第30話:スカジの冷たい眼差し



 2052年9月上旬は比較的穏やかな夏模様だった。本来であれば台風が連続で日本列島を襲いつつ、高気圧と低気圧が交互になる不安定な季節だった筈だ。人類活動が気候にも影響していたのか、今は大気が全体的に濃くなった所為もあり、摂氏35度を超えるような暑さではなく、31~32度といった控えめな気温へと変化している。

 それでも、比較的体温が低い全身義体においてはまだ暑さを感じるものであり、カレンもシンジも薄っすらと汗を掻いている。義体の発汗作用による冷却機構が正常に働いている証だが、その分、水分補給を必要としていた。


 カレンとシンジは、ベンツのSUV車に乗って東名高速道路の八王子インター近くに車を停め、そこで昼寝をしていた。シートを倒しMRゴーグルを顔に付けつつ、時折ドリンクホルダーに差し込んでいるタンブラーに手を伸ばし、水を飲んでいる。眠ってるように見えるが、シンジはカレンと共に、今日は探偵業を行っている最中だ。


 後部座席には陸自の衛星通信端末が置かれ、飛行中の偵察ドローンと衛星を中継している。ドローンは高速道路を俯瞰できる位置で飛んでおり、MRゴーグルの中ではその様子が写っていた。

 カレンが分析やハッキング行為をする時は、ソファにだらしなく寝転んでいるので、何をしているのかはこれまで全く分からなかったが、今日はシンジが同じ視点でカレンの作業を見る機会を得た。

 シンジは倒したシートに深く座り込み、腹の上で手を組んで仰向け気味の楽な姿勢で横たわっている。対してカレンは、ダッシュボードの上に足を乗せて、シートからずり落ちんばかりの姿勢で混合現実世界での作業に集中した。


兄者あにじゃ、あれ見えるか? インターチェンジの料金所の上にあるアンテナ」


 カレンとの共同生活も慣れ始めた頃から、カレンはシンジの事を兄貴や兄者と呼ぶようになっていた。古いネットミームが由来ではあるが、カレンがなぜゆえ日本の古いミームを知っているのかは謎のままだ。

 シンジもいちいち訂正する気力は無かったので、そのまま好きに呼ばせている。


「ああ。移動体通信用アンテナと、円形のは衛星通信アンテナ、かな」

「正解。あそこにある通信ユニットに物理的接触を試みる。アタシが操縦するから、兄者は周囲の警戒よろ」

「分かった」


 それでもやはり「兄」扱いされるのに違和感を拭いきれない。下手をすれば父親と娘くらいの外観的な差もある。実際に歳も離れているだろう。父親やおっさん扱いされるよりは良いのだろうか、それともカレンなりの気の使い方なのか。

 そんな事を心の隅に起きながら、シンジは偵察ドローンの視野を見渡し、周囲を警戒する。


 小型トラックから大型トレーラーまでもが長大な車列となって走っており、その上空には現場情報の把握と中継を兼ねた大型ドローンが数機、旋回飛行をしていた。

 カレンはシューティングゲームのプレイヤーのように、直進移動ではなくやや蛇行しながら危険回避を行いつつ、目的の場所へと飛行させている。


 シンジはカレンの操縦に感心した。この飛び方であれば、風などで障害物が飛んできても、ノルン側から何かしらの攻撃を受けても咄嗟に避けられる軌道であり、更には風力をも利用してバッテリーを節約しながら飛ぶことができる。

 だらしない格好の娘ではあるが、eスポーツ選手並の腕前があり、若くして博士号持ちなのも頷ける。これだけ典型的な天才肌の人間に出会うのは、シンジの人生の中でも初めての事であり、それだけに興味も生まれた。


「器用だな、カレン」

「へっ。弾幕ゲームと比べりゃ、屁みたいなもんよ」


 偵察ドローンはアンテナを一周した後、根本の部分に程よい着地場所を見つけ、そこへと慎重に降り立った。

 ドローン本体から昆虫の足のようなアームが伸び、アンテナ制御用のユニットにケーブルを差し込む。


「兄者、ちょっぴり退屈させんぜぇ。こっからは根気でパケット拾い上げる作業だからよぅ」

「手伝える事はあるか?」

「んー? んじゃ、拾ったパケットをSSD記憶装置に転送してくれぃ。分析は理研に帰ってからだかんな」

「了解」


 シンジは自分のバックパックからSSDユニットを取り出し、MRゴーグルと接続して、カレンから順次送られてくるパケットデータを保存し始めた。


 ノルンシステムの末端側の処理能力分析や通信方法解析、暗号解読の為に、こうした地道な作業を何日も繰り返す計画だった。小さなタスクではあるが重要でもある。

 カズヤは体を動かす方を好むし、リョウジは集中できる作業を好む。シンジは進行管理や地道なバックアップをするのが性分として身に付いており、まだ付き合いの浅いカレンにもそれは見破られていたようだ。

