第11話
雑貨屋ねこのいえの配達人は大変にやりがいのあるお仕事です。
全国各地を飛び回り、赴いたことのない秘所名所に顔を出し、数奇な縁に恵まれる。
まさに私にとっての天職と呼んで差し支えのないアルバイトです。
しかし、お仕事とは楽しいだけではございません。
時には苦難に行き当たり、私ごとき小娘の手に余る危機もございます。
そんな状況を危惧して、店主さんからは福利厚生として魔法雑貨を賜っているのです。
配達鞄から取り出したるはひとつの工具。
鈍色を主張する年季の入った何の変哲もないレンチです。
しかし、一見して変哲のなさが魔法雑貨の魅力でもございます。
私はガラクタの山を見回して、目ぼしいブツを引っ張り出すと、額に手拭いを巻いて気合十分。
レンチ片手に作業へ取り掛かります。
はてさて突然ですが、私は常々疑問に思っておりました。
魔法雑貨とはなんぞや。
その中でも殊更気になっていたのが製造工程です。
いったいどのような手練手管があればあのような摩訶不思議な道具が作れるのか。まったく不思議でなりません。
働き始めてひと月が経った頃、なんとなしに浮かんだそんな疑問をぶつけてみると、長きに渡る沈黙を経て、店長さんは簡潔に答えてくださいました。
曰く、魂だ、と。
その一言だけ残して店長さんはお仕事に戻ったのです。
私は「なるほど」と深く納得しました。
生粋の職人である店長さんは多くを語りません。
積み上げてきた経歴と技術、そして大きな背中で、彼は私の疑問に答えをくれたのです。
店長さんは店内にあるカウンターでいつも作業をしております。
お仕事がなくてお暇なときはそんな彼の横で頬杖をついて作業風景を見守っているのですが、私は特殊な工程を踏んでいるところを見たことがありません。
呪文も唱えませんし、ぐつぐつと煮えたぎる大釜をかき混ぜたりなんてもってのほか。
つまるところ、店長さんは何ら特殊かつ魔法的な事象を行うことなく、己が技術と神がかり的な手捌きをもってして、雑貨一つ一つに魂を込めて、不思議な効能を付与しているのです。
まさに
そんな店長さんから貸し与えられたこのレンチは、言うなればなんでも直してしまう魔法のレンチともいうべき代物。
本来であればねこのいえに帰還する魔法の扉が壊れていたときに使用するものですが、この際です。四の五の言ってはいられません。
ねこさんのためならば私は私が持ちうるあらゆる手段を駆使するのです。
作業にかかった時間は数分ほど。
最後にキュッとネジを締めておしまいです。
私は額に流れる汗を拭って立ち上がりました。
「ほう、何をするのかと思えば、なかなかどうして、大したものじゃないか」
「そうでしょう、そうでしょう!」
感嘆の溜息を漏らすまめ次郎さんにサムズアップを送ります。
それほどまでに私が工作した代物は謙遜しようもないほどに傑作だったのです。
目の前に鎮座するは、新品同然に輝く大型二輪バイク。
重量感のあるボディでありながら、真っ黒でシャープな造形がたまらなくクールです。しかし、ただのバイクと侮ってもらっては困ります。
散乱していた各種廃材を用いてグレードアップさせたこのバイクは、もはやこの世界で唯一無二の我が相棒なのです。
そんな相棒も今では立派な姿ですが、当初はそれはもう無残な有様でした。
後輪は外れてエンジンもボロボロ。塗装も剥げて
しかし、そんなバイクも魔法のレンチにかかればアラ、不思議。いつの間にやら新品同然になっているではありませんか。これには私も驚きです。
「しかし、バイクなど用意してどうするんだ?」
「まあまあ、あとは見てのお楽しみです」
頬をペチリと叩いて気合を入れ直した私は、漁ってきたフルフェイスのヘルメットとグローブ――この二つも魔法のレンチで直しました。なにをどうして直ったのかは謎です――を嵌めて、おもむろにバイクへと跨りました。
バイクの進行方向は壁。
つまり茸山の断崖絶壁です。
「友よ、まさか......」
「そのまさかです。私はこれより、この我が相棒にて、かのハゲタカさんのいる高みへと登り詰めるのです」
アクセルを捻るとけたたましいエンジン音が茸山に
それはまるで相棒が二度目の生に歓喜しているかのようです。
魔法のレンチによってバイクは奇跡の復活を果たしました。
とはいえ、それはどこまでいっても所詮はただのバイクです。魔法のレンチは直すだけで、その対象に不思議な力を付与することはできません。
しかし、断言しましょう。
このバイクは魔法のバイクであると。
この私が魂を込めてレンチを振るったのです。
一貨入魂、一レンチ入魂。
真心こめて、全霊を掛けて、私のすべてを注ぎ込んだのです。
そんなものが魔法雑貨になっていないはずがありません。
店長さんのお傍に長年いた私だからこそわかるのです。
「理屈もないのに大した自信だな」
