置を調整することで穴埋めができたと聞いたよ」

「そうか、よくわかった。あともう一つ、最後のライトはどこに置かれているんだ」

「最後のライト?」

「十五番のライトだ」


二本松は新聞でも読むようにパシッ! とパンフレットを広げ、その表面に目を走らせる。


「十五番は……中央広場にあるトイレの前だけど、何故だい?」

「いや、まぁ、なんだ。後学のためにな」


適当極まる返事をした俺に「将来はライトアップの道に進むのかい」と話を広げかけた二本松だったが、他の実行委員に応援を頼まれて去っていった。

今回は何とか助かったから良かったものの、自分のアドリブの効かなさが嫌になるな。


ライトの件は暇潰しの雑談にはちょうど良かったが、俺にできることはなさそうだ。

少し気になることがあって思わず突っ込んでしまったが、それでライトが出てくるわけでもない。

めぼしい場所は既に実行委員が探しているだろうし、最初に二本松に聞かれた通り、どこかで見かけたら報告してやるぐらいが関の山だろう。


そうしてまた時間を持て余してしまった俺は、邪魔にならない範囲で井桁の設営でも手伝わせてもらおうか、とぼんやり考え、ひとまず目に入る全ての女子に袖にされた橋本を回収するべく、足を踏み出した。



      9  



「それでは委員長、お願いします」


ひび割れたスピーカーの声に促され、名も知らぬ実行委員長が火の付いた松明を木枠の間へ差し入れる。

予め油が引いてあったのだろう、火は瞬く間に燃え上がり、一日の終わりを象徴する火柱となった。

俺のいる位置まではわりと距離があるのに、飛んできた熱気が顔を撫でていく。


目の前の光景が多分に儀式めいて見えるのは夜空を衝く火柱のためだけではなく、その周囲に奇声を上げて踊り狂う元気な連中が殺到しているからだろう。

橋本などその先陣を切るものとばかり思っていたのだが、俺のすぐ隣で何か不気味な動きをしていた。


「何してるんだ」

「何って、どっからどう見てもフォークダンスの練習だろーよ」


確かにこの後のプログラムは「ダンスタイム」となっているが、まさかその腹痛に悶えるマタドールみたいな動きが踊っているつもりだったとは。


「次から次へと女子の手を取ってリードして回るんだから、万が一にも失礼があっちゃいけねーだろ? 一馬も座り込んでねーで、今のうちに練習しとけって」


そんな鼻息荒く臨む方がよほど失礼に当たると思うが、夜デートという目論見が名実ともに潰えた今、こいつをフォークダンスに駆り立てる熱量は通常より高いのだろう、と理解しておく。


やがて軽快な音楽が流れ出し、場のそこかしこで歓声が上がる。

と同時に何人かの女子が火柱の前に進み出たかと思うと、大いに照れながら踊り始めた。

火柱に背を向けた——つまり周囲の生徒たちから見えやすいよう意識した立ち振る舞いを見るに、彼女らは振り付けの手本を示しているらしい。

おそらく実行委員の人間なのだろう。


橋本は待ってましたとばかりに人混みへ突撃していったが、その一方で俺はどことなく、女子たちの踊りに違和感を覚えていた。

フォークダンスは中学でも一通りやらされたが、あんな手でハートを作るようなくだりがあっただろうか。

それにBGMも聴き覚えこそあれ、定番のマイムマイムなどとは明らかに違う。

そして何より、彼女たちの振り付けは一人で踊るタイプのもので、ペアダンスを踊っている者はどこにもいない。


後で知ったことだが、結論から言えば今流れている音楽はマイムマイムではなく最近流行りのポップスで、彼女らが踊っているのもSNSで流行しているダンスだった。

なんでも一部の生徒から「男女ペアで手を繋ぐのは抵抗がある」との声があり、昔ながらのフォークダンスに代えて現代の高校生なら誰もが知っている(とされている)振り付けをみんなで踊る形式になったらしい。

