夏の残り香

俺がまだ小学生だった頃。

「ナツ…どうしたんだよ、また誰かにいじめられたのか?」

「う、うん…ぐすん」

幼なじみで同級生の女の子、ナツを俺は慰めていた。

「俺が絶対なんとかしてやるから、だからもう泣くなよ」

「本当…?」

やっと泣き止んだナツの頭を俺はクシャクシャと撫でてやる。

「だってナツは…俺のお姫様みたいなものだからなっ」

「えへへ…私、ワカバ君のこと大好き」

ナツは笑ってギュっと抱きついてきた。


~~~~~~~~~~~~~~~~


そして、俺は高校生になった。

高校生になったナツは、相変わらず泣き虫でちょっと天然で。

いじめられることも多いみたいだ。

(お姫様…か)

我ながら、昔はそんな恥ずかしいことをよく平気で言えたものだと思う。

言葉では言えなくても、俺の中でナツが大切な存在なのは今も変わらないが。


「ナツ、なんか元気ないな。何かあったか?」

放課後、校庭のベンチにナツと二人で座って話した。

「え、そう…?ちょっとお腹が空いてるからじゃないかな」

誤魔化したって、その顔を見ればバレバレなんだけど。

(まぁいいか)と思って、帰りにたこ焼きを買って二人で食べながら帰った。

「熱々でおいひぃね~」なんて頬をほころばせて言うナツを見てるとこっちまで少しニヤけてしまう。

ソースと青のりで汚れたナツの口元をハンカチで拭き取ってあげる。

「えへへ…ありがとう」とナツは微笑む。

(うん…やっぱ今でもお姫様だな、ナツは)


次の日の放課後、俺は同級生のユリを空き教室に呼び出した。

「ワカバ君、用事って何かな?」

「ユリ、とぼけるなよ?お前、ナツの事いじめてるだろ」

「え~?私、そんないじめなんて…」

ユリは笑って誤魔化そうとしたが、真剣な俺の顔を見て表情を変えた。

「だってさ…あの子、見ててムカつくんだもん」

突然の豹変に俺は少し動揺したが、ここで押し負ける訳にはいかない。

「じゃあ、どうしたらやめてくれるんだ?」

俺の質問に、ユリは少し考える素振りをした。

「ワカバ君…私と付き合ってくれないかな?」


俺はユリと付き合うことになった。

正直、乗り気ではなかったが…これでナツがいじめられなくなるなら、と了承した。

放課後はユリとのデートに時間を費やさなければならなかった。

それまではナツと一緒に帰るのが日常だった。

「ナツごめん、今日から一人で帰ってくれるか」

ナツは少し寂しげな表情を見せたが、すぐに微笑んで「わかった」と言ってくれた。

「彼女と上手くいくように、私も応援するね」

そんな健気に言うナツを見て、俺は心にチクリと痛みを感じた。


ユリと映画を観に行った。

ユリはややオーバーに思えるリアクションをしたり腕に抱きついてきたり。

懸命に盛り上げようとしてくれてることは分かった。

俺はというと、心ここにあらずという感じで少し申し訳なく思った。

帰りにクレープを買って食べたりも悪くなかった。

クラスの男子に聞かせれば、まず羨ましいと言われるだろう。

でも俺にとっては、なんだか味気なく感じられてしまうんだ。

離れてみて初めて感じる存在の大きさってあるんだな。

今までナツが近くにいる事なんて、なんか当たり前に思ってたから。


道端で猫を見つけた時。

ユリは「めっちゃかわいい~」なんて言いながら携帯で写真を撮り始める。

友達にでも見せて盛り上がるんだろう。

なんかいかにも「今風の女子」って感じだ。

ナツは猫を抱きかかえようと奮闘して、猫に思いっきり引っかかれてたっけ。

傷だらけになったナツに絆創膏を貼ってやって、いつもみたいに頭を撫でてやったのも今では懐かしい。

ユリが笑顔を見せるたびに、その向こう側にナツの笑顔を思い浮かべてしまう。

ナツならばこうしたんだろうな~とか。

ナツは今頃どうしてるんだろう~とか。

一緒にいる相手をそっちのけで他の人のことを考えてしまうなんて。

