第28話:ムニンの共鳴
カレンの言う通り、自分はワーカホリックな側面があるという事を否めないと、シンジは思い知らされていた。
これまでの集団生活に慣れすぎていた所為で、プライベートな時間など欲するべくもなかった。半ば環境的に、情勢的にも集団生活せざる得なかったが、こうして久しぶりに独りの空間というのを味わってしまうと、改めて自宅という場所や時間が大切だという事を思い出していた。
顔を洗い、歯を磨き、シャワーを浴びて髪を乾かし、身だしなみを整えて家を出る。数年掛けて、ようやく文明的な生活を取り戻した感すらある。
外に出れば、人類文明は痕跡と化しつつある中なのは何も変わらない。
だがそれでもカレンの言う通り、仲間同士の住む場所が離れても、ある程度の距離感を保つためには、正しかったのだと身を持って知らされた。
朝を迎えてから、ミサキのオフィスへ最後に顔を出すのはシンジだったが、今はカレンにその役を譲っている。彼女は会社勤務のように決まったルーチンで生活するのではなく、ギークらしく自由気ままに過ごす事を好むらしい。
他人という存在すら貴重となった今現在では、先方との打ち合わせや営業などをする必要もなく、他人のスケジュールに合わせる事もない。
シンジはまだ自分の目では確かめてないが、カレンはこれまで生き残った一人であるし、米国から飛んでくる程のタフさを持っていると感じていたので、自分の身を守る事はできるだろうと安心していた。小柄な義体だからこそ動作に俊敏さもあり、パワータイプのカズヤとは対照的とも言える。
そんな彼女は昼前となる時間に、大きな欠伸を伴ってオフィスにやってきた。
「おはー、どない?」
カレンは時折、どこで覚えたのか分からないような関西弁を使う時がある。彼女曰く短いセンテンスで伝えられ、言語の圧縮性に優れているからという理由だそうだ。シンジ達三人は元々大阪住まいだった事もあり、違和感なく受け取れている。発音も妙な訛が無く、ネイティブであった。
『おはよう、カレン。今日は午後から本田研究所の偵察をする予定よ』
リョウジとの作業会話中だったミサキが、カレンに音声だけで伝える。リョウジのノートPCのモニタには、苦笑しているミサキの顔が写っていた。
「あいよー。工具とか持って……いや、現地にあるか。F1作ってた会社だしなぁ」
荒廃世界を生き延びている割には、カレンはどこか気の抜けたような事を言う。それだけ精神的にタフなのか、それとも元来のものなのか、シンジは判断が付かずにいる。むしろ、自分達がこれまで臆病過ぎていたのかもしれないと、この一週間ほどで感じてしまうくらいだ。
カレンはそのまま応接用のソファーを陣取り深々と座ると、片手にぶら下げていたMRゴーグルを装着した。腹の上に両手を乗せ、口をだらしなく開いたまま、眠ったように動かなくなる。
この様子も、最初は何をしているか分からなかったが、彼女の日常的作業の方法だと聞かされてから、すっかり見慣れてしまった様相だ。
喋る時は量子通信か、ネットワーク経由で誰かのPCモニターに現れたりする。まるで喋るAIが一気に三体も増えたかのようにも思えた。
『あ、シンジぃ。そいや自衛隊装備の衛星通信端末、あったよな? あれ、ホンダの見学終わった後に、どこでもいいからネットしてくれぃ。何台か衛星をハックしたい』
シンジのノートPCにアイコンだけ出して、カレンはシンジの返事を待たずしてネットのどこかに消える。まるでコンビニに買い物に行ってくれと言わんばかりの気軽さだった。
シンジは軽く苦笑しながらメモアプリを開き、「通信衛星接続」とだけ短く記して、デスクトップに貼り付けた。
* * *
本田技研和光研究所は、理研の正面ゲートのすぐ向かいに存在している。主に4輪車の技術開発と研究をする為の施設であり、理研ほどではないが大きな敷地を使った大規模な研究所だ。この場所ではフォーミュラーカーから一般車までの、先端技術が研究開発されていた。更に、車だけでなく義体販売も行っている世界的なメーカーだ。
本田技研の技術的な心臓部とも言えるこの建物は、厳重なセキュリティに守られており、野盗などの襲撃に耐えていた。だが、カレンはいとも容易くそのセキュリティをタブレット操作だけで破り、遠慮なく中を探索する事ができた。
「おー、さすが研究所だな。PCも義体用の材料も残ってるぜ。理研のと合わせりゃ、しばらく市中ほっつき歩かなくても済みそうだな」
