第1話 アムルラビットの真紅の爪付き肉球(6)
起きた時、陽は中天に差しかかっていた。まどろんでいたのは、3時間ほどだろう。リオナにはそれで十分だった。
アムルの森。歩いて一日。しかし、自分の脚力なら急げば完全に暗くなる前に着くことが出来るだろう。
明日は休館日というのが、また都合が良かった。博物館の警備は、館外で見回りの連中が行ってくれる。筒に入れた少量の水と、袋の中の携行食、一塊の羊肉、そして短刀一つ。それで十分だ。博物館と隣接した敷地内にある、リオナの今の部屋と同じく、余計なものは持たない。
「あの時」と比べれば、恵まれすぎている。
あの凄惨な数日間に比べれば。
頭の中を闇に支配される前に、リオナは外に出た。
外気と同時に、博物館周辺の喧噪が、ここまで伝わってきた。だがリオナは、それとは反対、街の方へ足を向けた。
レアアイテム博物館。固有名称はなく、それが正式名として、ここ城塞都市シェルナの設備登記簿にも記載されている。創設者には、ユメリアの父、ブラットン=デニツァードを主として、有志数人の名前が記されている。リオナは正確には記憶していないが、設置からもう三十年以上は経っているはずだ。
現館長のユメリアはブラットンの一人娘にあたり、当時まだ十才の彼女が二代目館長に就任してから、現在までまだ二年すこししか経っていない。当時の創設者の面々は、揃って引退しているか、存命していないかだという。
リオナがブラットンと知り合った頃。まだ自分も、少年と言える年齢だった。そしてユメリアは、ブラットンの膝ほどの身長しかなかった。そのときの記憶を、敢えてリオナは思い出すことはなかった。本来であれば、思い出したくもない出来事。だが、今朝の話で、思い至るところがあり、それが再度リオナの重い記憶の扉をこじ開けることになったのだ。
リオナは、やや下へ傾斜する坂道から、建物全体を見上げた。
博物館は、人口が十万以上とされる、ただでさえ広大なシェルナの、最北東に位置する小高い丘の上にあり、その標高は国家の中枢となるシェルナ城に次いで二番目になるという、立地としてかなり恵まれた条件下に建設されている。
ぱらぱらと、これから博物館に向かう人たちとすれ違う。今日は祝祭日ではないので、年寄りや、小さな子供連れの女性が多い。勿論、若い男性もいたりと、博物館の全体の客層は幅広い。そんな人々を横目に、常緑樹に囲まれた石畳の坂道を行き、市街地までリオナは降りてきた。
仕事に向かうらしき、せわしい様子の男性。昼時の買い物を楽しんでいる婦人。買い付けたのか売り込みにいくのか分からないが大きな荷物を抱える商人や、商品を陳列し呼び込みの声出しに余念のない商店。これぞ城塞都市シェルナという賑わいの中、リオナは真っ直ぐ街の端まで向かった。
眼前に、この都市の威厳を内外に大きく放っている城壁が迫ってきた。
城壁近くに構えている越境事務所とその手前に拡がる広場。そこには、長く本格的な戦乱のないシェルナに仕えている、人の斬り方さえ忘れていそうな見張りの兵士だけではなく、これからシェルナで商売を始めようとしている行商人、もしくは既に今日の仕事を終え、自分の町や村へ帰っていく隊商など、多くの人の溜まり場となっていた。
懐の身分証を手に取り、城壁の外側に出る手続きを取ろうと列に並ぼうと思ったところだった。人の群の中から、突如、ひょいと影があらわれた。
「待ってたよ、リオナちゃん。じゃあ、いこっか」
ユメリアが、リオナの前に立ち塞がった。
「ユメリア――」
なぜここに、というリオナの言葉を予測していたかのように、ユメリアはちっち、と素早く人差し指を前に突き出して言った。
「館員の私生活をきっちり把握するのも、上司たるものの務めかと思ってね」
すると今度は、城壁のほうから、クローゼの朗らかな声が聞こえてきた。
「ユメ館長、早速外に特注の貨車を用意しましたよ。これなら、急げば今日中にはアムルの森に行って帰ってこれそうですね。あ、師匠、ほんとにいた!」
一気に、リオナの周囲が賑やかになった。ふう、とひとつ息をつく。
「館長に行動を予測されるなんてな。だが、遊びに行くんじゃないんだぞ」
「分かってるよ。今朝の話を聞いていたら、ひょっとしたらリオナちゃん、確かめに行くんじゃないかなって思ってさ。気になったからこうして山を張ったんだけど、結構自信はあったんだぞ」
二人の話を聞いていたクローゼが、何のことか分からない、という風に首を傾げた。しかしユメリアは構わずリオナに言った。
「クローゼは私の荷物持ちね。ひょっとしたらリオナちゃんの格好いい姿を見れるかもよ、と言ったら尻尾振って付いてきてさ」
「はい! ユメ館長、ありがとうございます! 師匠、よろしくお願いします!」
「私の護衛も兼ねてるから、リオナちゃんはきちんと目的を果たしてよ」
「まだ俺も遭遇できるか分からないけどな。とりあえず行ってみるかと思っただけだ」
だが、貨車でいくことが出来るのは、体力の消費も抑えられるのでリオナにも異論はなかった。安全面も、ユメリアの言うとおりクローゼがいれば、アムルの森では問題ないだろう。危惧した事態にぶち当たったら、予定どおり自分が対処すればいい。
「ようし、じゃあ行くか。クローゼ、食料とおやつはちゃんと持ったか!」
「はい、ユメ隊長、じゃなかった、館長! なんだか、遠足みたいでわくわくしますね!」
浮かれた様子の二人に一抹の不安を覚えないでもなかったが、今更追い返す術を持っているわけではないので、大人しくリオナは引率者の役割を果たすことにした。
国境事務所で出国の手続きをしたのち、三人はクローゼが調達してきた荷車に乗り込んだ。馬よりやや足腰の頑丈なペイルホースというモンスターに曳かせる型の馬車で、馬よりは割高だが早く目的地に到着できる。どうやらユメリアが奮発したようだ。
綱を握る業者は目的地を聞いただけで、黙ってペイルホースを動かし始めた。その、馬よりも長く天に向かって伸びる赤いたてがみが、荷車の振動と共鳴するように左右に揺れる。
「しゅっぱーーーーつ!」
「おーーーー!」
ユメリアとクローゼの声を受け、ペイルホースが煩そうに首をぶるっと震わせた。
次の更新予定
レアアイテム博物館の最強警備兵 はやつぐ @hayatugu
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