第3話


 まめ次郎さんと他愛もないお話をしながら歩くことしばらく。

 ようやくそれは姿を現したのです。


 私は最初、それを吞みものの滝だと錯覚しました。


 アラ、ハイキングの途中に水分補給ができるように町長さんが設置したのかしら。


 なんてお間抜けに考えておりましたが、その正体を悟って、私は度肝を抜かれたのです。


 自転車、ベンチ、カラーコーン、物干しざお、中華料理屋の立て看板、どこからか引っぺがしてきた謎の扉、壊れた自動車、流木、屑鉄、エトセトラ、エトセトラ。


 森の中にあって突如開けた広場の真ん中に、それらが所狭しと積み上げられ、新緑の森に不釣り合いな猿山のごときを作り上げていたのです。


 高さはおよそビルの四階に相当するでしょうか。ここまで来るともはや立派な建造物といえましょう。


 塔を形成する建材の隙間にはこれまた小さなガラクタたち――お財布やハンドバック、あるいは水筒などなど――が詰め込まれ、その凝然ぎょうぜんとした雰囲気の一助を担っています。


 まるで柳城の石垣を思わせる壮健さに、私は思わず感嘆の溜息を漏らしました。


「まめ次郎さん、まめ次郎さん。これはいったい何なのですか」

「これはケナシケアリハゲタカのガラクタ置き場だ。人間から奪った戦利品をここにため込んでいるんだろう。だが、ここまで大きなものは私も初めてだ......」


 中天を突きささんばかりに屹立するそのさまは文字通りの悪行ジェンガ。


 ここまで高いとお天道様に見つかりそうなものですが、現実とはままならないものです。


「うーむむむ......?アッ!見てくださいまめ次郎さん、あんなところに私の子包みがッ!」


 燦燦太陽を背に、立派にそびえるガラクタタワーを仰ぎ見ておりますと、通天閣のそのまた上に、まるでしゃちほこのように子包みが鎮座しているのを見つけました。


 なんと不安定な姿勢でしょうか。

 そよ風に吹かれてゆらゆら揺れてひどく危うげです。バンジーの敢行までもはや秒読みなのは自明でしょう。


「いますぐお助けに参ります!」


 居ても立ってもいられず、私は駆け出して、


「待てッ、上を見ろ」


 まめ次郎さんの静止を聞いて急ブレーキ。すぐさま空を仰ぎ見ます。私はご近所では素直ないい子として評判だったのです。


 すると、そこに広がるのはわさわさと茂る緑に囲まれた弾けるような快晴。

 そして、その只中を悠々と飛び回る無数の大きな鳥たち。


 その正体こそ、まさに件の元凶であるケナシケアリハゲタカさんなのでした。


「ここから先は奴らのナワバリだ。もう一歩でも踏み込んでいたら一斉に襲い掛かって来ていただろう」


 まめ次郎さんの言葉通り、ハゲタカさんたちは私たちの遥か頭上を旋回しています。


 私には皆さん楽し気に羽ばたいているようにしか見えませんが、確かによく見てみると、時折こちらを窺うような気配を感じます。


 果たして、ハゲタカさんに奪われた子包みをいかようにして奪還するのか。


 とは言ったものの、私の中ですでに答えは出ているのです。

 まめ次郎さんには止められてしまいましたが、私は生来より孫悟空の化身とまで呼ばれた軽業師です。その身軽さと木登りには一家言どころか五家言ほどございます。


 そんな私ですから、たとえ空中のさなかでハゲタカさんに襲われようと華麗に躱して、なんでしたら悪行の限りを尽くす彼らを「メッ」と𠮟りつけることができましょう。


 無論、根拠はありません。


 そしてもうひとつ。私の心に住まう二十歳児が叫んでいるのです。


 ――天辺からの眺めを見てみたい!


