第6話 猫手川、虫の居所を掌握される
1
「ガムを買ってきなさい」
絹のように
それは、さわやかな青空が
時刻はまだ午前のうちにあり、
「ガム?」
「そうよ」
「ガムって、あの、食べるガムのことか?」
と、その黒猫エリーの『
「……当たり前でしょ。さっさと買ってきなさい」
エリーは冷ややかに、なにか可哀想なものを見るような目で、そう言った。
特に用はない。
したがって、ガムを買いにいくくらいは
加えて、ガムというのは、案外いいもののように、猫手川には思えた。
猫のおやつにである。
猫というものは、
そんなささやかな
「なんの
猫手川がたずねると、
「食べられればなんでもいいわ」
と、エリーは言った。
猫手川の住むその洋館は、小高い丘のうえにある。
そのようなわけで、吸いこまれそうなさわやかな青い空も、より近く感じられる。
「あら、猫手川さん──」
猫手川が玄関をでると、そこには、買い物かごをさげた
小出毬は、猫手川の住むその洋館の管理人であり、猫手川にとっては可憐なる高嶺の花でもある。
「おでかけですか?」
「ええ。エリーのおやつを買いにいくんです。コデマリさんもお買い物ですか?」
「はい。お夕飯のお買い物にいくんですよ」
「あ、あの、よろしければ──」
坂をくだる。
こころなしか、足取りもかろやかなのは、きっと気のせいではないのだろう。
目的地がわかっており、また、猫のいない
しかし、猫手川の足取りをかろやかなものにしている、そのもっともたる要因は、青空のように
猫手川は、小出毬に、
「
と、小出毬は言った。
足取りとともに、会話も弾んでいる。
彼らの話といえば、もっぱら、猫のこととなる。
猫を飼っていれば、それは自然な成り行きなのだった。もっとも当の本猫たちは、人に飼われているとは、
そのようなことを、気軽に言葉に乗せて、ふたりは歩いてゆく。
突きぬけるような青い空に、小さな、小さな影が、飛んでいた。
緑の葉のうえにとまったその小さな影は、見るも
「あら、かわいいテントウムシさん。あなたもお買い物? 今日の晩ご飯はなんですか?」
小出毬は、やわらかな微笑みとともに言った。
季節の
その光景は、鮮烈に、猫手川の
ただスーパーへの道すがら。日常の光景だった。
けれども、きっと、いつになってもこの季節の香りとともに思い出す、そのような瞬間に、遭遇したのかもしれない。
猫手川は、どうにも言いようのない、幸せを感じていた。
部屋へと帰り、買ってきたガムをエリーに渡すまでは……。
ひと
プッ、と、それを
「これじゃない」
と、エリーは言った。
「味はなんでもいいと言ったじゃないか」
「でも、これじゃあない」
エリーは言い、ドアを
「はやく買ってきなさい」
「…………」
猫手川は、
二度目の道行きの途中、猫手川は考えていた。
エリーとの生活をかんがみるに、彼女には、その落ち着いた言動とは
これは
猫たちの食の好みは、往々にして、こどものそれと似たものがある。
彼らは甘いものが好きだ。
チョコレートやケーキ、アイス等は彼らの大好物である。また、にんじんやピーマンといった、こどもが嫌いなものは、大抵好まないのだった。
そう考えるにいたって、猫手川は、少し選択を間違えたのかもしれない、と、思った。
「これじゃない」
と、エリーは言った。
新たに買ってきた甘い果実のガムは、たったいちまい食べただけで、
「でも、これは甘いぞ?」
「甘ければいいわけじゃない。ちゃんと食べられるものを買ってきなさいよ」
エリーは言い、ドアを指さす。
「……食べられないガムなんかないわ! ただ好みの問題だろうがっ」
猫手川はぼそりとつぶやいた。
「なにか言った?」
「……いや」
「……あなた最近、少し反抗的なんじゃなくって?」
「…………」
「……まあいいわ。はやく買ってきなさい」
猫手川は、渋々、再びきた道をもどった。
思えばこの時、彼はエリーを連れていけばよかったのだ。
そして、エリーの望むそのものを、彼女自身に選ばせるべきであった……。
ガムを買い、部屋へと帰った猫手川は、エリーの不在に迎えられた。
「…………」
───あの野郎……。
