第4章  秋晴れSailng




「ちょっとナツ!! なんでソレそんなに買うの? はずかしいじゃない!」


薬局で、シャンプーや洗剤の入った買い物カートを一緒に押していたナツは、棚から紫の小箱を7、8個掴みとってバサっとカートに入れる。


「なに? ソレってコンドー――」


バッとわたしはナツの口もとを押さえた。


「どうしてナツはそうはずかしげもなく、なんでも正式名称を使うかなぁ」


「じゃあゴム」


今度は単語が短すぎてナツの口を押さえるヒマがなかった。


「もうっ!! はずかしいからこんなに買わないでよ。っていうか、一緒の時に買わないで」


声をひそめるようにしてわたしはナツに抗議をした。


「メンドくせぇよ。ちまちま買うの。別にいいだろもう結婚したんだから。だいたい菜々子があんな、アイアンワークのキングサイズベッド輸入するからわりぃんだぞ。あんなの毎晩シましょうね、って言ってるようなもんじゃん」


「ちっ違うよっ!! ああいうお姫様ベッドに憧れてたのっ。イギリスで一目ぼれしたんだってば」


もうそんな顔が赤くなるようなことサラサラ言わないでほしい。


わたしとナツは3年間の日本、イギリス超遠距離恋愛を経て、おとといスコットランドの小さな礼拝堂で身内と、わたしのイギリス留学中にできた友人だけで正式な結婚式をあげた。


(実は留学からわたしがもどる時、エディンバラ城の礼拝堂で二人っきりでこっそり式はあげちゃったんだけど)



