第12話


 冷えた風が肌を撫でていき、ブルリと肩が震えました。


 むき出しの腕を擦っていると、まめ次郎さんが私の横に座って、お尻を私の腿にくっつけました。

 じわじわと温もりが伝わってきて、その一点だけが異様に暖かいです。


 そんな健気な姿が可愛くて、私はこちらを見上げる愛くるしい頭をわしゃわしゃと撫で繰りまわしました。


 遠くに広がるは我らが旭海町。

 西には海が広がっていて、ほのかな茜色に萌えています。


 そろそろ黄昏ときも近いかしら。

 ハゲタカさんとの物理的交渉の末、私は見事、単独での茸山登攀を達成したのでした。


「前々から思っていたのだが、友は破天荒が過ぎる」


 懐から取り出した焼き芋を半分に割りながら、まめ次郎さんはしみじみと呟きました。


「ありがとうございます、最高の誉め言葉です!」

「今回ばかりは本当に誉め言葉だな」


 受け取った焼き芋を口いっぱいに頬張ると、ねっとりとした甘みが広がります。

 焼き芋を頬張りながら、私は感嘆のため息を吐いてしまいました。


「何とかなったはいいものの、あまり無茶をするのは控えたまえ」

「ええ、今回はハゲタカさんたちには無茶をさせてしまいました。改めてお詫びをしなくては......」

「そういうわけではないのだが......」


 私を送り届けてくれたハゲタカさんにはお詫びとして魔法の包帯を差し上げました。両脚の傷に巻いたのでじきに傷跡も痛みもなくなるでしょう。


 昨日の敵は今日の友。

 アツき戦いを繰り広げたケアリケナシハゲタカさんと私はもはや刎頸ふんけいの友に相違ありません。

 これからもお会いする機会はあるかもしれませんし、その時はまたぜひ一緒に空の旅へと出かけたいものです。


 お礼とともにそのようなことを告げると、彼は元気に何事かを喚きながら、そそくさと住処へと帰っていきました。


「アッ、せっかくだからハゲタカさんにも焼き芋をご馳走すればよかったです」

「まあ、ヤツらはどこにでもいるからな。いずれまた巡り会ったときにでも馳走してやればいいだろう」


 まめ次郎さんはおもむろに振り返ると辺りを見回しました。


「それにしても、茸山の山頂とはこんなふうになっていたのだな」

「おや、ご存知なかったのですか?てっきりお空の散歩ついでに立ち寄っているとばかり」


 私たちの背後に広がる茸山の山頂は、不思議な気配に満ちていました。


 どこかぼんやりと霞みかかっていて、洞窟の中にいるようなひんやりとした空気が森の奥へ吸い込まれるように風が吹いています。


 興味を惹かれた私は、焼き芋の最後のひとかけらを飲み込むと、体が冷えないようにまめ次郎さんを抱っこして、靄で満たされた森の中に足を踏み入れました。


「最近は激動の日々だが、私とていつも散歩をしているわけではない。私はどちらかといえば昼寝をする方が好きなのだ」

「なるほど、私もお昼寝は大好きです」


 見上げると、暗く影を落とした木々の隙間から、茜と青みがかった絹のようなグラデーションを広げたお空が覗いています。


 宵までには幾ばくかの猶予はあるはずですが、森の中には夜の先駆けが侵入していたようで、薄暗い闇が横たわっていました。


 しばらく私たちは森の中を歩きました。

 行先の一切は不明です。

 唯一の当ては我がラブパワーが探知する愛しの君の気配のみ。すなわちねこさんの残り香です。


 ねこさんの匂いなど嗅いだことはありませんが、私には彼、あるいは彼女への道筋がなぜだかくっきりと見えていました。これこそが恋する乙女の第六感でしょう。


 それゆえにヘンゼルとグレーテルの二の前になるような愚は犯しません。

 我が桃色ラブロードの終着点はもう目前なのです。


「お、もしや、あれがそうなのではないか」


 不意に、靄のかかっていた森を抜けました。

 森の中にぽっかりと空いたその広場には、木造の小さな小屋がぽつねんと建っていました。


 屋根から伸びている小さな煙突からはもくもくと煙が昇っています。どこかいい匂いもします。それすなわち、人が住んでいる証拠に他なりません。


 ぢっと小屋を眺めていると、中から強大な気配がうごめいているような気がしました。


 それが果たしてねこさんなのか、あるいは佐東さんのお爺さまなのか。定かではありません。思わずゴクリと唾を飲み込みました。


「まめ次郎さん、準備はよろしいですか」

「無論だとも」


 私の腕から降りて、両の脚で立つまめ次郎さんに問いかけると、彼は鷹揚に頷きました。


 彼のどっしりとした構えを見て、僅かに張っていた緊張の糸が緩んでいくのを感じます。


 両頬をぺちんと叩いて気合を入れ直します。

 これから先は正真正銘、ねこさんとのお見合いです。


 切ったはったの真剣勝負。一挙手一投足が己の運命を決することとなります。

 緊張をほぐし、されど真剣マジに、覚悟を決めなければなりません。


 もう一度大きく深呼吸をして心を落ち着けると、私は扉の前に立って、丹田の底から声を張り上げました。


「たのもー!」











 一拍おいて、二拍おいて。

 そして数十秒が経過しました。

 しかし、待てど暮らせど誰何すいかが返ってくることはありません。


「もしや留守なのではないか?」

「うむむ、そうなのかもしれません」


 よくよく聞き耳を立ててみても、扉の奥からは物音ひとつしません。人の気配は皆無です。


 それすなわち先ほどの強大な気配云々は完全な勘違いだというワケです。にわかに羞恥に襲われますが、そんなことはおくびにも出さず、私とまめ次郎さんは腕を組んで唸りました。