しかし、今回はぬかりない。
猫手川は、そう確信している。
2
「これじゃない!」
と、エリーは言った。
「どれもこれもわたしが食べたいガムじゃない! 買い物もろくにできないなんて……、あなたのこと
どれもこれもひとつずつ食べ散らかしたガムの山に
「あるだけのガムを全部買ってきたんだぞ⁉」
スーパーと部屋との不毛な往復を終わらせるために、店頭にあるだけのガムを買いこんできた猫手川だった。
「これでないなら、あのスーパーには置いてない商品なんだ」
「……じゃあ、
と、エリーは
「僕が愚かなのは確定なのか⁉」
「ええ。だってそうでしょ? あなたは買い物に失敗した。そのスーパーではなく別のところにいっていれば、ちゃんと買えたでしょうよ」
「…………」
「まったくあなたには直感ってものがないのかしら? わたしたちならそんなヘマはしない。なぜなら、わたしたちは直感に従って生きているもの。人間は愚かな生き物だけど、あなたはそのなかでも
エリーの
「…………」
───なぜ僕はこれほどまでに
たかだかガムのことでこれほどまでに怒られる大人は、この猫手川か、ガムの会社で働いている者くらいであろう。
イライラが
彼はどちらかといえば、おだやかな人間だった。
そうでなければ、この、ものを言う猫たちと暮してゆくことは困難であったかもしれない。
けれども……、
「僕はお前のためにガムを買ってきてやったんだ!」
この時、猫手川は声を荒げて言った。
「それがなんだ!
もう、四時間にもなる……。
「僕はお前のせいでお昼ごはんも食べてない! それどころかこの四時間、水も飲んでない。グミも食べてないんだ! 見ろ! もう晩ごはんの時間じゃないか!」
あたりに、
小高い丘のうえにあるこの洋館の二階、猫手川の部屋からは、家々に明かりが
それは、一家の団らんを連想させる、あたたかな光りだった。
しかし、そのような温もりあふれる光景をもってしても、いまの猫手川には、火に油を注ぐ要因としかなりえないようだった。
「僕はな……、僕は──」
猫手川は、いよいよ感極まったように、言葉をつまらせながら、
「僕は、エリー専用ガム仕入れ係じゃないっ‼」
と、勢いよく叫んだ。
「…………」
───はぁ?
と、エリーは思った。
『エリー専用ガム仕入れ係……』
それは、ありきたりな言葉同士の組み合わせにも関わらず、およそ聞き馴染みもなく、また、なんの
加えて、語感も悪い。
『エリー専用ガム仕入れ係……』
「あ、当たり前じゃない……」
と、エリーは言った。
そうとしか、言えなかった。
しかし、それでは、猫手川の腹の虫はおさまらなかった。
彼にしてはめずらしく、怒りをあらわにした猫手川は、とまらなかった。
「なんだその気の抜けた返答は!」
「気の抜けた返答もなにも……、あなたはわたし専用ガム係ではないわよ」
「わたし専用ガム係じゃない!」
「どっちでもいいわよ……」
「よくない! もう一度言うからちゃんと覚えるんだ! 僕はな、エリー専用ガ──」
「も、もうわかったわよ!」
「いいや、お前はなにもわかってない!」
エリーは必死で猫手川の言葉を遮ったのだが、猫手川にひく気はない。
そうこうしているうち……、
「なによ! あなた最近ほんとうに生意気よ!」
今度はエリーの導火線にも、火がついたようだ。
「うるさい!」
「うるさいのはあなたの方でしょ!」
「いいか、僕はな──」
再三にわたる呼びかけにも気付かぬほど、彼らは激しく言い争っていた。
「みなさーん! ごはんですよー!」
猫手川の部屋のドアが開かれ、小出毬が大きな声で言った。
小出毬の出現を期に、彼らの口論は止んだ。
「…………」
「…………」
「……おふたりとも、どうかなさったんですか?」
無言で
「もうすぐごはんですよ?」
と、小出毬は、ほがらかに微笑んだ。
「……コデマリさん──」
「はい?」
「僕はあとで食べるので、置いておいてください」
言うなり、猫手川はドアに手をかけた。
そのままの姿勢で、猫手川は言った。
「コデマリさん──」
「はい、なんでしょう?」
「僕はね、エリー専用ガム仕入れ係じゃないんです……」
「…………」
───えっ?