保守派の教員層はさぞ苦い顔をしたことだろう。


そして嬉しくないのは教員だけではないようで、少なくとも一人の男子生徒がよく実った稲穂のように頭を垂れ、力無く踊っているのが遠目に見えた。

今日のアイツの運勢ときたら、幸運の女神に唾を吐きかけられている画が浮かぶな。


しかし個人的にはペアダンスが廃止された結果、輪に加わらなくても許される空気になっていたことがありがたかった。

二本松も例のごとく姿が見えないし、このままゆっくり雰囲気を満喫していよう。

そう決めて足を崩し、より楽な姿勢を取ろうとしたところで、


「あ、ボチくんだー」


と、背後から声をかけられた。

振り返るのには若干の抵抗があったが、かといって無視に徹する勇気もなく、緩慢な速度で顔を向ける。


そこにはバールのようなものを手にして闇に佇む、『眞島の隣』の姿があった。

俺だから我慢できたが、他の奴なら悲鳴を上げられていたかもしれんぞ。


「その呼び方はもう決定なのか」

「えーやだ? 可愛いのにー」


露骨に残念そうにしている。

俺の姓はもちろん「暮地くれち」なのだが、それが「墓地ぼち」に見える、と行きの車内で言い出したのが彼女だった。

誰がゲゲゲの暮地だと抗議したところ、


「でも『ポチ』みたいで可愛くない?」


という謎の一言で一蹴され、それからずっと『ボチくん』呼びされている。

古井戸に感じたのとは別の意味で、俺の言葉は無力なのだと思った。


まぁ本人は悪気なく愛称のつもりで言っているのは分かるし、今のところ彼女以外にその呼称を用いる人間もいないので、ムキになって拒否するほどでもない、のかもしれない。

俺は投げやりに手を振って、


「もう好きにしてくれ。そっちはなんだ、誰か襲撃しにいくところか?」


こちらの冗談に一瞬「は?」みたいな顔をした『眞島の隣』だったが、すぐに自身が手にしている鈍器に思い当たったようだった。


「あ、これ? いや火かき棒だわ。襲撃とかやば、ウケんね」


けらけらと笑いながら掲げてみせる。

火かき棒は飾り気のない、長い鉄の棒の先端をL字に曲げただけのもので、それが弱い炎の光を鈍く、猟奇的に照り返していた。

あんまり振り上げないでくれ、怖いから。


「なら早く行った方がいいんじゃないか。火かき棒がないキャンプファイヤーなんて興醒めもいいところだしな」

「いや追い払おうとすんなし。別にそんな急がなくても大丈夫でしょ。ていうか今一人でさぁ、暇なんだよねー」


一人だと? 常にくっついて行動していた眞島や引木原はどこに行ったんだ。


「笑子はどっか行っちゃったし、ハルカはあれだもん」


と『眞島の隣』は火柱の方を指差す。

見ると、燃え盛る炎をバックに橋本が片膝をつき、婚姻を申し込む騎士のようなポーズで手を差し出していた。

その先には笑いと困惑が同居した様子の眞島が立っていて、両手を振って拒否の意思を示しているように見える。

そしてその周囲を多くの生徒が取り囲み、囃し立てるような声を上げていた。


「僕と、踊ってください!!」


橋本の張り上げた大声が俺の耳まで飛んでくる。

長い付き合いだ、その一言で何が起きたかは明白だった。


非日常的空間にテンションが上がり切った橋本は、不完全燃焼に終わったペアダンスへの思いを捨てきれず、本人なりに最大限の誠意をもって、近くにいた女子にダンスを申し込んだ。

それに運悪く捕まってしまった眞島はまさか本気とは思わず、ウケ狙いの冗談として流そうとする。

しかしそこが公衆の面前という状況だったことで、無責任なオーディエンスが展開の発展を後押しする雰囲気を醸成し、何らかの決着が付くまで終わらない空気になってしまった……。


おそらく、そんなところだろう。


「…………」


思わず額に手をやってしまう。

なまじ本気マジなだけに、橋本の食い下がりもいつもよりさらにしつこいものになるはずだ。

それでも繰り返し断固とした拒否に遭えば、最終的に『もう誰でもいいから踊ってくれ』と誰彼構わず女子に迫って呆れられるというオチが付くだろうが、そこに至るまでには少なからず時間がかかる。


それはつまり『眞島の隣』は友人が自由になるまでここを動くことはなく、俺も橋本をダシに会話を離脱することはできないということを意味していた。


「だから昼間の話の続きしよーよ。ねー、ホントに相馬さんとは付き合ってないの?」


と、ごく自然な流れで俺の横に座り込んでくる。

今まで経験が無かったので知らなかったが、不良に絡まれた学生というのはこんな気持ちなんだろうか。


「その話はもう終わっただろ」


俺は可能な限り素っ気なく返事をしながら、 

俺は何も彼女が嫌いだから会話を避けようとしていたのではない。

ただ、ある二つの理由から今、話を続けるのは得策ではないと思っていただけだ。


その理由の一つは、この話題をまた蒸し返されるのが予想されたことだ。

バスの中で徹底的に否定したものの、ひがんだ橋本がいちいち誤解を受けるようなエピソードばかり挟んできたことも手伝い、あまり信用されていないような気がしていた。

というか彼女らはよほど恋愛系の話題に目がないと見えて、真偽を別にして面白がろうとする傾向にある。


そしてもう一つはより切迫した問題で、なんというかその、つまりのだ。

バスの中や昼食の席では橋本が率先して場を回していたから問題なかったが、一対一となるとそうもいかない。

相手の名を呼ぶべき場面に出くわしたが最後、不自然な間を空けて汗をかく俺の姿に『眞島の隣』が勘づいてしまう可能性は十二分にあった。


一般的にクラスメイトの名前を覚えていないのがどれほどの失礼に当たるのかは分からないが、どう転んでも良い印象を与えることはあるまい。

とりあえず代名詞で誤魔化そうにも、親しくもないのに「お前」などとは呼べないし、とはいえ「君」とか「あなた」なんて大学教授みたいな呼び方もそれはそれで仰々しい気がする。