 と。











 踏みしめた大地を蹴って、私は駆け出しました。


 思わぬ暴挙にまめ次郎さんは素っ頓狂な声を出しています。


 嗚呼、まめ次郎さん、申し訳ありません。

 私は私の裡から溢れ出る衝動に打ち勝つことは出来なかったのです。


 目指すはガラクタの牙城、その天辺。

 そこで私は奪い去られた子包みを小脇に抱えて深緑の大地を肴にほうッと一息つくのです。


 お仕事で疲れた体にこれほどリラックス効果のある休息もないでしょう。


 疲れた体にまったりエネルギーを補給して、再びお仕事へと繰り出す算段なのです。


 しかしそうは鳥さんが卸しません。

 ハゲタカさんたちは自らの宝の山へと近づく不逞の輩を察知すると、その身を翻して急転直下。

 矢のような速度で不埒な闖入者、すなわち私へと襲い掛かるのです。


 あのような大きな鳥に襲われてはひとたまりもありません。

 尋常の乙女であればくるっとUターンして一目散に逃げだすことでしょう。


 しかし、私は不退転の覚悟を秘めたる尋常ならざる乙女がゆえに、たとえ如何な怪鳥であっても立ち向かう所存なのです。


 飛来したるは第一の矢。

 眼光と頭皮をギラつかせたハゲタカさん。


 大きな鉤爪で私を大空の彼方に連れ去ってしまおうという魂胆なのでしょうが、舐めてもらっちゃあ困ります。


「ピィーッ!」


 なんて甲高い威勢とともに、その鋭い鉤爪があわや肩に触れるか否か。


 その寸前、私は振り向きざまにハゲタカさんの足首を掴んで、豪快に一本背負いをしたのです。


 バシンッ!