と、小出毬は思った。
『エリー専用ガム仕入れ係……』
聞き馴染みのあるようで、その実、いっさい聴いたことのない、その言葉に、小出毬は困惑した。
「な、なんとおっしゃったんですか⁉」
「僕はそんな薄情なやつと、一緒に食事なんかしたくないんです!」
小出毬の疑問にはいっさい答えず、猫手川は部屋を飛びだした。
3
小高い丘のうえにある洋館。
その住人用の食堂には、小出毬の料理が並んでいる。どの料理も、見るからにおいしそうなものばかりだった。
その食卓を、人と猫と鳥が囲んでいる。そこに猫手川のすがたはなかった。
「猫手川さん、どうしたのかしら……」
食事のさなか、気もそぞろに小出毬はつぶやいた。
小出毬は、エリーを見つめた。
小出毬特製の猫用料理を
そして、そのように感じていたのは、小出毬だけではなかった。
食後の猫用デザートを食べ終えて、テーブルには猫用コーヒーが豊かに
「エリちゃん、どうしたの?」
ミルクをたっぷりと入れた猫用コーヒーをくいっと飲み、『
この
わけあって、このようなことになることになっているのだそうだ。
「なんか元気ないみたい?」
「……別に、あの男なんてなんの関係もないわ!」
と、エリーは、つっけんどんに言った。
「……ボク、猫手川くんのことなんて、ひとことも言ってないよ?」
「なっ⁉」
「エリーちゃん、猫手川とケンカしたにゃ?」
白色の
宇宙は、小出毬の飼い猫である。
「どうやら、そのようなのです──」
だんまりを決めこむエリーに代わって、答えたのはコアジサシだった。
「おふたりが言い争っている声が、私の部屋まで聴こえましたから。そのうちの四時間は、エリーさまがおひとりで、なにごとか怒ってらっしゃいましたけど……」
早く仲直りしていただきたいものです、と、ひっそりと
「ねーねー、なんでケンカなんかしたの?」
「おやつを横どりされたにゃ?」
「知らないわよ! 虫の居所でも悪いんでしょ!」
と、エリーは、ぶっきらぼうに言った。
「虫の居所ねえ──」
橘みやびはつぶやき、おもむろに席をたつと、窓へと向かって歩きだした。
「この子も居所が悪いみたい」
開け放たれた窓から、夜気を
「ねえきみ、そんなところにいるとつぶされちゃうよ?」
橘みやびは
「きみの居所は、ボクがよくしてあげようじゃないか」
橘みやびの手のなかには、一匹の、テントウムシがいた。
この洋館に迷い込んだテントウムシは、窓のわくのへこみにちょうどはさまってしまい、身動きがとれないでいたのだった。
その時……、
「……し…あのひ…に、非…い…とを…た…………」
「えっ?」
か細い
それは
「エ、エリちゃん、いまなんて?」
「わたしはあのひとに、非道いことをした…………かも、しれない……」
エリーは虫の
洗い物を終わらせた小出毬が台所からやってきて、エリーの前に膝を折った。
「早く仲直りしないとね?」
小出毬は、やわらかく微笑んだ。
エリーは小さく「にゃう」と、鳴いた。
橘みやびの肉球のうえで、見るも鮮やかな、小さな赤い半球に、七つの星が
それはこころなしか、快適そうに、
「……いくわよ」
と、エリーは言った。
4
坂をくだる。
その洋館は小高い丘のうえにある。
そのようなわけで、どこへ行くにも、まず、くだることととなる。
一行はエリーを先頭に、坂をくだっていった。
エリーのうしろには、宇宙と、肩にテントウムシを乗せた橘みやびがつづき、上空ではコアジサシが、猫手川を探してハンターの
猫たちの数歩うしろには、夜のお散歩といった
「なんかさー、夜のおでかけってわくわくしちゃうよね!」
と、橘みやびは、はしゃいで
「そうだにゃー!」
トパーズの色をした双眸に、黒色の
跳ねまわる橘みやびの肩のうえで、激しく上下動するテントウムシは、必死になって、天色の被毛にしがみついていた。
「……帰りましょ」
と、エリーは唐突に言った。
「はあっ?」
「にゃっ?」
突然のエリーの変節に、ふたりの猫は驚いて声をあげた。
「なぜわたしがわざわざあの男に逢いにいかなくてはならないの? ばかばかしい……。あんな男、猫の爪で急所を刺されて即死すればいいのよ!」
人体に存在するのかもしれない、猫の爪で即死する急所の
