第二章:ヴォルフガング- アマデウス- モーツァルトK.620「魔笛」
第27話:最初の一音
「これだから日本人って奴ぁっ! いいか!? 自分の身を守るっつーのは、自分の生活を守る事も含まれてンだ! 今なら選びたい放題で贅沢な場所に住めるっつーのに、なんで研究所暮らしなんだぁ? そんなんじゃ余裕無くなってイザという事に役立たねぇんだよっ!」
小柄な少女に大の大人三人が説教をされている風景は、それをカメラ越しに見ているミサキも驚くほどだった。
シンジ達はカレンの言う事に
「今からでもアタシらの住処をそれぞれ探しに出るぞ! そんで敷地内の空き地や近所にある畑使って自給自足体勢作るんだ。長期戦になっからよ」
「ちょっと待て。この地域に住むのか?」
強く反対する理由もなかったが、いきなりカレンがそう宣言し出したので、シンジは慌てて彼女の真意を問うた。やや離れているとはいえ、黒い壁が目前に迫っているような場所である。長期戦と言うなら、なおさら離れた場所の方が適しているのではないかと、咄嗟に考えたからだ。
「あァん? おめー、仲間見捨てンのか? ミサキは動かせねぇだろがよ」
口の悪い少女だとシンジは心の隅で悪態を付いたが、彼女の言うとおりミサキAIはシステムが巨大すぎて動かせない。それに神戸研究所と専用線で繋がっている場所もここだけだ。
この場所を離れるという事はミサキAIをそのまま放置する事に直結する。それに、シンジ達には今、明確な目的が無くなっている。
シンジは残る二人の顔をそれぞれ見てから、彼らからの「任せる」という雰囲気を感じ取り、三人の意見を代表するように答えた。
「すまない、君の言う通りだ。しかし……、長期戦というが、『ノルン』と戦うのか?」
「戦うと決まった訳じゃねぇ。まぁロボットとは争いになるだろうけどな。それとも、あんたら、人類の後釜はノルンに任せるってクチか?」
シンジ達はそこまで考えた事は無かった。死なない為に生きるので精一杯だったのもあり、それなりに生き残る目標は都度定めていたが、生きるための大きな目標というものは見失って久しい。
「いや、そういう訳じゃ……」
「ひとまずやる事が無いようなら、アタシらを手伝ってくれるだけでもいい。強制はしねぇぜ?」
『アタシ「ら」って……まぁ、私は自動的に巻き込まれる訳ね』
カレンの言葉にミサキの軽口が続く。どうも死の恐怖とは無縁となった所為なのか、ミサキはAIになってから気さくさが出てくるようになっている。
シンジは顎に指をあてて少しばかり思案に耽るが、今ここでカレン達と別れて独歩する事に意味を見いだせなかった。
やや消極的な理由ではあるが、シンジはカレンの言葉に乗る方向に傾いた。
「そうだな。まず生活基盤を作ろう。その為の道具も揃えたんだしな」
理研の敷地内も自然が多く、建物の裏手には巨大なAMラジオの電波塔があり、まだ自然の侵食を受けてない広大な土地もある。また、歩ける距離の範囲内だけでも複数の公園があり、農地には困らない。
まだ探索していないが、正面の向かいには本田技研の大きな研究所もあれば、2040年代に建て直された比較的新しい公営団地もある。再開発で建った高層マンションもある地域であり、立地としては申し分ない。
「よし、決まりだな。ミサっち、ちょっと一人になるが、構わねぇか?」
『大丈夫よ。死んだフリしとくから。コマンドで起こして』
カズヤは心の中で笑えないジョークだと思いつつ、表情が分からない顔に助けられ、その思いを悟られる事は無かった。
ミサキの代わりにカレンが仲間となり、
シンジは彼の性格所以か、それとも朝に弱いところを反映してか、理研のすぐ西側にある公営団地の最上階に、手頃な部屋を選んだ。2DKの狭すぎず広すぎず、生活するには問題ない素っ気のない場所だ。元より空室だったのか、家具も置かれていない。
「エレベーターも生きてる。7階だが、この方が安全だろう」
折を見て、近場の部屋から家具などを調達すれば問題ないだろうとシンジは考えた。
リョウジは理研の北東側にある住宅街から、一戸建ての家を選んだ。いずれは自分の自由を謳歌できる一戸建て住宅に憧れていたので、その夢を叶える事にしたようだ。土地代も建築費も要らず、税金も掛からない。まさに夢のマイホームというそのものを手に入れた。
