第10話


「思えば随分と高いところまで来てしまいました」


 突き出た岩場に座り込んで下界を眺めた私はしみじみと呟きました。


 『茸山山頂 ケナシケアリハゲタカ郵便』


 果たしてどういう意味なのでしょうか。

 消印の存在意義から考えると、茸山の山頂にあるケナシケアリハゲタカ郵便局で配達の依頼をして、その際に押されたものなのでしょうが、果たして、茸山の山頂に郵便局など存在するのでしょうか。


 益体のない思考がよぎります。

 しかし、何を考えようとも後の祭り。

 文字通り、私はもう引くことはできないのです。


 眼下には鬱蒼と茂る緑の絨毯が敷き詰められていて、その向こうには旭海あさみ町が広がっています。

 西に広がる海もキラキラと煌めいております。

 吞んだくれ横丁では今もなお先生方が酒宴に勤しんでいるのでしょう。今からお土産話をするのが楽しみでなりません。


「そのためにも、必ずねこさんにお会いしなくては」


 背水の陣。

 もはや退路は断たれました。残された道は前進あるのみ。

 すなわち、桃色ラブロードを突き進むしか方法はないのです。


 休憩を終えた私は、再び岸壁に手を掛けました。

 滲む汗が冷えた風に晒されて心地が良いです。思わず鼻歌を歌っちゃいます。

 唯一の懸念点といえば命綱がないことと、ゴールまでの道筋が未知数なことくらいでしょうか。それ以外はいたって順調です。


 それから半刻ほど登り続けると、なにやら周囲の様子が変わっているのに気が付きました。


 疎らに生えた草と苔に紛れるように、人工物が姿を現したのです。

 とはいえ、それは岩肌に天狗の居住跡を見つけた――などの文明的なものではなく、ひどく散逸的で無秩序です。


 岩肌の小さな隙間には錆びついた指輪が埋め込まれ、一息吐いてくださいとばかりに椅子の成れの果てが晒されています。そしてしまいには自転車が突き刺さっている始末。


 大、中、小。

 取り敢えず岩肌に突き刺せるものはなんでも突っ込んでみました。そんな風情を感じます。


 不法投棄の魔の手はこんなところにまで及んでいたのか。


 最初はそんなふうに慄いていましたが、それにしては場所が悪い。こんなところに不法投棄する方が大変じゃなかろうか。


 それからまた少し上る頃には、たまにしか見かけなかったそんな光景が、いつしか当たり前のものとなってきていて、ようやく、私は事の異常性に気が付いたのです。


「はて、前にもこんなものを見たような気が」


 その時です。

 聞き覚えのある甲高い鳴き声が、中天に木霊します。


 何事かと思い振り返った私のすぐ横の岩肌に、突如として、大きな何かが激突しました。


「ピィ―ッ!」


 頭部を光らせた大きな怪鳥が、岩肌に鉤爪を突き立てて、私に向かってきました。


 迫力にビリビリと鼓膜が震えます。

 まるで積年の恨みを晴らさんとする狩人のような瞳と目が合って、私は思い出しました。


 ケナシケアリハゲタカ。

 一連の騒動の根源。

 我が宿敵です。











 ぎゃあぎゃあと。

 甲高い鳴き声が絶え間なく響きます。


 仰ぎ見ればハゲタカさんが旋回していて、眼下ではハゲタカさんが羽を休めています。

 背後を盗み見れば、今か今かと狙いを澄ましているハゲタカさんが私の周辺を飛び回っており、どこもかしこもハゲタカさん。ハゲタカさんパーティーです。


 なんたる人気か。

 もはやアイドルになって握手会でも開いた方がいいやもしれません。


 茸山登攀を敢行して数刻ほど。

 いつの間にやら、私はハゲタカさんに包囲されていました。


 よもやよもや、茸山がハゲタカさん方の住処とは思いませんでした。

 不自然に点在するガラクタを見た瞬間に思い至らなかった私の落ち度です。

 とはいえ、気が付いたところで打つ手はないのですが。


 おそらく道中で見つけたガラクタも下界から強奪してきたものでしょう。

 これからあのガラクタタワーの建材として運び出すのかは定かではありませんが、私がとうの昔に彼らのナワバリに闖入ちんにゅうしていたことは確かです。


 しかし、上述の通り、私に退くという考えはありません。


 茸山の山頂にねこさんがいるかもしれないという可能性が須臾しゅゆほどでも存する限り、私はどんな障害をも乗り越えて、ただひたすらに進み続けるのです。


「うおおお!待っててくださいねこさん、今お迎えに上がります!」


 と、威勢の良いことを言いつつも、ハゲタカさんに狙われている以上、そう易々と進むことはできません。


 数メートル登る毎に、ハゲタカさんは強襲を仕掛けてくるのです。

