第3話 猫手川、小出毬の手際のよさに感嘆す

       1


 東の方から順番に、金貨のような陽光ようこうが、家々の屋根にふりそそいでいる。こく一刻いっこくと、橙色だいだいいろ菫色すみれいろかしている、早朝。

 小高こだかおかのうえにある洋館からは、街の移り変わりがよく見える。

 そんな折──


 猫手川ねこてがわは、ばた、ばた、と、連続して聴こえる物音に、目をました。

「あなたはこの物音に目を覚ましたんじゃない──」

 猫手川の顔のすぐとなりで、きぬのようにすべらかな声がした。

 覚醒かくせいがうながされるにつれて、ほおに熱が感じられ、それはしだいに痛みに取って代わった。

「よくもまあ、こんなにたたかれながらねむれたものね。もう少しで爪がでるところだったわ」

 つややかな絹のような前足まえあしの毛づくろいをしながら、黒猫エリーは冷ややかに言った。

「一体、なんなんだよ?」

 その黒猫の『自称じしょう』飼い主である猫手川は、頬をさすりながら、たずねた。

 エリーはだまって、窓を指さした。

 ばた、と、音がするたび、ベランダの窓が揺れ、エリーは迷惑そうに、あくびを噛みころした。

 聴覚の発達した、同じ猫であるはずのたちばなみやびは、そのような物音など一向に意に返さぬようで、相変わらずベッドのうえで、スースーと、寝息ねいきを立てている。

 もっとも彼女は、本猫ほんねこいわく、本当は人間であり、わけあって、このようなことになることになっているそうなので、一般の猫とは少し違うのかもしれない。

 ばた、と、再び音がした。

「なんだ、これは……?」

 猫手川が身を乗りだすと、ベランダの窓の向こうに、小さな影がいくつも、いくつも、かさなりって、山をつくっている。

 ばた、と、また音がして、小さな影が窓にぶつかった。

「……と、とりだ!」

「早く、中にいれてあげなさいな」

 驚きを隠せない猫手川をよそに、エリーは非道ひどく面倒くさそうに、そう言った。

 

       2


 その鳥たちは、コアジサシであった。

 コアジサシは、平身低頭へいしんていとうして、猫手川に感謝をべた。

 そして、猫手川のベランダで山となって、だおれ寸前にいたった経緯けいいを語りだした。

「我々の砂礫されきがどこにもないのです」

 れのおさは、そうさえずった。

「本来であれば、こちらが、我々の目指す砂礫であるはずなのですが……」

 コアジサシは、チドリ目カモメ科に分類される鳥であり、わたどりである。

 体長はおおよそ28センチ程度。の名のとおり、アジサシ類のなかではいちばん小さい。大きな河川かせん中洲なかす河岸かし、海岸の砂地すなちや砂礫などに、群れをつくって生活している。

「我々渡り鳥が行き先を見失うことなど、あるはずもございません」

 そうだ、そうだと、傷つき、疲れたコアジサシたちも、同意を示して口々くちぐちに囀った。

「しかしここは、僕の部屋で、あとにもさきにも、海であったことなどありませんよ?」

 猫手川の部屋は、小高い丘のうえに建つ洋館の二階にある、賃貸住宅であった。

 埋め立て地であるはずもなく、また、この先、海にぼっすることも、おそらくないであろう。

 エリーは傷ついたコアジサシの手当をしながら、その手を休めることなく、言った。

きょくが移動してるのよ」

「極?」

「そう。体内に古い磁極図じきょくずしかないから、目指す砂礫に辿り着けないの」

 渡り鳥をはじめ、長い距離を移動して生きている動物や、魚たちは、その体内にGPS全地球測位システムをもっていると、エリーは言う。しかし、近年、地球の磁極じきょくが大幅に移動し、優れた感応力かんのうりょくをもつ動物たちでさえも、体内GPSのアップデートが間に合っていない状況なのだという。

