第二話 変革の波

2028年、世界は再び激動の時代を迎えようとしていた。対話型AIが社会に浸透し始めたことで、人々はAIを「補助者」として受け入れ始めていた。しかし、ほんの数年でAI技術は飛躍的に進化し、もはや「補助者」ではなく、「対等なパートナー」としての位置づけへと変わりつつあった。この時期を、私は「変革の波」と呼んでいる。


***


2028年の春、私は再び医療現場を取材するため、以前訪れた都内の大病院を再訪した。そこで運用されていた医療AI「OptiHeal」は、さらなる進化を遂げ、複数のモーダル(視覚、音声、テキスト)を統合して診断を行う「マルチモーダルAI」として活用されていた。


診察室に入ると、以前とは異なり、壁一面に取り付けられたカメラやセンサーが、患者の動きや表情をリアルタイムでモニタリングしていた。医師は、患者の訴えを聞きながら、画面上に表示されるAIの診断結果を確認していたが、もはやキーボードやマウスを使うことなく、音声と視線だけでAIと対話していた。


「患者の歩行パターンから、運動機能の低下が見られます。年齢と既往歴を考慮すると、パーキンソン病の初期症状の可能性があります。」


AIの冷静な声が診察室に響く。医師はそれを聞くと、患者の表情を観察し、静かに語りかけた。


「少し歩いてもらえますか?」


患者はゆっくりと立ち上がり、数歩を歩いた。その様子を、壁のカメラが精密に記録し、AIは瞬時に患者の姿勢や歩行速度、微妙な動きの変化を解析した。医師がそれを確認し、画面に表示された解析結果を見て頷く。


「AIの診断通りですね。パーキンソン病の初期症状が見られますが、進行はまだ緩やかです。早期治療を開始すれば、症状の進行を遅らせることができると思います。」


その一連の診断過程を、私は隣室の観察室から見つめていた。以前の取材では、医師がAIの提示する情報に頼っているような印象を受けたが、今回は違った。医師とAIの間には、まるで同僚同士が対話しているかのような「協調」の雰囲気が漂っていたのだ。


診察を終えた後、私はその医師に話を聞いた。


「以前も取材させていただきましたが、AIとの連携がよりスムーズになっていますね。まるで医師というよりも、『相棒』のように見えました。」


医師は少し微笑みながら、私の言葉に頷いた。


「その通りです。最初は、AIの指示に従うだけのような感覚がありました。でも今は、彼(AI)と対話しながら、私の考えを補強するパートナーとして接しています。彼は、私が見落としがちな部分や、患者の微細な変化を捉える力がある。だからこそ、私は自分の直感や経験をより有効に活かせるようになりました。」


この変化こそ、医療現場におけるAIの進化の証だった。AIが単に診断を提示するだけでなく、人間の感覚や直感を補完し、「共に治療を考える存在」として機能するようになったのだ。


***


2029年、AI技術と並行して、新たなデバイスが一般化した。それが、AR(拡張現実)グラスだ。ARグラスは、それまでのスマートフォンやパソコンとは異なり、視覚情報を重層的に提示し、現実世界とデジタル情報を融合することで、新しい形のインターフェースを提供するものだった。


私は、このARグラスを用いた新たな産業を取材するため、東京都内の企業「エルバンダ」を訪れた。ここでは、ARグラスを通じて職場環境の改善や生産性の向上を目指しており、製造業から医療、さらにはエンターテインメント分野に至るまで、幅広い用途にAR技術を応用していた。


「これが、次世代のワークスペースです。」


案内を担当してくれた広報担当者が、私にARグラスを手渡した。グラスを装着すると、目の前の景色が一変した。デスクの上に仮想的なモニターが浮かび、壁際には3Dホログラムのチャートやデータが配置されている。まるで現実世界にデジタルの情報が溶け込んでいるかのような感覚だった。


「例えば、製造現場では、作業員がこのグラスを装着しながら作業を行います。AIはリアルタイムで作業の進捗を管理し、不具合が発生した場合には、すぐに解決策を提示するんです。」


私は広報担当者の説明を聞きながら、グラス越しに映し出される情報を確認した。作業工程を示す矢印や、使用する工具の指示が目の前に浮かび上がり、作業員がどのように動くべきかを直感的に理解できるようになっていた。


「これならば、経験の少ない作業員でも、すぐに業務をこなせるようになりますね。」


広報担当者は大きく頷き、続けた。


「そうです。実際、導入後のミス率は大幅に減少し、トレーニング時間も短縮されました。また、AIが各作業員の動きを分析し、最適な動作や手順を提案することで、業務全体の効率が向上しています。」