そんな脳内のフル回転を万が一にも悟られないよう、明鏡止水の境地みたいな顔を苦労して作っていたところへ、


音成おとなりさん」


芯の太い明朗な声が、遠慮がちに横から差し込まれた。

主張が強いのか弱いのか判断に困るな。


そう思いながら顔を向けると、両腕に大量のガムテープを通してミシュランマンみたいになっている二本松が立っていた。

通りすがりに『眞島の隣』を見つけて声をかけたという格好で、「会話中にすまない」と俺にも律儀に断りを入れてから、


「眞島さんから、音成さんが夕方にあった召集のことを気にしていたと聞いてね。でもゴミの分別に関する周知があっただけだから、特に問題はなかったよ」

「あー、それ! 行けなくてマジごめんね?」


『眞島の隣』改め音成と、何かしらの連絡事項をやいやいと交わし始める。

その内容は俺には全く及びもつかないが、しかしそんなことはどうでも良かった。

危ないところをヒーローに救われた一市民として、彼への敬意で胸がいっぱいだったからだ。

二本松への恩と『眞島の隣』の本名を、俺は生涯忘れないだろう。


やがて会話にひと段落ついたのか、


「それじゃ、僕はもう行くよ。会話の邪魔をしてすまなかった」


そう言い残し、ガムテープの位置を調整しながら立ち去ろうとする二本松に、


「いやアタシも仕事手伝うし。じゃーボチくん、続きは帰りのバスでね!」


と不穏なセリフを残して音成が続き、気がつけば周囲には元のように心地よい静寂が戻ってきていた。

生徒たちの笑い合う声や火の爆ぜる音を遠くに聴きながら、俺は頭上に広がる星空を仰ぎ見る。


ただ通りすがるだけで、他人の抱える問題をことごとく片付けてしまうとは。

やはり二本松は、あの夜空のどこかにある英雄の星の下に生まれついたのだろう。

もし次に彼が困っているところを見かけたなら、その時は俺も義理を果たさねばなるまい。


平穏な時間を取り戻した俺は好き放題、そんな無責任なことを考えていたわけだが、それも仕方のないことだろう。

この時にはその機会が思いの外、早く訪れることになるとは思っていなかったのだ。



      10   



それはキャンプファイヤーが終わり、担任による一日の総括が終わり、最後に自分たちのテントで就寝の準備をしていた時だった。

片付けやら何やらで一番遅く戻ってきた二本松の表情が、また硬いものになっていたのだ。


「また物が無くなったんだ。今度は、火かき棒が」


そう呟く二本松の口ぶりにどこか焦りのようなものを感じた俺は、準備の手を止め、詳しく話を聞くことにした。


彼の話によると、キャンプファイヤーの最中は確かに生徒の手で運用されていた火かき棒が、片付けが始まる頃には忽然と消えてしまっていたのだという。

手違いによる移動ではないことが確認された上で、ライトの時と同様、実行委員によってキャンプ場全体の捜索が行われたらしい。


「そうしたら炊事場のゴミ箱から、すすで汚れたティッシュが大量に見つかったんだ。紙の折れ方から見て、誰かが火かき棒を拭いて捨てたものだと思われる」


炊事場はキャンプ場の南にあり、キャンプファイヤーをした北の広場からは真反対の位置関係だ。

そんな場所で火かき棒の形跡が見つかったとすれば、誰かの手で運ばれたことは疑いようもない。


「ライトの件と同一犯だと思うか」


俺の質問に二本松は、慎重に言葉を選んで答える。


「わからないけど……。でもなんというか、どっちも人目に触れる危険を犯して行動しているところに、共通した意志を感じる」


絶対にそうだと断定はできないが、俺も気持ち的には同じだった。

単独犯にせよ複数犯にせよ、どの盗難も一つの目的のために起こされたものであるような印象を受けるのだ。

もちろん、俺のTシャツの件も含めて。


まぁとはいえ、その理由については今考えても仕方がないか。話を火かき棒に戻そう。


「痕跡を残してまで火かき棒を洗ったのには、何か理由があったのか?」

「清掃も目的の一つかもしれないけど、おそらく冷やしたかったんじゃないかな。すぐ側の水場に使った形跡があったし、キャンプファイヤーの最中に持ち出したなら、まだ熱を持っていたはずだ」


なるほどな。確かに直前まで火の中にあった鉄の棒なぞ、近くにあるだけでも危険だ。

最終的にどこへ持っていったにせよ、一度水場に寄る必要はあったかもしれない。


「持ち出しは誰にでもできたのか」

「そうだね。辺りはかなり暗かったし、火かき棒は誰でも自由に触れるようになっていたから、洗いに行くふりでもして持ち出せば咎められる心配はなかったと思うよ」


つまり今回も、誰が持ち出せたかを考えることに意味はない。

となれば最後に行き着くところはやはり、


「なんのために持ち出したのか」


黙考していたつもりだったが口に出てしまっていたようで、「そうなんだ」と返事が戻ってくる。


「火かき棒は本当にただの鉄の棒で、人目を盗んでまで持ち出す価値があるようには思えない。ライトの件もそうだけど、なぜそんなことをするのかが分からないと探しようもなくて」


ライトに火かき棒、それにおそらく俺のTシャツと、目的不明の連続盗難にどんな意味があるのか。

犯人像の糸口すら掴めない中、俺は逆にそれさえ分かれば、全ての説明がつくような気がしていた。


一応、聞いてみる。


「今回のキャンプで、他に無くなった物はないのか」


二本松は首肯して、


「落とし物や紛失物の連絡は実行委員に集約されていたけど、最後まで見つからなかったのはライトと火かき棒だけだね」


ならばやはり下手人は適当に盗めるものを持っていったのではなく、この三つこそが目的だったと考えていいだろう。

ちなみに俺がTシャツの件を報告していないのは、手違いの可能性を考えてのことだ。

騒ぐだけ騒いで「よく探したら出てきました」なんてことになったら、終日テントから出られなくなってしまうからな。

最悪、見つからなくても惜しくないというのもあるが。


これで聞けることは大体聞いたと判断した俺は、最後に確認すべきことを口にした。


「それで、いつまでに出てくれば古井戸の耳に入れずに済むんだ」


二本松は虚を突かれたような顔をして、俺の目を見た。

が、すぐに


「やっぱり、察しはつくよね」


と小さく息をつき、苦笑する。


そりゃそうだ。

一連の盗難に対する二本松の姿勢は、明らかにいち生徒の範疇はんちゅうに収まるものではない。

いくら実行委員とはいえ、管理を任されていたわけでもない物が無くなったことにこれだけ気を揉んでいるのはやはり、行き過ぎな気がした。

『何もかも自分の責任だ』などと責任感に振り回されるような人間でないことは、付き合いの浅い俺でも知っている。


ならば彼が気にしているのは消えた物品の行方やその責任の所在ではなく、他の何かだということになる。

そこに彼がテントに入ってきた時の焦りを含んだ口ぶりを合わせて考えれば、その心配の種に何となく見当がつくのも、おかしな話ではないだろう。


「ライトの時はまだ、楽観的に考えていたんだ。単に照明を私物化するために持ち出したなら、日が昇る夜明けまでには返ってくるだろうって。でもそこに火かき棒が続いたことで、僕にはまた、その意図が分からなくなってしまった。持っていく目的が読めない以上、すぐに戻ってくる保証はない。でもそれでは、遠からず良くないことが起こってしまう」


つまるところ二本松は、古井戸に盗難事件について知られることを危惧しているのだ。

奴の性格上、自分の目の届く範囲で盗難が起きたなどと知れば、どんな行動に出てもおかしくない。

そうなる前にどうにか消えた物を見つけられないかと考えていたから、彼の態度は焦りを含むものになった。


二本松はテントの隅を見つめながら、


「ライトも火かき棒もキャンプ場の備品だ。紛失は問題になると思う。実行委員担当の先生は夜のうちにもう一度先生方で探してみると言ってくれていたけど、朝になっても見つからなければ、生徒も含めた全員で捜索することになるはず」


そうなれば、学年主任の古井戸に話が共有されることは避けられない。

そのとき奴が探すのはキャンプ場ではなく、生徒の身辺や精神の方だろう。


そして二本松はまっすぐ俺の目を見て、こう続けた。


「僕は今日、とても楽しかったんだ。暮地君や橋本君、クラスの皆や、初めて話す他クラスの人たちとも、同じ時間を過ごせて良かった。それが他の人たちにとっても同じであればいいと思うし、実行委員としてその役に立てていたらいいとも思う。だからこそ、その思い出の最後を苦い出来事で締めたくないんだ。僕だけならいいけど、キャンプに参加した全員がそんな思いをするなんて、あんまり悲しいから」