カレンがカリフォルニアで過ごしていた時には、小型量子コンピューターやデジタルPCの部品などを、それこそ文字通り市中歩き回って一人で集めていた。カレンはあの地道な作業をもう一度やる事を覚悟していたが、この物量ならそんな苦労もせずに済みそうだと安堵した。
研究所にはそうした機材だけでなく、3Dプリンターから大型工業用ロボットアームまで揃っており、ちょっとした工作ロボや偵察機などを作るのに十分な設備と材料が残っている。また、研究所用のサーバールームも見つけ、稼働できそうな状態ではあった。電源も冷房も入っていなかったが、荒らされた形跡どころか人が足を踏み入れてないのか、僅かに埃が積もっているだけだった。
「ほんと日本は平和だな。
荒廃し、インターネットも断絶している中でサーバーマシンなど何の役にも立たない筈だが、勢いなのか本能的な行動なのか分からないが、あらゆるものが破壊されている事の方が当たり前だった。
自然の侵食こそ受けているものの、こうして設備が丸ごと残っているのは、日本ならではなのかもしれないと、カレンは沁み沁み思っていた。
「ここのサーバーは活かしておこう。理研と物理的に繋げたいとこだけど、それは後回しでいいや。ひとまず工作ロボの設計図があれば、それ使って順次拡張していこう。理研も全部見回った訳じゃないだろ?」
「ああ。PCとかサーバーは他の楝にもあるかもしれんな」
カレンは理研の設備をフルに集めてから、このホンダ研究所の設備を移設すればいいと提案してきた。シンジもそれに同意する。それまでは、やや手間ではあるがここに通って必要なデータをコピーして使えば良いという事にした。
幸い、この建物にも衛星通信用のアンテナが屋上に設置されていた。物理的に理研とケーブルで繋げなくとも、中継衛星さえ確保できれば、理研ネットワークに組み込む事は出来ると、カレンは言い切った。
「ま、アタシに掛かりゃ、朝飯前だ。空母にでも乗ったつもりでいてくれぃ」
気の抜けた言い方だが、カレンはサムズアップして満面の笑みであった。
* * *
本田技研和光研究所を占拠し始めてから一週間後。カレンはリョウジと共に、一台の偵察用飛行型ドローンと、小型の電子工作用プリンタを造り上げた。どちらも研究所のサーバーにあった設計図をアレンジしたものだ。
社会崩壊後なので規制する法も何もない。電波も使いたい放題なので、モバイル通信用のアンテナを改造して数百メートル範囲を偵察できるものが仕上がった。邪魔になる電波源も無く、理研周辺の区域を一周して戻れる能力がある。
電子工作用プリンタは、理研のネットワーク設備増強やカレンのハッキングツール、汎用ロボットの工作などに使える。また、小型を複数組み合わせて中型のもの、そこから大型へと拡大していく事で、量産こそ出来ないが車程度のものなら自動工作できるようにする計画だ。
雑務はシンジとカズヤが行いつつ、カレンとリョウジが昼夜問わずに働いた結晶だ。リョウジはカレンによる半ばスパルタ的な教育のお陰で、ハードウェアにも精通するエンジニアになりつつあった。
とはいえ、本田技研の開発した設計サポートAIの補助のお陰で、目的と必要要件を入力すれば設計図を書いてくれ、汎用アームロボットと連動させれば半自動的にハードウェアが造れる環境があったお陰でもある。
リョウジは最初こそ戸惑ったが、そのAIと制御ソフトの理解が進むと、後はすんなりと身に付いていった。
カレンも最初は数ヶ月程を見積もっていたが、これだけ色々と揃っている場所を入手できた事は大きく、設計や工期をかなり短縮できた。はんだごてとラジオペンチを握らずにできた事を、彼女は両手をあげて喜んだ。
その一方、シンジは食料問題と燃料問題に悩まされていた。カレンの食料消費が多いのだ。義体が小柄とはいえ、米国育ちというのも影響しているのか、それとも類稀なる才能による消費なのかは分からないが、ミサキの倍は消費している。
農園の拡充も急務でありつつ、タンパク質源としての魚・肉の調達に必要な車の燃料。同じ埼玉県とはいえ、野生動物が居そうな場所は遠く、そして海も遠い。肉と魚は理研の近所にあるスーパーの保存冷凍庫を使えばそれなりに保つが、燻製化したり密封化したりとそれなりに人手が掛かる。この一週間はカズヤと共に埼玉県内を駆けずり回っていた。