「理屈は私のスピードに着いてこれないのです。ですので私は多大なる自信だけを胸に未来へひた走ります」
「やれやれ、もはや何も言うまい。キミの前途に幸があることを祈るよ」
敬礼をするまめ次郎さんに私は返礼をします。
次に彼と相まみえるのは茸山の山頂となるでしょう。
「キミが登りきった暁には我が絶品の焼き芋をご馳走しよう」
「はい!楽しみにしております!」
にわかに上空が騒がしくなってまいりました。
どうやらハゲタカさん方が帰ってきたご様子。
なんといってもこの岩棚は彼らのテリトリー。いつ戦場と化すかわかりません。迅速な行動が求められます。
瞑目して、鳴り響くエンジン音に身を委ねます。
相棒は今か今かとその時を待ち続けています。
私がそんな彼を宥めるようにタンクを撫でると、不思議と振動が和らいだような気がしました。
反骨精神と克己心。
私の鼓動と相棒のがなり。
それらが調和した瞬間こそが肝要なのです。
そしてその時は訪れました。
「ダークフェニックス号、発進!」
けたたましいエンジン音と共にすぐさまトップスピードに乗って走り出します。
理外の加速を可能とした私たちは一瞬で断崖に直面しますが、激突する寸前、私は前輪を持ち上げると、断崖にできた僅かなへりに引っ掛けました。
「いっけーッ!」
相棒に呼応するように叫んだ
意味はこの垂直のラブロードを踏破した時にこそ生まれるのです。
◇
ケナシケアリハゲタカの気性の荒さは有名です。
茸山にて住まう彼らは時折人里に降りてきて特に理由もなく人間に悪さをします。
逢引き中のカップルを脅かしたり、テラス席で御馳走に舌鼓を打つ先生に意味ありげな視線を送って翻弄したり、極めつけは所かまわず糞をまき散らします。
その中でも彼らは人のものを強奪することに悦びを覚えるのです。
自販機でジュースを買おうと財布から取り出した小銭、ちょいと休憩とばかりに路肩に留めた自転車、時には道路標識さえ彼らの獲物となり果てます。
人の立ち入らぬ秘境に隠すものだから、奪われた品を取り戻すのは容易ではございません。
よしんば辿り着いたとしても、彼らはナワバリを犯した闖入者を決して許しません。
徒党を組んで襲い掛かり、二度と愚かな真似ができないように痛めつけるのです。
そしてその日も彼らは一人の賊を成敗したのでした。
我らが居城にまでやってきた愚かな小娘め。今頃は冥途の果てで地団駄を踏んでいるに違いない。
ぎゃあぎゃあ、バサバサ。
大きな翼をはためかせて各々が色めきだっているなか、あるハゲタカさんがはたと気が付きました。
おい、あれはなんだ。
仲間に
それも当然。彼らは賊を成敗した喜びに浸っているのです。
埒が明かない。
そう考えて、そのハゲタカさんは再び視線を異物へと向けて、そのあまりの威容に戦慄したのです。
いうなればそれは黒い風。
漆黒の尾を引いている暴風が、ミサイルのような勢いで、茸山の絶壁を走破しているのです。
果たしてそれは、季節外れのブラックサンタか、あるいは動物園から脱走したチュパカブラか、はたまたいったい何なんだ――
「おらおらおらーッ!」
もちろん、私です。
威勢のいい雄叫びと共に、私と相棒――ダークフェニックス号――は断崖に生えているガラクタを薙ぎ倒しながら、着実に茸山を駆け上がっております。
確信した通り、我が相棒は魔法のバイクと化しておりました。
重力を無視した弾丸走法に私は興奮しっぱなしです。思わずウィリーなんかもしちゃう。
テンションが上がって二十歳児が顔を出すのも無理からぬこと。淑女らしからぬ雄叫びはご愛嬌です。
ハゲタカさん方もそんな私にようやく気が付いたご様子。
慌てて迎撃の態勢に入っております。
しかし、我が身ひとつならいざ知らず、今の私には頼もしい相棒がついております。
今の私はただのご機嫌な淑女ではございません。
ご機嫌で神速の淑女なのです。
「いきますよ、相棒!」
呼応するようにエンジンがぶるるンと唸りを上げて、私たちは更なる加速の世界へ誘われました。
世界がコマ送りのように背後へ流れていきます。
その中には矢のように降り注ぐハゲタカさんの姿もあります。
しかし、彼らが補足しているのはかつてそこを通り過ぎた私たちの幻影に過ぎません。
土煙を上げながら着弾するころには私たちは遥か先へと進んでいるのです。
しかし、ハゲタカさん方も決して愚かではありません。
彼らが悪行を為してきたにもかかわらずここまで生き残れたのは、その狡猾さがあってのこと。
ふと、矢のような特攻が止みました。
その代わり、見上げるとそこには幾羽のハゲタカさん方が集結していきます。
にわかに雲行きが怪しくなってきたと思ったその瞬間、彼らは私たちの遥か上の断崖に向かって、一斉に突撃を仕掛けたのです。
すわ、名誉ある自害か。
