第1話 アムルラビットの真紅の爪付き肉球(5)

 プラムがそう言うと、扉から、清潔そうな白衣に身を包んだ研究員が、一辺が成人男性の肩幅ほどもある容器を丁寧そうに抱えて入ってきた。

「まあ、かわいい!」

 ネネアがその箱の中身を見るなり、黄色い声をだした。バケットは、容器から取り出されたそれをまじまじと眺め、顔をあげた。

「これは、アムルラビットの……肉球?」

 リオナも、目の前にある物体に見覚えがあった。アムルラビット。アムルの森を代表する、兎型のモンスターの一種だ。凶暴性は大してなく、全長が一般の兎を少し大きくした程度の、新米冒険者の鍛錬の相手にはぴったりのモンスターである。

 その、薄桃色をした兎の手足。ただし、通常の兎と違い、大きさが成人男性の手のひらほどもある。この大きな手で、獲物を捕まえたり、穴を掘ったりするのを、リオナも何度か見たこともあった。

「その肉球は、勿論成長するにつれ大きくなるのですが、完全に成長したら独り立ちの時期となるわけです。親子連れでいる時期は、つきっきりでその肉球の使い方を親が教えているので、小さな子供向けの絵本などにも引用されることが多いですね。そして、親子そろっての最期の夜は、子供が初めて一人で作った穴蔵で過ごすそうです。翌朝、子は独り立ちをします。感動的ですよね。それを題材にした絵本に私なんて子供の頃――」

 バケットの長くなりそうな解説に、ユメリアは、構わず続けろ、と顎でプラムに指示した。

「おほん。これは、ただの肉球ではない。この隠された爪を見てくれ」

 と言って、プラムはおもむろに肉球とふわふわした表面の中間地点をまさぐった。その大量の毛の奥から、にょきっと一本の、真紅の爪が飛び出した。

「こ、これは美しい!」

 解説を途中で止め、バケットが弾んだ声をだした。

「調べたところによると、これは骨の一部みたいだな。もともとアムルラビットには、手足に普段使われない一本の骨があるんだが、それが何かしらの条件下で、こうやって表面近くにせり出してきた。その状態のこいつを倒したところ、根元からこの手がポロリと落ち、件の冒険者が拾って持ってきた、ということなんだが」

「ふーん。これは中々いい見世物になりそうじゃないか。見た目も可愛いし、本体の姿と同時展示すれば目を引くぞ。業者に依頼してキーホルダー等を作れば、土産物売り場もまた充実するかも……」

 いつの間にかアイテムの側まで近寄っていたユメリアが言った。その欲まみれの発言を無視するように、バケットが観察を続けている。

「これは……ちょっと冒険者が細工で作れる、というレベルの代物じゃないですね。確実にこの毛の奥から生えている」

「そうだろう? でも、こいつを倒した時の状況というのが、剣で斬っただけです、ときたもんだ。こちらとしても、はいそうですか、とは言い切れなくてな」

「それで、その冒険者は今どうしてるんだ?」

 リオナが聞くと、プラムが、お、とこちらを向いた。

「美男子、ようやく発言したな。それがまた困ってな。間違いなく斬撃によってこのアイテムを発見したのは俺だ、だからとっとと自分の名前を発見者欄に登録しろ、とがなり立てているんだ。気性の荒い冒険者なんて珍しくないんだが、今回は内容が内容だけに、おざなりにできなくてな」

 公立のモンスター目録には、モンスターの生態が記されるのは勿論、そのモンスターから持ち帰れる部位、つまりアイテムとして一般市場に供されるものの名称や詳細も記載される。何も考えずに倒すだけで保管できるものは通常アイテムとして区分されるが、中には倒した直後、腐敗や霧散によって消滅し、街まで持ち帰るのが困難なものや、通常の条件下ならモンスターから発生すらしないものもある。しかしそれが特殊条件下で保存、収集されることに成功し、街の研究所まで持ち帰られたものが、レアアイテムとして区分されるのだ。そしてその持ち帰った冒険者は、無事そのアイテムが研究所の精査を通過されると、第一発見者として目録に名前が刻まれることになる。

「必死になる気持ちは分からなくはないですけどね。目録に自分の名前が載ったら、冒険者として格があがりますから。有益なクエストも受けやすくなりますし」

「女受けもよさそうだしな」

 ユメリアが俗な意見を付け足す。

「実際に、研究所ではアムルの森を訪れて、試してみたのか」

 リオナの問いに、プラムは力無くああ、と答えた。

「当然、試してみたよ。だが剣で倒しても、全て骨は腕の内側、つまり本体の側に収まったままだった。こんな状態のものは一個として手に入れることが出来なかったよ。もともと、よく知られたモンスターと討伐方法だ。研究員も、そんなに数は試していない。しかし剣で倒したという冒険者の主張は揺るがない。ほとほと困り果ててな」