「うーん、困りました。もしかすると、下界へお夕飯のお買い物に行っているのやも」

「それはまさかだろう。ご老体が一人でこの山を登れるとは思わんが」

「いえ、この私にもできたのです。佐東さんのお爺さまであれば可能性はございます」

「そうかなぁ」

「そうなのです」


 あーだこーだと推論を並べましたが、結局のところ、私たちにはどうすることもできません。

 私たちは顔を見合わせて途方に暮れていました。


「おや、随分と早い到着だね」


 ふいに、背後から声を掛けられました。

 振り抜くと、そこには奇妙な老人が立っていました。


 もっさりとした髪は円盤のように広がり、まるで大きなキノコのようです。

 それでいて頭のてっぺんはハゲタカさんのようにつるぴかなのですから、なんともへんてこりんとしか形容しようがありません。


 着古したであろうトーガのような布を纏って、木編みのバスケットを下げた彼は、超然とした雰囲気を醸していました。


「あなたはもしや、ここの住人なのですか」

「いかにも。私は茸仙人。貴君たちが来ることは知っていたよ」


 茸仙人は玄関の扉に手を掛けると、ふんわりと笑いました。


「さあ、中に入っておくれ。ちるが貴君のことを待っているよ」











 小屋の中へと招かれて幾ばくか経ちました。

 私たちはいまだに長い長い廊下を歩き続けています。


 というのも、小屋の中は外観に反して豪奢かつ広大だったのです。


 心もとない木の扉を開けた先に広がるのは、まるで宮殿のようなお屋敷でした。


 まさに豪華絢爛。

 各所に鮮やかな金色の模様が彩られ、天井からはいくつもの大きなシャンデリアが吊り下げられています。


 真っ赤な絨毯が敷き詰められたふわふわとした廊下は、奥に吸い込まれそうなほど長くて全容が計り知れません。


 バロック様式にも似たこのお屋敷には、ある種の芸術すら感じられましょう。


 瑕疵ひとつない、美を追求した館。

 だというのに、私はこの光景を見て、どこか無機質で空虚な印象を受けました。


「なぜ私たちのことをご存知だったのですか?」

「弟が教えてくれたんだ」


 私たちを先導して歩く茸仙人は言いました。


「弟さんですか」

「昨日、知蛇瀑ちだばくにいる爺に会っただろう?それが私の弟だよ」

「おお、なるほど!それなら納得です」


 もう随分と過去のことのように感じます。


 それは昨日、知蛇瀑へ配達に行って、私が魔法使いに一杯食わされたときのことです。


 あの時は次の配達もあって言及はしませんでしたが、彼は確かに「未来が見える」と言っていました。


 そういうことなら納得です。

 彼が私とまめ次郎さんが茸仙人のお宅に訪れることを事前に伝えていたのでしょう。


 確かに、茸仙人とかの魔法使いの風貌はどこか似ている気もします。特に飄々とした雰囲気がそっくりです。


「もうひとつお伺いしてもいいですか?」

「うん、なんでも聞いておくれ」

