第6話 極楽浄土へと
突然、鈴木の動きが鈍った。
春香の首から手が離れる。
鈴木が崩れ落ちる。
身体中に痺れがきているはずだ。
良かった。間に合った。薬草の効き目が現れる前に春香が殺られちまう、と焦ったぞ。
俺の体中の筋肉から骨から力が抜ける。全身の毛穴から疲労がどっと溢れ出す。もう俺が出張らなくとも大丈夫だ。春香ひとりで全て片付けられる。いつものように俺は扉の奥で盗み見しながら待っていればいい。
いつの間にか雷雲は去ったらしい。雷鳴も風雨の音も聞こえなくなっていた。
「おおきに~。鬼ごっこは、えらいスリルがあって、楽しおしたえ~」
春香は動けなくなった鈴木を見下ろしながら微笑みかけた。
春香の笑みは、けっこう〝ク〟る。
くるりと回転すると美女から鬼に変身するカラクリ人形のように。あるいは人形浄瑠璃で娘の顔が一瞬にして角を出し牙を剥いた鬼面になる、〝がぶ〟の首のように。
仏教者らしい柔和な笑みから突如、表情が一変する。
天女から夜叉へ。
まさに慈悲深い観音菩薩から夜叉の変化身に変わる。
背筋が凍る。
不気味さが俺には堪らない。
「走り回らはったさかい、薬の効き目が早ぅ出たみたいどすなあ」
春香の抵抗も激しい怯えも、すべてが観客である俺に対する小芝居だったのか。
俺をはらはらさせ、愛を確かめるための……。
いや、俺を苦しめるための。
俺の動きを封じたのは、鈴木の超能力ではなく、春香の〝法力〟だったのではと思えて来た。
「自称、鈴木はん~。こないな荒れ寺にようこそおこしやす~」
春香は、鈴木の横に正座し深々と礼をした。
「うちは男はんを〝食らう〟ために精魂こめて薬草を育ててるんどすえ」
春香が苦心して調合した薬草は、感覚を奪うことはない。むしろ性的興奮を高める。ついでに言えば気の毒なことに五感全てが鋭敏になる。
「今からうちが、あんたはんを〝食べ〟させてもらいますえ」
身体の動かぬ男を女が抱く。いや犯すのだから〝食う〟には違いない。
「鈴木はんは死姦でしか感じられんて言わはりましたが、あんじょう感じさせてあげまっさかいなあ」
『ついでに、苦痛のほうも』と、言わないのが、犠牲者のためだろう。
「さあ、ほんまもんの、この世の極楽浄土へお連れしますえ。嬉しおすやろ~」
春香は鈴木のスーツをゆっくりと脱がせ始めた。
鈴木は抗う素振りを見せるが抵抗は不可能だった。
いい気味だ。
「いつもやったらうちが男はんを選んで蜘蛛の巣ぅに誘い込むのに。わざわざあんたはんから飛び込んで来てくれはった」
誘いに乗った男が攻め、途中で薬の効き目が現れて春香と男が攻守交代となり……というシナリオだった。だからわざわざ即効性がない薬を使っている。
鈴木が春香好みの男でなければどうなっていたろう。春香は食事に薬を盛ることもなく、適当にあしらって帰しただろう。
薬の力を借りねばどうなっていたか。いきなり殺害に及ばれる場面が頭を過ぎり、俺は身震いした。
春香の足下に墨染めの道服が滑り落ちる。
道服の下に着ていた白衣が目にも鮮やかに光を放つ。
帯を解き白衣と肌襦袢を脱ぎ捨てると、絹の白衣に劣らぬ純白に輝く素肌が現れた。
春香の肌を法灯が照らす。
影が、奇妙な生き物のように白い肌に揺らめく。
「ほんまは鈴木はんかて、生きたおなごはんとしたいて思てはったんどっしゃろ。うちが、あんたはんの願いを叶えて差し上げますえ」
春香は、哀れな鈴木を、今まで経験したことのない快楽へと誘う慈悲深い観音だ。
春香の愛撫で鈴木の中心は屹立し始める。
俺は春香と鈴木の濡れ場を見詰めながら、どんどん上り詰める。春香が下の花弁から男を喰らう。
そしてそのあとは……。
死後の静寂は、むしろ慕わしいものだ。だが死に到達するまでの耐え難い苦痛や動揺、悩み、後悔は恐ろしい。
恐ろしいから甘美だ。
俺は堪らず、一回目の絶頂を迎えた。
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