その様子を、おだやかな微笑みとともに見守っていた小出毬は、橘みやびの肩に
「さあ、なにをぐずぐずしているの! 早くあのひとを見つけるわよ!」
エリーは言い、しなやかに駆けだした。
「…………」
橘みやびは、走ってゆくエリーと、微笑む小出毬を、交互に見つめている。
「……はっ!」
数瞬ののち、橘みやびは、ひとり
そうして彼女は、にやり、と、笑みをこぼしたのだった。
はるみ川にせりだす公園のポーチに、時代がかった船が停泊していた。
それはいまどき珍しい木製の船であり、
川辺を照らす
「僕はね、エリー専用ガム仕入れ係じゃないんです!」
「……はい。おそらくそうでしょう」
「猫ちゃん真面目すぎるよ~。女なんてのはさ、こう、ワッとなったら、サッとあやまっちまえばいいんだよ~」
おだやかに相づちをうつのは、
「ちょっとあなた! こんなところでなにしてるのよ!」
コアジサシの
「ねえ、帰りましょう」
と、エリーは言った。
猫手川はエリーをちらりと見ると、すぐに目をそむけた。
「おおーべっぴんさんだねえ! 猫ちゃんも
べろべろである。
猫手川は、黙ったままだった。
「……ねえ?」
「…………」
「ねえったら!」
「うるさい! 僕はまだ帰らない!」
と、猫手川は声を荒げた。
「どこだ……どこだ……?」
橘みやびは、ひとり、あたりを嗅ぎまわっていた。
「わがまま言うんじゃないわよ。お家にはあなたのごはんだってちゃんと用意してあるのよ? 早く帰りましょう?」
と、エリーは、なだめるように言った。
「…………」
「……こっち見なさいよ」
「お前の顔なんて見たくない!」
猫手川がそう言うと、
「なんでそんなこと言うのよ……」
エリーは少し、悲しそうな顔をした。
一瞬、その表情に戸惑いの色を見せた猫手川だったが、彼はいつになく
「う、うるさいったら! 僕には僕の自由があるんだ! 僕が帰らないと言ったらまだ帰らないんだ!」
猫手川はそう言い切ると、
エリーはその艶やかな被毛をまた翳らせ、わずかに肩をおとした。
その時だった……、
「いたっ!」
橘みやびが声をあげた。
見ればそこには、だれかがはき捨てたガムにくっついて、身動きがとれなくなったテントウムシがいる。
「さっ!」
と、橘みやびは、そのテントウムシをすくいあげた。
すると……、
「早く帰ろう!」
猫手川は、あっさりと立ちあがったのだった。
5
帰り道のこと。
涼やかな夜の
エリーを先頭にして、ふたりの猫がつづき、そのうしろには、小出毬と、コアジサシを肩に乗せた猫手川が歩いている。小出毬の
エリーと猫手川のふたりは、いまだ少しぎこちなくはあったが、それもいずれ、明け方時分の街灯のように、だれも気付かぬうちに、ひっそりと消えるのだろう。そう、みんなが思っていた。彼らは、極めて楽観的な者の集まりなのである。
「ねえ猫手川くん。せっかくこうして外にでたんだから、ハロハロでも買って帰ろうよ!」
と、橘みやびは言った。
「そうだな! みんなで夜のお散歩なんてそうそうないからな。小出毬さんもいかがですか?」
と、猫手川は、こころよく了承した。
ハロハロを買った。
「ねえ猫手川くん。せっかくこうしてハロハロを買ったんだから、ついでになんかしょっぱいものでも買おうよ!」
と、橘みやびは言った。
「そうだな! 甘いものを食べたら今度はしょっぱいものだな。小出毬さんもいかがですか?」
と、猫手川は、こころよく了承した。
ポテトチップスと、おかきを買った。
「ねえ猫手川くん。ジュースをお忘れじゃないですか?」
橘みやびが言うと、
「そうだな! 忘れてたな!」
猫手川は上機嫌でそれに賛同し、
「もー、猫手川くんったら、あの新刊のコミックスとゲームの攻略雑誌、それからソフトクリームも忘れてるよ! ついでにホットドッグとからあげ買ってきて!」
橘みやびが言うと、
「オッケー!」
猫手川はスキップでもするように、またコンビニへと走っていったのだった。
橘みやびはひとり、にやり、と、笑みをこぼした。
「…………」
「…………」
エリーと小出毬は、無言で、そのやりとりを見つめている。宇宙はすこぶる上機嫌で、顔や手をべたべたにしながらハロハロを
「……なにかおかしい…」