今日は、葉山の新居で二人ですごす。


しあさっての夜はナツのヨット仲間や昔のラグビー仲間、わたしの友達があつまって、結婚パーティーを開いてくれるそうだ。


留学中の友達が作ってくれたお気に入りのウエディングドレス。

それを、しあさっての夜、わたしはもう一度、着る。


わたしとナツの指には二人で選んだおそろいの結婚指輪が嵌っている。

間違いなくわたしがナツだけのものになった、ナツがわたしだけのものになった証。


ナツが大学1年、わたしが2年の時。まともにつきあい始めてすぐ、わたしは交換留学でイギリスに渡ってしまった。


ナツの、かなり嬉しくもある強引さに押し切られ、わたしが向こうの大学を卒業して、日本に帰ってくるのと同時にわたしたちは結婚を決めた。


留学で、1年おくれで大学を卒業したわたしと、1年年下のナツ。


わたしたちは同じ年に大学を卒業。

離れていた時間が長かったから、いまだに恋人気分だ。


ナツはまだ23で、ラグビーやヨットで鍛えた健康的でしなやかな身体を流行のカジュアルで包んでいる。


シルバーのブレスやネックレスもいまだに大好きだ。

とても結婚している人には見えない。


その、上から降り注ぐかっこいい笑顔に、ごつごつの手に、無駄な肉のないセクシーな腰のラインに、まだわたしは十分すぎるほどドキドキしたりする。


近くのスーパーで、簡単な食料品も買う。お互い外側の手に袋をぶら下げて、反対の手を繋いで帰路につく。


「素敵な家だね」


二階建ての三角屋根の青い家。

ヨットハーバーからそう遠くない海辺に、その小さい家はぽつんと一軒建っている。


「だろ? 外壁塗ったの俺だぞ?」


「友達が何人も手伝いに来てくれたんでしょ? 落ち着いたら、家によばなきゃね?」


「ああ。金、たりなかったからさー。設計はそっちのほうに進んだやつが就職した事務所に頼んだら、かなり安くあがったぞ」


「ナツは顔が広いから」

「俺の強みってそれだけじゃん?」

「それが性格全部、あらわしてるんだって。ナツのそこが1番好き」


わたしはナツにくっついて腕をからめる。

ナツがちょっと苦しそうに笑う。


「小悪魔め」

「えー?」


「小悪魔じゃねえな。計算なしにそういうこと言ってるからよけい始末が悪い」


ナツはさらにわたしに身体を寄せてきた。


「ちょっと歩きにくいよ。ナツ」


ナツは、わたしのことを、自分を飾らないっていう。 


わたしも自分の性格なんてわからないけど、もしそうなら、きっと、わたしたちは似ている。


まだなんにもない殺風景なリビングに入る。

一階は25畳のリビングと、広く海のほうに張り出したデッキテラス。

あとはキッチン、バス、トイレ。


2階は3部屋ある。

ずっと先に子供が生まれてもいいようにって作ったらしいけど、当面はナツの仕事部屋一つ。


わたしが翻訳に使う部屋ひとつ。

あとは二人の寝室だ。



ナツの仕事は大学時代に起業した家庭教師の派遣会社で、それがやっと軌道に乗り、今はとても忙しい。


でも大学時代に打ち込んだヨットはずっとやっていくと決めていて、頼まれればヨット雑誌でライターみたいなこともたまにしている。昔、自分が撮られる側だった時の繋がりだ。


いまでも大きな大会で成績を上げれば撮られる事もある。


ナツは本業と直接関係がなくても、繋がりのあった人たちをとても大事にしている。


仲間うちでの起業も、創業メンバー全員が就職せずに自分たちで作った会社でやっていく、と決めたのはなかなかすごい事だと思う。


人の繋がりを大事にし、自分で道を切り開きながら生きているナツが眩しい。そういうナツが好き。


「ナツが好き……」

「は?」

「あ…えっと…」



ぼーっとしていたら、思っていたことがつい口からでちゃったらしい。


「ふうん。そんなに好きなんだ?」


色気たっぷりあっち系モード、スイッチオン!