 そのせいで、経路探索けいろたんさくくるいがしょうじているそうだ。

「どうすればよいのでしょう……」

 群れの長は、途方とほうれたように囀った。

「コンパスがあればいいんじゃないかなー?」

 エリーのとなりで、かいがいしく傷病鳥しょうびょうどりの手当をしていた橘みやびが言った。

「そうね。あとは地図があれば完璧でしょう」

 と、エリーはそれに同意した。

「地図はともかく、うちにはコンパスなんてないな。お店が開くまで、コアジサシさんたちには、うちにいてもらうしかないか……」

「コンパス~、コンパスはいらんかね~」

「あっ、コンパス屋さんだ!」

「コンパスはいらんかね~。いまなら渡り鳥用ストラップのおまけ付きだよ~」

「いたれりつくせりね」

「…………」

 コンパス屋さんの引くリアカーには、方位磁石ほういじしゃくが山ほど積まれていた。

「ひとつ、ください」

「あいよっ。どれでも好きなのもってきな」

 とはいえ、猫手川にはコンパスの良し悪しはよくわからない。一見しただけではどれも同じく見えるコンパスの山から、てきとうに、ひとつ、手にとった。

毎度まいどあり~」

「あっ!」

 と、猫手川は声をあげた。

「これ、針がおちてる……」

「そんじゃ、別なのもってきな」

「はい。ありがとうございます。じゃあ、これはお返しします」

「やるよ」

「…………」

───はぁ?

「コンパス、買ってくれるんだろ?」

「あ、はい……」

「じゃあ、やるよ。おまけってやつだ」

「でも、おまけは渡り鳥用ストラップじゃあ?」

「それもやるよ」

「いえ、これはお返ししま──」

「やるよ」

「お返しし──」

「やるよ」

「…………」


 コアジサシの長は地図を片爪かたつめに持ち、コンパスを首からさげて、意気揚々いきようようと、大空へった。

 手当も済み、休息も十分にとったコアジサシたちも、群れの長につづいて次々と飛び起つ。菫色もほど薄くなった橙色の空には、躍動する紡錘ぼうすいが踊り、そうして、いつの間にか、見えなくなった。

 やがて空の色は、朝陽あさひの染めあげた橙色から、雲ひとつない、つきぬけるような青となり、猫手川はそれを、コアジサシの辿り着くであろう、海のように思った。

「さて、もうひと眠りしようかな?」

 猫手川は、エリーと橘みやびとともにベッドにダイブして、また眠りの航海へと乗りだしたのだった。

 猫手川がそれに気がついたのは、二度寝という、甘美かんびな時を存分ぞんぶん満喫まんきつして、ようやくきた、昼すぎのことである。

 この洋館の二階、猫手川の部屋には、リビングと、寝室、そしてもうひとつ、部屋がある。 

 そのリビングには、つい数時間前まで、コアジサシの群れが滞在たいざいしていた。

 部屋の片隅かたすみに、見覚みおぼえのない、小さな山ができていた。その見覚えのない小さな山は、お菓子の包み紙や細かなほこり、砂や、短い滞在期間のうちにぬけおちたコアジサシの羽根はね、等である。そして、そのかたわらでは、一羽いちわのコアジサシが、みずからの羽根を使って、せっせとき掃除をしているのだった。

「……なにを、しているんだ…?」

 猫手川は、つぶやくように言った。

 コアジサシは、るんるん、と、かろやかに、掃き掃除をつづけながら、答えて囀った。

「これは猫手川さま。『鳥跡とりあとにごさず』、と言うじゃありませんか。これでさずけていただいたご恩がすべて返せるとは、到底思いませんが、起つ前にこれぐらいはさせてください。これは我らが群れ全体よりの、ほんのささやかなお礼でございます」