 うーん、とバケットが腕を組んだ。

「確かに。いっそのこと特殊な条件下を示してくれればいいものの、斬撃だという主張は変わらない。でも現にこうしてこのアイテムはここにある。うーん、不思議だ……」

「だから、私たちを頼ったと。つまりこいつは、【要収集情報】区画行きなわけだ」

「そうだ、ユメリア氏、いや、ユメリア館長。早速、その手続きに取りかかりたいんだが」

 プラムからの正式な要請に、ぽん、とユメリアが手を叩いて応えた。

「よし、そういうことなら、当博物館は大歓迎だ。今すぐ手配を進めるぞ。そこの学芸員が」

「え。館長、それは明日でも……私、昨日の残務が終わったら、帰って良し、ってことだったし……」

 展示物が増えて嬉しいんじゃないのか、帰る前の仕事が増えるなんて聞いてない、という上司と部下の応酬を背にしながら、リオナはプラムに再度尋ねてみた。

「その冒険者は、ここへの持ち込みに納得しているのか」

 プラムは、リオナの質問に力なく首を振った。

「いいや。この処置を取ることについては、大反対だ。もし違う入手方法が見つかったら、自分の名前が載らなくなる可能性が高いわけだから、当然だな。だが、あくまで研究所は正式なモンスターの情報を集めることが目的なわけで、どの冒険者の名前が載るかなんてことは、正直二の次だからな」

 プラムの言葉を受けて、リオナには、ひとつ危惧することがあった。そのような状況に陥った冒険者がしそうなことといったら――

 そのとき、プラムの視線が熱心に自分に注がれているのにリオナは気付いた。なんだ、と目で問いかけるように見ると、彼女が口を開いた。

「いや。そういえば、名前を聞いていなかったと思ってな」

「名前か。リオナだ」

 簡潔にそう返すと、プラムが大きく反応した。

「なるほど。君が噂の、ユメリア氏自慢の、腕自慢の警備兵ということか。なんでも、一人でもシェルナ国配属の一般兵士何十人にも勝る強さだとか」

「大袈裟だ。少し武術を学んでいただけだ」

「ほーう、謙遜するねえ。でもどうして、そんな強さを持ってるのに、冒険者にならず、博物館の警備なんて職を? いくらここが稀少価値の高いアイテムを収めた博物館で、ある程度強さを求められる環境とはいえ」

「冒険者は、エレメント持ちが優遇されるが、俺にはあいにくその素質がないんでね。クエストの受注の煩雑さもない、この静かな職場は俺のような人間と相性がいい、というだけだ」

 そこで、労働環境を巡りあわやバケットと取っ組み合いになろうかというユメリアが、リオナとプラムの間にすっ飛んできた。

「おいプラム、それ以上は、雇い主である私を通してもらおうか」

 割って入ってきた金色の髪が、大人二人を引き離すように左右に靡いた。

「分かった分かった。ただ、リオナ氏ももう帰宅するようだし、私はちょっとここに居させて貰うよ。ちょうど見ておきたかった館内目録もあったし。いいだろ?」

「いい、いい。だからほら、リオナちゃんから離れろ。ネネアちゃん、さっさと開館準備にとりかかろう」

「あ、はーい」

 ネネアの呑気な声が事務室に響く。ユメリアは、クローゼに介抱されているバケットに向かって言った。

「じゃあバケット、私は館内を回ってくるけど、その肉球の件はやっておけよ。やらずに帰ったら、次の賞与は売れ残ったブルーゴブリン人形とグリーンスライム文鎮による現物支給になるから、よろしくな」

「ひどい! 人の連休を返せ! 鬼! 悪魔! 守銭奴! ゼニガメ!」

 バケットの呪詛の声を背中で跳ね返すように、ユメリアはネネアを連れて部屋から颯爽と出ていった。

 リオナも一緒に出ようとしたところだった。扉の前で、またもプラムが視線を投げてきている。今度は、若干遠慮がちな様子だったが。

「なあ。ひとつ、確認したいのだが……いや、別に人の趣向にあれこれ口出しする気はないのだが……」

 リオナは、いやな予感がした。

「……本当に、本当に、幼女趣味なのか?」

 そろそろ、きっちり否定したほうがいいだろうかと、リオナは思った。

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