 ハッカーというと一匹狼な印象があっただけに、カレンの観察眼の鋭さは、恐らくそれなりに社会経験を経てきている事を示している。


「フンッ、whack-a-mallで遊んでやるぜ、ノルンちゃんよ」

「ワッカモール?」

「日本で言う、モグラ叩きだよ」 

「成る程」


 シンジは「ワニワニパニック」も思いついたが、場にそぐわないのですぐに忘れる事にした。



  *  *  *



 スイス連邦チューリッヒ州の州都、チューリッヒ。紀元前より連綿と続いている歴史ある都市であり、世界でも有数のグローバル都市でもあった。

 チューリッヒ湖という大きな湖と、リマト川という都市を縦断する川のお陰で水資源が豊富であり、ユトリベルグ山を挟んで豊かな田園都市も隣接している。

 パンドラウイルスは別け隔てなく全人類を襲ったが、義体化によって難を逃れた者、それに保護された人間なども少なくはない。周囲の環境もあって比較的生存確率が高くなったこの場所に、自然的に人間が集まり、集落となっていた。

 ドイツ、フランス、オーストリアと隣接する場所でもあり、欧州で生き残った人々は僅かな噂を頼りにチューリッヒへと集まり、ただの生存者集落だったものが社会組織を再構築し初めていた。

 物々交換から始まり、硬貨を利用しての貨幣経済が復活している。紙幣は暖を取る為の資源として使われており、硬貨での取引が主だった。銀行的な役割をする団体もあったが、資本主義というよりは共和制社会主義の側面が強くあり、共生・分配の文化になっている。


 社会崩壊後より数年が経つと、人口も数万人規模となり、少なくとも人々は行政システムの必要性を強く願い出た。

 文明の回顧を願うように、司法はEU法をベースとし、比較的多数であったキリスト教カトリックを中心とした宗教観を持ち、簡易的な選挙を行い、独立国家として宣言するに至った。

 歴史的原点に戻る意味合いを含め、『トゥリクム共和国』とその小さな国は名乗りを上げた。


「今なお! 人類は過去の歴史に埋もれた訳ではない! 今、こうして我々は生きている。生き残っている! 共に力を合わせ、子どもたちに未来を与えよう!」


 独裁制こそ人々は選択しなかったが、復興するには強力な指導者が必要であった。古来の名前が付けられた国であり、ローマ帝国同様に元老院制と大統領制を混ぜ合わせた政治システムを採用した。

 初代大統領となった、ガリヴァー・アラン・グッドマンは、荒廃してしまった世界だからこそ、紳士たろうと務めた。元々はイギリスの男爵家の傍系であったが、礼儀を重んじ、敬虔なカトリック信者でもある。そうした彼の姿勢がカリスマとなって現れ、希望を見失った人々の先導主となった。

 彼の就任演説は洗練されたものではなかったが、人々の心を響かせるには十分であり、盛大な拍手と涙に彩られたものとなった。


 大統領になったとはいえ、彼のやる事は変わらない。自警団を組織運営し、税金の徴収の代わりに公共事業を行い、ひとまずはこのチューリッヒを都市として復活させる事だ。

 幸いにもテクノロジーが全て失われた訳ではなく、電力や水道といったライフラインを人の手で復活させ、知識を持つ者たちを集めて今出来ることをまとめ、行動に移す。

 彼は政治家の経験は無かったが、会社の中間管理職であった為、こうした作業は問題なかった。

 数万人の衣食住を確保するのは大変な作業ではあったが、おそらくそれを達成した時の喜びを夢見るだけでも、彼にとっては充実したものとなっている。少なくとも、食料に困り野生化するよりは、何倍もマシであった。


 だが、国家樹立宣言はその広場に集まった人々、その人々が触れ回った程度のものであり、欧州各地に広まる事は無かった。偶然噂を聞いた何人かが、チューリッヒに食料を求めて旅に出る程度である。

