第8話

 事の顛末はひどく単純です。

 まめ次郎さん率いる一騎当千のお犬さんたちにコテンパンにされた雨龍黒うりぐろさんは、不承不承ながら私に謝罪をしてくれました。


 私としても特に気にしていなかったので、前回の呑み比べの際に雨龍黒さんを蹴ってしまったことと引き換えに手打ちと相成った形です。


 蹴られた当の本人である雨龍黒さんもそんなこと全く覚えていなかったようですが、為したことは覆りません。今回の件でお互い様になったとはいえ、私は正式にごめんなさいしました。


「そういえば、ケンさんはいらしていないのですか」

「ああ、奴は向こうに残っている。友に会うと家族が恋しくなるそうだ」まめ次郎さんは肩を竦めました。「その代わり、しかと伝言は預かっておいた」

「おお、それは素晴らしい!急いで佐東さんにお届けしなくては!」


 佐東さんのご自宅をたって早、数時間。

 現世は今頃ご飯時を少し過ぎたくらいでしょうか。

 佐東さんは今も私の帰りを待ち望んでいるはずです。

 彼女の心が少しでも早く救われるよう、私は早急に帰らねばなりません。


「雨龍黒さん、雨龍黒さん、少しよろしいですか」

「......なんだ」


 少し離れたところで丸まっている雨龍黒さんは、ふてくされるようにぐるぐると巻き上がっていて、大きな毛玉を思わせます。


 なんだかどこかで見たことがある光景です。

 私の存在に気が付いて、彼は億劫そうに顔を上げました。


「せっかくのお誘いでしたが、今宵はともにできなくて残念です。ですが、これも何かのご縁。もしよろしければ後日、改めて私からお誘いしてもよろしいですか?」

「......ふん。それで我の機嫌を取ったつもりか」

「まさか!私は負けず嫌いの淑女なのです。呑み比べで惜敗を喫したお相手が再び現れてお誘いしないほうが嘘というもの。すなわち、この呑みのお誘いは雨龍黒さんのためではなく、徹頭徹尾、私のためなのです!」


