第八話 経済戦略局と未来の模索

2034年、AIの進化はついに「次の段階」へと突入していた。もはやそれは単なるツールや補助的存在ではなく、人類が構築してきた知識と判断力を遥かに超えて進化し続ける「超知能(Superintelligence)」と呼ばれる存在へと変貌を遂げていた。


これまでの取材を通じて、私は智峰 II が地域社会や住民に与える影響の一端を目の当たりにしてきた。彼女(智峰 II)は住民の意見を尊重し、最善の施策を提示し続けている。だが、それでも解決しきれない現実や、住民たちの心の葛藤を前に、超知能の限界を痛感したことも一度や二度ではない。


しかし、国家運営の分野では──話はまるで別物だった。

経済政策において、超知能はその圧倒的な計算力と予測能力を駆使し、数多の経済指標やシミュレーションを基に、これまで誰も到達し得なかった精度での政策立案を行っていた。政策立案において、彼女の存在はすでに不可欠であり、国家の舵取りを担う「新たな頭脳」として確固たる地位を築いていた。


それでも、私は超知能がもたらす未来に対して、一抹の不安を拭いきれなかった。彼女の導き出す「最適解」は、経済の安定を実現し、人々の生活を豊かにすることができるのかもしれない。だが、その裏で私たちが見落としているものはないのだろうか? それは、先日の取材を通して感じた「住民たちの漠然とした不安」と同質のものかもしれない……。


その疑念を確かめるため、私は再び内閣府の経済戦略局を訪れることにした。今度は、彼らがどのように智峰 II の力を利用し、政策を進めているのかを見極めるためだ。


***


2035年の春、私は再び内閣府の経済戦略局を訪れた。これまでの取材で、智峰 II が各地の地方自治にどのような影響を与えているか、その一端を目の当たりにしてきた。だが、経済政策という国家規模の分野では、彼女の影響力はさらに一段と大きく、既に社会全体を屋台骨となりつつあった。


智峰 II は、単なる地方再生のための道具に留まらず、国家経済の舵取りを任される「超知能」として、経済戦略の中心に据えられていた。これまで「人間の知識」では到底対処できなかった複雑な問題を、彼女は瞬時に理解し、解決策を提示してきた。その成果は、経済成長の回復や、地方の雇用安定といった数値にはっきりと表れている。


それでも、心のどこかに「ある種の違和感」を感じ続けている自分がいた。

彼女の示す「最適解」がもたらす効果は明白だ。しかし、それと引き換えに、私たちは何を失っているのだろうか?それを確かめるために、私は今回の取材に臨んでいた。


応接室に通されると、私を出迎えてくれたのは、智峰 II の開発責任者であり、政策アドバイザーを務める林田氏だった。彼は以前と変わらず、落ち着いた雰囲気を纏いながらも、どこか疲れた様子が伺えた。


「お久しぶりです。智峰 II の力を借りて、これまで多くの政策が実行に移されてきました。その成果をぜひ見ていただきたい」


彼はそう言うと、さっそく智峰 II の最新の成果を空間に映し出した。

そこに示されたのは、従来の経済政策では決して実現し得なかったほどの急激な成長を遂げた経済成長率のグラフだった。


「ご覧の通り、知峰 II の施策は、もはや個別の産業や企業の成長戦略にとどまりません。国全体の経済活動を俯瞰し、労働市場、消費、輸出入のバランスを同時に最適化する。国の経済を一つの有機体として捉え、個々の要素を最も効果的に配置するのです」


彼はそう言いながら、空間上のグラフを指差した。そこには、ある地方都市での農業と製造業の生産高が、智峰 II の提案によって見事に最適化され、地域経済の発展に寄与したことが示されていた。


「例えば、この地域では、農業生産が頭打ちになり、若者の流出が止まらなかった。しかし、智峰 II が地域の気候データと土地の利用状況、さらには住民の年齢構成や労働力の移動パターンまでを分析し、農業生産の効率化と製造業への労働者再配置を同時に進める施策を提案したのです。その結果、農業生産は無駄なく運用され、余剰労働力は製造業に吸収されました。この地域の雇用は安定し、住民の流出も抑えられたのです」


林田氏は誇らしげに説明を続けた。彼の言葉には、智峰 II のもたらした成果に対する確信が感じられる。

私は彼の話を聞きながら、智峰 II の圧倒的な予測能力に改めて感心せざるを得なかった。従来の経済政策では考慮しきれなかった細部に至るまで、彼女は精密に把握し、個々の人々の生活にまで影響を与える施策を、これほどの精度で実行できるとは。


「確かに智峰 II の施策は理に適っています。ですが、すべての地域がこのようにうまくいくわけではありませんよね?」


私は尋ねた。これまでの取材で、彼女の提案が住民に受け入れられず、反発を生んだ地域もあったことを知っているからだ。


林田氏は少し黙り込み、真剣な表情で頷いた。


「その通りです。知峰 II が提示する施策は理論的には最適です。しかし、すべての住民がそれを受け入れられるかどうかは、また別の問題です。ある地域では、農業から製造業への転換に強い反発があり、選挙の結果、住民の一部が移住を決断する事態もありました。政策の最適化には痛みを伴う場合もあります」