「いや、それはほんとうに、ありがたいけど──」

「そうでございますか? お役に立ててなによりです!」

「いや、ありがたいんだけどさ、もう、とっくに飛び起ってるぞ、お前の群れ……」

「ええ、ええ。そうでございましょうとも」

「だ、大丈夫なのか? 群れがうちからでていったの、もうずいぶん前のことだぞ。ちゃんと合流できるのか?」

「ええ、ええ。そうでございましょうとも。もうとっくに飛び起っておりますでしょうとも……」

「…………」

「…………」

「…………」

「……はっ⁉」

 びくり、と、はぜるように、コアジサシは硬直こうちょくした。

 ゆっくり、ゆっくりと、顔をあげて、猫手川を見つめるそのつぶらな双眸そうぼうは、もうすでにうるんでいた。

 猫手川は、そっと、視線をおとした。

「い、いま、なんとおっしゃいましたか……?」

 コアジサシはおずおずと、しかし、動揺どうようは隠し切れぬままに囀った。

「群れは、飛び起ったと……、そ、そう、おっしゃったのですか……?」

 ゆっくりと首をめぐらし、あたりの静けさを確認すると、コアジサシは真っ青な顔をして、かたかた、と、くちばしをらしはじめた。

 猫手川は、いたたまれない気持ちになった。

 この真実を、伝えていいものなのだろうか、と。

 どうせ、すぐにわかってしまう。いや、あるいはもう、このコアジサシも理解しているのかもしれない。けれど、それを自分の口から伝えるのは、あまりにも、しのびない気がした。

「あれー、コアジサシちゃんまだいたの? みんなとっくの昔に飛んでっちゃったのに。もしかして、置いてかれた?」

「ぐはっ!」

 名前の通り、優雅な所作しょさで、ベッドから飛びだしてきた橘みやびは、からっと晴れた陽気さで、ことの真相を伝えた。

「ねー、猫手川くん、お腹すいちゃったよー。コアジサシちゃんも一緒に食べていけば? どうせいまからいっても間に合わないでしょ?」

「お、お前はっ!」

「おっ、おっ……、おっ……おっ──」

 鳥の囀りにしては、およそ似つかわしくない低い声をあげて、びくり、びくりと痙攣けいれんをはじめたコアジサシ……。

「だ、大丈夫か……?」

「おっ、おっ……、おっ──」

「な、なにかいいたいことがあるのか? ゆ、ゆっくり、ゆっくりでいいんだぞ……」

 この時、猫手川は、はじめて鳥の背中をさすった。

「おっ、おっ、おい、おっ……、おっ──」

「だ、大丈夫? コアジサシちゃん! しっかり!」

 この時、橘みやびは、はじめて鳥の肩をつかんで、そして、ゆさぶった。

「おい、おいっ……、おい──」

 コアジサシはもう、滂沱ぼうだしている。

 うん、うん、と、辛抱づよく、コアジサシの言葉をうながしながら、猫手川と橘みやびの双眸にも、きらめくものが見えた。

 ふたりの見つめるなか、コアジサシは健気けなげにも、けっしたように、キッ、と、くちばしを結ぶと……、

「置いてけぼりにされましたぁーー‼」

 と、いた。

 猫手川と橘みやびは、いた。


 絶望的です──と、コアジサシは囀った。

「私は、その砂礫の場所を知らないのです……」

 そうして、ぐすっ、と、鼻をすすった。

「そ、そうか……」

───どうにかしてやりたいけど……。

 猫手川は、すがるようにエリーを見た。

 いまだ、ベッドのうえで、こちらに背を向けてまるくなっていたエリーは、

「うちに住めばいいじゃない」

 こちらに向き直りもせず、そう答えた。

「はぁ⁉」

「いいじゃん!」

「よ、よろしいのですかっ⁉」

「い、いや、その、なんていうか……、っていうか、お前、起きてたのか?」

「見ればわかるでしょ? 寝てるわよ」

 エリーはまた、身動きひとつせずに、そう言った。

「あ、ありがとうございます!」

 コアジサシは、そのつばさで猫手川の手をつつみ、何度も、何度も、頭をさげた。

「あ、あの、ちょっと──」

「決して、ご迷惑はおかけいたしません。日々のかても、自分でまかないますので!」

 コアジサシはそう囀ると、さっそうと窓から飛びだしていった。

「あの……、ちょっと……、コアジサシさーん……?」


 数十分後──


 コアジサシが帰ってきた。

「おかえりー」

 出迎えた橘みやびが、ひやっ、と、小さな悲鳴をあげた。

「は、はまちっ!」

「はまち⁉」

 コアジサシのくわえたそれは、見れば、まごうかたなき、『はまち』であった。

「ええ。ちょうどよく、でくわしたもので」

「…………」

───アジは?