俺の目からすれば二本松は常に何かの仕事に駆り出されてばかりいたような気がするが、それも込みで楽しかったと言っているらしい。

なら、俺から言うことは何もない。


見返すにはあまりに直線的すぎる視線から目を逸らしながら俺は、


「わかった。だが今日はもう遅い。今夜はもう一度モノの在処ありかをよく考えてみて、明日の朝に賭けてみないか」


と諭すつもりで言った。


二本松は許可さえ降りるなら今から夜通しキャンプ場を駆け回る用意はある、と言いたげな顔をしていたが、やがて頷いて「そうだね。ありがとう」と小さく笑った。


そうと決まれば、さっさと寝る準備をした方がよさそうだ。

朝一番で体力仕事になるかもしれんわけだしな。


そういえばやけに静かだなと橋本の方を見ると、既にすやすやと寝息を立てていた。

話を聞いていないのは常だとしても、こいつ、ちゃんと歯を磨いていただろうか。


それから手短に寝支度を済ませた俺は、最後に外の空気を吸おうとテントを出た。

すると中央広場の隅で、数人の女子生徒が寄り集まっているのが目に入った。

皆一様に空を見上げ、きゃいきゃい言いながら何かを指差している。


その方向に目をやると、無数の光が瞬く星空の中央に、巨大な光の帯が横たわっているのが見えた。

すっかり忘れていたが、そういえば今夜は天の川日和なんだったか。


しばらく一人で、天の川を眺めてみる。


人の感覚とは現金なもので、自分の目で見る本物のミルキーウェイは、昔プラネタリウムで観たそれとは決定的に何かが違うような気がしてならなかった。

実在性とでも言うのか、たとえ気の遠くなるような距離だとしても、この目線の続く先に確かに銀河が存在しているのだという気がする。


そこでふと唐突に、盗難事件を起こした人間も今、このキャンプ場のどこかで同じものを見ているのだろうか、などという思いが頭をかすめた。


その連想が『手が届かなくても確かに存在するもの』という共通項から来ていることに思い当たったとき、俺は自分の感傷が無性に恥ずかしくなって、急いで自らのテントへと引き返した。



       11   



異様な息苦しさで目が覚めた。


胸の辺りに違和感を覚えて首を起こすと、誰かの足が俺の胸を踏んづけている。

その健脚の繋がる先を目で追っていくと、異様な体勢で床に伸びる二本松の姿があった。

回転するバレエダンサーの一コマを切り抜いたような格好で、投げ出された右足が立て膝の形で俺の胸の上に乗せられている。

まさかあの二本松の寝相が、こんな立体的だったとは。


起こさないよう慎重に足を退け、上体を起こす。

大きく深呼吸をして肺の無事を確認し終えた時には、すっかり目が冴えてしまっていた。


スマホを見ると、起床時間より少し早い。

が、二度寝するには足りないくらいの微妙極まる時間である。

橋本も何故かにやにや笑いながら眠りこけているし、とりあえず顔でも洗うかと思い立って、入口のファスナーを開けて外に出た。


いや、より正確には、出ようとした。

なぜ足を踏み出す直前に思いとどまったのかと言えば、それはテントのすぐ外に、




急展開は、それで終わりではなかった。


それも懸命の捜索の結果ではなく、どちらも目につきやすい場所に放置されていたという。

突然起きた『盗品の返還』に戸惑う声、猜疑の声など様々あったらしいが、帰宅の準備に追われていることもあり、ひとまず不問ということになったそうだ。


結果として無駄に気を揉まされる形になった二本松はさぞ腑に落ちないだろうと思っていると、


「終わりよければ、とはこのことだ」


と安堵の表情を浮かべていた。

まぁ、本人が納得しているならいいが。


寝ぼけ眼の生徒たちによる最後の片付けが完了すると、初日と同様にまとめの全体集会が開かれた。

生徒代表による挨拶や管理人からのお褒めの言葉などを経て古井戸がマイクを握ったときは僅かな緊張が走ったが、事前の周知にもかかわらず不要物の持ち込みが散見されて残念だとか小言を述べるだけに留まったので、どうやら今回の騒ぎについては耳に入れずに済んだらしい。

