第29話:アルゴー号の帆先
「つまり、こうだ」
カレンはその言葉で説明を始めた。
ノルンは巨大なシステムだけに、電力だけでなく液体ヘリウムを始めとした冷却媒体も、大量に必要としている。その理由で、利用できるタンクローリーの殆どがノルンの手中にあると考えた方が合理的である。市中に放置されたものもあるだろうが、既に自動化が施されたものを利用した方が効率的だ。
そして自分たちが入手した後、その運用には通信衛星とGPS衛星が必須であり、最低でも2~3基のセットを掌握する必要がある。最初の1基セットが掌握出来れば、あとはなし崩し的に数は確保できる。
衛星の確保には、衛星自体へのハッキング、もしくはノルンが既に掌握済みであれば、そのセキュリティを突破する必要がある。デジタル系だけなら大きな問題にはならなかったが、多くは量子通信と併用されたものであり、量子側のハッキングは難易度が高い。
そして現在、ハッキングをするにもミサキAIとフギンをフル活用するには冷却が必要である。この循環問題を解決しなければならない。
「カレンちゃま、それってお手上げでは?」
カズヤは痒くもない後ろ頭を掻きつつ、カレンに疑問を投げかけた。
「甘いな、カズヤ。そこを何とかするのがスーパーハッカーって奴だろ? 燃える展開だぜ」
カレンは腕を組んで鼻を鳴らし、小さい義体を精一杯伸ばして見たが、シンジは冷水を浴びせるような細い目をして、カレンに聞き返す。
「具体的には、どうするんだ?」
「確かあんたら、ゲーム屋だったよな? 新しい事に挑戦する時は、どうしてたよ?」
「実験と観察だ。科学の基本だろ」
「そゆ事。ま、この場合、観察が先だな」
カレンはシンジの要領の得ない顔を無視しつつ、シンジを指さしてこう答えた。
「アンタとアタシで東京・名古屋間の主要道路を探偵すんのさ。ま、その前に最低でも通信衛星を一基だけでも確保して、時間勝負しながら分析するんだ。リョウジはその間、作業用ボットと通信網の材料を用意して貰い、カズヤは農民兼リョウジの手伝いだ」
「人選の根拠は?」
「無い! というか、割と合理的な配置だと思うが?」
こうもきっぱり言い切られると、シンジも反論の出鼻を挫かれた感覚になった。確かに彼女の言う通り、それぞれの出来る事をきちんと把握した上でのことだとは分かる。
「異議なし」
「問題ありません」
カズヤとリョウジの返事が決定的となり、カレンの案が採用された。シンジも不満には思わなかったが、自分の主体性の薄さを感じ取ってしまい、自分自身に呆れるように息を深く吐いた。仕事の癖と元からの性分の事もあり、自分は調整役であろうと薄々感じ始めていた。
最初の衛星の掌握は理研本部で出来るので、遠隔通信の必要がない。限定的ではあるが、ミサキとフギンの助力があれば、ノルンのセキュリティがあっても突破ができる可能性はある。
カレンは衛星を確保する作業を自宅でも行えたが、何故だかミサキのオフィス、応接用のソファーに寝転がりながら進める事を好んだ。
片足をソファーの背もたれに掛けて、腹を出し、口を半開きにしたままでMRゴーグルの中の世界へと飛び込んでいる。だらしのない、年老いた猫のように、時折もぞもぞと動くので、その度にシンジ達は顔を向けてしまう。三人とも、できの悪い娘が出来たような気分にさせられていた。
MRゴーグルの中の世界は、以前の仮想空間にあった司令室よりも、幾分かグレードアップしていた。巨大な横長のモニターと、左右にそれぞれ3つ程のサブモニターが並び、誰も使わない横長のコンソール卓が数列ほど並んでいる。それを見下ろせる位置にカレンが使う司令席があり、カレンはその机の上で胡座をかいていた。
その右手には狸姿のフギンのぬいぐるみアバターがあり、左側の司令席の横にはミサキのアバターが立っていた。
「日本の多様化情報通信衛星IGS-M11。それが以前に私達が使えた衛星よ」
生きている時にはその細かい情報など忘れていたが、全脳スキャンのデータとして残っており、ミサキはスラスラと答える事ができた。
「ちょぃ待ち……ああ、これか。さすがいい場所にあるな。けど、ノルンに取られちまってら」
「カレンちゃまのタブレットに残っていた日本上陸後のノルンセキュリティパターンと似てるでちね」
陸自の衛星通信機器のおかげで、その衛星はすぐに見つかったが、いつの間にかノルンが掌握している痕跡が見られた。しかも、日本に来てからバージョンアップされたセキュリティパターンである。
タブレットとノートPCだけでは破れなかったが、理研の量子コンピューターとデジタルサーバーの能力を使えば、僅かではあるが突破できる可能性はある。
カレンは机の上で立ち上がり、腕を組んで仁王立ちした。
「ぃようし……ノルンちゃん、勝負だぜ。フギン、いつも通り通信のダンプからだ。
中間者介入攻撃は、発信者と受信者の間に割り込みつつ、あたかも通常の通信が行われているような欺瞞をする事だ。量子通信は原理上、盗聴不可能とされているが、カレンはこの古典的な手法をアレンジして、量子通信でも使えるようにした。
