第4話


 あの後、帰ってきたハゲタカさんたちを階段代わりに地上に舞い戻った私は、自然公園を抜けて閑静な住宅街へと足を踏み入れました。


 呑んだくれ横丁とはかけ離れた静けさです。聞こえてくるのは私の足音と吹きすさぶ風の音のみ。空を見上げるとそこはいつの間にやら薄暗い曇天になっておりました。


 比較的新しい家屋が並んでいて非常に綺麗な街並みなのに、どこかもの寂しいような、なんだか心細くなってしまうような。そんな不安になってしまうお天気です。だからと言って私の足が止まることはありません。私は私の使命を全うすべく、ただひたすら歩くのみです。


 そうして黄昏時に差し掛かった頃。紆余曲折で艱難辛苦の果てに、とうとう私は依頼人のご自宅に辿り着いたのです。


「ごめんくださーい」


 ドアノッカーを叩いてからしばらく。扉の向こうから一人の女性が現れました。


「どちらさまでしょう......?」


 気だるげな誰何に私は元気よく答えしました。


「申し遅れました、わたくし、雑貨屋ねこのいえ専属配達人でございます!本日はご依頼の品をお届けに参った次第です!」

「まあ、ご丁寧にありがとうございます。立ち話もなんですから、どうぞお入りください」

「ありがとうございます!」


 私を迎え入れてくれた貴婦人は佐東さんと名乗りました。おっとりと物腰柔らかで大変上品な出で立ちです。


 ですが、そんな落ち着きとはまた別に、彼女からはどこか物悲しい雰囲気が漂っていました。

 思えばそれは、この街が纏うどんよりとした空気と似ています。

 寂しくて、退廃的で、心細い。まるで未亡人を思わせます。


 佐東さんのうっそりとした瞳が私を捉えます。

 それを皮切りに、私は抱えていた子包みを佐東さんへ渡したのです。


「お待たせいたしました。こちらがご依頼のお品物です」

「わざわざありがとうございます。直接取りに行けたら良かったのですけれど、少し体調が優れなくて」

「それはいけません。どこか具合が悪いのですか」

「ええ、まあ」


 佐東さんは曖昧に微笑みました


「じゃあ、早速開けてみてもよろしいかしら?」

「ええ、もちろんです!かくいう私もお品がどのようなものか存じ上げないので、いささか興味があったのです」

「あら、じゃあ一緒に開けてみましょうか」

「喜んで!」


 興味津々の私は喜び勇んで佐東さんのお隣に駆け寄りました。

 そんな私を見て、佐東さんは微笑ましそうに笑いました。


 封を切って御開帳。子包みは多重構造となっていました。分厚い段ボールの中に桐箱が入っていて、隙間には緩衝材が詰め込まれています。

 佐東さんは桐箱を取り出すと、満を持してその蓋を開けたのでした。


「あら......」

「どうしたのですか?」


 困惑した声を漏らす佐東さん。そんな彼女を見て、私は思わず桐箱の中を覗いてしまいました。


 果たして、そこにはパッカリと割れた壺があったのです。


「こ、これは......!」


 思い起こされるのはこれまでの軌跡。

 知蛇瀑ちだばくへの長き道のりとハゲタカさんの襲来。


 特に後者が決定打でしょう。きっとハゲタカさんがガラクタタワーに安置するときに割れてしまったのです。


 許すまじハゲタカさん。


 と、こうして怒りに燃えることができれば些か楽ではありますが、それはお門違いでありましょう。すべては我が不徳の為すところ。


 ハゲタカさんたちには彼らなりの理由があってのこと。そも、私がしっかりと警戒していればよかったのですから、もはや言い訳の余地がございません。


 まさかの大失態に私は顔面蒼白でありました。

 ただの失敗ならともかく、配達人として商品を損壊するなど言語道断です。たとえこの世の誰が許そうともこの私のプライドが許さないのです。


 たとえ寄り道しようとも、回りまわって大団円。終わりよければすべてよし。私は常にそのような考えを持って生きておりますが、こればかりはいただけません。そもそもの終わりに辿り着けないのですから。


