第1話 アムルラビットの真紅の爪付き肉球(3)

「こいつで、そのむかつく余裕こいたツラを醜く焦がしてやるぜ」

 言うと同時に、男は左手を刃物の背に添えた。短刀全体に、炎が揺らめいたかと思ったら、すっと収まった。しかし直後その獲物は、先ほどまでの銀色とは打って変わり、燃える炎を思わせる赤色に変色していた。

「喰らえ!」

 賊はリオナめがけて、勢いよく踏み出しながら獲物を振り下ろしてきた。だが――

「え……」

 その困惑した男から、弱々しい声が漏れてくる。

「中々のものじゃないか。コソ泥なんかやってないで、この力で真面目に生計を立てる道を考えた方がいいんじゃないのか」

 リオナは右手の親指と人差し指で、火のエレメントを宿した刃を受け止めていた。容器は、左手と脇の間に挟むように抱え直している。

「す、素手で? ありえ――」

 ない、と言わせる前に、リオナは顎めがけて蹴りを放った。まともに受けた賊は、仰向けにゆっくりと倒れていく。

 持ち主の手から離れて地面に落ちた刃は、主の意識と連動するように、ゆっくりと赤から本来の銀色に戻っていった。

「ありえない、か。確かにな」

「やったー、さっすがリオナちゃん!」

 つぶやいたリオナの元に、はやし立てるユメリアと、目を丸くさせたバケットが歩み寄ってきた。

「いやあやっぱり強いね、さすがは私と父さんが見込んだ男だ、ご苦労ご苦労」

 嬉々とするユメリアだったが、バケットは遠慮がちに口を開いた。

「リオナさん、強いって噂は本当だったんですね、済みません、正直、半信半疑でした……」

「構わないさ。こんな物騒な事態は、少ない方がいいに決まってる、それよりユメリア」

 気絶した賊の様子を眺めていたユメリアが、え、と顔をむけた。

「わざわざ灯りをつけなくても良かったんじゃないのか。俺が暗闇を苦にしないことは知っているはずだろう。これだけの灯り、消して回るのも一苦労だ」

「あー……それは」

 濁るユメリアに、バケットが不審の目を向ける。

「確かに。普段、あれほど燃料が勿体ないとかケチくさいことを言ってるくせに。まさか館長、ただ単にさっきの決め台詞もどきを披露したかっただけなんじゃ……」

「もどきとはなんだ! ここに来るまでずっと考えていた渾身の台詞を、お前……」

「やっぱり言いたかっただけじゃん!」

 バケットの追及も、ユメリアはひらひらと手を動かし全く意に介していないようだった。

「まあまあ、いいじゃん。一件落着だよ。バケットも、間近でうちの警備兵の実力が確認できて良かっただろ?」

「それは、確かにそうだけど……いや、そもそも、今日の残業を命じたのは館長でしょ? それさえなかったら、こんな怖い思いしなくて済んだんだけど?」

「さあさあ、あとはこの侵入者を警邏隊に報告するだけだな。普段は夜間につかない明かりが灯ってるんだ。ここは丘の上にあるから目立つし、ほっといても誰か様子を見に来るだろう。こいつらも当分目を覚まさなそうだし、それまで事務室でゆっくりお茶でも飲んで待つことにするかなー」