俺って、こんなにひどい奴だったっけ。


学校の昼休み。

ナツがいるクラスの教室をこっそり廊下から覗いてみる。

3~4人の友達と集まってお弁当を食べていた。

楽しそうにニコニコしながら、ナツはほっぺを米粒だらけにしていた。

それを見て俺はホッと安心する。

前までは一人でお弁当を食べてばかりいるって聞いたから。

「ワカバく~ん?お弁当持ってきたよ~」

後ろからユリに呼びかけられ、俺は慌てて踵を返した。


空き教室の机に座って、俺とユリは弁当を一緒に食べる。

「見て見て、この唐揚げ…今日は上手く出来たんだよ」

ユリはキャッキャしながら自慢する。

「うん、これは美味しいね」

実際、とても美味しくて不満はなかった。

ナツも何回か唐揚げを自分で作ってきた事があるが…

揚げすぎでなんだかパサパサしていて、塩と砂糖を間違えたような甘い味がした。

「これって…サーターアンダギーか?」

そう言ったら「ひどーい」と言ってほっぺをプクーッと膨らませてた。

あの時のナツも可愛かったな…


ユリと付き合い始めて3ヶ月が経とうかという頃。

俺はユリに別れを切り出すことにした。

「やっぱり…そうなんだね」

ユリはにわかに態度を豹変させた。

「あの女のことが、そんなに好きなんだ…」

俺はユリの目をまっすぐ見ることが出来なかった。

「でもまぁ…仕方ないか。いいよ、別れてあげる」

意外にもあっさり引き下がったので、俺は少し不安そうにユリの顔を見た。

「わかってる…いじめももうやらない。そんな事してもワカバ君は手に入らないって分かったから」

ユリはそう吐き捨てるようにして、空き教室から出て行った。


久しぶりにナツと一緒に帰る時間は、懐かしさと幸福で満ちていた。

「よかった…よかった……」

なぜか急に泣き出したナツ。

俺はナツにも寂しい気持ちを背負わせてしまっていたのだろうか。

ポケットからハンカチを取り出して、ナツの涙を拭ってあげる。

「えへへ…そのハンカチ、まだ持ってたんだね」

「これは…お前の口元や涙を拭く専用みたいなものだからな」

俺はナツと一緒になって笑った。


ドンッ!

突然、後ろのほうから何かが走ってきてナツの背中にぶつかった。

「あははっ…ざまあ見やがれ、このブス女!」

ユリだった。

手には何か光るものをもっている。

その先端からはポタリポタリと血のしずくが…

それからユリは狂ったように走って逃げていった。


ナツが倒れ込んでいた。

背中には血の染みがみるみる広がっていく。

「ナツ!大丈夫か…!」

俺はナツを抱きかかえる。

「ワカバ君…痛い…苦しいよぉ…」

ナツの顔はもう青ざめてきている。

後ろから一部始終を見ていたらしい通行人が携帯で救急車を呼んでくれていた。

俺は必死でナツに呼びかける。

「ナツ、すぐ救急車くるからな。まだ眠っちゃ駄目だぞ?」

ナツは虚ろな目で俺の顔を見ている。

「ワカバ君…私ワカバ君のこと、昔から…今でも、ずっと大好きだよ」

俺は涙をにじませながら応える。

「俺もナツの事、大好きだ。誰にも代えられない、世界で一人だけのお姫様だよ」

「えへへ…嬉しい……私、幸せだぁ……」

それがナツの最期の言葉だった。


~~~~~~~~~~~~~~~~


あれから何日が過ぎただろうか。

ナツが大好物だったたこ焼きとリンゴジュースを買ってお墓に供えた。

ナツを失って心に空いた大きな穴は…まだ塞がりそうにない。


制服のポケットをまさぐると…あのハンカチがまだ入っていた。

鼻に近づけて匂いを嗅いでみる。

なんだかナツの匂いがまだ残っている気がした。

ナツが置いていった微かな残り香……

それを頼りにこの先、何年何十年と俺は生き続けるんだろう。

俺はとてもやりきれない気持ちになって、夏のまぶしい太陽を見上げた。

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