そそくさと逃げようとしたわたしの手首をナツは捕まえる。


反対の手には、さっき買った紫の小箱がしっかり握られている。

なんという早業。


「さ。上行こうぜ」

「なんでよー」


もうナツはすでにわたしを軽々とかかえあげている。


「決まってんじゃん。セッ――」


わたしはナツの口を全力でふさいだ。


「だからー。言いにくい単語はぼかそうよ? 日本語にはアレ、とかああいうこと、とかいう美しい表現もあるわけで……」


「別に言いにくくねぇよ」


……ああそうですか。ナツらしくていいんだけどね。


2階の部屋にもまだ何もない。

わたしはほとんどの家具をイギリスで買ったから、それが届くまでまだ何日もかかる。


たったひとつ置かれた取りあえずのソファベッドを広げて、そこにそっと押し倒される。


ナツは、わたしにまたがり触れながら、片手で器用に自分の服をぬいでいく。

わたしに覆いかぶさると、ぎしぎしと強い力で抱きしめてくる。


それから肘で自分の身体を支え、優しいキスを執拗に繰り返す。


だんだん深くなるキス。

目の前にある、まだそこまでは見慣れていない力こぶ。

上がっていくナツの体温。


ナツが加えるひとつひとつの刺激に、身体が奏でる快感が耐えられなくなると、わたしの口から、それは甘い旋律になってつむぎだされる。


そうすると彼は余裕のない瞳を嬉しそうにかすかにすがめる。


こういうときの……ナツの表情が、好き。

今はわたしだけが知っている雄のナツ。


空け放たれたカーテンの揺れる窓からは潮騒の音。

ロマンティックなBGMみたいだ。


「菜々子……」


はじける直前、ナツはかならずわたしの名前をこぼす。



ナツの胸にもたれて、わたしは少し眠ったようだった。


「ナツ……? ずっと動かないでくれたの? やだわたしどのくらい寝てた?」

「ん? 30分くらい。菜々子の寝顔見てた」


「またよだれたらしてた、とかなんとか言うんでしょ?」


「違うよ。幸せだなーって思って。菜々子が俺のこと好き! みたいなこと言ったり、甘えたりすると、このへん、痛くなんだよ」


ナツは自分のみぞおちのあたりに手を持っていった。


「もうこれから、禁欲しなくってすむなー。菜々子がヤじゃなければ、だけどな」


そう言ってまた意地悪く笑う。

わたしから嫌じゃないって言葉、引き出そうとしてるねナツ。


「これもいっぱい買ったしなー」


ナツが枕元にある紫の小箱をちらちらさせる。


「そんなにいらないのに……」

「え?」


ナツの顔が一瞬、マジメになる。


「ナツの……赤ちゃん、欲しいから」


「え。いいよまだ。だって俺たち3年も離れてたんだぞ? 俺、もっと菜々子と二人の生活楽しみたいよ。お前、まだ、23じゃんか。翻訳の仕事だってせっかく」


「そうだね。わたし、家庭に対して、人より憧れが強いのかな」



わたしは施設で育った。


施設の先生たちは優しかったし、預けられていた子供もみんないい子で、不幸ではなかったと思う。


引き取られた先のお父さんとお母さんにも愛されて育ったと思う。


でも。

お古のランドセルをしょった小さなわたしは、いつでも、お父さんとお母さんの両方に手をひかれる幼い子供を目で追っていた。


わたしの本当のお父さんとお母さんはどうして迎えに来てくれないの? 

何度自問したかわからない。


こうして結婚した今も、ウエディングドレス姿を見せたら喜んでくれたんじゃないかって……。

わたしを捨てた人たちなのに。


シーツで胸を隠して起き上がったわたしを、後ろからナツの体温が包む。


「いつかつくろうな。俺たちの子供。でも今は菜々子と二人がいい。だって……」

「だって?」


「だって、子供産んだら、菜々子、そっちに夢中んなって俺のこと忘れそうだもん」


もー。何子供みたいなこと言いやがる!

キミの子供でもあるでしょーが!! 

女の子でも生まれたらナツのほうがメロメロになりそうだよ。


ほんっとに、こういうの、ツンデレって言うんだ!! 

いつもはしゃかしゃかいろんなこと取り仕切ってるくせに。



わたしはキッチンで料理をしていた。

この家は窓が多いから風がよく抜ける。


目の前の窓を開けて、料理をしていると、ナツが庭にホースで水撒きをしているところが見えた。


ナツの向こう側、海沿いの道路のすみに、軽の白い車が止まっている。

あの車、気のせいかな。

昨日からよく見かけるような……。


そう思っていたら、いきなりナツがホースを離して、車のほうにダッシュした。


ガードレールを飛び越えて、すごい速さで走る。

急発進しかけた車に手をかけようとしたところで、今度は車が急停止した。


「あぶな……」


わたしの手からジャガイモと包丁がシンクの中に滑り落ちる。

交通量はそんなに多い道路じゃないけど、あんなことして車にはねられたら……。


手がぶるぶる震える。

あ、足がすくんで、早くナツのところへ……。


ナツを見ると普通にもう、運転席の人と話している。あの人が停止してくれなかったら……。


ばかナツ。

涙がボタボタと零れ落ちる。

わたしはそのままサンダルをつっかけて、庭をよこぎり、道路に出た。


「ナツっ!!」


ナツはわたしに気づいて、今度はちゃんと左右を見て、道路を渡ってきた。


「なんであんな危ないことすんのよっ!! ばかっ! ばかナツっ!! もう今日は夕ご飯作ってあげないんだからねっ!!」


わたしはナツの胸板を拳でがんがん叩きながらわめきちらした。


「落ち着けってばか。ちゃんと車こないの視界に入ってたよ。大丈夫だって。別にあの車に突撃したわけじゃねぇし……あーあー」


ナツは自分のTシャツの裾をめくり上げて、涙と鼻水で汚れたわたしの顔を拭いた。


「菜々子、俺、もうちょっとあの人と話するから、家、もどってろ」


ナツの横から覗き込むとうつむいた年配の女性の顔が見える。誰だろう?


「知り合い?」

「ああ、ちょっとな。すぐもどるから、家で待っとけ」


「うん……。ちゃんと車こないか見てから渡ってよ」

「大丈夫だよ。ったく俺は小学生か」


小学生なみだよ、あの無鉄砲は。


わたしはナツに言われたとおり、家にもどった。

ごはんの用意も出来上がった頃、ナツはもどってきた。


なんにもないフローリングの床に、1900円で買った折りたたみ式のローテーブルを出して料理をならべた。


「菜々子、大事な話だ。落ち着いてきけよ?」



わたしの前にどかんとあぐらをかくナツは、なぜか両手に大きな紙袋を二つ持ってた。


「え?」

「さっきの人な、お前の母親だ」

!!!