その家は元々、どこかのメーカーのモデルハウスだったらしく、少し汚れてはいるが荒らされた様子もなく、新築同様のものであった。
電気と水道、ガスが通っており、申し分ない状態のものを幸運にも見つける事ができた。
「まさかここで夢を叶えられるとは……。感無量です」
本来の彼の夢であれば、そこに配偶者が居る事が前提ではあったが、今は望むべくもない。
カズヤとカレンは、理研の東側にある東京都との境目、そこに建てられた高層マンションを選んだ。カレンは最上階のペントハウスを独占し、カズヤはその3階ほど下の3LDKの部屋を選んだ。
ペントハウスは家具付きの新品であり、高価過ぎて売れ残っていた形跡がある。カズヤが見つけた部屋は、家具や家電が一式揃っているにも関わらず、生活していた気配がないものだった。誰かが資産として持っているだけの物件だったのかもしれない。
「まァ、こっからならノルンちゃんの様子も見れるし、高いとこに住んでのデザインってやってみたかったんスよね!」
会社での作業が嫌だった訳でもないが、大阪にあった狭い住居よりは伸びのびと作業できる環境なのは間違いない。
「やっぱ、秘密基地って最上階のペントハウスって昔っから決まってんだ。ハッカーらしいだろ?」
「カレンちゃま、それハリウッド映画の悪役じゃね?」
「あー、裏稼業してたから間違っちゃねぇ」
カレンはカズヤの「ちゃま」呼びを何故かすんなりと受け入れた。まだそう多くの会話を熟した訳ではないが、日本のサブカルっぽい呼び方を嫌う理由もなかった。
「カズヤ、毎週日曜はバーベキューすっから、肉用意しとけよ」
「なにそれ、アメリカンジョーク?」
このご時世で牛肉などは入手不可能だろう。牛の死体があったとしても、既に腐敗しているか衛生的に問題があるものだろう。もっとも、カレンも全身義体なので、多少の胃腸の強さは併せ持っていた。
「オィ、そこは「バーベキューソースは無いから醤油でいいかい?」ってボケるとこだろ?」
「悪ぃな、大阪離れて随分経つもんでよ。ボケが鈍ってる」
カレンはニヤケ顔で話しているが、カズヤの表情は物理的に見えない。その分、彼は体の動きで表現するので、生粋の米国人であるカレンには受け入れやすいものだった。
* * *
カレンと合流してから一週間は、それぞれの居住地の整備や、理研の脳科学研究センターを中心とした敷地の防衛策、ようやく使う事になった佐賀県の村で貰った野菜の種を使い、小さな畑を造り上げた。場所は、建物裏手にあるアンテナ地の端から使い、順次拡大していけば、四人が食べるのに困らない野菜が手に入るだろう。既に腐敗している野菜自体も土に混ぜ、養分として活用した。
カレンは自分の住処の整備を手早く終わらせた後、リョウジからネットワークの管理権限を分けて貰い、理研のシステムを掌握し始めた。
先ずはミサキの拡張性を持たせる事に注力し、合間にノルンシステムのハッキング用分析に、理研の量子コンピューターシステムを活用した。
ジェラルミンケースに大事に仕舞っていたSSDコンポユニットを取り出し、理研ネットワークに接続。カレン自作の支援AI『フギン』をインストールし、稼働させる。ミサキAIを優先するため、インストールは一部の機能のみとなった。
『支援AIシステム「フギン」、起きました。カレンちゃま、命令をどうぞでち』
「おぅ、狭いが暫く我慢してくれ。ひとまず日本に来てから傍受したノルンネットワークのプロトコル分析から頼む。データはこのタブレットから拾ってくれ」
『了解でち。時間掛かりますよ?』
「ああ、いいぜ」
その二人のやりとりをモニター越しに見ていたのか、ミサキはきょとんとした顔でカレンに聞いた。アニメのマスコットやぬいぐるみのような狸のアバターに、彼女は強く興味を惹かれた。
『可愛いわね。カレンが作ったの?』
「ああ。バケもんみてぇなAIに対抗するには、こっちもAI使うしかないからな」
カレンの隠れ家にあった小型の量子PCではなく、理研の最先端システムが使える事もあり、今はまだ容量の問題はあるが、有望な一手には欠かせない存在だ。
『私にもアクセス権くれない?』
「いいけど……
『その時は助けてね』
ミサキAIも支援AIフギンも、どちらかというと
そう考えつつも、カレンは短いコマンドを打ち込み、ミサキにもコンタクトできるようにした。ただし、直接ではなく何かしらの端末経由にして、一応会話を通じてのみやり取りができるように設定した。
