第三話「森の獣医さん」
フォスシルは再びそっとリンクの体を持ち上げると、
口に咥えたまま走り出した。
(叶うことならあいつのところなんて行きたくなかったが…)
トッ、トッと軽くなれた手つきで崖を降り、森の端っこを曲がって、
うねうねとした道を走り抜け、川を越えた先の森…
サンハシ森林に、フォスシルは訪れていた。
「おい。急患だ、起きろ」
森の中に突然現れた丸太の小屋。そのドアを前足でガリガリすると、
少しして中からチリンという音が聞こえてドアが開いた。
「やぁ、フォスシル。君がここに来るのは珍しいね」
銀色の髪の毛に、翡翠の髪留めをした人間の姿が、そこにはあった。
「君の人間嫌いはもう治ったのかい?」
「うるさい。急患だ」
フォスシルが一歩下がってリンクのことを見せると、
少し驚いた表情をした後に「こっちへおいで」と手を広げた女性。
彼女の名前を、アンゼルと言った。
部屋の中にフォスシルが上がると、咥えたリンクを優しく抱き上げて台の上に乗せるアンゼル。手慣れているのか、すぐにオケやらつんとする匂いの液体やら
包帯やらを持ってきて処置を始めた。彼女はこの森の獣医さんなのだ。
「治るか」
「治すよ。私は医者だからさ。」
「…フン。まぁ、飛んだ物好きに変わりないな。
森の中に罪滅ぼしで動物の世話をする奴なんて。」
「ひどいなぁ、これでも君たちに感謝しているんだよ。ここにおいてくれて」
「癒せる能力があるのは動物たちにとってもいいことだ。
森の主も山神様も、許してくださる」
「神さま…ねぇ。」
手は動かしながら、どこか何かを思い出したような、何かを懐かしく見るような、
そんな目をしたアンゼル。
「さぁいったいった、終わったら伝えるからまたおいで。」
「そうする。」
フォスシルは小屋を後にした。人間の世界のことはよくわからないが、
あの細い5本の指を繊細に操っているのだろう。集中力を欠いてもいけないからな。
しばらく、アンゼルの庭でのんびりと過ごした。ここは人間が住んでいるとは
思えないほど穏やかな草木と、綺麗な花々が育てられている。
リスもネズミも、フェレットなんかも遊びにやってくるところを見ると
アンゼルはうまくやっているようだ。
フン、と鼻を鳴らして地面へ伏せた。暖かい日差しの陽気が気持ちいい。
しばらくの間そうしていると、一時間くらい経っただろうか。
小屋の中からチリンチリン、という音が聞こえて彼女が小屋の中から出てきた。
「終わったよ、お父さん」
「誰がお父さんだ」
「ふふ、この子を拾ってきたんだろう?お父さんじゃないかw」
「黙れ。…で、どうなんだ」
ドアの前で体を壁に寄りかからせて足を軽くクロスし、
腕組みをしているアンゼル。チラッと中を見るようにして続ける。
「結構ひどい傷だね。噛まれたような後に引っ掻き傷…
何か高いところから落ちたんだね、かわいそうに。細かいかすり傷とか、
打撲やら骨折やらも見受けられたよ。どこで拾ってきたんだい?」
「ワカサギの麓の崖の下で、こいつが倒れていた。」
「…落とされたのか……。獣の世界も難儀だね。
ご飯もまともに食べられていないのか、体が酷く痩せていたよ。
しばらくはここで安静にするべきだ。」
「わかった。ならお前に頼もう」
後ろ姿を見せて歩き出したフォスシルに、アンゼルがいう。
「様子くらいは見にきてあげなさいよ〜」
「わかっている」
ト、とジャンプして茂みの中へと消えていったフォスシルを見て、
もう…と言った様子でため息をつくアンゼル。
「この子が獣人種だってこと、あいつ分かってんのかね。」
__________________
それから数日、リンクは高熱にうなされていた。
未だ意識が戻らないリンクのために、アンゼルは薬を調合しているところだ。
『う…、うぅ、いたい、いたいよ…』
眠りながら悪い夢を見ているのか、ポロポロと泣き出すリンクを