ノルンのネットワーク上では、カレンが傍受している事もだが、その存在自体が認知できない。データは暗号化されているが、ひとまずデータを受信して後で分析すれば事足りる。
「MiMA介入成功まで、およそ20分。その間、他の衛星網のスキャンをする事を提案するでち」
フギンの能力は介入作業でほぼ精一杯となるので、カレンはミサキAIの領域を活用して、他衛星のスキャンが出来る。フギンは単なる補助AIではなく、このように効率化の提案も行えるほど、計算能力が高まっていた。
「なら私の仕事ね。IGS-M11の通信可能域を探索してみるわ」
「うむ、善きに計らえ」
「部下や配下になった訳じゃないんだけど……」
カレンのジョークだと分かりつつも、実際にAIとなった今は使われる側なので間違っていない。生前の思考パターンに則り、ミサキはカレンに突っ込みを入れた。
「んじゃ、アタシはその間、理研システムのバージョンアップ作業でもするかな」
一つは自作のAIシステム、そしてもう一つはミサキの生き写しとも言えるヒトに近い思考を持つAI。カレンにとってこの上ない援軍であり、これまで制限の多かった行動が、一気に幅を持たせる事ができた。
これだけでも日本に密航した甲斐があると、カレンは満足する。思わず顔が、悪巧みをしているようにニヤけてしまう。
シンジ達の存在も含め、独りじゃない事にカレンは希望を見出していた。
* * *
ノルンのサブシステムであるサブ
サブ2のコアシステムは東京駅すぐ横のビル群から銀座までの範囲に渡る巨大なシステムを構築していた。
既に占拠しつつある名古屋と札幌の集中管理も行っている為、サブ2の支配下にある副システム群は、末端まで含めると数十万規模まで膨れ上がっている。
サブ2を頂点としたピラミッド型の社会構造となり、サブ2の直下に3~5つのサブシステム、それぞれに更に3~5つのサブ・サブシステムといった形で連なっていた。
そうでなければ、トラック一台まで全て1つのシステムで運用するのは非効率であり、通信の物理的限界を越えてしまう。効率化と整然性を重んじるノルンシステム下では、こうした分散が必要であった。
運送用のトラックが故障した場合、その現場監督となるユニットが状況を把握し、自身の管理下で対応可能であれば修理を行う。もし管轄以外の助力が必要であれば、一つ上のユニットに報告をし、上位ユニットが判断・行動を起こす。
全てのデータや情報はクラウドシステムに分散され、暗号通貨のようにノルンシステム全体に広がり、多重化されている。これにより、どこかのサーバーシステムがダウンしたとしても、他のサーバーユニットがすぐさま代替できるようになっていた。
そうした構造になっている事で、インターネットなどの旧世代のものは不要となり、ノルンはそれを放置していた。インターネットはサーバーの故障や冷却不足、電源の喪失や自然災害などの影響を受け、段階的に滅びの道を進んでいる。
ノルンはケーブルなどの物理回線は再利用しつつも、独自のネットワークとセキュリティを構築していた。
だがそれ故に、カレンの侵入を一度は許し、そして今もまた、どのユニットも把握できない状態でシステムの一部を覗き見られていた。
ヒューストンと
また、新型衛星の開発と打上げ計画も進行中であり、人類の
──日本国衛星IGS-M11に不明瞭な現象を確認。代替衛星にてバックアップ。
この情報は現場監督レベルのユニットで処理され、ノルン本人どころかサブ1、サブ2ですら把握せずになってしまった。
その影響でセキュリティのバージョンアップの必要性が薄れ、そのタスク優先度はかなり下げられてしまった。
* * *
「やっぱ、ガチな量子コンピューターあるとダンチだぜ! 暗号鍵も頂きッ!」
カレンの右手には、大きな古い屋敷などに使われる鍵が握られていた。カレンは一度それを上に投げて、器用な手さばきで鍵を掴み取る。銃捌きのような動きだった。
「さすがね、カレン。恐れ入るわ」
「まぁなぁ。これで
カレンも久々に本気を出せて満足できた。ノルン本体に辿り着くほどのパワーはまだ無いが、いずれ理研システムを拡張していけば到達可能かもしれないという手がかりにはなった。
それから半日くらいの時間を掛けて、衛星IGS-M11を掌握し、ノルンネットワークから切り離す事に成功する。
だがその時点で、衛星の軌道上の位置としての時間切れとなり、また翌日にならないとアクセスできない状態になった。
「取り敢えず、最初の一手はできた。次にリレー衛星捕まえて、連鎖的に数台捕まえれば課題クリアだな。ああ、理研の屋上にでっかいアンテナ作らないとだなぁ」
「家庭用の衛星放送アンテナを7台、改造した上で六角形型に配置すれば、大型アンテナと同じ
それであれば、理研周辺の家屋やマンションから十分に集められそうだ。ミサキは思わずカレンに小さな拍手を捧げた。
それを満足気にカレンは受け取り、MRゴーグルを外してログアウトした。
その日の夜は全員で、蜜柑の缶詰とチョコレートで乾杯し、ささやかなパーティーを開いて、記念すべき一日を終えた。
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