第一話 発展の始まり

2026年、AIの技術は目覚ましい進化を遂げ、社会全体にその影響が急速に広がり始めていた。新聞記者として、私はさまざまな分野でAIの実用化が進む現場を取材し、その変革の様子を目の当たりにしてきた。しかし、それは単なる技術の進化にとどまらず、社会全体の仕組みを根本から変えていく「革命」であった。


その年、私は法律事務所でのAIサポートシステム導入に関する取材を依頼され、都内にある老舗の法律事務所を訪れた。そこでは、最新のAIサポートシステムが法的情報の提供や、判例の検索を効率化することで、弁護士の業務を支援しているという。


応接室に案内されると、弁護士とクライアントが向かい合って座っていた。その隣には1台の大きなモニターが置かれ、画面には「Legal Assist-A」と表示されていた。


弁護士が「契約書の条項に関する情報の提供を求める」と入力すると、画面上に関連する法的情報が次々と表示され、さらに過去の裁判例や参考文献が詳述された。


「この契約書の条項には、将来的なリスクを考慮して文言を追記することが推奨されます。また、過去の判例に基づき、契約上の『合意』の定義をより明確にすることが重要です。」


クライアントは画面を食い入るように見つめながら、頷いていた。そして、それまで無言だった弁護士が「AIの提示した情報を踏まえ、次の案をご提案させていただきます」と言った時、私はこの光景をただ見守ることしかできなかった。


私の中で、弁護士はクライアントと向き合い、彼らの悩みや希望をくみ取り、法律を駆使して問題解決に導く存在であった。しかし、ここにいる彼は、まるでAIの示す情報を参考にしながらも、最終的な判断を下す「判断者」として、AIと共に仕事を進める「共同作業者」のように見えた。私は弁護士に話を聞くことにした。彼は私の質問に答える前に、一度大きく息を吸い込み、視線をAIの画面から私へと移した。


「正直、AIが提供する情報に頼ることが増えたのは否めません。AIは判例の山をものの数秒で調べ上げ、私が見落としていた細かな部分まで示してくれる。仕事の効率は格段に上がりましたが……時々、彼と協力する中で、私自身の役割とは何かとふと考えることもあります。」


彼の言葉には、職業人としての危機感が漂っていた。AIが単なるツールではなく、ある種の「共生者」としての位置を占め始めたことに対する違和感。その違和感こそが、2026年の社会全体に広がり始めたものだった。


***


法律分野での取材を終えた翌月、私は医療現場でのAI導入の様子を取材するため、都内の大病院を訪れた。この病院では、最新の医療AI「OptiHeal」が導入されており、患者の診察や診断をサポートする実証実験が行われていた。


取材当日、私は院長に案内されながら、AIを使用した診察が行われている診察室を訪れた。中に入ると、白いコートを着た若い医師と、診察台に座る初老の男性患者が目に入った。壁際のモニターには「OptiHeal」のロゴとともに、AIの推奨する診断結果が表示されている。


医師はカルテに目を通しながら、患者に質問を投げかけていた。


「最近、頭痛やめまいを感じることはありますか?それと、過去に心臓疾患での通院歴がありますか?」


患者が「はい、あります」と答えると、医師はその情報をAIに入力した。すると、瞬く間に画面上にいくつかの診断候補が提示され、それぞれに対応する治療法やリスクの詳細が表示された。


「患者さんの症状は、おそらく初期の心臓病の兆候です。過去の病歴を踏まえると、次回の検査では血圧や心拍数の測定を行い、必要に応じてカテーテル検査を実施することをお勧めします。」