外界から隔絶されたキャンプ場で犯人探し、とならなくて何よりだ。


こうして一泊二日の林間学校は無事にお開きとなり、俺を含む生徒たちは行きと同じ席順でバスシートに収まって、キャンプ場を後にした。

今日も空模様は快晴で、これからただ車に揺られて帰るだけなのが、少し惜しく思える。


帰りの車内は静かだった。

慣れない早朝に起こされた挙句、起床直後から清掃やらテントの撤収やらで身体を動かしていた生徒たちは皆、疲れが残っているようだった。

行きはあれだけ騒々しかった後ろの三人娘も、肩を寄せ合って静かに寝息を立てている。


その一方でどうも眠る気になれなかった俺は、橋本の頭が寄りかかってくるのを押し戻しながら昨夜、眠りに落ちるまでの間にまとめた考えを反芻はんすうしていた。


結論から言えば、

誰が主犯で誰が従犯かは、この際どうでもいい。


今回のキャンプは振り返ってみれば、その時は気にしなかったが違和感のある出来事が、いくつもあった。


その最初のタイミングは第一の盗難、つまり俺の白シャツが消える少し前のことだ。

シャツを着替えて川に戻った俺は、林から出てきた眞島が先に来ていた日木原たちと合流するところを目にした。


普通に考えれば、俺がテントへ行って戻ってきた頃にはとっくに川に着いていなければおかしい。

音成が『やっと来た』と出迎えていたことから、一度合流した後で再度川を離れたわけではないことがわかる。


ではなぜ眞島は、俺より遅く川に着いたのか。

それは俺とすれ違ったあと、川へは行かずにどこか別の場所へ行っていたからではないか。

しかし川とキャンプ場を結ぶ林道は一本道で、途中で寄り道をするような余地はない。

ならば眞島が向かった先は、ひとつしかあり得ない。


つまりあの時、眞島は来た道を引き返し、テントへ向かう俺の後ろをついてきていたということになる。

川にしか行けない一本道を進んでいたのだから、元々彼女は本当に川へ行くつもりだったのだろう。

しかし俺とすれ違った後で、引き返す気になった。いや、より正確には、俺とすれ違ったから引き返そうと決めたのだ。

そして俺に女子を瞬時に惹きつけて後を追わせる何かがあるのでなければ、俺と眞島の間で交わした会話は一つしかない。

俺の白シャツについてだ。


そこまで見当がつけば、その後の彼女の行動も想像できる。

俺の後についてキャンプ場に、正確には男子のテントスペースに来た眞島は近くに隠れ、俺が着替えて出てくるのを見計らって白シャツを持ち出した。

直前の俺との会話で橋本や二本松が川にいることはわかっていたから、テントが無人であることは確信できただろう。

そして白シャツを自分のテントかどこかへ隠し、改めて川へ向かった。

その結果として、俺より後に川に着くことになったのだ。


考えてみれば、俺がシャツを脱ぎにテントに戻ったことを知っている人間はそう多くない。

その中で唯一、眞島だけが不自然な行動を取っていたことに、シャツが無くなったことに気づいた時点で思い当たってもよかったのかもしれん。


車体が大きく揺れて、思考が途切れる。

窓の外を見ると、山の斜面につづら折りに敷かれた道路を降りていくところだった。

景観に少しずつ人工物が増えていくにつれ、いつもの日常に帰りつつあることを実感する。



……次に気になることがあったのは第二の盗難、すなわちライトの紛失騒ぎの時だった。

二本松から事の経緯を聞いていた俺は、ある箇所で強い違和感を覚えた。

曰く、『消えた十二番のライトは重要な場所に置かれる予定ではなかった』。

この点についてはその場で突っ込みを入れたので、よく覚えている。


ライトは全部で十五個あり、その全てに通し番号のシールが貼られていた。そしてその中の十二番目が選ばれ、持ち去られたという。

だが、果たしてそれは自然なことだろうか。


二本松の話を聞くまで、俺はてっきり『持ち去られたのは十五番のライト』だと思っていた。

なぜなら状況を考えれば、それが最も自然な選択のはずだからだ。


人目をはばかり、わずかな隙を突いて犯行に及んでいる以上、誰にも目撃されたくないという心理は当然働いていたと考えられる。

ならば持ち出したライトをどこかへ隠しおおせるまで、犯行の露見も遅らせたかったはずだ。

なのに何故、、そこがわからなかった。

番号が途中で飛んでいるよりは総数が減っている方が気付かれるリスクが少ないし、上手くすれば教員に『総数は十四個だったかも』と勘違いさせる可能性を残すこともできる。

順当に考えれば、番号の最後尾である十五番以外に選択肢はなかったはずなのだ。


とはいえ人の考えることだ。いつ誰に見られるかわからない状況に焦るあまり、そこまで考えが及ばなかったのか。

あるいはそうかもしれないが、俺は他に何か、十五番を選びたくても選べなかった理由があったのではないかと思った。

だから二本松に『十五番のライトの設置場所』を尋ねてみたのだ。


そしてその答えが『トイレの前』というものだったことで、俺の中に一つ、ある考えが浮かんだ。

と思ったのだ。


十五番のライトがトイレの前という重要度の高い場所に設置される予定であることを知っていたから、後の影響を考えて咄嗟とっさに他の番号のライトを手に取ってしまった。

十二番を選んだのは、それが『広場に置くいくつかのうちの一つ』であり、さほど重要度の高くないものだったからだ。

つまりそいつは各ライトがどこに設置される予定か知っていた奴ということで、その条件に当てはまるのは実行委員の人間しかいない。


しかし、その時点で俺に考えつくことができたのはそこまでだった。

実行委員の誰かが怪しいかもしれない、くらいの不確かな理由で二本松に進言するのもはばかられたし、正直言ってそこまで興味もなかったので、あえて深く追求することもなかった。


だがあえて深く追求した昨夜には、この考えを進める事実に思い当たった。

俺が音成の名前を思い出せず、冷や汗をかいていた時のことだ。


二本松の登場によって窮地を救われた俺は安堵のあまり注意を払っていなかったが、そもそも二本松はなぜ、俺と音成の会話に入ってきたんだったか。

細かい言い回しは忘れたが、たしか『音成が夕方にあった召集のことを気にしていたと眞島から聞いたが、重要な内容ではなかったから問題ない』というようなことを音成に言いに来たのではなかったか。

それに対して音成は『行けなくてごめん』と返していた。


この短いセンテンスから読み取れる要素は二つ。

二本松と音成が同じ会合に召集を受けていたということと、音成はその会を欠席していたということだ。

後者については行くつもりはあったが叶わなかった、ということらしい。


ではその会とは一体何の集まりだったのか。

二本松が参加した『夕方の召集』と言えば、部外者の俺にも思い当たるものがある。

夕食の準備中に彼が実行委員として呼び出されていたアレだ。『ゴミの分別に関する話』があったという点を考えれば、まず間違いない。

そして実行委員の会合に召集されるのは、もちろん実行委員に限られる。

ということは


選出の日に欠席していた俺は二本松の相方が音成であることを知らなかったため、気付くのが遅れてしまったのだ。

今思えば、そもそも音成がキャンプファイヤーの重要な備品である火かき棒を運んでいたことや、二本松の仕事を手伝うと言ってついていったことなど、それを示唆する状況もいくつかあった。


しかしより重要なのは、音成が参加するはずだったその会を欠席していた、という事実の方だろう。

何故ならその会とはとりもなおさず、ライトが持ち去られた空白の十分間と同じ時間に開かれていたものだからだ。


そもそもライトから監視の目が無くなったのも担当の教員がその会に呼び出されたからだったわけで、そんな絶好のタイミングに、実行委員の音成は召集を蹴ってまでどこへ行っていたのか。