アンゼルは優しく撫でてあげる。穏やかな母のような声色で、
「大丈夫。もう、大丈夫だ。」といえば、聞こえたのか否か、またリンクは
うんともすんとも言わなくなってしまった。
「…よし。できた。あとは点滴に繋げば少しは楽になるかな…」
リンクにさした針の先についているチューブを取り外し、薬を入れた点滴薬を
装着して足を戻す。栄養剤の要素も入れたから、しばらくの間は大丈夫だろう。
やれることはやった。あとはこの子が、生きたいかどうかだ。
見れば足の筋肉が硬くおぼそかながらも発達している。
ずっと追いかけ回され、日中も走り回っていたのだろう。予想は大体ついた。
この子を診断したからわかる。この子が獣人種だからだ。
獣族にとって、人間は忌み嫌うべきとはんば洗脳がかっている風潮が広がるほどの
天敵だから…この子は当てられてしまったんだろう。
痩せこけているのに足元は必死に走ったのか、泥に塗れて爪も削れていた。
水とタオルを持ってきて、タオルを湿らせ体を拭く。
ろくに休憩も取れていなかった体なのがよく分かった。
刺激しないように抱えながら、ゆっくりゆっくりと泥を落としていく。
(まぁ、森の中で生きる野生の動物なのだから、少しくらいは許容範囲か。)
ゆっくり鼻歌を歌いながら、アンゼルはリンクの痛々しい体を見て
人間のことを思い出していた。
人間がしたことは、動物たちにとっては許し難いものばかりだ。
住処である森を切り裂き、森の住人たちを狩って毛皮を楽しんだり、あまつさえ
食べるための狩りではなく嗜好の一環として遊びながら命をもいだ。
人間の主観と動物の主観はちがい、住む世界は違う。
だが、こんなにも相反してしまうものなのだろうかとアンゼルは気を落とす。
自分が人間だからこんなことを思うのだろうな、と笑うと
膝下のリンクがぴく、と動きを見せた。
「やぁ、起きたかい?」
『…?』
見慣れない影、嗅ぎ慣れない匂いでいっぱいのこの場所に、
朦朧とした意識ながらも疑問を覚えるリンク。
そんな様子を見て、アンゼルは笑いながら優しく状況を説明した。
「薬が効いたかな。ここはサンハシ森林。
ワカサギの森からは少し離れた場所にある、森の獣医さんの家だよ。」
『じゅう…い…、さん…?』
「動物たちの面倒を見る人のことだ。人間は嫌いかい?」
『にん…げん…?』
「そうさ、私はアンゼル。ここで獣医をやっている人間なんだ。」
『アンゼル…にん…げん……にん…げん……???』
どうしてここに人間がいるのか、リンクは理解が追いつかない。
森の中に少しでも人間がいようものなら、動物たちに追い払われるか襲われるか、
食べられてしまって終わりだからだ。そこでじゅう…い?というのをしている?
どういうこと?と思って体を起こそうとするも、うまく力が入らない。
なんだか体が軽いような、重いような、ふわふわとした感覚でうまく掴めない。
「まだ動かないほうがいいよ。薬が効いてるはずだから。
鎮静作用があるから、熱も楽になってるはずだけど、初めての薬品投与だし
しばらくは安静にしておきなさい。人型になれればまだ対処は簡単なんだけど…
獣人の回復力を見ると、そのままの方が良さそうだよね。」
『…?……?』
「あぁ、ごめん。私はアンゼル。アンゼル・レトリー、それだけ覚えておいて。」
『あんぜる…れと、リー』
「そうさ。私はアンゼル。君の味方さ」
優しく包み込むような笑顔で笑うアンゼル。優しく頭を撫でられて、
何が何だか混乱していたリンクは少し安心した。
こんなふうに、親からも毛繕いをしてもらったことがないリンクにとっては、
十分すぎる優しさだったのだ。
どうしてここに人がいるのかはわからないけど…
でも、とても落ち着いた彼女の声が優しく、そして落ち着いた。
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