 もはや私に出来ることはただ一つ。


「かくなる上は腹を割ってお詫び申し上げます......!」

「いえいえ、そんな!気にしないでください!」


 懐から取り出した万年筆で割腹を強行しようとする私を、すんでのところで佐東さんが止めてしまいました。


「しかし、これでは佐東さんに合わせる顔がありません!」

「いいんです!もともとダメ元だったんです」

「なんですと、それはいったいどういうことですか?」


 腕の力を抜いた私を見て安心したのでしょう。

 佐東さんはしばしの逡巡の末、気だるげな瞳に一抹の悲しみを湛えて俯いたのです。


「私が依頼したのは、その......魔法の水瓶といって、死者と話すことができる道具...らしいです」

「なんと、それはすさまじいですね」


 少し失敬して箱の中から二つ折りになった説明書を取り出します。すると、そこには確かに「魔法の水瓶」と書かれておりました。


 使い方はいたって簡単。水瓶に真水を張って、その水面に向かって呼び出したい故人の名前を呼びかけるだけ。そうするとアラ、不思議。

 あの世と繋がった水面から故人が顔を出して楽しくお話しができるという寸法です。


 魔法の煙管もなかなかに素晴らしい魔法雑貨でしたが、今回の水瓶は人によっては垂涎ものの逸品でしょう。もちろん、それには佐東さんも含まれます。ますます壊してしまったことが悔やまれます。


「配達人の方に言うのは失礼なのかもしれないですけど、もう、縋れるものにならなんでも縋りたかったんです。あの子と、ケンちゃんともう一度お話できれば......いや、ただ一目見られたら、それで良かったんです。だからこうして拾ったチラシに書いてあった胡散臭い壺なんか買っちゃって、私ってほんと、バカみたいですよね......」


 佐東さんの沈痛な面持ちに拍車が掛かります。纏う雰囲気はまるで鉛のようです。そうしてとうとう感情が決壊したのか、悲痛に溢れた佐東さんの眦から涙がこぼれ落ちました。


 私はすかさず懐からハンカチを取り出して佐東さんに差し出します。

 彼女は礼を言って受け取ると、目元を覆って静かに俯きました。


 そこでようやく、彼女が纏う雰囲気の正体がわかりました。

 それは深い悲しみです。彼女はきっと、大切な人を亡くしてしまったのです。


 お化粧で隠している様子でしたが、目元にはうっすらと隈が浮かんでおりました。体調不良も寝不足からくるものでしょう。もしかすると食事もまともに摂れていないやもしれません。


 咄嗟に佐東さんを慰めようとして、しかし言葉が出てくることはありません。


 私はいまだ大切な人を亡くしたことがないのです。

 そんな小娘の薄っぺらな言葉がどうして響きましょうか。


 綺麗に飾り立てた言葉ならいくらでも並べ立てられます。同情と理解。それに類する上っ面の言葉を掛けるだけ。しかし、それが彼女の救いになるとは思えません。真に実感のない同情はむしろ新たな悲壮を呼びかねないのです。


 ゆえに、私ができるのは寄り添うことのみ。

 ただ佐東さんのお言葉に耳を傾け、彼女のことを真に理解できなくても、理解できるように心血を注ぐのです。


 私は佐東さんの隣に座り、優しく語りかけました。


「佐東さんは大切な人を亡くされて心を痛めていたのですね......ちなみにケンちゃんというのは?」

「......私が飼っていた犬です。茶色いコーギーなんですけど、笑顔が可愛くて、食いしん坊で、あの子が赤ちゃんの頃からずっと一緒にいて......けど去年の秋ごろに病気が見つかって、先週に......」


 佐東さんは溢れる涙を拭いながら続けました。


「視界の端に今でもあの子がいるんです。尻尾を振りながら駆け寄ってきて、いつも楽しそうな顔をしてるんです。変ですよね。最後の半年間なんてまともに動くこともできてなかったのに、今更そんなに動き回っちゃって。けど、とっても楽しそうなんです。とっても幸せそうなんです。......わかってます、これが幻だってことは。けど、そんな姿を見てたら気にならずにはいられなくなったんです。あの子は、ケンは私と居て幸せだったのか。最後の瞬間にケンが何を思っていたのか」