 という鋭い音とともに、ハゲタカさんは地面に叩きつけられました。


「次ですッ!」


 それから先は矢継ぎ早に襲い掛かるハゲタカさんたちをバッサバッサと叩き落としながら、着実にガラクタタワーへと歩みを進めるのみ。


 空から黒い影が雨のように飛来する様はまるで合戦かっせんを思わせます。


 しかし、この程度で我が歩みが止まることはありません。一本背負いと合気道、そして乙女チョップがある限り、我が覇道は安泰なのです。


「さあ、まだまだですッ!」


 楽しくなっちゃった私は気炎を吐いて、しゅッ、しゅッ、とシャドーボクシングなんかをしちゃったりします。


 もちろん、実際に我が拳が振るわれることはありません。暴力はよくないのです。


 しかし、その油断こそが命取りでした。


 わしッ、と。

 肩に感じる痛み、急激な浮遊感。そして、眼下に伸びていく母なる大地。


 そうです。

 右フックを振り抜いたお間抜けなポーズのまま、私はハゲタカさんに捕獲されてしまったのです。


「離してくださ......いや、やっぱり離さないでくださいー!」


 ハゲタカさんは私を抱えて急上昇。

 あっという間に木々を見下ろす高さまで来てしまいました。


 いかな私ほどのわんぱく乙女でも高所からの自由落下を止める手立てはありません。乙女チョップは無力でした。


 私に残された手段は「なむなむ」と唱えて神に祈るのみです。


「なむなむ、なむなむ、もう鳥さんに焼き鳥の食レポはいたしません、なむなむ......」

「なにを言っているんだ、友よ」

「......おや、どなたかと思えばまめ次郎さんではありませんか!」

「まったく、急に走り出すから何ごとかと思ったぞ」


 見ると、平然と話しかけてきたのはまめ次郎さん。

 なんと、彼はその四足でもって空を駆けていたのです。


 まるで天翔けるペガサスを思わせるその風体ですが、実態は両の腕にすっぽりと収まるパグがしゃかしゃかと空を駆けるのです。大変に愛らしいといえましょう。


 その可愛らしさに私は一瞬、状況に対する不可解さを忘れてしまいましたが、すぐに正気を取り戻します。


「なぜ飛べるのです?」

「それは私が犬だからだ」

「......なるほど、それは道理なのかもしれません」


 確かに、私は犬が空を飛んだ姿を見たことはありません。

 ですが、それと同時に彼らが空を飛べないと言っているのを訊いたこともありません。


 そして何より、ほかならぬまめ次郎さんが言っている。


 彼ほどのパグの言葉です。

 私は即座に納得したのでした。


「どれ、もののついでだ。イチからあのガラクタ山を登るのは酷だろう。このハゲタカを利用しよう」

「なるほど、妙案です」


 まめ次郎さんが提案した捷径しょうけいに唸りました。

 言うなればハゲタカタクシーといったところでしょうか。


 あの登攀困難であろうガラクタタワーにイチからアタックするのも孫悟空系乙女としては心惹かれるのですが、今この時ばかりはお仕事と我が身を優先せざるを得ません。


 逡巡の末、私は粛々とまめ次郎さんの言葉に従うことにしました。


「よし、では準備したまえ」


 はい!わかりました!