「誤魔化したな……」

 ぼそりと言うバケットを背にし、ユメリアは去っていった。

 リオナは、一応賊の躰を縛り上げるべく、倉庫へ向かうことにした。たしか、館内の区域を簡易的に示すための紐か縄があったはずだ。一時的にならそれで十分だろう。


「リオナちゃん」

 倉庫内で紐を見つけたリオナの背後に、ユメリアの声が掛かった。

「どうした、ユメリア」

「いやさ、久しぶりに確認出来て安心したよ。リオナちゃんの力」

 庫内の微かな灯りに、ユメリアの耳元までかかる金色の髪が反射する。

「まだ、腕は落ちてないみたいだね。頼もしいかぎりだよ」

「一応、それで飯を食ってるわけだからな。簡単に衰えるわけにはいかないさ」

 紐を手に、リオナは倉庫から出た。どこからか、バケットと複数の声が聞こえてくる。警邏隊がやってきて、それをバケットが迎え入れたようだ。

「もうその紐、いらないみたいね。じゃあ、あのコソ泥の最期でも見送りにいこっか」

 リオナとユメリアは、並んで歩き出した。リオナの肩よりも下にある彼女の髪が、歩く度に揺れるのが視界の隅に映る。

「ねえ、リオナちゃん」

 その呼びかけに顔を向けると、ユメリアは軽い笑みを浮かべながらこちらを見つめていた。そして、ゆっくりと口を開いた。

「あのね――」


「うあー、私も見たかったです、師匠の活躍ううううう!」

 騒動の夜が明け、博物館の開館時間前だった。バケットの話を聞いて痛恨の叫びをあげているのは、ギルド登録されながらも、レアアイテム博物館所属館員である冒険者、クローゼだった。

「そりゃあもう、私なんか、何が起きたのか分からなくて、いや実際瞬きをする間に敵の方に近づいていて、容器が宙に浮いて、気がついてたら覆面の方が倒れていて、本当にあっという間で」

 クローゼの真向かいに座り、興奮気味にまくしたてるバケットだったが、その話しぶりのとりとめのなさは、睡眠不足と疲れからくるものだろう。着ている学芸員ローブは昨日と同一のもののようだし、何より昨夜にはなかった目の下の隈が痛々しい。

「バケットちゃん、それで、そのあとどうなったの?」

 今度はバケットの横に座っている、当博物館の受付嬢、ネネアがお菓子片手に尋ねた。

「えっとね、私はグライダーモンスの羽と鱗粉が異常ないかを確認しててね、そうしている間に警邏隊の人たちがやってきて、あの不届き者たちは無様に捕らえられていったよ。ざまあみろだよね」

 そこで、上座の館長席に座るユメリアが冷ややかに言葉を放った。

「まあ、私は最初から展示するのは反対だったんだよ。そもそも蛾の羽なんて、気持ち悪いじゃないか」

 バケットが、ぐるりと顔をユメリアの方へ向けた。

「館長、また蛾って言った!」

「女受けが悪いから、それを新規展示の目玉にしても、客寄せ効果は低いなと思ってたんだよ。わざわざ見に来るのは、物好きなモンスターマニアか小さな子供くらいだ。そして結果来たのは、尻に火がついた三下盗賊二人。これじゃ割に合わないって」

「館長。いつも言ってるけど、レアアイテムは入館代を稼ぐための道具じゃないから。それは博物館規約にも堂々と載ってるでしょ」

「うーん、それは重々分かってるんだけどさあ……」

 ユメリアはそこでガサガサと机の上から一式の書類を拾い上げた。それを片手に、なにやら意味ありげに一同を見回す。

「現実はそんな甘いこと言ってられないんだよなあ。赤字がでちゃったら、この館の意地、しいては運営そのものにも支障が出るしな。いよいよヤバくなったら、まず真っ先に削られるのは……」

 この博物館の絶対たる長の、何かを含んだ視線に、クローゼとネネアがひっ、と軽く引きつった声を出す。

「わ、私たちの……」

「お給料……」

「お、二人とも、よく分かったね。ここで働くうちに、腕っ節や胸だけじゃなく、頭の回転も成長したかな、なーんちゃって。あはははは」

 年上の部下達の反応に満足したように、ユメリアが意地悪げな笑い声をあげる。

 リオナは、彼女の机の側にある警備状況表に、昨夜までの引き継ぎ事項を記入しようと近づいた。そこで、ユメリアが何かを察知したかのように笑いを止めた。

「ユメリア、職権乱用もほどほどにな」

 リオナがそう言うと、ユメリアは気まずそうに、む、と口を閉じた。

「ししし、怒られてやんのー」

 意地悪く言うバケットを、ユメリアがじろりと睨む。バケットは斜めを向き、見て見ぬふりをした。

「もう、ユメちゃんったら、あんまり怖いこと言わないでね。あ、リオナ君、このお菓子どうぞ。美味しいわよ」

 ネネアがにっこりと、手に持っているお菓子を勧めてきた。それは、リオナも知っている植物性由来のお菓子だったので、ありがたく受け取っておいた。

「それにしても、リオナ君は、どうやってそんなに強くなったの?」

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