 雨龍黒さんがなのはもはや百も承知です。素直に謝意を伝えたところで受け取ってくれるとは限りません。


 ですので、私はぐりぐりに捩じくれて逆巻いた詭弁を弄して仲直りを図ることにしました。


 私の考えが通じたのか否か。

 雨龍黒さんはしばし沈黙したあと、むっつりと言いました。


「貴様はひとつ間違えている。以前の吞み比べは貴様の惜敗ではない。我の大勝だ」

「であれば、次はそれを証明してください」

「ふん、言われなくてもそのつもりだ!」


 たまった鬱憤を吹き飛ばすように、雨龍黒うりぐろさんは天に向かって大きな火球を吐きました。

 これにて私たちの間に蟠っていた禍根は清算です。


 そうして、まめ次郎さんやお犬さんに言葉少なく挨拶をすると、雨龍黒さんは雲海の中に消えていきました。


 雲の中でうねるその姿はまさに伝説上に存する龍そのものです。


 ややで素直じゃなくてやんちゃなところもございますが、彼とはこれからも良い関係でいたいと切に願いました。


「よし、我々もそろそろ帰ろう。あの世ではないとはいえ、ここはあまり人が長居していい場所でもない」

「そうですね。佐東さんをこれ以上お待たせするわけにはいきませんし、帰りもひとっとびでお願いします!」


 私の冗談めかした物言いに、まめ次郎さんはサムズアップで返してくれました。


「えー、帰っちゃうの」「まだあそぼうよ」「いっしょにご飯たべよう」「お昼寝もしたい」「かけっこしよ!」「かわいいボクをおいて行っちゃうの?」

「こらこら同胞よ、友は忙しいのだ。今日は抑えるんだ」

「やだー」「遊びたいのに」「もっと撫でて―」「かけっこしようよ」


 果たして、かつてこれほどまでにモテモテになったことがありましょうか。

 大小さまざまなお犬さんたちに迫られて私はニマニマとたじたじが止まりません。


 私はお犬さん一人ひとりと抱擁を交わしながら再開の約束を交わしました。


「今日は助けに来てくれてありがとうございました。今度お礼がしたいので、また皆さん会ってくれませんか?」

「うん!」「いいよ!」「楽しみ!」「かわいいボクが待ってるね!」

「はい!その時はたくさん遊んじゃいましょう!」


 別れ際では皆さんに飛びつかれてもみくちゃになる始末です。


 それはまさしくもふもふの洪水。

 バタバタと激しく揺れる尻尾が私の頬を幸せビンタします。顔中を舐められてとてもくすぐったかったのです。


 まめ次郎さんの静止がなければもふもふによる幸せな窒息死をしていたでしょう。本日で一番身近に死を感じました。


「それではみなさん、また会える日を楽しみにしています!」

「同胞よ、また会おう!」

「じゃあねー」「バイバイ!」「また会おうね!」「まめもまたね~」


 こうして、お犬さんたちに見送られながら、私たちの世界の果て紀行は幕を閉じました。


 残すところはエンディングのみ。

 佐東さんに笑顔を取り戻してもらうため、私たちは現世に急行いたします。











 閑静な住宅街。

 その一角にある一軒家の前に、私たちは降り立ちます。


「では、まめ次郎さん、準備はよろしいですか」


 ドアノッカーに手を掛けた私はまめ次郎さんに問いかけました。

 まめ次郎さんは「うむ」と仰々しく頷きます。


 現世は夜の帳が下りて久しい刻限です。

 夕餉も食べてお風呂にも入って、街の皆さんはゆっくりされていることでしょう。しかし、私たちの本番はこれからなのです。


 いわば、世界の果てでの珍道中は前哨戦に過ぎません。


 これから起こるすべてが今日という日の総決算となるのです。


 二転三転、空転回廊なお仕事日和でしたが、結局のところ終わり良ければ総て良し。


 ご存知の通り、私はそういう信条を掲げて日々を楽しく生きております。


 裏を返せば終わりダメなら全部ダメ、というリスキーすぎる一面も孕んでおりますが、そこは腕の見せ所。

 我が力こぶに込められているのは筋肉などではなく強靭なる運命力です。


 すなわち、思い込みと屁理屈、あるいはご都合主義を以てして、なんやかんやでイイ感じにしてみせる所にこそ、配達員としての力量が試されるのです。


 扉を開ける直前、どんよりと沈んだ佐東さんのお顔が脳裏によぎりました。


 彼女に涙は似合わないのです。

 いえ、暗鬱とした雰囲気はどこかアンニュイでアダルトな彼女にはある意味ではお似合いなのかもしれませんが、それは悲しみによってもたらされるべきものではありません。


 願わくば、私のこの行いが少しでも彼女に晴れをもたらさんことを。


 その一心で私はドアノッカーを叩きました。












 こうして、私の今日という一日は終わりを迎えました。


 思い返せば度重なる難事の連続で一日の長さを痛感いたします。


 明朝より出立した私は北の知蛇瀑ちだばく、南の明日仙あすせん、東西教へ寄り道した果てに、気が付けば世界の果てにまでお邪魔する始末。


 世界の果てでは大瀑布の雄大さに心打たれ、虹のたもとはぐるぐると回り回って疲れ果てた私の心を洗い流してくれました。


 雨龍黒さんとの長年の因縁にも決着が付き、今宵をもってして私たちの仲はさらに深まったと断言できます。


 今日という日を無事に終えた私はご機嫌なニコニコ笑顔でお店へと帰還したのですが、店長さんへお仕事のご報告をする際、魔法の水瓶を割ってしまったことを思い出して顔面蒼白。正直者の私は五体投地と共に報告をして案の定大目玉です。


 店長さんは寡黙で多くを語りません。

 しかし、口頭では簡素な厳重注意で済ませても、言外に放たれる圧は並大抵のものではありません。


 私の為した所業を考えればまったくもって当然こと。

 店長さんのお怒りはごもっとも。


 ですので、私の決意と覚悟を表明するために、今後はこのような不始末を犯さないよう誓約書を書いて血判と共に提出しました。


 店長さんはそれを受け取ると、まるでおばかを見るような目で私を見て、誓約書を破り捨ててしまったのです。

 遺憾の意を表明します。


 後日、佐東さんに改めて謝罪をしに行った際にそのことを話すと、これまた笑われてしまいました。


 曰く、そんなに責任を感じることはない。お仕事を頑張るのは大切だけれど、それ以上に自分を大切にしてね、と。


 不始末を働いた私になんと寛大なお言葉でしょうか。

 呑んだくれ横丁の先生方もそうですが、私の道筋に立つ方々のなんと素晴らしきことか。私も佐東さん方のような大海のごとき器を持ちたいものです。


 さて、語るべきことは終わりました。

 残るはエンディングである佐東さんとケンさんについてです。


 とは言いましても、私から語れることはそう多くはありません。


 事の顛末を掘り下げるとそれはそれは様々なことがありました。


 佐東さんがまめ次郎さんの喋る姿に驚愕する場面や、ケンさんの言伝をお伝えする一幕。


 鉛のような曇天が晴れ、一筋の月光を浴びた佐東さんは天女のような美しさでした。感動が感動を呼び、ついつい私と共に全米が涙していたことでしょう。


 ですが、それをつまびらかに語るようなことはいたしません。


 佐東さんとケンさん。

 残された者と残した者。

 かけがえのない家族のお話です。

 それのどこに余人が立ち入る隙があるというのでしょうか。


 あの時、あの瞬間の記憶は、佐東さんの胸の中にあってこそ、その尊くて眩しい輝きを放つのです。


 しかしながらそれでも。

 私からお伝えするとするならば。


 大切にされて、愛されて、死してなお想われたお犬さんが、現世にたった一人残した世界で一番大切な友であり、かけがえのない家族のことを大好きじゃないはずがないということ。


 そして、涙を流しながら呟いた感謝の言葉は、ケンさんにも必ず届いているということ。


 屋根の上に消えていった茶色の尻尾を見ながら、私は強く確信しました。











「アッ、虹の味見を忘れていました!」

「そんなこと考えていたのか......」


 じっとりとした視線を向けるまめ次郎さんもなかなかに乙なものでした。

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