カレンに消費を抑えるよう伝えたが、簡素な答えしか返ってこなかった。
「わかった。つまり自動化すればいいんだな?」
そう言って、またリョウジを引き連れて本田研究所に引き籠もり始めた。
シンジは彼女が何をしようとしているのか分からなかったが、少なくとも消費を抑えるつもりではないという事だけは理解した。
時折、カズヤにもカレンの手伝いが必要な時があり、そういう時はシンジが一人で農作業を行っていた。
『苦労性ね、シンジ。仕事でもそうだったの?』
「まあな。バックアップも上司の仕事だ」
苦笑したミサキの言葉に、やや諦念を含んだ声でシンジは答えた。
カレンはタフだった。しっかりと寝て、しっかりと食べ、体もよく動かして精力的に物事を着実に進めている。
本田研究所に居るだけでなく、理研の設備増強にも動き回っていた。蛇型の小さなアニマルボットを造り、ケーブルホールにLANケーブルを這わせ、別楝にあるサーバールームとネットワーク接続をした。僅かではあるが、ミサキ用の容量と能力、そしてカレンの支援AIである『フギン』の容量も増やす事ができた。
少なくとも、カレンの隠れ家生活の時に比べ、支援AIの能力は向上している。
『次は理研の本部楝にあるサーバールームを再起動させれば能力向上が見込めるでち。物理ケーブルとリレーは繋がってるでちが、サーバーは眠ってるようでちね』
その『フギン』の提案を是とし、メンバーの手が空いてる人間が再起動する方針になった。カズヤもデザイナーとはいえ、まったくハードやソフトに無知という訳ではない。細かい設定などはフギンがやれるようなので、電源とOSの起動さえできれば良いらしい。
ミサキはその間、カレン達が作ったボットの制御と監視をフギンと手分けして行いつつ、パンドラウイルスの解析とノルンシステムのバイオロジックの研究に勤しんだ。だが、エキスパートAIシステムとなっても、人間のような発想や閃きというものは無く、ただ只管に推論と検証を繰り返す限定的な事しかできなかった。
カレンはノルンシステムを見習い、実験設備用のボットを開発してミサキAIとリンクする構想を打ち出したが、実現には時間と資材が必要であり、すぐには対応できない。
ひとまずは人間では不可能だった計算速度を使って、少しずつ条件を変えては推論実験を繰り返す事に集中した。
そうして、一つ一つを解決していく毎に、問題は倍増していく。
「まぁ、予想しちゃぁいたが……冷却問題が大きな課題になっちまったな」
理研の量子コンピューターは汎用計算が可能なのと同時に常温でも稼働できるように設計されていた。だが、稼働を続けていれば発熱はする。量子コンピューターだけでなく、サーバールームの冷却も、エアコンだけでは追いつかない程になってきた。
カレンはその対策に頭を悩ませていた。
「ミサキとフギンの処理にリミッター掛ければひとまずしのげるが、いずれにしろ冷却媒体とシステムを組まにゃならん。液体ヘリウムがベストなんだが、液体窒素でもいい。窒素なら空気中から拾えるしな。どっか工場とか無いか?」
シンジ達のPCやタブレットに残っているのは、大阪周辺と中国深圳の一部の地図しか残っていない。縁の薄かった埼玉や関東一円の細かいデータは無かった。インターネット接続を試みたが、やはりほぼ利用できない状態のままだ。
車載のナビも検索してみたが、レストランやコンビニ、エネルギースタンドなどは残ってはいるものの、工場や小さな企業などは見つけられなかった。
『理研の帳簿ファイルから、取引先に液体ヘリウムか窒素の業者があるかもしれないわね。調べてみましょう』
ミサキの発案のお陰で、理研本部に納入していた業者のリストを見つける事ができた。いくつかの業者は東京都内にある会社の本社であり、工場とは違うものが出てきた。しかも東京は既にノルンの支配下にある。小規模な業者は、埼玉県内で近くても、桶川市や川口市であり、後は横浜や千葉、群馬といった場所まで足を伸ばさないとならなかった。
車で何度も往復するのも燃料の無駄になるので、何か代替案は無いかと四人と2台は頭を捻った。
「……ノルンから、タンクローリーを一台奪おう」
唐突に、カレンはそう切り出した。
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