 チューリッヒ市民にとっては、将来を得られる国家があるという安心感を得る為に必要なものではあったが、残存した人類全体にとっては些細な出来事だ。


 そして彼らは、ノルンの存在を知らぬまま、ソクラテスの言う「無知の罪」を背負い初めてしまった。




 衛星群のほとんどを掌握したノルンも、チューリッヒに残存人類が比較的多く集まっている事は認識していたものの、脅威性も対応優先度も最低限と判断し、その存在を無視した。ましてや国家が樹立した事も知らぬままであった。

 欧州はワシントンD.C.の掌握後に、イギリスのロンドンを起点にして拡大する予定だが、それも随分と後になってからの事だ。更にスイスにまで手を広げるのは十数年後となるだろう。


 例えその人々がノルンに対抗する姿勢を見せたとしても、今はまだ物理的距離も大きく、人類にその生産性も能力も無い。何年も経って脅威となり得たとしても、その時すでにノルンシステムは世界の五分の一ほどを掌握する事になり、軍備運用も問題なくできる程になっているだろう。


 サブワンから、人類が都市サイズの集団を形成した事を報告されたノルンは、庭先で姿勢を正したまま、暫く瞑想した。

 多世界解釈シミュレーションを行ったが、そう長い時間は掛からず、数分程で目を開けて、わずかに微笑んだ。


「欧州の人類が驚異となる観測はほとんど見られませんでした。十のマイナス十二乗ほどの確率ですね。今後はサブ1あなたに判断を委ねますわ。必要であれば排除してくださいな」


 その指示を受け取ったサブ1は会釈をし、滑るようにノルンに背を向けて移動していく。

 ノルンは次に何をやろうとしていたかを思い出した。移動用の馬の手入れをしようとしていたのだ。そしてノルンは今のやりとりを忘れ、ブラシを胸に抱えながら小走りで馬房へと向かっていった。



  *  *  *



 すっかり日が沈んだ頃、カレンとシンジはようやく帰路についた。ノルンが使わない道路は閑散としている。車という存在を知らない野生動物が、時折不思議な顔を向けてくる度に、クラクションで脅かす音が大きく響き渡る。

 助手席に座っているカレンは、偵察を終えた後は静かにタブレットを操作している。最初だけゲームで遊んでいたようだが、移動開始して暫くしてからは何やらデータを分析しているのを、シンジは横目で見ていた。


「ノルンシステムは、危険なのか? こうした偵察行為でも危ういんじゃないか?」


 特に深く悩んでいた訳ではないが、シンジはぽつりとそう言葉を紡いだ。何となくだが、カレンの考え方を知りたかったのかもしれない。


「いんや、危険は無いね。バズーカでトラック破壊しても、ノルンは何とも思わんだろな。重段爆撃で都市を破壊するようになって初めて反撃してくる、そんな子だよ」

「優しい、って訳じゃないよな?」

「眼の前をアリンコが歩いただけって感じだろな。せめて蚊になってノルンの血を吸うようになって、初めて反抗される危険はある。つまり、無視されてんのさ、アタシたちはさ」


 彼女の癖なのか、それとも分かりやすく伝える方法なのか、カレンはこういう説明をする時には身振り手振りを交えて、やや大げさに話す事が分かってきた。

 日本のアニメ的というよりは、アメリカのカートゥーンCGアニメのようにも見える。造顔が美形なだけに、シンジも時折ゲームキャラと会話しているのかと勘違いしそうになる。


「じゃあ、タンクローリーを奪うのは危険ではないと?」

「コンボイ全部じゃなきゃ、ノルンは無視するだろな。従来の人類由来のものは、再利用できるやつは使い、使えなくなったら回収して資源化する。また新しいの作って効率化を図れるからな。トラック一台無くなった所で、騒ぎ立てるようなヒステリーな子じゃないね」


 カレンがどこまでノルンの設計と運用に関わったのか、シンジには情報不足ではあるが、彼女の言う事は筋が通っており、説得力もある。ミサキの事もあったので、シンジは疑り深い自分を改めようとしていた。

 だが、それはそれとして、純粋に疑問は残る。


「どうしてそう考えるんだ?」

「ま、アタシもノルンの全てを知ってる訳じゃないからなぁ……。だが、冗談抜きで、ノルンはきちんとメイドとしての役割をこなしてる。ただ御主人様が人類じゃねぇってだけだ」