彼の表情が曇る。その言葉には、超知能が経済政策の合理性を飛躍的に高めても、社会全体がそれに追随できるわけではないという現実が含まれていた。


「知峰 II が示すのはあくまで『最適解』です。しかし、そこに人々の感情や地域の価値観が完全に反映されるわけではありません。だからこそ、私たち人間の役割が重要になるのです」


彼の言葉には、超知能に政策立案を委ねながらも、人間がそこにどのような価値観を付与し、どのように社会に反映していくべきかという葛藤が滲んでいた。経済政策は単なる数値の最適化ではなく、社会全体を包括する価値判断を伴うべきものだ。しかし、超知能がこれほどまでに優れた提案を示す中で、私たち人間はそれに対し、どのような意見や意志を持てば良いのか──。


私はその点に、これまで以上に強い疑問を感じていた。



林田氏の説明によれば、智峰 II はもはや単なる経済政策のアドバイザーではなく、国家の舵取りを担う「第二の頭脳」としての役割を果たしているという。彼女の提示する施策は、これまでにない精度で経済成長と安定を実現していた。


だが、その裏で私は異なる一面を見てきた──智峰 II の提案を受け入れ、変革を進めた地域で、住民たちが次第に「自分たちの価値観や意志」を失いつつある姿を。彼らは理論的な正しさを理解し、合理的な決断がもたらす利益を享受しながらも、自らの選択を手放し、次第に智峰 II に頼るようになっていた。


「確かに智峰 II の施策は効果を上げています。しかし、それを受け入れることで、住民たちは自分たちの意志や生活をどう捉えているのでしょうか?」


私はそう問いかけながら、ふとこれまでの取材で出会った人々の顔を思い出していた。彼らの目には、常に「自分たちで決断する力」を手放していくような、どこか虚ろな光が浮かんでいた。


林田氏は短くため息をつき、静かに言葉を続けた。


「多くの人は智峰 II の提案が正しいと分かっているんです。最善の選択肢を選ぶことが、自分たちにとって最も合理的であることも。でも、だからこそ、自分たちの『正しさ』を諦めざるを得ない。そうして、次第に智峰 II の判断に従うようになっていく……」


彼は一瞬言葉を切り、私の目を真っ直ぐに見つめた。


「住民たちの中には、智峰 II の提案に異を唱える人も少なからずいました。『それは本当に私たちのためになるのか?』とね。でも、彼女の示す数字と実績が、彼らの反論を次第に飲み込んでいったのです。やがて、彼らは反論することを止め、黙って受け入れるようになっていく──まるで、自分たちの声が価値がないこと見なしたように」


その言葉に、私は息を呑んだ。


「つまり、彼らは智峰 II の正しさを知り、納得している一方で、自分たちの正しさを諦めてしまった、ということですか?」


「そうです。そしてその諦めは、彼らの意志を次第に弱めていきます。彼らが“自ら考え、決断すること”を放棄し始めていることに、私は危機感を覚えています」


林田氏の表情には、智峰 II の成功を見届けた者としての誇りと、同時に消え去らない不安が交錯していた。

合理性の中で失われる人々の意志──それが彼の抱える葛藤であり、智峰 II が社会に与える影響の負の側面なのだろう。


***


智峰 II の示す施策は常に「最適解」だ。それは経済的には正しく、地域社会にとっても多くの恩恵をもたらす。だが、そうした施策を受け入れることは、住民たちが「自分たちのやり方」を諦め、智峰 II の合理的な未来にすべてを委ねることを意味しているのではないか──。


智峰 II の提示する政策に従うことが正しいと理解し、彼女を信じる住民たち。彼らはそれを喜び、支えられていると感じている。それでも……。


「信じることと、依存することの違いが分からなくなっているのではないか?」


私はそんな薄気味悪い感想を抱きながら、取材を終えた。

住民たちが自分たちの選択を手放し、彼女にすべてを委ねていく現実──それが最適化された社会の姿なのだろうか。


合理性の中に潜む無機質な未来。住民たちはそれを選び取ったのだろうか?それとも、選ばされているのだろうか?


私は智峰 II の示す「最適解」の先にある、本当の人間社会の姿を模索し続けるしかなかった。


***


2037年、知峰 II の影響は全国に広がり、社会全体に大きな変革をもたらしていた。経済は飛躍的な成長を遂げ、生活水準も向上していたが、その一方で、政策の影響を受けた地域や人々の間には依然として不満や不安が残っていた。人間の役割は変わりつつある。それでも、私たち自身がその変化をどう受け入れ、どう向き合っていくかを考え続けなければならないのだ。

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