と、エリーはつぶやいた。
おかしいといえば、橘みやびである。彼女は先刻より、たまごでできたオルゴールでも
「みやびちゃん、さっきからなにを持ってるにゃ?」
と、宇宙が言った。
「それよっ!」
と、エリーが叫んだ。
「宇宙! みやびから『エンパスナナイロテントウムシ』を奪いなさい!」
「これにゃ?」
エリーの切り裂くような指示に、宇宙が手を伸ばした。
「あっ! だめっ! アイスでべとべとの手でさわらないでっ!」
「にゃ?」
すると……、
「よくよく考えたら、ハロハロとソフトクリームはやりすぎだろ!」
猫手川が怒りながら、コンビニから飛びだしてきた。
「テントウムシくんっ!」
激昂する猫手川をよそに、橘みやびは、ハロハロでべとべとになったテントウムシを必死でぬぐっている。
「エンパスナナイロテントウムシはね、生物の感情とリンクする特殊な昆虫よ。『虫の居所が悪い』なんてよく言うでしょ? この国の昔の人たちは、虫にもおもてなしをしていたのよ。かつてはこの国にもたくさんいたんだけれどね、現在では猫版レッドデータブックにも記載のある絶滅危惧種なの」
「ボクが居所をよくしてあげるからね!」
しかし、テントウムシは、
「みーやーびー……?」
エリーが、
「エ、エリちゃんっ?」
「みやびちゃーん……?」
小出毬は、微笑んでいた。
しかし、その微笑みは口元だけに宿り、
「マ、マリちゃんっ?」
その時、橘みやびの手のなかに
テントウムシはくるりと
「ぼ、僕は、なにをしていたんだろう……」
猫手川は、つぶやくように言った。
その両手には、ぱんぱんにふくれた買い物袋がにぎられている。
「ずいぶんと虫の居所がよかったようね?」
エリーは、苦笑まじりにそう言った。
橘みやび、おやつ抜きの刑(一週間)に処される。
6
「このガムを買ってきてほしいの」
絹のように艶やかな被毛を煌めかせて、エリーは、しずしずと言った。
それは、さわやかな青空が澄みわたる、そんなある日のこと。
「宇宙のお気に入りのおやつ。もらったの」
と、エリーは言った。
「どれどれ──」
エリーの差しだしたそのガム。見ればそれは、
「チューインキャンディーじゃないか」
チューインキャンディーであった。
それは、ガムとは似て非なるもの。
形状はまったくの同一物だが、ガムではなく、その名の通り、キャンディーに属するものなのだった。
───なるほどね……。
エリーの言う、食べられるガムとは、そのような意味であった。
「ガムじゃないの?」
「ああ。よく似てるけどな」
「そう……」
「……一緒に買いにいくか?」
猫手川が言うと、
「いってあげてもいいわよ」
と、エリーは言った。
猫手川とエリーが玄関をでると、そこには小出毬がいた。
「あら、猫手川さん。エリーちゃんも、こんにちは。おふたりでおでかけですか?」
「ええ。エリーのおやつを買いにいくんです。コデマリさんもお買い物ですか?」
「はい。お夕飯のお買い物にいくんですよ」
「あ、あの、よろしければ──」
坂をくだる。
猫手川の住むその洋館は、小高い丘のうえにある。
そのようなわけで、どこへ行くにも、まず、くだることととなる。
一行は足取りもかろやかに、坂をくだっていった。
突きぬけるような青空に季節の香りが融けて、優しく、胸を
「今日のお夕飯はソフトクリームにしようかと思っているんです」
と、小出毬は微笑んだ。
「いいですね!」
「デザートはハロハロなんていかがでしょう?」
「ええ。最高です!」
と、猫手川は微笑み、エリーも答えて上機嫌に鳴いた。
海のような青い瓦屋根のうえで、トパーズの色をした双眸が、かろやかに歩く彼らを見つめていた。
「これはいいものを手に入れたにゃ……」
白い長毛種の猫は、囁くように言った。
その白い猫の、桃色の肉球のうえでは、三匹のテントウムシが、きらきらと煌めいている。
「虫の居所さえよければ、みんなオレの言いなりだにゃ。ひひひ……」
どこまでもひろがる青い空のしたで、白猫は不敵に笑った。
宇宙、おやつ抜きの刑(一ヶ月)に処される。
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