そんな考えがよぎりましたが、私たちに差す無数の影を見て、すぐにその意図を察しました。
彼らは私たちの上に位置するガラクタを落とすことで、進路の妨害を果たしたのです。
その数およそ十数。
大・中・小。それが断続的に落ちてきます。
廃車から液晶テレビ、半ばで折れた電柱らしきものも見えました。
衝突すれば命はないでしょう。
生死を分ける瀬戸際に、しかし私の魂はアツく燃え滾っておりました。
恋の障壁は高ければ高いほど、厚ければ厚いほど情動は激しく燃え盛る。それはこの世の条理に他なりません。
この時、私の魂は未曽有の大噴火を果たした富士の様相を呈していたのです。
「こんなもの、私と相棒にかかればチョロいものです!」
迫りくるその全てを見切り、神懸かり的なドライブテクニックでその全てをかわし切ります。
なんといっても私は小学生の頃、地元の自転車レースで優勝したこともあるのです。
嗚呼、懐かしき青春です。
同級生を搔き集めて近所の峠を駆け抜けた思い出が想起されます。ちなみに参加したのは三人です。その後にしこたま叱られましたが、その経験が今に生きていると思うと人生の妙味を味わった気分になります。
私たちが無傷なのはハゲタカさんも予想していなかったようで、明らかに動揺する気配が伝わってきました。
私と相棒は鼻高々に加速して、次なる障害物へと突入していくのです。
電柱を避けて、ソファーを避けて、連続するパイプ椅子の雨を潜り抜けて――ついに茸山の七合目辺りを越えました。
先ほど叩き落された標高も通り過ぎて、今や茸山の傘も目前です。
それに伴い、次第に障害物の密度も上がってきました。
それらを懸命に避けながら、私は件の標的を探します。
仰げども妨害する一団には見当たりません。
彼はハゲタカさん方の中でも一等に狡猾で邪知です。きっと、今も高みの見物を決め込んでいるのでしょう。
そうして予想通り、落ちてくる障害物の隙間から仰ぎ見る彼方に、雪辱を誓った仇敵の姿を見つけました。
彼は仕事を果たしたと言わんばかりに傘の部分に生えた枯れ木に留まって大あくびをしていたのです。
「呑気でいられるのも今のうちです!」
全力全開。
気炎と共にラストスパートをかける私たちの前に、最後の障害が立ちはだかりました。
いったいどこにそんな隠し玉を用意していたのか。
ふいに私たちを覆った大きな影に驚いて仰ぎ見ると、頭上から迫ってくるのは小山ほどはあるガラクタの塊。
それがすぐ目前にまで迫ってきていました。
もはや避けることはできません。
覚悟を決めた私は咄嗟に前輪を持ち上げて、断崖にそうしたように、ガラクタの塊に出来たでっぱりに引っ掛けました。
すると、前輪は強靭な馬力で車体を持ち上げ、そのままガラクタの塊の上を滑るように走ったのです。
「いけ―ッッ!」
もはや私たちに止まることは許されません。
みるみるうちに駆け上がり、そしてそのままの勢いで大空に飛び出しました。
視界いっぱいに色がる青空。
重力の軛から放たれます。
投げ出された勢いでハンドルから手が離れ、相棒から引き剝がされます。
世界の流れがゆっくりになった気がしました。
徐々に体が重力に囚われるのを感じます。
それに先んじて、相棒は一足先に大地へと還っていきます。
私は咄嗟に相棒へと手を伸ばしました。
しかし、落ち行く彼を見て、すぐに察しました。
彼はハザードを焚いていました。
チカチカと瞬く儚い赤。
為すべきことを為せ。
彼は最期の輝きをもってして、私にそう言ったです。
走馬灯のように彼との輝かしき思い出が脳裏をよぎります。
胸中に深い悲しみが湧き出ます。
しかし、そんなことで時間を浪費していては、彼の覚悟が無駄になります。
出会いもあれば別れもある。
ここまで支えてくれた偉大なる相棒に別れを告げて、私は目の前の標的を捉えました。
私もただ闇雲に大空へ羽ばたいたわけではありません。
すべては土壇場で弾き出した弾道予測の産物。
どの入射角が最適か、どれほどハンドルを切ればよいのか、どれほどの速度が必要なのか。
大胆かつ精緻な要求をクリアできた我が相棒がいたからこそ為せた妙技。
すなわち、空中に放りだされた私のすぐ目の前。
そこでは、我が仇敵が心底驚いた顔をしてこちらを見ていまました。
そうです。
私たちはガラクタの小山を足掛かりに、ついに茸山の傘で羽を休めるハゲタカさんのもとまで辿り着いたのです。
つい先ほどまで止まり木でうつらうつらしていた彼は慌てふためいています。
しかし、もう遅いのです。
大きな羽根をがむしゃらに羽ばたかせて飛び立ったその脚を、私は今度こそ鷲掴みにしました。
「さあ、私を頂上まで連れていくのです!」
そう言って、私は傷跡のないもう片方の脚にガブリと噛みつきました。
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