AIの提示した診断結果をそのまま読み上げた医師は、患者の表情を見つめ、ゆっくりと話しかけた。


「検査は少し大変かもしれませんが、万が一のことを考えて、事前に検査を受けておくことが大切です。お体を大事にしてくださいね。」


患者は医師の言葉に感謝の意を述べ、その場を後にした。私は、診察を終えた医師に声をかけた。


「AIが診断を提示することで、医師の負担は軽減されていると思いますが、診断の正確さについてはどう感じていますか?」


医師は少し微笑みながら、私を診察室の外へと促し、静かな口調で語り始めた。


「正確さは申し分ありません。データベースに基づいたAIの判断ですから、私の経験に勝る場合も多いです。ただ、私はあくまで『患者さんと向き合う』ことを大切にしたい。AIの判断がいかに正確でも、患者さんの表情や声のトーン、些細な動作から読み取れる不安や痛みを見逃してはいけないと思うんです。」


彼の声には、AIを受け入れつつも、人間としての「本質的な医療」を守りたいという強い意志が感じられた。AIが提案するデータを超えて、患者と向き合うことの重要性を再認識し、医師としての役割を問い直しているのだろう。


「技術は確かに進化しています。でも、私たち医師は、AIがどれだけ優れていても『人と人』の関係を大切にしたい。その中で、AIをどう使うかが問われているのだと思います。」


その言葉は、AIが単に医療の効率化を図るツールでなく、人間同士の関係性の中に組み込まれるべき存在であることを示唆していた。


***


2027年の初め、私は地方の中学校でAIを活用した教育プログラムの取材を行った。この学校では、教育AI「SoyaBot」が授業の一環として導入され、児童たちはそのAIと一緒に勉強を進めることに慣れ始めていた。教室に足を踏み入れると、そこにはかつて私が知っていた学校の風景とは異なる、未来的な光景が広がっていた。


教室の中央に設置された大きなスクリーンには、柔らかな表情を浮かべたデジタルアバターが映し出され、子どもたち一人ひとりが持つタブレット端末の画面に問題やヒントを表示していた。児童たちは全員、その画面に向かって真剣な眼差しを向け、夢中になって問題を解いていた。手元のタブレットには、カメラとマイクが内蔵されており、子どもたちの表情や声のトーンをリアルタイムで解析しながら、個別の進捗に応じてアドバイスやヒントが提供されていた。


「みんな、次の問題に進もうか。この問題は少し難しいかもしれないけど、一緒に考えようね!」


スクリーンに映し出されたアバターが優しい声で語りかけると、子どもたちは一斉に顔を上げ、アバターの目を見つめた。その様子を見て、私は彼らがAIに対してまるで「友達」に話しかけるかのような親近感を抱いていることに気づいた。子どもたちは楽しそうに笑顔を見せながら、再び画面へと向き直り、次々と問題に取り組んでいった。


授業の終わりに、私は教室の隅でノートに取材メモを書き込んでいた。すると、一人の男の子がタブレットを閉じて、ふと私の方を見た。彼の視線を感じた私は、自然と声をかけてみた。


「こんにちは。今日の授業はどうだった?」


少し驚いた表情を見せた男の子は、恥ずかしそうにうつむいた後、小さな声で返事をしてくれた。


「……うん、楽しかった。」


その言葉に私は頷きながら、彼の言葉の奥にある感情を探るように、もう一歩踏み込んで質問をしてみた。


「SoyaBotと一緒に勉強するのは、普通の授業とどこが違うと思う?」


彼はしばらく考え込み、言葉を選ぶようにゆっくりと答えた。


「えっと、先生の授業も好きだけど、SoyaBotの方が僕のペースに合わせて教えてくれる。少しわからないなって思ったら、すぐにヒントをくれるし、何回も説明してくれる。」


その言葉を聞いたとき、私は彼の小さな声に込められた安心感を感じ取った。確かに、AIは生徒一人ひとりの進度や理解度をリアルタイムで把握し、最適な学びのサポートを提供する。教室という集団の中で、誰にも気を使うことなく自分のペースで学べることは、彼にとって大きな安心感と喜びをもたらしているのだろう。


「そうなんだ。先生の授業だと、時々ついていけないって感じることもあったのかな?」


私の問いかけに、彼は小さく頷いた。


「うん……先生はみんなの前で授業をしてるから、僕だけ遅れてるって言えない。『わかりません』って言うのは、ちょっと恥ずかしい。でも、SoyaBotはわからないって言わなくても気づいて、教えてくれるから……すごく優しい先生みたいな感じがする。」