二本松にどう言い訳したのかは知らないが、実際はライトを持ち出してどこかへ隠しに行っていたのだとしても、俺は驚かない。


座席の隙間から、後方に目をやる。

中央に座る音成は若干苦しそうに、両隣から預けられた頭を肩で支えて眠っていた。


もちろん、音成の他にもその会にいなかった実行委員がいた可能性はある。

二本松に確認すればハッキリするだろうが、おそらくその必要はないだろう。

俺がそう思うのには、この回想で最後に思い当たった違和感が関係している。



それは最後の盗難である火かき棒の紛失について二本松の話を聞いたとき、つまりつい昨夜のことだ。


炊事場のゴミ箱から煤の付いたティッシュが見つかったこと、そのすぐ近くの水場に使った形跡があったことから、何者かが火かき棒をそこまで運んで洗ったものと見られた。

その主な理由は熱を持っていたであろう火かき棒を冷やすことにあり、そのついでに煤も拭き取ったのだと思われる……。ここまではいい。


問題は、なぜそれが炊事場で行われたのかということだ。

このキャンプ場には他にも水場と呼べる場所が二つあった。


そのうちの一つ、中央広場のトイレを選ばなかったのは理解できる。

いくらキャンプファイヤー中で人気ひとけがなかったとはいえ、手洗い場にはいつ誰が来てもおかしくないからだ。


使

キャンプ場のほぼ南端と言える場所で人が通るおそれもないし、長い坂を登って炊事場まで行かなくとも、その水場を使えばよほど楽に済んだはずだからだ。

その存在に気づかなかった、という線もない。

水場は道を塞ぐように据えられていて、炊事場に向かおうとすれば嫌でも側を通る形になっていた。


つまり灼熱の火かき棒を携えた何者かは、ふもとの水場を認知していながらあえてスルーし、わざわざ長い坂を登ってまで炊事場へ行ったことになる。

どんな理由があれば、そんな選択をすることになるのか。


俺の知る限り、水場としての機能に両者の差はなかったように思う。

ならば必要とされたのはそれ以外の、周辺にある何かだったのではないか。


まず思いつくのはゴミ箱の有無だが、これは関係ないだろう。

煤を拭いたティッシュくらい持ち帰るのは簡単だし、痕跡を残さないという意味ではむしろその方が自然だ。

しかし実際にはゴミ箱に捨ててあったことを考えると真相は逆で、そこにゴミ箱があったから深く考えずに捨てた、という単純な話なのだろう。ゴミ箱の利用は結果に過ぎない。


では他には何があったか。

実を言うと、俺の思考は一度ここで手詰まりになった。何度脳内で絵を思い描いてみても、有効な違いがあるようには思えなかったのだ。

が、一日を振り返る中である一つの事実に思い当たったとき、そのイメージは大きく描き変わることになった。


その事実とは、ということだ。

たしか二本松の話では、ライトの数が限られていたことからキャンプ場の北側、正確には男女のテントスペースと北の広場、その通路となる中央広場の北半分のみに照明が設置されていたという。


つまりそれ以外の範囲、中央広場南側と炊事場は、火かき棒が持ち出されたときには暗闇に包まれていたことになる。

夜間に用がある場所ではないという判断ゆえだろうが、俺はその前提を見落としていたのだ。


そこに気がつけば、炊事場でなければならなかった理由も明白だ。

橋本がそれを使ったギャグを披露してスベり散らかしていたのを目の当たりにしていたのに、どうしてすぐに思いつかなかったのか。


熱を持った鉄棒を洗うのに手元が暗くて覚束おぼつかないのでは、危険極まりない。

俺がその立場でも坂の麓の水場は諦め、遠くても照明のある炊事場まで行っただろう。


だがそうなると、また別の疑問が生じる。

本当に照明は炊事場にしかなかったのか、という点だ。

火かき棒を持ち出したなにがしが何者であれ、使

手元を照らしたいと思ったとき、真っ先に思いつくのはスマホのフラッシュライトではないだろうか。


もしスマホを持っていなかったのだとすれば、まず考えられるのは出発前の接収で正直に提出した生徒である可能性だ。

もしくは元からスマホを持っていない人間という可能性もあるが、いずれにせよ、そのどちらも考えにくい。

スマホを持っていない人間なら、あえてキャンプファイヤーの最中に火かき棒を持ち出そうとは考えなかったはずだからだ。


火かき棒を持ち出そうとすれば水場に寄る必要に思い当たり、水場に行くためには照明が必要になることに思い当たっただろう。

照明を用意できないタイミングで無理に行動を起こす理由はなく、例えばその後の片付けのときに熱の冷めた火かき棒を狙ってもいい。

それでもキャンプファイヤーの最中に行動に及んでいる以上、某氏はスマホを照明代わりに使うことを当て込み、人気ひとけの少ないうちに水場まで行こうとしたと見るべきだ。


しかし実際には、坂の水場でスマホは使用されなかった。

まさか道中で落としたというわけでもあるまい。

それこそ炊事場へ向かっている場合ではなく、火かき棒は一時的にどこかへ隠してでも、教員に拾われる前にスマホを回収しに行くはずだ。冷やすのはその後でいい。

ならばこの矛盾を、どう解釈すればいいのか。


俺はこう考えた。

某は元々スマホを所持していなかったが、持っていると思い込んでいたためにキャンプファイヤーの最中に行動に出てしまったのではないか、と。


元々スマホを持っていない、もしくは自分から手放した者にそんな思い込みはできない。

そして俺は、キャンプ開始当初にスマホを没収された奴を知っている。


再度、後部座席を盗み見る。

眼鏡をかけたまま器用に眠る日木原は、人類史に残る爆発的な引き笑いを披露した人物とは思えないほど静かに、大人しくそこにいた。


あのとき、何らかの意図を持って火かき棒を持ち出した日木原は、坂の水場に向かうべく中央広場を南下した。

おそらくその途中、具体的にはライトの設置がなくなるエリアに差し掛かった辺りで自分がスマホを取り上げられていたことを思い出し、坂の水場が使えないことに気がついた。

そこで自分の迂闊さに地団駄を踏んだかもしれないが、いつ捜索の手が伸びてくるとも分からない。

設置されたライトはロープで固定されていて動かせないし、友人たちに頼ろうにも音成は実行委員の仕事があり、眞島は橋本に捕まっていた。

半分まで来た道を明るい方へ戻るよりは、電球のある炊事場まで足を伸ばす方が人目に触れる危険性は低いと考え、坂を登る。

そこで火かき棒を冷やし、ついでに持ち合わせのティッシュで煤も落としてから、どこか安全な場所へと隠しにいった……。



長く息を吐いて、眉間を揉む。

反芻とはいえ、寝不足の頭に長考は堪えるな。

橋本のゾンビのように溶けた寝顔も、今この時だけは羨ましく思える。


昨日の夜、ここまでの思考を経て俺は後ろの三人娘が皆、盗難騒ぎに関わっているのではないかと当たりを付けた。

絶対に間違いないというほどの確証はないが、ある程度蓋然性の高い推測ではあるように思う。

犯行はそれぞれ個人で行っているものの、十中八九、三人で共謀しているものと見ていいだろう。

音成の件で他の実行委員の可能性を当たる必要はないと考えたのも、そのためだ。


車体が進行方向を変え、窓の外へ向けていた俺の双眸そうぼうに直射日光が突き刺さった。

左手の頬杖をひさしに変える。



だが、そこまでだった。



この問題の当初からあった『なぜそんなことをしたのか?』という疑問には、ついぞ答えが見つからなかったのだ。

俺の中では現状、三人娘はシャツとライトと火かき棒を苦心の末に持ち出し、一晩心ゆくまで愛でてから元の場所へと返却した……というのが最も妥当な結論になってしまっている。