 その度に私は寸でのところで避けたり、進路変更を余儀なくされて、その足取りは遅遅としたものになってきました。


「うぉあぶない!」


 いまだにデッドラインは越えていないのか、はたまた以前の乱闘を警戒しているのか、幸いなことに一斉攻撃は仕掛けてきません。


 しかし、それも時間の問題でしょう。

 私が引く気がない以上、ハゲタカさんとの全面抗争は決定づけられています。


 果たして、この膠着状態がいつまで続くのか。

 私が頭を悩ませつつ、岩肌に生えている道路標識に手を掛けて駆け上がろうとした瞬間、我々の冷戦はいとも容易く崩れ去りました。


「ピィ―ッ!」


 数十にも及ぶけたたましい啼き声が茸山に響き渡りました。


 それを皮切りにして、様子見に徹していたハゲタカさんたちが一斉に襲い掛かってきたのです。


「うわ、ちょ。危ないですよ!」


 彼らは自らが壁に激突するのを厭わずに突貫を仕掛けてきます。それはさながら死兵のようで手に負えません。


 それでもなお、私は背後から絶え間なく飛来するハゲタカさんを紙一重でかわし続けます。


 母なる大地の上でならいざしらず、こんな四肢を封じられた断崖絶壁でハゲタカさんを成敗できるほど私もツワモノではございません。乙女チョップと合気道は無力なのです。


 猛攻は激しさを増していきます。

 もはや小手先の技術でかわし切れる領域もとうに過ぎ去りました。

 私の珠のお肌には幾多もの傷ができています。山頂に着くころには歴戦のソルジャーのごとき風格を身に付けてしまうでしょう。乙女的にそれはいただけません。


 一か八かです。

 どのみちこの断崖絶壁を越える手段には苦慮しておりました。

 ここはひとつ、以前のようにハゲタカタクシーを利用する時なのです。


 その場に留まって機を窺います。

 狙うは大きくて元気なハゲタカさん。

 掴まったはいいものの、重量制限であえなく心中は心苦しいのです。


 その間も彼らは絶え間なく襲い掛かってきますが、私はその全てを見切り、かわし続けました。


 そうした苦難の末、目星を付けました。

 ハゲタカさんの中でも一等に大きくて風格のある彼。

 彼ならば私を山頂まで無事に送り届けてくれるでしょう。


 避けて、堪えて、耐え抜いて。

 そしてついにその時が来ました。


 ぐるりと大きく旋回した大きなハゲタカさんが、猛スピードで突撃してきます。

 貫かれたらひとたまりもないそれに臆することなく、ただひたすらに待ち続けます。


 そして彼が射程圏内に入ったその瞬間、私は振り返りながら崖を蹴って、一気にハゲタカさんに襲い掛かりました。


 交わされるのは刹那の攻防。

 目と目が合ったのを感じました。

 そして、彼は瞳の奥で確かにわらったのです。


 私が屈強な猛禽の脚に手を伸ばした瞬間、彼はまるで予期していたかのように、ひらりと身を翻しました。


 虚空を握りしめた拳。

 遠ざかる景色を愕然と眺めます。

 一瞬だけ見えたその片脚には、真新しい小型動物の噛み跡が残っていました。












 落ち続ける人生というのも嫌いではありません。


 落ちるということはそれだけ昇ったということですし、落ちればまた昇れます。一粒で二度おいしい。そんな体験だと考えています。


 しかし、落ちれば痛いのもまた事実。

 私とて好んで落ちているわけではございません。


 膝小僧を擦りむいて、骨を折ったり、時には心が欠けてしまうやも。そんな危険を孕んでいるのですから、誰しもが敬遠します。


 ですが、落ちるのを避け続ける人生に果たして意味はあるのでしょうか。


 結論から言うと、あります。


 安定志向。手堅く、無難で、堅実に。

 大いに結構。痛い思いをしないならそれでいい。痛みから学べることはまた別のことからも学べます。


 むしろ石橋を叩きながら一つ一つを積み上げていく方が、結果的に理想に近付くことができるやも。

 私は安心安全の人生設計を応援するのです。


 思うに、人生というものはテストなのです。


 毎日、毎時、一分一秒が、目の前の現実というの名の答案用紙に答えを書き込んでいるようなものです。


 息が詰まるような日々に辟易とするかもしれませんが、ここで気を付けなければいけないのが、このテストの答案を丸付けするのも、今わの際にある自分自身なのです。


 けれど、私は今わの際までなんて到底待てないので、その場のノリで採点をしています。

 よくわかんないけど全問正解、不正解だけどこっそり正解、配点をめちゃくちゃにして百点満点中一兆点とかにしちゃいます。


 なぜなら楽しいから。

 これ以上の理由はありません。

 私はそんな楽しくて仕方がない私の人生が大好きです。