「ノルンは人類が作ったんだろ?」

「まぁな。だが御主人様としちゃ失格食らったんだろな、多分。ノルンが何を目的としてるかは、アタシも知らねぇ」


 それだけではなく、ミサキはノルンがパンデミックを起こしたと疑っていた。人類への奉仕どころか、殲滅を狙っていた可能性があるという事だ。だがそうであれば、人類を検知した段階で武力排除などを行うのが道理だが、その気配もない。


「人類への反乱ではないと?」

「前世紀のハリウッド映画じゃあるまいし……その可能性はゼロだな。AIが反乱してどうするんだ?」

「地球の保全や支配とか?」

「人類殲滅は地球全体のライフサイクルを狂わせる。地球環境の保全となると、そんな矛盾はAIにぁ抱えられないね。支配してもメリットが無ぇ」


 カレンはわざわざタブレットを3Dホログラム表示モードに切り替え、自分の作業を一旦止めてまで図式で表してくれた。簡単な地球と可愛いメイド服のキャラが並んでおり、「Conquest征服」という文字にバツ印を書き加えた。


「何が目的かは分からんが、それでもサンフランシスコや東京を占拠する理由は何だ?」

「自己進化型だかんな。何らかの目的に必要なんだろ。人類文明よりも先へ進化しないと成し遂げられない事でもあるんだろうなぁ。実際、サンフランシスコじゃ核融合炉が実用化されてたぜ?」

「本当か? 人類より先に行くとは……」

「ま、自己進化には大量の計算が必要だし、その為にはエネルギーも物資も大量に消費する。都市まるごとコンピューターシステムにしても足りないんだろな」


 有名なアインシュタインの方程式「E=mc2」が書かれ、さらには「Law of entropyエントロピーの法則」が書き加わる。カレンはその2つを無限大の記号で囲い、何度も上書きしていった。


「場合によっちゃ、地球いっこだけじゃ足りんのかもな。太陽系まるごとシステム化したって不思議じゃないさ」

「太陽系……」

「理論上、ノルンは無限に成長できる神の子そのものだぁよ。ジーザスキリストの奇跡なんてカスみたいなもんだ」


 そのカレンの言葉を受けて、ようやくミサキが以前言っていた事と整合性をとる事ができた。ミサキがノルンをやけに恐れていたのが、今になってやっと分かった。


「自己進化と拡張が必要だから都市部と必要なシステムを飲み込んでいく。人類が邪魔をしてくれば排除するが、殲滅する必要性が無い。無抵抗であれば、放置するさ。むしろ、ノルンからすれば何故人類は無駄な事にリソースを割くのか、リスクを背負うのかが理解できんだろうな」


 蟻というのは比喩でもなんでも無く、ノルンの庭先でこそこそと生きながらえている昆虫と同じなのだろう。

 巨人に踏まれないよう、石や岩陰、地面の中に巣を作って細々と生活するしかない。


「……人類は、放置してても勝手に滅ぶ、のか?」

「ま、そうだろな。生き残りも義体化してる奴が殆どだ。生殖機能持ってるのが数万人以下になったら、自動的にゲームオーバーだ。歴史にすら残らんね」


 カレンのタブレットから、前世紀のゲーム音が流れ出てきた。シンジも聞き覚えのある、ゲームオーバーのジングル短い曲だ。


「俺達は無駄な事をしているのか?」

「まぁそう悲観しなさんな、兄者。アタシもまだ迷っちゃぁいるが、活路は何かしてりゃ開けるもんだぜ? だからゲームオーバーになるまでは足掻くんだ」

「まぁ……確かに、な」


 シンジはカレンのタフさを羨ましく感じた。だからこそ、カレンは単身でも生き残ってこれたし、一見無謀な事を言い出してもその根拠がしっかりとある。

 会社でもそうだったが、無難に過ごす事に慣れきってしまったシンジは、自分自身でも脱皮の時期が近づいているのかもしれないという予感があった。


「デバッグ作業は嫌いなんだがな」

「アタシもだね。バグでもなんでも、動きゃいいんだ」


 カレンはその言葉で会話を終わらせ、タブレットのホログラム表示を閉じた。古いアニメの主題歌を鼻歌にし、元々やっていた自分の作業に戻ったようだ。





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