「お、お前たちは、アジをとるんじゃないのか?」

「はい。アジも好きですが、おさかなはどれも好物です!」

 威勢よく、びちびちとねる、はまちを前に、コアジサシはほがらかに囀った。

出世魚しゅっせうお──」

 猫特有の瞬間移動を駆使して、唐突とうとつに現れたエリーは言った。

「大きくなるたびに、その名称を変える魚のこと。知っている?」

「ああ」

「じゃあ、はまちがもっと出世したら、何になると思う?」

ぶりだろ」

「いいえ──」

 エリーは答え、

「大抵は、お刺身かお寿司か焼き魚になるの」

 じゅるり、と、舌なめずりをした。

 コアジサシの新居は、満場一致まんじょういっちで決定した。

「じゃあ、人間は、最後まで出世したら、何になると思う?」

「えっ?」 

「いくわよ」

 と、エリーは歩きだした。

 

       3


 少しの遠出とおでとなった。

 猫手川は森のなかを歩いている。

 自然環境保護区という、深い森のなかだった。

 あれほどに晴れて、雲ひとつない青空も、森のなかでは緑に融けて、あたりは樹々きぎりなす天蓋てんがいにつつまれていた。

 さわやかな季節だった。

 緑の香気が、胸いっぱいに吸い込まれて、清浄せいじょうな空気が身体のすみずみまで、満ちる。

 踏みしめる土は、ふかふかと柔らかく、良質な絨毯じゅうたんのようだった。

 相変わらず、猫手川は、なにも知らずに歩いている。

 エリーと橘みやびは、その四肢ししに、土やら、枯葉かれはやらをいっぱいつけて、ふんふんと、鼻を鳴らして、機嫌よく歩いている。

 帰ったらお風呂に入れてやらなくてはならない。猫手川は憂鬱にそう思った。

 ふと、先刻せんこくのエリーの言葉が思いだされて、猫手川はたずねた。

「人間は出世したら、何になるんだ?」

 エリーの言いたいことは、きっと、ありきたりな答えではないのだろう。

 また、ありきたりな答えを、期待しているはずもなかった。

 なぜなら、エリーや宇宙そらのような、しゃべる猫との暮らしは、一筋縄ひとすじなわではいかない反面、驚きと背中あわせの喜びに満ちあふれているのだから。

かみになるのよ」

 と、エリーは言った。

「まあ、この場合は『ほとけ』と言ったほうが、正鵠せいこくているかもしれないわね」

 そうして、エリーは、しぃっ──と、静寂せいじゃくをうながした。

 ざあざあと、樹々の葉擦はずれの音がした。

 静寂のなかで、そのざわめきは、時を追うごとに、大きくなってゆく気がした。

 一瞬、無音のうちに思考は消え去り、視界はぐるりと景色の全貌ぜんぼうをとらえる。生命の煌めきが粒となり、光りだす。

 その瞬間、思考はまた、頭の内側で、現状を描写しはじめた。

 無音のときが終わり、あたりにざわめきがもどる。

 樹々がざわざわと鳴っていた。

「あなたには聴こえないかしら?」

 エリーはささやくように言った。

「……何が?」

「このすずよ」

「……鈴?」

「聴こえる……」

 橘みやびは、ぴんと耳をたてた。

 りーん……、と、かすかな音がした。

 それは、どこかで鳴るむし羽音はおとのような、とても小さな音だった。しかしそれはたしかにエリーの言う通り、鈴の音だった。

「いくわよ」

 と、エリーは歩きだした。

「こっちだよ、猫手川くん!」

 さすがは猫、と、いうべきだろうか。

 ふたりにつづいて、歩みをすすめると、鈴の音はますます明確に、大きく聴こえてきた。

 りーん……、りーん……、と、どこかで鳴る、鈴。

 りーん……、りーん……──

 一行は、はた、と、立ち止まり、その透き徹るような鈴の音に、しばし聴き入った。

「いい音だねぇ」

「ああ、そうだな」

 それはすずやかな緑の香気に、融けるように響いていた。

「……あんまりゆっくりしてはいられないみたいだわ」

 と、エリーは言った。

「どういうことだ?」

「いけばわかるわ」

 エリーは言い、一行はまた、歩きだした。 

 りーん……、りーん……──

 りーん、りーん──