鋭い痛みが胸に走った。

頭が真っ白で……。い……生きてたの?

固まって言葉もでないわたしに、ナツは1枚の古い写真を見せた。


それは、やっと立ち上がったくらいの赤ちゃんを、両側からお父さんとお母さんが支えている写真。


裏返すと、日付と、菜々子11ヶ月。初めて一人で立った日。と書かれていた。


「この直後、な。お前の父親は交通事故で亡くなったそうだ。菜々子の両親、もともとは二人とも東京の人で、駆け落ち同然の結婚で長野に行ったらしい。助けてくれる親族もいなくて、そこにきて今度は母親が白血病だってことがわかった。それでお前を泣く泣く施設にあずけたんだ」


衝撃でどうにかなってしまいそうだ。

ナツがわたしの側に回ってきてそっと背中を支える。


「骨髄移植して、幸いにも普通の生活が送れるようになった頃には、お前はもう、佐倉の家にひきとられてて、そこで幸せそうに何不自由なく暮らしているのを見たんだそうだ」


「……ナツ…わた……」

「お前、愛されてたよ。ずっとずっとな」


ナツは持ってきた紙袋の中から、何かを引っ張りだしてきた。


「これ、アルバム。菜々子が11ヶ月までしかないけど。あと、お母さんが縫った菜々子の幼稚園バッグ。上履き入れ。これは体操着入れかな? これはなんだろな? なんかピアノの発表会かなんかにでも出られそうな服だな」


ナツが最後にひっぱりだしたのは、水色のサテンでできた子供用のドレスだった。


「……シンデレラだ……」


お母さん、どうして知ってたんだろう。

わたしが小学校4年の時、学芸会のシンデレラの役にクジで選ばれたことを。


わたしはこれとよく似たドレスを着た。

園長先生が作ってくれたのかと思っていた。


古いアルバムをそっと開く。

大量の写真。


出産直後の寝ているだけの写真から、笑ってつかまり立ちをしている写真まで。下には細かいコメントが。


菜々子、初めての離乳食。

はじめての寝返り。

はじめてのはいはい。

はじめての……。


涙でかすんで文字が見えなくなった。

アルバムの上にこぼれそうになった涙をナツの大きい手がぬぐった。


「おおっと―」

「ナツ……わたし、何がなんだか……どうしよう」


「愛されてたじゃん。こんなに」


ナツの指先が優しくわたしの髪を梳き、そのまま耳にかける。


あっ!! あの人は?


「ナツ。あの人は? わたしの、わたしのお母さんはっ?」


わたしは立ち上がった。


「いるよ。車で逃げられちゃ困ると思って、説得してそうっと2階に上がっててもらった。ちゃんといる。玄関気にしてたから俺」


「に、逃げる? わたしに会いに来てくれたんじゃないの?」

「俺に会いに来たんだよ。菜々子には会う資格がないって言ってた。」

「……」


「病状が安定しなくて、いつどうなるかわからなかったから、お前をひきとるわけにいかなかったそうだ。でも、施設と連絡は取り合ってたらしい。佐倉の家に引き取られてからは、もう、自分が名乗ることはできないって」

