姫に捧げる鎮魂歌

ポテにゃん

姫に捧げる鎮魂歌

時刻は深夜3時。

ロープと踏み台の準備はオーケー。

あとは…一歩を踏み出す勇気だけだろう。

僕は大きな樹がある近くの公園に出掛けた。


深夜の公園は静まり返っていた。

まぁこんな時間に来るのは僕のような不審者か浮浪者ぐらいのものだろう。

ロープを掛けるのにちょうどいい枝はどれかな…と探してみる。

ポンポン…っと誰かに肩を叩かれる。

思わず「えっ……」と声をこぼしながら振り向く。

モフッ……

突然やわらかい感触に包まれたので言葉を失ってしまう。

どうやら僕の後ろに立っていた女性にハグをされたようだ。

「早まっちゃ駄目ですよ…!」

呆然と立ち尽くす僕に女性はそう言った。


それから公園のベンチに二人で座った。

女性の名前はハルというそうだ。

僕も名前を聞かれて「ツクシです」と答えた。

僕は正直、ハルにハグされた時の感触を思い出して赤面していたと思う。

(とても柔らかくて…温かかった)

女性にハグをされたのはいつぶりだろう。

ハルは近くの自販機で缶ジュースを買ってきてくれた。

「はい、どうぞ」

「あ、ありがとうございます…」

二人で何気ない会話をポツリポツリと交わした。

僕が死のうとしていた事は察していたはずなのに、その件には触れてこなかった。

僕はジュースを飲みながら隣に座るハルの顔をチラチラ見た。

歳は僕の一つ下だというが、どこか年齢よりも大人びた雰囲気だった。

「少しは落ち着いてきたかな…?」と聞かれ「はい…もう大丈夫です」と僕は答えた。

実際、自殺を考えていた事は頭の中からすっかり消えてしまっていた。

(そういえば、こんな時間にハルは何をしに公園に来たんだろう)

頭の中にわずかな疑問を感じたが、僕はそれを聞けなかった。


あの夜から僕とハルはたびたび逢って二人きりの時間を過ごした。

僕はベンチに座って本を読み、ハルは隣に座って絵を描いていた。

ふと互いに目が合うと、フフッと微笑むハルに僕は何度も胸がときめいていた。

ハルと一緒の時間だけは「死」という概念が僕の脳から消え去った。

「お姫様、紅茶をどうぞ…あいにく缶の紅茶で恐れ入りますが」

僕が冗談交じりでそんなことを言うと、ハルは顔を少し赤くして照れていた。

姫…そう、僕にとってハルは突然目の前に現れたお姫様だった。

ハルとの時間が、ずっとずっと…永遠に続けばいいのに。

そんな叶うはずのない夢を僕は胸の中で想い描いていた。


ある日、いつものように公園のベンチに座りハルを待っていた。

いつもより遅れてやってきたハルはなんだか様子がおかしかった。

髪の毛や衣類が少し乱れていて、息を切らしていた。

どうしたのかと聞いても、何も話そうとしない。

とりあえずハルをベンチに座らせ、自販機で缶の紅茶を買ってくる。

二人で紅茶を飲んでいると、ハルは少し落ち着いたのかポツリポツリと話しはじめた。

「私ね…父親に乱暴されてるの」

何年も前から父親に性的暴行を受けていること。

二度妊娠をし、中絶をしていること。

出会った日の夜、本当は自殺を考えていたこと。

僕にとってそれはとてもショッキングで打ちのめされるような気分だった。


自分の部屋に女性を連れてくるのは初めての事だった。

「ちょっと散らかってるかもだけど…どうぞ」

「ここがツクシ君の部屋か…男の人にしては綺麗だね」

ある時期から僕はあまり物を買わなくなったから…そのせいかな。

ハルは僕のベッドの上にちょこんと座った。

僕はハルの隣に寄り添うように座った。

「お姫様にふさわしい部屋とは思えないけど、よかったらゆっくりおくつろぎ下さい」

そう言ってハルの手の甲にキッスをする。

「ツクシ君…いや、王子様…ありがとう」

そう言ってハルは顔を赤らめて可愛く微笑んだ。


シャワーを浴びて髪をドライヤーで乾かしたハルはベッドに横になった。

「ねぇ…王子様。私はいつでも受け入れる準備できてるからね」

なんだか色っぽい表情を見せるハルに僕の心臓はバクバクだった。

でも…僕にはハルを抱くことは出来なかった。

ハルにも話せていない秘密…僕の血は呪われていたから。

ハルと交わることは許されない…

この時ほど僕は自分の血を恨んだことはないだろう。

僕は大好きなハルの寝顔を優しく撫でて、ギュっと抱き寄せるのが精一杯だった。

(ああ…愛しのお姫様。この時間が永遠に続けばいいのに)


何日か僕の家で過ごした、ある日の夕方。

ハルは家から持ってきたい物があるというので、自分の家へ帰ることになった。

僕は心配したが、ハルは一人で大丈夫と言って出掛けて行った。

夜になる。

ハルは戻ってこない。

何か不吉なものを感じた僕はハルの家まで行くことに。

ハルの家はここからそう遠くない。

ハルの家に着くとほぼ同時に、中からハルの父親らしき男が出てきた。

「ん…?お前がハルの言ってた王子様ってやつか」

僕は黙って男の顔を睨みつける。

「いつもは抵抗しないハルが、今日はいつになく反抗的だった…理由はお前に惚れたからだろう」

男は喋りつづける。

「俺もあそこまでやるつもりはなかったんだ…」

男はそう呟くとどこへともなく去って行った。


鍵が開け放しの玄関を開いて中へ入る。

ハルは…リビングに倒れていて、既に冷たくなっていた。

(姫…姫が死んでしまった)

僕はハルを抱きかかえて悲しみにくれた。


ハルに話せなかった秘密。

僕の血は忌々しい感染症で呪われていた。

「死」という概念は常に僕の近くにあるものだった。

それと同時に「生」という呪縛から解放される甘い誘惑でもあった。


僕はハルの口に優しくキスをした。

初めてのハルとのキスは微かな血の味がした。

「お姫様…そろそろお目覚めの時間ですよ。キスには不慣れなものですみませんが」

…しかしハルはもう二度と微笑んではくれない。


あの夜…ハルと出逢って、僕はとても幸せだった。

ハルと二人きりの時間は、「死」も「苦痛」も忘れさせてくれるモルヒネのような存在だった。

そろそろ夜が明けようとしている。

僕とハルが過ごした時間も、望んだ幸せも…儚く消えていく。

まるで明け方に見る淡い夢のように。

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