 近づいてきている。

 りーん、りーん、りーん──

 りーん、りん、りん、りん、りーん──

 りーん、りん、りん、りーん、りん、りん、りーん、りん、りん、りん──

 りんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりんりん‼

「うるさいっ!」

「何なのっ! この鈴の音っ!」

 橘みやびは、耳をふさいでうなった。

「この下よ」

 と、エリーは地面を指さした。

「えっ?」

「掘りなさい!」

 言うが早いか、エリーはすぐさま、耳をふさいだ。

「えっ?」

 切羽詰せっぱつまったような鈴の連打が、地面の下から聴こえていた。

───ええー…。

 猫手川は、渋々しぶしぶ、土を掘りだした。

 土を掘りはじめてすぐに、この場所の土が、あたりの土とは違うことに気がつく。

 おそらく、一度、掘り返されている。

 人が横たわるに、充分なほどの大きさで。

「スコップでも、もってくればよかったな……」

「…………」

「…………」

 返事は返ってこなかった。

 ふたりは早々に耳をふさいで、ここから離れた樹のうえにいる。

「スコップでももってくればよかったなー!」

「スコップ~、スコップはいらんかね~」

「スコップ屋さん⁉」

 スコップ屋さんの引くリアカーには、たくさんのスコップが並んでいた。

「ありがたい、ありがたいです! スコップ屋さん!」

「どれにする? この金のスコップか、この銀のスコップか? それともこの超高性能携帯型ちょうこうせいのうけいたいがたマイクロスコップか? 値段はどれも一緒だよ~」

「…………」

 超高性能携帯型マイクロスコップにした。それは見る限りごく普通のスコップであったが──

「たたむとSUICAサイズになった⁉」

「毎度~」

「ありがとうございます! あ、あのー……」

「どうしたいっ?」

「コンパス屋さんは?」

「やめたよ」

「はい?」

「ありゃあ、店じまいだ」

「な、なんで?」

「……売れねえんだよ」

 まあ、そうだろう。と、猫手川は思った。

「そ、そうですか。ずいぶんと早い店じまいで……」

「早いだあ? コンパス屋はなあ、金魚鉢屋きんぎょばちやをやる前からやってんだ。はじめは金魚鉢屋が副業だったってのによお……」

「そ、そうですか。まあ、気をおとさずに……」

───金魚鉢屋さんはまだやってるんだ……。


 しばらく掘りすすめると、こつん、と、なにかが、超高性能携帯型マイクロスコップにあたる音がした。 

 りんっ、と、鈴の音が止んだ。

 鈴の音と入れ替わりに、地中からは、くぐもった、鬼気迫ききせまる叫びが聴こえた。

 ある程度、予想はしていたが……、

「だれか、いる……」

「早く助けてあげなさい」

 音もなく、樹上から降りたった、エリーが言った。

 地中には、棺桶かんおけがうめられていた。

 超高性能携帯型マイクロスコップに搭載とうさいされていた、釘抜き機能を駆使し、天板てんばんをこじ開けると、そこには、鈴を片手に滂沱ぼうだする、袈裟姿けさすがたの男がいた。


 森をでた近くの公園で、猫手川の買ってきたハンバーガーをむさぼりう、袈裟姿の男。

 ポテトを頬ばり、骨付きチキンとともに炭酸飲料で流しこむと、まだ満たされない、シェイクが飲みたい、と駄々だだをこねるので、猫手川は仕方なく、それを買いにいった。

「ボク、チーズバーガーおかわりで」

「食後のコーヒーを所望しょもうするわ」

「…………」

 シェイクを飲み干して、ようやく落ち着いた男は、ぼそぼそと、しゃべりだした。

即身仏そくしんぶつになろうとしていた……」

 と、袈裟姿の男は言った。

「即身仏⁉」

「そうだ。しかし、叶わなかった……」

 男は苦渋の表情を浮かべた。

 即身仏とは、そうが厳しい修行の末、土中どちゅう洞穴どうけつなどで瞑想めいそうをつづけながら絶命し、ミイラとなることである。そのような僧のミイラは文字通り仏さまとしてまつられ、末代まであがめられるのだ。