「ありがとうございます。先ほど仰っていたというのは、ねこさんのお名前で間違いないですか?」

「ああ。私は彼女のことをちると呼んでいるよ」


 その言葉を聞いた瞬間、その名前はストン、と呆気なく私の心の奥底に落ちていきました。


 ちる、ちる、ちる。


 口の中で転がすと、メープルシロップにも匹敵する甘さが脳髄を貫きます。


 可憐でもあり、爽やかでもあり、高貴さもある素晴らしい御名です。


 その御名を介した鼓膜の振動にすら愛おしさを感じます。


 まさに絵葉書で見たねこさんのお名前にふさわしいのです。


 とうとう想う君の名を知れた私はまさに夢心地なのでした。


「ちるが待っているとはどういうことだ」

「そのままの意味だよ。彼女が貴君たちに会いたがっているんだ」


 そして少しの間をおいて、茸仙人は続けました。


「特にきみにね」

「え?」


 ふいに水を向けられ、思わず私は惚けてしまいました。


 なにせ私の頭の中はちるさんでいっぱいだったので、茸仙人の言葉にまったく耳を傾けていなかったのです。


 しかし、たった今、絶対に聞き捨てならないことを言われたという直感が、私の側頭葉から辛うじて聴き取れていた音素を繋ぎ合わせ、瞬時に言葉を形作りました。


 曰く、ねこさんが、私に会いたがっている。


 自分で自分が信じられなかった私は、茸仙人に問いかけました。


「ねこさん――ちるさんが私に会いたがってる?」

「ああ、そうだよ」


 返ってきたのは紛れもない肯定。

 てっきり一蹴されるとばかり思っていた私に、頭を殴られたような衝撃が走りました。


 私はちるさんに限らずねこさんとは面識がありません。であれば、そんな私に彼女が会いたがるのはおかしいのです。


 では、なぜちるさんは私に会いたがっているのか。


 もしや、夢の中で毎日のように頬ずりして吸って抱きしめて愛を伝えた成果がここで実ったのか?


 あるいは私がねこさんのことを想い過ぎるがあまり、彼女の夢に私が出てきてしまった可能性もあります。

 そして夢の中に出てきた私を気に入り、ぜひとも会ってみたいと思った、と。


 つまるところ、ちるさんと私は両思いなのでは?


 私の心中はそれはもう大変なことになっていました。

 あっちこっちに思考が飛んでありとあらゆる感情がお花畑のように狂い咲きます。


 混乱はそのままの熱量を伴って、徐々に狂喜とも呼ぶべき感情に変貌を遂げてゆくのです。


 今にも小躍りしてしまいそうなほどの激情です。

 しかし、ここで発散させる訳にはいきません。目の前にはちるさんの同居人である茸仙人がいるのです。


 こんなところではしゃぎまわって粗相をした結果、ねこさんとのお見合いがご破談にでもなれば、私は私を許すことができないでしょう。

 ここは貞淑に、淑女らしい態度を示してこそなのです。


「ち、ち、ち、ちるさん、は!私のことを、な、なんと言っていたのですか!?」

「とても好ましい人物だ。ぜひ彼女に会ってみたい、と」


 うっひょーッ!