「……」

「でも、施設から、お前が結婚することを知らされて、いてもたってもいられなくなったって。相手がどんな男か、知りたくってな」


「そ……んな……」


頭がこんがらがってナツの言ってることがよくわからない。


「お前を育てたかったって言ってた。ごめんなさいって。どうかあの子をよろしくって」

「ナ……ナツ。わたし、恐いよ。い……一緒に……」

「ああ。一緒に行こうな」


ナツはわたしの手をぎゅっと握り階段を上がった。

その人は、ソファにも座らず、フローリングの床に正座をしてた。


「お……お母さん……? 本当に、わたしのお母さん、なんですか?」


見ればわかる。だってこの人、わたしにそっくり……。


「菜々子……。ごめんなさい。今さら母親だって名乗るつもりはなかったの。あなたにはちゃんとしたお母さんがいて……」


もうあとは自分でどうしたのか覚えていない。

たぶんわたしがその人、お母さんに抱きついていって。

子供の頃に流し忘れた涙を今、全部吐き出すように、わたしは号泣した。


その夜、わたしとお母さんは同じ部屋で寝た。

ナツが近所の大手スーパーまで行って、布団を買ってきてくれた。


離れていたいままでを埋めるように、お母さんはいろいろな話をした。

生活保護をうけながら暮らしていたこと。


わたしが佐倉の家にひきとられてから、体調が安定してきて、死の危険が遠のいたこと。

そして就職したこと。


わたしにって作った幼稚園のバックや上履き袋は、施設から丁重に断りをうけたそうだ。


他の子の手前、わたしだけ、凝った手作りのものを持たせるわけにはいかないという理由で。


でもわたしがシンデレラの役をやると知ったときには、どうしても恥をかかないような衣装をつくってあげたいと思ったそうだ。


園長先生もそこは折れたらしい。


「どうしてあのときの衣装をお母さんが持ってるの?」


わたしはそれがお気に入りで、大事にいつまでも取っておいた。

でもいまでは施設で、子供たちのお姫様ごっこに使われているはずだ。


「菜々子のサイズがはっきりわからなかったから、二つつくったの。でも、施設でそんなに人気なら、これは寄付しようね」


「……いや……」


わたしはそのサテンのドレスを抱きしめて、また泣き崩れた。


ナツと結婚できただけでも身に余る幸せなのに。

こんなことがあってもいいの?


わたしはたぶん、アルバムをみながら一晩中お母さんにあれこれ質問していたんだと思う。


お母さんは驚くほどはっきりとその時の様子を覚えていて、わたしに詳しく話して聞かせてくれた。


わたしが生後4ヶ月のとき、高熱を出して、お父さんは半狂乱になったこと。

寝返りが打てた時、夫婦で乾杯したこと。


はじめてじゃべった言葉が、ママかパパかで両親がケンカになったこと。


お父さんは、会社から帰ると直行で必ずわたしのベビーベッドに来たこと。


「夏哉さん。立派な青年ね。お父さんもあの人なら、許したのかしら。菜々子は嫁なんかいかなくていいって。口癖だった。お父さんにも見せてあげたかったわ」


「うん」


本当。

わたしは写真の中だけの優しい笑顔のお父さんを見つめる。


「でもお母さんだけでも見てもらえて、わたしすごく嬉しいよ。来て、見てね。お父さんのぶんまで。明後日の結婚披露パーティ。わたし、もう一度ウエディングドレス着るから」


「わたしなんかが……」


「病気になったのはお母さんのせいじゃない。わたし、今、すごく幸せなの。すごく素敵な人と結婚したんだよ」


「わかるわ。夏哉さん、菜々子をとってもあったかい目で見る。よかった!! 本当によかった」


お母さんも泣いた。


結婚披露パーティの日までお母さんは東京にいる予定で、会社を休んできた。



ホテルをとっているといっていた。


パーティーまでこの家にとまれば? と勧めたのに、『そんな野暮じゃないわよ』とか言ってホテルに帰ってしまった。


今も、まだ長野でひとりで暮らしているそうだ。

佐倉の父と母は結婚パーティのその日に長野から出てくる。


イギリスから一緒に帰ってきたんだから、泊まっていけばって言ったのに『そんなに野暮じゃないわよ』って長野に帰って行った。


佐倉の父と母もきっとわたしのお母さんを歓迎してくれる。




ナツはなんだか知らないけど、急に忙しくなったとか言って、部屋であちこちに連絡をとってる。

ここまできて仕事? 


今はまだ、公私の区別がつきにくい時期ではあるのかもしれない。


結婚披露パーティーの当日、わたしは大学時代の友達、百合と千夏に手伝ってもらってドレスを着る。


下にふわっとさせるパニエやなんかを着るし、補正下着で胸の強烈底上げ! 