 この男は、さぞかしとくの高いお坊さんなのだろうか。いや、正直、そうは見えない。

「なぜ、即身仏になろうと、お考えになったのですか?」

 猫手川はたずねた。

 袈裟姿の男は、眉間みけんにしわをよせ、眼光鋭がんこうするどく、猫手川を見つめると、答えて言った。

「だってさー、うちの坊主どもがさあ、俺には絶対そんなの無理だって言うからさー、俺、頭にきちゃってさー、じゃー、やる、つって」

「…………」

───はぁ?

「そうしたらさー、やつら、すぐ埋めやがんの! 寝起ねおきドッキリが即身仏ってないわー。いやー、助けてくれてあんがとね!」

「……ちなみに、いつから埋められていたんですか?」

「ん? ああ、かれこれ半日くらい? でもさー、俺がひょっこり帰ってきたら、あいつらビビるだろうなー。仏は言いたもうた『なんじ、まだ死すべきではない』とかなんとか言っちゃってさー、俺、マジ神じゃね?」

「帰りましょ」

 と、エリーは言った。


       4


 菫色が紫色に融けて消える。

 はおちて久しく、通りの家々からは夕餉ゆうげの気配もすでにうすらいでいる。

「お腹もすいたし、もう、くたくただよ……」

 猫手川が肩にかけたトートバッグのなかで、橘みやびは弱々しく言った。

 少し遠出をする時には、必ずもってゆく、猫運搬用トートバッグだった。

「もうすぐ着く。というか、一番疲れているのは、間違いなく僕だぞ……」

 無益な遠出に、穴掘り。行き帰りに、猫ふたり分の荷重かじゅうを肩にかついだ猫手川は、もう、ぐったりと疲れている。

 身体は泥だらけで、腰が非道く重かった。

 そんなおり、突然、ひょこっとバッグから顔をだしたエリーは、ふんふん、と、鼻を鳴らして、

「うにゃあ!」

 トートバッグから飛びだした。

 そうして、そのまま、走っていった。

「……エリー?」

「エリちゃん、どうしたんだろう?」

 橘みやびは首をかしげた。

「……はっ!」

「ど、どうした?」

「このにおいは……」

 えいっ、と、橘みやびはトートバッグから飛びだし、エリーと同じように走っていった。

「……あいつら、どうしたんだ?」

 首をかしげてたたずむ猫手川の、視線のその先──

 小高い丘のうえに建つその洋館の玄関先に、もくもくと、煙があがっていた。

 見れば、エリー、宇宙そら、橘みやびをはじめ、近所の猫たちがこぞって集まり、輪をつくっている。

 その中心には、小出毬コデマリがいた。

 このエプロン姿の女性、小出毬は、猫手川の住むこの洋館の楚々そそたる管理人であり、猫手川の思い人でもある。

「あら、猫手川さん、おかえりなさい。今日はずいぶんと遅かったんですね?」

「ええ。まあ、色々とありまして……」

「ああ、それより、ごちそうさまでした」

 と、小出毬は丁寧ていねいに、ぺこり、と、お辞儀じぎをした。

「え?」

「はまち、おいしかったです!」

 小出毬は、にっこりと微笑ほほえんだ。

 そういえば、あのはまちは食堂の冷蔵庫に置いてきたのだった。

「わたしがさばいて、住人のみなさんで、はまちパーティーしたんですよ? もちろん猫手川さんの分も、ちゃんと残してありますので、ご安心を」

 と、小出毬はウインクをした。

「コデマリさん……」

 なんてかわいらしい人なのだろう。

 と、猫手川は思った。

 そのうえ、あの特大はまちをあっさり捌くほどの料理の腕前。

 小出毬は、一流シェフ顔負けの料理の達人でもある。

「あっ、そういえば──」

 と、小出毬は手をたたいた。

「宇宙がどうしても、猫手川さんのお部屋に遊びにいきたいというもので、つれていったんですけどね。お部屋に鳥さんがいまして、猫手川さんの新しいお友達なのかなーと思って、ちょうどあまった木材があったので、鳥小屋をつくってみました」