 とは言いませんでしたが、私の表情は雄弁に語っていたでしょう。


 辛うじて淑女の体裁は保たれたと信じています。


「ふむ、あいつがそんなこと言うとは思えんが、なにか企んでいるのではないか?」

「おや、貴君はちるの知り合いだったのかい」

「古い付き合いだ。おそらくご老人が下界に住んでいたときの友人だ」

「ほほ、不思議な縁もあるものですなぁ」


 茸仙人は呵々と笑って続けました。


「きみの思う通り、たしかに彼女は素直ではないが、嘘を言う子でもないよ」

「......ふむ、たしかに、違いない」


 黙考の末、すぐに納得したのか、まめ次郎さんは頷きました。


「そうだ、ちょうどいい」


 そして茸仙人は何かを思い出したか、おもむろにバスケットの中に手を突っ込んで、ごそごそと中をあらためています。


 多種多様な茸や山菜を掻き分けて出てきたのは、もこもことした綿菓子のような物体です。


 彼はそれを摘まみ上げ、私たちへと差し出しました。


「お近付きの印だ。ぜひ食べてみてくれ」


 手渡されたそれを両の掌に乗せて眺めていると、彼はそんな私を尻目に、バスケットの中から取り出した同じふわふわをひょいッと口に放り込ました。


「これはかすみだよ。仙人の主食だね」

「なんと。仙人は霞をんで生きるとは存じておりましたが、まさかそのようにして食べるのですか」

「これが意外と甘くておいしいんだよ」


 ニコニコと恵比寿様のような笑みを浮かべる茸仙人を見て、俄然食欲が湧いてきた私とまめ次郎さんは、一つまみの霞をパクリと口に放り込みました。


 すると、口の中に広がるのは芳醇な甘み。

 けれど決してくどくなくて、むしろ舌に触れた瞬間に刹那の甘みを残して消えていく春風のよう。非常に涼やかです。


 風味としては雲に近いのですが、雲を食べたとき僅かに感じられた雑味が一切ありません。これなら毎日でも食べられる気がします。


「おお、これは美味ですよ!」

「うむ、クセになる甘さだな」

「仙人の主食は霞だが、私はこう見えて美食家でね。美味い霞を自家栽培しているんだよ」

「なるほど。不老不死の秘訣は美味な食事からということですね」

「そうかもしれないね」


 そうして、私たちは茸仙人からいただいた霞を摘みながら、ちるさんのもとへと向かいました。


 かなりの距離を歩きました。

 茸仙人の家はただ見物しながら歩くだけでも退屈しません。

 それほどまでに絢爛で、見ているだけで楽しくなるほどの贅が尽くされていました。


 にもかかわらず、主人たる仙人の装いは豪奢とは言いがたく、むしろかなり清貧とした格好でひどくちぐはぐです。


 私はこのお屋敷を目にしたときから、そのことが気に掛かっておりました。


 そも、仙人とはなにか。

 彼らは厳しい修行のすえ只人の域を超えた、いわゆる超人なのです。


 雲をも突き抜ける切り立ったお山の頂上で寝食を忘れて結跏趺坐けっかふざ、凪いだ瞳は真理を悟る。神通力はお手の物。ある種、人としての極致であるのは自明の理です。


 私もかつては仙人に成ることを夢に見ていました。

 小学校の時、将来の夢を書く作文では仙人を題材にして原稿用紙およそ三百枚にしたためたほどです。


 のちにだいだらぼっちと出会い、将来の夢は変わったのですが、依然として仙人に対する尊敬と憧れの念は変わりません。


 叶うのであれば、茸仙人に握手を求めてサインもお願いしたいです。

 当時の修行話も聞けたらいうことはありません。


 閑話休題。

 そんな人知を超えた仙人は、禁欲に徹する必要があるという伝説があります。


 それに照らしてみると、茸仙人の住居であるこのお屋敷は、些か贅が尽くされすぎている気もします。


 ではニセモノの仙人なのかと問われると、それもないでしょう。


 その浮世離れした雰囲気は深緑の奥地に鎮座する苔むした大岩のようで非常に森厳しんげんです。


 思わず縋り付きたくなるようなこの雰囲気は、仙人のそれで間違いありません。


 そんな疑問を私は茸仙人に訊ねようとしました。


 しかし、声をかける寸前、先導する彼の横顔がどこか憂いを帯びているのに気が付いて、私は少し悩んだ末、引き下がることにしました。


 何やら気分が優れないご様子。

 私の疑問などいつでも訊くことができるのです。


 それに、なぜだかこの時、私は彼に声を掛けてはいけないと強く感じたのです。


 そうしているうちに、廊下の先。

 集中線の奥に扉が見えました。


 きっとあの扉の奥にねこさんがいるに違いない。

 しずしずと歩きながら、私は再び覚悟を決めました。


 相思相愛だと判明したとしても油断大敵。

 人生是試練の連続。

 乙女なら当たって砕けろです。


「たくさん歩かせてしまってすまないね。ここがちるのいる部屋だよ」


 茸仙人は扉の前で立ち止まると、私たちに道を譲るように脇に避けました。


「ここから先はきみたちだけで行きなさい。私は夕飯の準備があるからね」

「そうだったのですね。お夕飯時にわざわざ申し訳ないです」

「いやいや、きみたちと話せて嬉しかったよ」


 茸仙人はふんわりと笑って、


「それじゃあ、ちるをよろしく頼むよ」


 そう言うと、彼はもと来た道を引き返していきました。


「友よ、ついにご対面だな」

「はい。ここまで長く楽しい道のりでした。すべてが報われるときが来たのです。結果がどうなろうと、私はこの胸に宿るアツき想いをちるさんに伝えます」


 私は見上げるほど大きな扉に手を掛けました。

 我がラブパワーによってこの扉の奥にちるさんがいるのは察知しています。ふんわりとした愛おしい気配です。


 それを見て、緊張で胸が張り裂けそうになっていた私は、少し癒されると同時に勇気をもらいました。


 そうして私はグッと力を込めて、扉を開け放ちました。

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