このARグラスとAIの組み合わせは、単なる業務支援ツールを超えていた。現場では、AIが各作業員の動きを逐一モニタリングし、データを蓄積して学習し続けている。これにより、作業員一人ひとりの特徴や癖を理解し、より個別化されたサポートを提供するのだ。


私はふと、作業員たちの表情を見つめた。彼らはグラス越しの情報を見つめながら、迷いなく動いていた。その姿はまるで、人間とAIの融合体のように見えた。人間の判断力とAIの解析能力が一体となり、かつては不可能だったレベルの業務精度を実現しているのだ。


取材を終えた後、私は広報担当者に尋ねた。


「しかし、このシステムが普及すれば、現場の作業員たちの経験や知識はどのように変わるのでしょうか?人間の能力がAIに依存しすぎることで、技能が失われてしまうのではないかと懸念されることもあるかと思いますが……」


広報担当者は少し考え込んだ後、真剣な表情で答えた。


「その懸念は私たちも常に考えています。確かに、AIが人間の判断力や知識を超える場面が増えると、従来の経験や技能が軽視されるリスクはあります。しかし、私たちは『AIが人間を超えるのではなく、人間の可能性を広げる』ことを目指しているんです。AIはあくまで補助者であり、最終的な決断を下すのは人間であるべきだと。」


彼の言葉には、技術者としての信念が込められていた。AIとARグラスの進化は、確かに社会を変えつつあったが、その中で人間の存在意義や役割を問い直す必要があるのだと。


***


2030年、私はさらに別の分野──エンターテインメント業界におけるAIとAR技術の融合を取材するため、ある有名アニメ制作会社を訪れた。そこでは、AIとARを組み合わせて、視覚的な演出だけでなく、物語の創作やキャラクターの個性を「共創」するプロジェクトが進行していた。


私が案内されたのは、広々としたスタジオだった。天井からは無数のカメラとセンサーが吊り下げられ、中央には大きなARグラスを装着したスタッフたちが立ち並び、空中に浮かび上がるキャラクターの3Dモデルに向かって手を動かしていた。


「ここでは、AIが自動生成したストーリーやキャラクター設定を基に、クリエイターたちが新たな作品を生み出しています。」


説明をしてくれたプロジェクトリーダーの女性は、私に一つのシーンを見せてくれた。AR空間には、2人のキャラクターが対話している様子が映し出されている。


「この対話は、AIがキャラクターの性格や背景を考慮して、自動的に生成したものです。さらに、クリエイターがその内容をチェックし、微調整を加えることで、より一層キャラクターに深みを持たせることができます。」


私は、映像の中で自然に対話するキャラクターたちを見て、まるで彼らが自分の意志で話しているかのような感覚を覚えた。AIが設定した性格やバックストーリーを基に、彼らはまるで「生きている存在」として動き、話し、感情を表現していたのだ。


「これからのエンターテインメントは、AIと人間の共創によって新たな可能性を切り開いていくと考えています。AIがストーリーの枠組みを提供し、クリエイターがその中で自由に表現を加えていく……これまでにはなかったスピードと創造性を実現できるんです。」


しかし、私はその一方で、クリエイターたちの表情に一抹の不安を感じ取った。AIが「枠組み」を提供することで、彼ら自身の創造性はどう変わるのか?AIに導かれる創作活動が、「本来の創造力」を損なうのではないかという懸念はないのか?


プロジェクトリーダーにその点を尋ねると、彼女は少し黙り込んだ後、静かに答えた。


「AIが作り出すストーリーや設定は、非常に緻密で、時には人間の想像力を凌駕することさえあります。そのため、私たちはAIに頼りすぎることで、自分たちの創造性を失ってしまうのではという危機感を抱くこともあるんです。でも、だからこそ人間はAIが生み出した『枠組み』に縛られないよう意識し、新たなアプローチを模索しなければなりません。AIとの共創は、私たちが自分の限界を問い直し、より自由な発想を引き出すきっかけとなるのです。」


彼女の言葉には、クリエイターとしての自負と、AI時代における新たな可能性を模索する覚悟が滲んでいた。


***


2028年から2030年にかけて、AIとAR技術は社会のあらゆる分野に浸透し、単なる補助者から「共創者」へと進化を遂げていた。その過程で、AIはもはや人間を支える存在ではなく、人間と共に「未来を創る存在」として認識されるようになっていった。


私たち人間は、AIに依存するのではなく、共に新たな可能性を切り拓くパートナーとして、その存在を受け入れることを求められていた。変革の波は、私たちの仕事、生活、創造性に深く影響を与え、人間のあり方そのものを再定義しようとしていたのだ。


そして私は、その波の中で、AIと人間がどのように共に歩むべきなのかを問い続けながら、次なるステージへと進んでいく社会を見つめ続けることとなるのである。

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