「え?」

「あ、あの……、もし、お気に召さなければ、捨ててしまってください」

「い、いえ、そんな! きっとコアジサシも気に入りますよ! 僕はそう、断言します!」

「そ、そうでしょうか?」

「ええ!」

「気に入っていただけたら、嬉しいです……」

 お部屋に置いてありますので、と、小出毬は言い、はにかんだように頬を赤らめた。

───ほんとうに、なんて、かわいらしい!

「と、ところで──」

 と、猫手川は、先刻よりの疑問をたずねた。

「なぜ、このようなことになっているのでしょう?」

 実のところ、小出毬との会話中、ずっと、猫たちが色めきだっている。

 小出毬と猫手川を中心に、輪をつくった猫たちは、もうもうと煙をあげている一斗缶いっとかんに夢中の様子だった。

「ああ、これはですね、かつおをいぶしていたんです。久しぶりにかつお節でもつくろうかと思いまして」

「かつお節⁉」

「ええ。猫手川さんのお部屋にいった時に、とれたてのかつおが、テーブルのうえで跳ねていたので」

「テーブルのうえでっ、かっ、かつおがっ⁉」

「ええ。きっと猫手川さんのうっかりだと、そう思いまして、すぐに捌いて、ひとさくだけ、かつお節用にいただいたんです。ご、ご迷惑でしたか……」

「いいえ! そんな滅相めっそうもない!」

「よかった……」

 小出毬は安心したように微笑むと、集まった猫たちに、小さなおにぎりを配って歩いた。

「まだ身の付いたはまちとかつおのほねを、かりかりにった、ふりかけおにぎりです。みんな気に入ってくれるかしら?」

 猫たちは、うにゃうにゃと、のどを鳴らして歓喜かんきした。

「あっ、それから、今日は大浴場に、薬草風呂やくそうぶろをいれてあります。疲労回復、腰痛なんかにも、よく効くんですよ!」

「コデマリさん……」

───あなたをおよめさんにもらう男は、どれほど幸せ者でしょう……。

 願わくば、と、思わずにはいられない、猫手川だった。


 猫手川がそれをはじめて見たのは、はまちのフルコースを堪能たんのうし──これを小出毬が捌いたと思うと、そのうまさもひとしおであった──薬草風呂で身体をいやし、部屋へと帰った、そのときだった。

 この洋館の二階、猫手川の部屋には、リビングと、寝室、そしてもうひとつ、部屋がある。

 その部屋は、普段、物置ものおきとして使用されていた。

「猫手川さま、おかえりなさいませ」

 その物置部屋から、コアジサシが、ひょっこりと顔をだした。

「ただいま。はまち、おいしかったよ」

「それはなによりでございます」

 コアジサシは丁寧に、ぺこり、と、頭をさげた。

「かつおも、お前がとってきたのか?」

「ええ。ちょっと土佐とさまで」

「はぁっ⁉」

「少しほねが折れました」

「そ、そうか。え、えらいぞ! 明日はかつおパーティーだってさ。お前のおかげで、みんな喜んでたみたいだぞ」

「あっ、ありがとう……ございます……」

 コアジサシは双眸を潤ませていた。

「私、こんなにほめられたのってはじめてです! それに、こんなに素敵なお家までもらってしまって」

「ああ、コデマリさんのつくった鳥小屋か。どんな感じなん──」

 猫手川は、しばし、絶句ぜっくした。

 その鳥小屋は、本格的な東屋風あずまやふうのつくりをしており、物置部屋をいっぱいに使って建てられたそれは、悠々ゆうゆうと人が住めるほどに巨大な鳥小屋、いや、建造物、だった……。

「ね、素敵でございましょう!」

 と、コアジサシは上機嫌に囀った。

「…………」

───なんか、だんだんノッてきて、気がつくと、想像以上のものができちゃってることって、あるよね……。

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