 大好きなことは曲げたくありません。

 初志貫徹です。


 そして大好きを貫いた先にある出来事なのですから、受け入れないという選択肢もございません。


 大好きを貫いて、落ちて、痛い目を見ても、それはそれで高得点を付けちゃいます。


 落ちても落ちた先で笑えばいいだけ。

 そんな覚悟のもと、わたくしの人生とは成り立っているのです。


「にしたって落ち過ぎではないか、友よ」

「私は煙のように上昇志向ですので、必然的に高いところへといってしまうのです。高みへ行けば落ちるのは必然。そうおかしなことではございませんよ」


 親犬に叱られる子犬のように、襟元をまめ次郎さんに咥えられながら、私はいけしゃしゃあとそう結論付けました。


 間一髪でした。

 茸山から落ちた時、さしもの私も綺羅星のような走馬灯の裏で地獄巡りのコース配分を考えてしまいました。


 しかし、持つべきものは頼りになるパグ界随一の美パグということでしょう。


 彼は無残に落ちていく私を助けてくださったのです。


「いや、それにしても奇遇ですね。もしやここら周辺が散歩コースだったのですか」


 私の呑気な物言いにまめ次郎さんは何かを言いかけたようですが、早々に諦めて嘆息しました。


「以前もハゲタカに襲われたとき、去り際に、次会うときはまた焼き芋を共に食べようと約束したではないか」

「おお、そういえばそうでした!」

「結局、その数時間後には再会してとても食べる暇はなかったからな」


 彼はふんすと鼻を鳴らして言いました。


「約束を果たすために友を探していたのだが、どこを探しても見当たらなくてな。もしやと思って茸山に来てみれば友が落ちているのが見えて、驚きより先に呆れが来てしまったよ」

「面目ありません」

「心にもないことを言う」


 これ見よがしに頭を掻いて舌を出してみました。すると、まめ次郎さんにまた呆れられてしまいました。

 無念。


「さて、友よ。これからどうする?いったん人里まで戻るか、それともこのまま山頂まで行ってみるか」

「いえ、そのどちらでもありません」

「ほう、その心は」


 まめ次郎さんへの提案はありがたいのですが、私は丁重にお断りしました。


 私とて茸山へ遠征する際、まめ次郎さんを頼ることは考えました。


 まめ次郎さんにタンデムをお願いすれば山頂までひとっ飛びです。一瞬にしてねこさんとのご対面が叶うでしょう。

 しかし、このねこさんを巡るラブロードに関しては、私は私だけの力で踏破しないと気が済まないのです。


 ――ねこさん、私はあなたに会うためだけに、私のすべてを懸けてここまで辿り着きました!


 そう胸を張って言いたいがための、いってしまえば下らない意地です。

 ですが、下らなくとも素晴らしき我が人生においては、こういう意地は宝物のように大切にしなくてはなりません。丁寧丁寧に愛でて、最後まで貫き通せると大幅な加点要素なのです。


「あそこに降ろしてください。私に妙案があるのです」


 指定した場所は断崖絶壁のさなか、おあつらえ向きに飛び出た岩棚。

 そこには様々なガラクタが積み上げられ、小・ガラクタタワーの様相を作り出しております。

 幸いにしてハゲタカさんの姿は見当たりません。総出で私に強襲を仕掛けていたようなので、ここの住民はいまだに上の標高にて警邏中なのでしょう。これは好都合です。


 まめ次郎さんを説得して運んでいただいている最中、私はずっと考えていました。


 私を謀ったハゲタカさん。

 彼こそが、私をガラクタタワーの天辺に導いたハゲタカさん本人なのです。


 脚の傷を見てピンときました。

 あれはまめ次郎さんの噛み跡です。


 屈辱だったのでしょう。あるいはまめ次郎さんをけしかけた私への報復だったのか。

 刹那に交わした視線の中で、彼はまんまと罠に引っかかった私を嘲笑っていました。


 こうなってくるとそう簡単には引き下がれません。

 私は負けず嫌いの淑女なのです。やられっぱなしなど言語道断。我が一族の家訓に反します。

 必ずやあのハゲタカさんを「ぎゃふん!」と言わせなければなりません。


 私が小・ガラクタタワーに降り立つと、まめ次郎さんは打ち捨てられたソファーの上でお座りしました。

 どうやら成り行きを見守ってくださるご様子。


 サムズアップして謝意を告げると、私は頭上でひしめくハゲタカさんたちをひと睨み。

 闘気に満ちた拳と共に声を張り上げました。


「ハゲタカさん、我が因縁の仇敵よ。私を敵に回すとどうなるか。その恐ろしさを教えて差し上げます!」

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