 どうしても知りたくなってしまったのです。


 そうやって結んだ彼女の言葉。込められた強い願いと悲壮に私は胸を打たれました。


 嗚咽を漏らす彼女に私が掛けられる言葉などありません。

 私はこの世界の犬という尊い生き物の真実を知っています。けれど、それを伝えてどうなるというのか。所詮、口先だけの慰めにしかなりえないでしょう。


 私はケンさんに会ったことがありません。ゆえにその気持ちを推し計ることなど到底できません。


 けれど、それでも言えるとしたら。


 それは、ここまでケンさんのことを想って泣いている佐東さんはとても家族思いの素晴らしい方だということ。


 そして、そんな方に思われているケンさんもまた、大変に素晴らしい佐東さんの家族だったのだということ。


 人間である私に犬の気持ちを推し計ることは出来ませんが、ただそれだけは不変の事実であると断言できます。


 しかし、外様である私がおいそれとそんなことを言ってよいものか。たとえそれがいかに本心のものであろうと、言葉というものは発言したその者の属性に強く影響されます。


 つまり、いくら綺麗ごとを並べても、てめぇに言われたかねぇッ!となる可能性があるのです。

 せめて彼女に近しい境遇の者か、あるいはお犬さんにお話いただきたいところです。


 ――こんな時にまめ次郎さんがいてくだされば......。


 と、思わず心中で悲嘆に暮れたとき、ピーンッと天啓が下りてきました。


「佐東さん!わたくし妙案を思いつきましたがゆえに、しばしお待ちを!」


 そう言い残すと、呆気に取られた様子の佐東さんを置き去りにして、私は颯爽と家を飛び出しました。


 思い出すのはまめ次郎さんと邂逅を果たしてしばらくのことです。

 犬の秘密をお聞きした後、近況をお話してくださったとき、彼は虹のたもとでほかの犬と話し込んでいたと仰っていました。


 そしてお話を聞くに、まめ次郎さん、ケンさんともにごく最近にしばしの暇をいただいたご様子。であれば、まめ次郎さんがお話した方々の中にケンさんがいた可能性がございます!


 無論、これは私の推測でしかありません。

 しかし、なかば確信に近い予感に、私の胸はグツグツとアツく滾っておりました。


「まめ次郎さん、これも一人の迷える淑女を救うため!いざ、御免!」


 人気のない公園のど真ん中。雲間から差す陽光のスポットライトの中で、私は胸元の犬笛を口にくわえて、思い切り吹き鳴らしました。






 ◇






 きらん、と。

 曇天を切り裂くきらめきが瞬きました。


 その光は一瞬にして雲を突き抜けると、流星のように大きな曲線を描きながらこちらに迫ってきます。


 あれは何だ。季節外れのサンタか、あるいは軟着陸を敢行する異星人か。


 否。その正体こそ、パグ界随一の美パグ、まめ次郎さんなのです。


「......友よ、いったいどうしたのだ。随分と早い再会だが」

「すみません、少々お力添えしていただきたく......」


 地上に駆け下りてきて荒く呼吸をするまめ次郎さんが落ち着くのを見計らって、私は事情を説明しました。

 すると彼は合点がいったように頷きました。


「なるほど、それで私を呼んだということか」まめ次郎さんは何かを思い出すように耳を掻きながら「ではまず初めに言っておくと、私はケンというコーギーを知っている」


 と、そう言いました。


「ほんとうですか!」

「うむ、間違いないだろう。聞く限り特徴も一致している」

「ではどうにかして連れて来てはくださいませんか」

「うーむ、残念ながらそれはできんのだ」


 私の懇願を受けて、まめ次郎さんは苦々しく首を振りました。


「我々犬には掟がある。一つ、人の友であれ。二つ、人を守りたまえ。三つ、人を愛したまえ。四つ、友に平等であれ。我々犬は人類の友だ。本来そこに区別をつけてはいけない。だが、それでも生涯をともに過ごした友はやがて家族となりかけがえのない存在となる。無論、私にとってもそうだ」


 まめ次郎さんの真っ黒な瞳に懐古の念が浮かび上がります。

 きっと彼は今、現世に残したもっともかけがえのない友、すなわち家族に想いを馳せているのでしょう。


 この時だけは、ガラクタタワーではあんなにも頼もしかったまめ次郎さんの姿が、なんだかひと回り小さくなったように感じました。


 しかしそれも一瞬の出来事です。

 まめ次郎さんはすぐに正気に戻ると、悩ましそうな眉間の皺をより一層深くしました。


「私だってできるなら会いたいし、会わせてやりたい。だが、皆がみなそうやってしていると、とりこぼす脅威が生まれてしまう。そんなことは許されない。犬は人類の友なのだ。ゆえに、心苦しいがその願いは聞き届けられない」