自分のクラスメイトに不可解極まる嗜好しこうを持った奴が三人もいるとは、あまり考えたくはない。

推測を盾に直接問いただす、なんていうのも無駄だろう。彼女たちにとって俺の言葉がどれほど無力かというのは、既に実証済みだ。


まぁとはいえ、そもそも俺がこの問題に頭を捻っていたのは二本松への恩返しの意味が強い。

その意味がなくなった今、真相がどうだろうと別にいいのかもしれないな。


そう自分の思考に片をつけ、そのまましばらく車窓からの景色に目をやっていた。

が、それも高速に入ると遮音壁が視界を埋め尽くしてしまう。

車内の時計を見るに、到着まではまだまだ長い道のりがありそうだ。


どうすべきか少し考えてから、俺は戯れに右ポケットのスマホを取り出した。

こういうのは本来、あいつの領分だ。今度はこっちの暇つぶしに付き合ってもらっても、悪くはないだろう。


馴染みのトークアプリを呼び出し、


『起きてるか』


と短く呼びかける。


返事がなければ諦めるつもりでいたが、意外にもすぐに応答があった。


『ねてる』


またベタな返しだな。脳が働いてないと困るんだが。


『ひとつ、意見を聞きたいことがある。今いいか』

『え』『こっちが話してるときは途中でシカトするのに』『聞きたいことがあるときだけそういうこと言うんだ??』


行きのバスでのことをまだ根に持っているのか。その後で経緯の説明はしただろうに。

だがあくまで、知恵を借りようとしているのはこちらだ。機嫌を損ねたままではまずい。


『昨日の朝のことは重ねて謝る。埋め合わせもそっちで決めていい』


そして僅かな間が空いて、


『😏』『で?』『聞きたいことって何』


こうして門前払いを何とか回避した俺は、目的不明の連続盗難、突然の事態の収束、そして俺が夜なべして作った仮説について説明した。

トークアプリは長文には不向きでよほど通話に切り替えようかと思ったが、ここは車内で周りは死屍累々だったので、俺のマナーは自らの指を犠牲にする方を選んだ。


『そういうわけで、眞島たちが何故一連の行動を起こしたのかが分からない。何か思いつくことがあれば教えてほしい』


と結ぶに至って、俺はスマホを膝に置き、一息ついた。

分かってはいたが結構な文量になってしまったし、内容を把握するだけでもそれなりに時間がかかるだろう。

まぁ、時間だけはたっぷりある。到着までに何も出てこなかったらその時は、ひと夏の思い出として綺麗に忘れてしまおう。


そう内心で呟いて、シートに深く沈み込む。

と同時に、膝上のスマホが振動した。


『え笑』『そこまでわかってるのにわかんないの?』『やば笑』


俺はしばらく、目に入る文字列が脳に情報として届かない奇妙な感覚を味わっていた。

一旦天井を見上げ、もう一度画面を見る。特に変化はない。

ドライアイではないのか。


……いや、これはもう潔く認めるべきだろう。

俺は文章が読み取れないのではなく、そこに書いてあることが信じられないだけなのだと。


『理由が分かるのか』


やっとの思いでそれだけ返すと、


『いや普通わかるから』『あのさー』『前から言ってるけど、もうちょっと女の子の気持ち勉強しよ??』『モテないのはしょうがないけどさ😮‍💨』


と散々な言われようだった。


信じがたいが、やはりこいつには眞島たちの真意が予想できているようだ。

それなりに期待していたとはいえ、まさかこれほど速攻で目算を付けられるとは思っていなかった。

俺と同じ情報しか持たないのにそれが分かったというなら、こいつの言う通り、俺には見落としている何かがあるのだろう。地元に帰ったら少女漫画でも買ってみるべきか。


『教えてくれないか』

『えー』『どうしよっかなー』

『頼む』

『こういうのって自分で考えなきゃ意味なくない?🤔』

『そこをなんとか』

『てか、そんだけ考えられるのになんで肝心なとこはいつも察し悪いわけ?』『こないだだってさー』


まずい。話が脱線していこうとしている。


『わかった。貸しを二つにする』


俺が切り札を見せるとその価値を吟味するかのように少しの間、攻勢が収まった。

やがて、


『はぁ』『ちょっとまってて』


とだけ返事があり、それでふっつりと連絡は途絶えてしまった。

それから十五分ほど空白の時間が過ぎたところで、再びスマホが震え出した。

見てみると謎のURLが送られてきており、『やっと見つけた』とだけ付記してある。ホラー映画みたいな展開になってきたな。


リンクをタップすると、何かやたらとビビットな、色合いのキツいサイトに飛ばされた。

画面の大部分は写真のサムネイルで埋め尽くされており、左上には丸く縁取られた女性の後ろ姿と思しきアイコンと、


「@m_is_am」


なるIDが記されている。

アドレスを見る限りこれは誰かの、インスタム上の個人ページらしい。

行きのバスで橋本が話していた写真共有サービスだ。


『これは?』

『インスタム』

『そうではなく』

『😏』

『お前のページか?』

『そんなわけないじゃん』『IDよく見てみなよ』


IDと言われても……。「mは午前中です」という意味不明な文章にしか読めんが。


『反対から読んだら?』


反対だと? 反対から読むなら……。

ああ、そうか。


『ma_si_m@』『眞島か』


つまりこのページは、俺の後ろで熟睡している眞島のインスタムだということらしい。


『それは分かったが、それが盗難とどう関係があるんだ』

『写真見て』『新しいやつ十枚くらい』


言われるがまま、アップロードされている写真に目を通す。

どれも眞島、音成、日木原の三人が女子高生真っ只中ですと言わんばかりにハシャいでいる様子を捉えたものだった。

背景の暗さとジャージ姿であることを見るに、昨日の夜に撮影したものらしい。

教員の監視の目を潜り抜けて撮影会とは、ご苦労なことだ。


しかしまぁ、よくこれだけ撮り方の工夫ができるものだと感心する。