 と、私が返事も準備もする暇もなく、まめ次郎さんはハゲタカさんの足に思い切り噛みつきました。


 必然、ハゲタカさんは思わぬ痛みに虚を突かれ、「キェーッ!」という断末魔とともにその両脚からも力が抜けます。


 そして、すっぽ抜けた私は慣性の法則に従うがまま、ガラクタタワーに向けて発射されたのです。


 かなりの速度で空中に頬り出された私は存外に冷静な思考で事の顛末を受け入れました。


 なるほど、ハゲタカタクシーで頂上まで行くのではなく、この高さと速度を利用して私を射出するのが目的だったのですね。


「さしずめハゲタカミサイル、いや、ハゲタカカタパルトでしょうか」


 なんてことをうそぶいている暇はありません。

 眼前にはガラクタタワーが迫ってきております。


 このままでは正面衝突は免れません。ホットケーキのようにぺしゃんこになってしまいます。


 しかしお忘れなきよう。

 再三の通り、私は孫悟空系乙女なので、軽業には相当の自信があるのです。

 今こそその妙技をお見せする時なのでしょう。


「いざッ」


 重力と風を一身に受けながら、私は己に喝を入れました。


 狙うはただ一点。

 私が着弾するであろう塔の壁面からおあつらえ向きにこちらへ向かって飛び出している鉄棒です。


 こんなのもう、逆上がりをしてくれと言っているようなものです。


 もとは配管の残骸か、はたまた公園から奪取してきた本物の鉄棒か。その真偽は重要ではありません。大切なことはただ一つ。私を支えられるか否か。


 そしてその時は来ました。

 激突する寸前、私は腕を思い切り伸ばし、一瞬だけ頭上に位置した鉄棒を握り締めました。


 くるりと回る私の姿は体操選手のオリンピック金メダリストのようにキレと美麗さに溢れていたことでしょう。


 そうして勢いそのままに手を離してお天道様に大ジャンプ。

 身体を折り畳んでくるくると空中で三回転を果たし、しゅたりと着地いたしました。


 そうすると、アラ、不思議。

 そこは気が付くとガラクタタワーの天辺ではありませんか。


「ふー、いい運動になりました」


 額を流れる爽やかな汗を拭って、私は独り言ちました。












「ガラクタの 山築いて 幾星霜 素晴らしきはこの絶景なり」


 と、思わず一首したためたくなるような光景が眼下には広がっていました。


 見渡す限りの緑の絨毯。

 そして遠くに見えるは光子をまぶしたようなギラギラの海。肌を撫でる涼しい風に乗って潮騒が耳朶に響くような錯覚すら覚えます。


 試しに深呼吸をしてみました。

 森から昇ってくる清涼な空気が疲れた肺に染み渡ります。

 残念ながら磯の香りこそしないものの、確かに美味な空気に、私の心は癒されていきます。


「焼き鳥を少し残しておけばよかったです。この景色を眺めながら食べる焼き鳥はさぞ絶品でしょうに」

「それならいいものがあるが、どうだ」


 塔のへりに腰かけていると、すぐ隣にまめ次郎さんが座りました。足を横に投げ出したような可愛らしい座り方です。俗に言うパグ座りですね。


「ハゲタカどもは追い払ったが、あの調子では性懲りもなく悪さをするだろう。なにせ奴らは鳥頭だ」

「まあ、彼らにも彼らなりの矜持があるのでしょう。頭ごなしに𠮟りつけるのは酷です」

「心優しいのだな」


 まめ次郎さんはぶふぅ、と口元の《たふたふ》を震わせて笑うと、懐から銀包みを取り出しました。


「私の友が旅のお供にと持たせてくれた焼き芋だ。せっかくだ、共に食べないか?」

「喜んで!」


 まめ次郎さんが肉球を器用に使って焼き芋を割ると、中からねっとりとした黄金色が姿を現しました。ホクホクと湯気を踊らせていて、まるで「ついさっき焼かれたばかりだよっ」と芋が主張しているようです。


 手渡されたそれに私は一もなくかぶりつきました。


「美味しいです!」

「それは何よりだ」


 そうして、私たちは夢中になりながら焼き芋の暴力的なまでの甘さを文字通り甘受したのです。


 もちろん、子包みも忘れてはおりません。登頂して早々に回収しております。


 そして私は学ぶ淑女ですので、今度は脇に置くことなく、胸の中で抱き込むことで完全ガードの構えです。

 これでハゲタカさんの逆襲にも万全に対応できます。もはや死角はありません。


「そういえば、友よ、先ほどの行動は少し早計ではないか。ハゲタカどもに襲われているキミを見たとき私は肝が冷えたぞ」

「申し訳ありません、私、一度決めたらなかなか止まらない性分なのです」

「イノシシでもあるまいに」

「いいですね、猪突猛進ということですか。私の好きな四字熟語です」


 ちなみに、他には横行闊歩、勇気凛々、酔生夢死なんかも好きなのです。


「まったく、キミは危なっかしいことこの上ないな」

「面目ありません」

「心にもない言葉だ。だが、いい。それがキミの良いところでもあるのだろう」


 そう言うと、まめ次郎さんは懐から小さな笛を取り出しました。


「それはなんですか?」

「犬笛だよ。といっても、この音色が聞こえるのは私だけだがね。これも何かの縁だ。私はもうしばらくは暇をしている。何か困ったことがあったら遠慮なく呼び出してくれ」

「なんと、そんな貴重なものをいただけるのですか!」


 私はまめ次郎さんから受け取った犬笛のストラップを首から掛けました。


 これでいつでもまめ次郎さんとお会いできます。しかし、彼も多忙なパグなのです。これは虎の子として我が胸元で大事にぶら下げておきましょう。


「では、私はここらで失礼するとしよう。失せものには十分に気を付けたまえ」

「はい!今日はありがとうございました!」


 私は立ち上がって深々と頭を下げました。

 彼が現れなかったら私は未だに途方に暮れていたのでしょう。


 彼との出会い、そして人を愛するあまねくすべての犬への感謝を込めて、私は感謝の言葉を告げました。


「友よ、キミと再び相まみえることを楽しみにしている。次会うときはまた今日のように焼き芋を食べよう」


 そう言い残して、まめ次郎さんは風のような速さで空の彼方に消えていきました。

 その姿を見送った私は思い切り伸びをして息を吐きました。


「さて、私もお仕事に戻りましょう」


 と、そこで気が付いたのです。


「あれ、私はどうやって下りればいいのでしょう」


 まめ次郎さんが残した飛行機雲のような軌跡を眺めながら、私はしばし思案に耽るのでした。

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