「そう、なのですね」


 ケンさんとまめ次郎さんがお知り合いなのかもしれない、という私の予感は的中していました。

 まさに花丸といってよいでしょう。


 しかし、それが実現するか否かは話が別です。いくら妙案を思いついたとて実行に移せなければそれは無力と変わらないでしょう。


 忸怩たる思いで己を責める私を見かねたのか、まめ次郎さん私の頬をぺろりと舐めて慰めてくれました。


「そう落ち込むな。合わせてやることはできないが、こういう堅苦しい掟とは往々にして穴があるものだ」

「それは、どういうことですか?」


 まめ次郎さんはニヤリと笑いました。


「なに、要は会わなければいいのだ。私がそのケンとやらから言伝を預かってくる分にはよかろう」

「なるほど、その手がありましたか!」


 まあ、相当グレーではあるがな、とはまめ次郎さんの言です。


 確かに、皆が皆ルールを破ってしまえば訪れる未来はどどめ一色でしょう。ですが、佐東さんの涙を前にしたとあればもはやそんなことは些事です。

 佐東さんに笑顔を取り戻すべく、私はひたすらに邁進するのみです。


 掟破りの配達員。

 なんだか格好いいじゃあありませんか。萎び鯉さんに羨ましがられてしまうやもしれません。


 掟を創ったのがどこのどなたか存じませんが、天罰とやらを下すのであればどうぞご自由に。このわたくしが全身全霊を受け止めて、そののちに菓子折りを持ってごめんなさいをしに行く所存です。


 ですのでまめ次郎さんのことはお許しを。

 私はお犬さんが可哀そうなお話は好みではないのです。


 そんなことを考えていると、まめ次郎さんは早々に準備を完了したようで、今にも駆け出す体勢に入っていました。


「それでは行ってくるが、用件はこれだけか?」

「待ってください、虹のたもとまで私も連れて行って欲しいのです!」


 そんな彼を私は静止しました。


 寝耳に水だったのでしょう。

 私の要求にまめ次郎さんは怪訝そうに片眉を上げると首を捻りました。


「それはいいが、いったいどうしたというのだ」

「虹のたもとへの旅路。それはさぞ困難でありましょう。しかし、配達人たるもの、その程度の旅程でへこたれているようでは話になりません。そして言うなればこれは配達依頼の延長戦。アフターフォローなのです。ご依頼の品をお届けできない代わりに、代替の品をお届けする。それこそが私に課せられた新たなる使命なのです!」


 別名を名誉挽回とも呼びます。

 しかし、それだけではありません。私はウソを好まない貞淑な淑女ですので今語ったことは紛れもない本心です。


 そして私は貞淑な淑女であると同時に、心に二十歳児が住まう淑女でもありますので、秘めたる下心というものもあってしまうのです。


 ケンさんがいらっしゃるのは虹のたもとであるとまめ次郎さんは言いました。


 虹のたもと。

 なんと心躍る響きでありましょう。


 私は夕立が晴れた後の虹が大好きなのです。

 幼き頃はそんな虹のたもとを見つけ出そうと躍起になっておりました。一日中さまよい歩き、しまいには国家公務員の方々にお世話になってしまったほどです。


 当時はいくら探せど虹のたもとに辿り着くことは叶わなかったのですが、今になってようやくチャンスが巡ってくるとは。人生なにがあるかわかりません。


 果たして、虹のたもととはどんなところでありましょう。

 そも、虹とは触れられるものなのでしょうか。


 雲は乗れるし食べられるという最高の塩梅でした。

 しかし、虹に関しては全くの未知数です。


 たもとというくらいなのだから橋なのかしら。


 いやいや、先入観はよくありません。

 まずは味を確かめてみるべきでしょう。


 強い決意を滲ませる表情の裏そんな阿呆なことを考えておりましたが、幸いにしてまめ次郎さんに悟られた様子はありません。

 彼は私の啖呵を訊いて感心したように頷きました。


「なるほど、そういうことなら否やはない。友との小旅行も一興だろう」

「ありがとうございます!」


 こうして、私は虹のたもとへの急行切符を手に入れたのでした。


 とはいえあくまでもこれはお仕事。しかも己の不手際から生まれ出でたものです。いつものようなお遊びは潜めて、粛々とした姿勢が求められます。


 私は厳めしい顔を作り、決意を新たにするのでした。


「まめ次郎さん!虹のたもとはどこですか!こっちですか!走りますか!」

「こらこら、そっちは逆方向だ。スキップしてないで戻ってこい」


 ダメでした。

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