ほとんど白飛びに近いキメ顔のアップや斜め上から全身を入れたショット、闇夜に浮かび上がる自分たちと背景に置いた壮大な天の川との対比を強調した写真まである。

素人から見ても、そこには技術が感じられた。俺なら証明写真のようなバストアップが関の山だろう。


そんな感慨こそあったが、それでもごく普通の写真に過ぎないように見える。


『特におかしいところはないが』

『それ本気で言ってる?』『じゃあ例えば顔に光当ててるアップの写真はどうやって撮ったと思うの?』


どうやっても何も、フラッシュを焚いて接写すればこうなるんじゃないのか。


『スマホのフラッシュだけでこんな盛れるんなら誰も苦労しないから』『普通こういう写真はもっと大きいライトを別で当ててんの』『でもそんなの眞島さんたちが持ってたと思う?』


スマホのフラッシュとは別の……、もっと大きいライト。


ということは、まさか。





『それだけじゃないっぽいけどね』『例えば天の川の写真は自分たちと天の川どっちも綺麗に写ってるけど、普通どっちかにピント合わせたらもう片方はボケるよね?』『どっちにも合うくらいスマホ離して撮ったら今度は手前の眞島さんたちが真っ暗になるはず』『フラッシュじゃ遠すぎて光届かないし、これたぶん手前にライト置いてるでしょ』


つまり眞島たちは、自撮りをより綺麗に写すための撮影機材として、ライトを持ち出したのか。


あまりにも自分の中に無い発想で理解が追いつかないが、そういうことならライトが使用された撮影場所にも見当がつく。古井戸に出入りを禁止された、キャンプ場東側の高台だ。

キャンプ場から見えにくい位置にあるあの場所なら、夜間でもライトを堂々と使えただろう。頭上には夜空が見渡せる穴が空いていて、天の川を撮影するにも申し分ない。

誰彼構わず夜デートの誘いをかけていた橋本から高台の話を聞き、眞島たちはそこを撮影会に使うことに決めた……。


『なら俺のTシャツと火かき棒は?』『それも撮影機材の代用なのか』

『ホントになんにもわかってなくてちょっと引く』『シャツはレフ板』『火かき棒は自撮り棒に決まってんじゃん』


どちらも馴染みこそないが、存在自体は知っていた。

レフ板とは撮影の際に光の当て方を調整するために使う反射板のことで、自撮り棒は先端にスマホやカメラを取り付け、距離を置いて自己撮影するための棒のことだ。


『ライト当てるだけじゃ顔に影ができちゃうけど、反対側にレフ板置くと反射で美肌に見せられるんだよね』『アンタのシャツ照り返しやばかったんでしょ?』『レフ板に使うのは頭いいわ笑』


もはやTシャツとしての用途ですらなかったとはな。どうりでシワひとつなく綺麗なまま戻ってきたはずだ。


『斜め上からの写真とかは明らかに火かき棒にスマホ付けて撮ってるし』『たぶん実行委員の人が持ってたガムテープかな』


両腕にガムテープを大量に通した二本松の姿が、脳裏をぎった。

火かき棒は先端がL字に曲げられていたから、そこにテープでスマホを固定しタイマーを使えば、立派な自撮り棒として機能するわけだ。

今なら日木原が煤を落としたのも、ついでではなかったことがわかる。


『まー実際は使いづらかったと思うけどしょうがないよね』『本物は持ってこれなかっただろうし』


こいつが言っているのは、抜き打ちの持ち物検査のことだろう。

眞島たちならリュックに忍ばせられるサイズの撮影機材を持っていたかもしれないが、検査が予告されていた以上、持参することはできなかったということだ。


それにしても……、未だに信じられん。


『そんな状況にも拘らず、代用品を用意してまで撮影にこだわるとは』『写真に付く『いいね』とはそんなに嬉しいものなのか』


俺は単純に疑問を発しただけだったのだが、それに対する反応には思いの外、棘があった。


『は?』『ねぇ、そういうとこだよ』


そういうとこ、とは。


『インスタムで『いいね』稼ぐためにやったと思ってんの?』『そんなわけないじゃん』


もういよいよ分からなくなってきた。ならば他に、どんな理由があったというんだ。


『写真に写ってるメガネの人、この人でしょ? 日木原さんて』『おっさんに荷物触られた』


日木原のスマホ没収に関する話は生徒間でもだいぶ噂になっていたから、他クラスの人間が知っていても不思議はない。

教員をおっさん呼ばわりとはこいつらしいが、大概恐れを知らんな。



『眞島さんからしたら友達が泣かされて落ち込んでるんだから励まそうとするでしょ、当然』『で、本当はおっさんにも謝らせたいけど頭固いしそれは無理そうじゃん?』『そしたら



瞬間、まぶたの裏にキャンプ中の古井戸の態度が蘇る。

奴は管理人がしたゴミの代用の話に眉をひそめ、不要物のスマホを没収し、高台への出入りを禁止した。


それに対し、眞島たちは備品を撮影機材の代わりに持ち出し、没収の手を逃れたスマホを使って、密かに訪れた高台で一夜の思い出を写真に残した。


それは押さえつけられた頭を上げる行為である以上に、友人の思い出に悲しい染みが残ることを否定するための行為だったのだろうか。


もう一度、改めて写真を見てみる。

画像の中の日木原は、あの特徴的な引き笑いが聞こえてくるような気がするほど、大きな口を開けて笑っていた。

一緒に写る他の二人も負けず劣らずハシャいでいて、何枚かは誰が誰か判別できないほどブレまくっている。

十年後、彼女たちがこの写真を見返すことがあったとしたならその時は、どんな記憶として思い返すのだろう。


「なるほどな」


と俺は口の中でひとりごち、


『たしかにお前の言う通り、俺には足りないものがあるらしい』『高校ってのは、一筋縄じゃいかなそうだ』


と認めた。

すると、


『ふーん』『じゃ、あたしも自撮りしたんだけど😎』『ど?』


という文面と共に、一枚の画像が送られてきた。

俺は少し考えてから、


『よく盛れてるな』


とだけ返信した。



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