コルセットでぎゅーぎゅうーに締める。

ウエストのくびれもこれで完璧。


これも一生に一度の我慢。(いや同じ人ともう三回目か。でも一回目は私服だったし)


さすがにこれで最後だろうからうんと綺麗なわたしを見てもらいたい。


「あらー菜々子ちゃん。なんて綺麗なのかしら!! 夏哉も幸せだわー」


部屋に入って来たのはナツのお母さんだ。

続いてお父さん。

ナツの弟のヒカリ君。


今日、ナツはどうせ、友達にうーんと飲まされるから、お母さんたちがわたしたちを会場に送っていってくれる。


最後は若い子ばっかりになっちゃうから、帰りはタクシーだな。


「これから美容院ね。髪に飾る花の用意は?」


「これでーすお母さん。この中から選ぼうと思うんだけど、どれがいいかな?」


「どれでも菜々子ちゃんの好きなのにしなさいよ。花なんかオマケみたいなもんで。トンカツ定食で言ったら、まあキャベツ? 夏哉なんかお新香ってカンジよ。いてもいなくても誰も気づきゃしないわよ」


いや……。

一応新郎だし。

一人で結婚パーティーは寂しいし。


でも、肝心のお新香ナツは朝からまだ電話でバタバタやっている。


「おー。悪りぃ悪りぃ。おー! 菜々子綺麗だなー」


やっとナツが上から降りてきた。

タキシードのボタンを二つはずしてタイを手に持っている。


「ナツもかっこいい!!」


こんなかっこも見れるの今日だけかー。


「まだ夏哉はいいわよ。これから菜々子ちゃん乗せて、美容院にいくの」

「俺も一応行くよ。もう最後だし」

「あんたの頭なんてアブラでも塗っときゃいいわよ」


そこでヒカリくん。


「ごめんね。菜々子ちゃん。母ちゃん、息子はつまんねぇってずっと言ってて、娘ができるのがすんごい嬉しいらしくて」

「うん」


わたし、母親がいっぺんに二人も増えた。

三人の優しい母親。

なんて幸せなんだろう。


美容院でヘアメイクをしてもらう。


それから、ヒカリくんの運転で、黒のランドクルーザーが滑り出す。


会場は新宿のはずれにある旧華族邸を改造した広い庭のある大きな一軒家レストランだ。

200人以上来てくれることになっている。


「あれ? ナツ。この道、新宿方面じゃないよね? どっか寄るの?」

「ああ」

「どこに?」

「内緒」


車はどんどん新宿からそれて行くような気がする。


え? どうして? 間に合わないよ。


「ついたぞ」


そこはお寺……だった。

しかも、正装をしたわたしとナツの友達がたくさんいる。それこそ100人以上?


どどどどどういうこと?


「菜々子、ドレス持ち上げろ。下、土だぞ? 中まで入るからな」


えええええー? こんな大人数でお寺? 

しかもナツがむかったのは墓地だった。


「お前のお父さんの墓だ。ここでもう一度結婚式しよう。お父さんに見ててもらおうな」



そこには市川家之墓、と書かれた墓石があった。市川は……わたしが佐倉になる前の姓だ。


「ナツ……」


びっくりしてただ突っ立ているわたしにナツは、いたずらっこみたいな笑みを見せる。


住職さんらしき若い人が来た。

なんかでもこの人、見たことある気が……。


それに髪の毛がしっかりあるんだけど。


「あー……一之瀬夏哉、あなたはァ、健やかなる時もォ、病める時もォ、佐倉菜々子を愛すると誓いますかァ?」


「はい」


へ? ナツ、フツーに答えてるけど…ここはお寺では? 

しかもこの住職さん思いっきり日本人なのになんで外人なまり?


「佐倉菜々子、あなたはァ、健やかなる時も病める時もォ一之瀬夏哉をォ、愛すると誓いますかァ?」


「あ、は、はい……」


「それではここで神の名においてェ、晴れて二人を夫婦とみなします」


キース!! キース!! キース!!