私は彼の肯定的な言葉に微かな疑問を感じた。AIが生徒たちの理解度を把握し、彼らが何を知っていて何を知らないのかを即座に判断することで、子どもたちは「わからない」と自分から声をあげることなく、問題を解決してしまう。これは確かに素晴らしい技術であり、彼らの学びを促進するものだ。しかし、同時に「わからない」と言えない状況や、自分の言葉で説明しようとする意欲を失わせてしまう可能性も孕んでいるのではないか──そんな懸念が私の胸に生まれた。


「じゃあ、SoyaBotがいないときに、先生や友達に質問するのはどう?」


私はあえてその質問をしてみた。彼は少し戸惑ったように眉を寄せた。


「うーん……SoyaBotがいないと、手を挙げてって言うのは、ちょっと緊張する。SoyaBotなら、どう感じてるかもちゃんと見てくれるし、先生に聞くより気楽に質問できるから、もしSoyaBotがいなくなったら……ちょっと困る。」


彼の言葉に、私は胸の奥に冷たいものを感じた。AIが提供する安心感は、彼の学びを支えている一方で、彼自身が「人と向き合う」ことへのハードルをさらに高くしてしまっているのかもしれない。教育は、本来、対話や葛藤の中で学ぶものであり、そこで得た「自分の言葉」が子どもたちの成長を支える。しかし、彼の言葉からは、AIに頼ることでその「対話」を避ける傾向が生まれていることを感じ取った。


授業を終えた子どもたちは、楽しげに教室を出ていった。その背中を見送りながら、私はノートにこう書き残した。


「AIは、子どもたちにとって優しい先生であり、失敗を許容する存在だ。しかし、優しすぎる教育が本当に彼らのためになるのだろうか?失敗を怖がらずに学べることは素晴らしいが、その裏で、彼らが人間との対話や葛藤、悩みから学ぶ機会を失ってしまうことはないのか?


子どもたちは、AIという優しい存在に守られながら成長している。しかし、現実社会は失敗を伴い、必ずしも優しくはない。人間としての『耐え抜く力』や『失敗から立ち直る力』を育むことができるのだろうか?AIが子どもたちに安心を与えすぎることで、彼らが学びの本質──困難を乗り越え、自ら考え抜く力──を失ってしまう可能性はないのか?」


私はその後、教室を後にし、校舎の外に出た。遠くで子どもたちが遊ぶ声が聞こえ、無邪気な笑顔が溢れていた。彼らにとって、AIは「優しい先生」であり、困難な問題にも付き合ってくれる大切なパートナーだろう。


だが、私はその優しさの中に潜む「危うさ」を見過ごすことはできなかった。AIが教える「正解」は、確かに子どもたちを導く。しかし、子どもたち自身が「自分の考え」で間違え、失敗し、その中で成長していくことは、決して「正解」を教えてもらうことでは得られないのだ。


これからの教育は、どのようにしてAIと共存し、子どもたちの「考える力」を育んでいくのか。それは、未来の教育にとって最大の課題となるだろう。私はこの「優しい教室」の中で、子どもたちが得たものと失ったもの、そのすべてを見届けなければならないと強く感じていた。


***


2026年から2027年にかけて、法律、医療、教育といったあらゆる分野でAIは急速に普及し始めた。しかし、その裏には、技術に対する歓喜と共に、人々の心の中に生まれる戸惑いや不安が潜んでいた。


私たちは、AIという新たな同僚、時には指導者と共に働くことを求められている。そして、それが意味するのは、単に「便利なツール」としてのAIではなく、「人間のあり方そのもの」に直面することだったのだ。


AIとの共生は始まったばかりであり、私たち人間は、その中で自らの役割と価値を問い直さなければならない時代に突入した。2026年から2027年は、その最初の一歩を踏み出した年であり、私自身もまたその道を共に歩む証言者として、その変革を見届けることになるのだ。

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