お決まりのキスコール。


ナツはわたしを抱きしめ、みんなの前だというのに濃厚なキスをした。

100人の、割れんばかりの喝采と野次。


すぐそばにナツがいて。佐倉のお父さんとお母さんがいて。

わたしを産んでくれたお母さんがいて。

ナツのお父さんとお母さんがいて。


ヒカリ君がいて。

たくさんのたくさんの友達がいる。

幸せだ。これ以上の幸せってあるのかな?


お寺の正面の広い場所にくると、わたしとナツにどどどどーっと人が押し寄せ、胴上げされる。


100人の胴上げ。

ものすごく高くわたしの身体が空にむかって放り投げられる。


真っ青な空を背景に、幾重にも重なった純白のシフォンが舞う。

青空に咲く花のようだと思った。


となりで胴上げをされているナツと目が合った。

いたずらっこのような、わたしの大好きな笑顔だ。



お父さん。


お墓の中のお父さん、見てくれていますか? 



わたし、こんなに素敵な人の妻になりました。



そこにすごい怒りモードのダミ声が……。


「こんな大勢でなにしとるっ!!」


こんどは年配の……たぶんここのお寺の本当の住職さん。


「すんませんすぐ出ます。妻の父親にちょっと挨拶を……。おー! ずらかるぞっ」


ナツはわたしの手を握り、先頭きって走りだした。


妻、だって。


100人の大移動。

お墓の中は大騒ぎだった。

わたしはお墓を乱さないように、ドレスを片手で大きくたくし上げて走った。


「あーあー、せっかくのお姫様が台無しだなっ」


タイをはずしてボタンをあけながらわたしだけの王子様が笑う。

わたしたちはまたヒカリくんのランドクルーザーで予定していた新宿のレストランにむかう。


なんと他の人たちは大型バス3台チャーターだったのだ。


だからナツはこの2日、忙しそうにあちこちに電話をしていたんだ。

わたしを、本当のお父さんの前で結婚させるために……。





さんざん呑まされた結婚披露パーティー。

もうナツは結婚は一回でたくさん、とか当たり前のこと言っていた。



一夜明けた次の日の夕暮れ。

わたしとナツは海方向に張り出したテラスに置いた、二つの木製のデッキチェアにもたれ、座っていた。


「あのインチキくさい住職さん誰? お寺であんな教会みたいなこという住職さん、いないよねぇ?」

ビールのグラスを、二つのデッキチェアの真ん中に据えられたテーブルに置きながら、ナツが答える。


「なんだよお前、気づかねぇの? ヤスだよ俺の友達の。あいつんちも寺でさ。もちろんあそこじゃないけど。次男坊だから継がないけど住職の衣装はあるってからさ。昔お前に酔っ払ってひどいこと言ったやつだよ。ああ、あん時はぶっとばしといたから。あとで」


「もう。いつまでも子供みたいだなーナツは。このまま歳とらないんじゃないかと思うよ」


「そんなわけねーだろ」

「わたしだっておばさんになっちゃうよ?」


「いいよ。菜々子ならおばさんでもばーさんでも。俺だっておじさんやじーさんになんだから」


「それまで、ずっと一緒なんだよね?」


「そうだよ。二人で帆船を操って人生を渡っていくんだ。お? もしかして俺今、超絶的に感動すること言わなかった?」


「別に」


「嘘。惚れ直しただろ?」

「ベタすぎて引いた」


「嘘つけ。カオにナツ大好き大好きって書いてある」

「きっとそれはいつも書いて…ある……かも……」


思わずでた本音が恥ずかしくてだんだん声が小さくなる。

ナツがちょっとびっくりした目をしてわたしを見つめる。


「さ。菜々子ちゃん。上に行って一緒に寝ようね?」

「まだ寝るには早いよナツ。ここでもうちょっと夕涼み……」


ナツはかまわずわたしを抱き上げた。


「俺が嬉しがるようなこと言うとこうなるんだよ! 言葉ぼかすとお前わかんねぇじゃん。その寝るじゃなくてセッ―」


わたしは全力でナツの口を塞いだ。

ナツはわたしを軽々と抱いたまま、部屋に入っていく。




缶のビールが2本とグラスが二つ。




風をはらんで走る帆船の帆のようにふくらんだカーテンの向こう側に遠ざかっていく。  






Fin.






























































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