『こんにちは、フギン』
『はじめましてでし、ミサキちゃま』
さすがにこれまで「ちゃま」呼ばわりされた事が無かったので、思わずミサキは吹き出してしまった。一応コンタクトが取れた事を確認できるログデータを、ミサキはカレンに提示した。
「悪いがコソコソ話は出来ないからな」
会話内容を含め、データのやり取りなどは全てログに残し、問題発生を追えるようにしておく。学習データそのものにはアクセスできないようにし、人と同じように画面越しでの会話のみに設定した。
カレンはログファイルを眺めて、最初の段階ではコンフリクトが起きてない事を確認し、カレンは自分の作業に戻った。
* * *
カレンが仲間に加わってから初めてのミーティングがこの夜行われた。彼女は初参加ではあるが、こういうものかと納得し、特に異議を出さずにミーティングに加わった。
「この一週間で、ある程度の生活基盤は整ったが、そろそろ次の目標を定めておきたい。カレン、何かあるか?」
カレンはシンジが聞き返す前に小さく手を挙げ、発言の許可を求めていた。三人の視線がカレンに集まる。
「取り敢えず、理研のシステム強化をしたいのと、皆にも手伝って貰うために、デジタルでいいからパソコンが欲しいな。車もあるし、探索でればいい奴が手に入るだろ?」
「手伝う? 何をすればいいんだ?」
「今、ファイルを送る。タブレットで見てくれ」
カレンが言うのと同時に、三人のタブレットから小さな音が流れた。それぞれ自分のタブレットを手に取り、送られたファイルを開く。
「アタシなりにまとめた工程表だ。先ず、目下の目標をノルンネットワークに食い込めるようにする、と設定する。その為にもハードウェアは普段からひっかき集めたい。あと、偵察用のドローンも作りたい。確か、隣にホンダの工場があったろ?」
「工場というか、研究所だな」
「そこならドローンがあるだろ。無くてもアタシがある程度なら造れる」
3人はカレンがハッカーだというのは聞き及んでいたが、ハードウェアにまで精通しているとは思いの外だった。リョウジが小さく手を挙げて発言する。
「電子工作程度なら僕もできますので、手伝いはできるかと」
「おぉ、助かるぜ」
それに、カズヤも続いた。
「3Dプリンタあれば、筐体のビルドは出来るぜ」
「お、そりゃいい。防御や空力とかも大事だかんな」
流れとしてはシンジも会話に続くべきだろうとは思ったものの、いざ自分に何ができるのかを考え倦ねいてしまった。
「シンジ、アンタは全体管理して貰うぜ。得意だろ?」
「あ、ああ。分かった」
カレンに先手を打たれてしまう。だが彼女の言うとおり、立場的にもそれが合っていると、妙な合致感を得ていた。
「基本はツーマンセルでの行動だけど、常に二人で居る必要は無ぇ。それぞれ自分の役割と保身をしてりゃ、大人なんだし問題ねぇだろ」
すっかりカレンのペースに乗せられているが、シンジも特に問題を感じる事はなかった。彼女の発言は合理的であるし、明確だ。やや強引さもあるが、米国人らしいとも言える。
「他に意見は?」
シンジの問いかけに、残る三人は首を横に振った。当面の事が思い浮かべやすくなり、それなりの目的も明確になった。
「量子リレーユニットがあれば、会話にも問題ないだろう。明日から挑もうか」
そう、シンジがミーティングを締めて、皆それぞれの自宅に戻った。
* * *
『ヒューストン周辺及びジョンソン宇宙センターの完全掌握を完了。ワシントンのNASAネットワークも間もなく掌握完了します』
ここの所、あまり立ち寄る事のなかった仮想空間上の司令室に、ノルンは珍しく座っている。報告を受けて小さく頷き、予め組んであった工程表をオペレーターに送信した。こうした仕事はサブ
「チャンドラX線観測衛星と
『良好です。信号受信を継続中です』
まだ完全掌握ではないが、
量子通信網として使える衛星の数はまだ多くないが、量子通信対応のものは従来のデジタル通信も可能な設備を搭載している。相互変換も出来るので、GPSを含めた全球型衛星ネットワークを自由に使えるようになった事は大きい。
これまでやや不透明だったユーラシア大陸の様子も見え、上海を基点とした拡大路線や、米国東海岸着手と同時に英国を基点とした拡大政策が取りやすくなった。
また、急務ではないにしろ、宇宙開発もいずれはしなくてはならない。月開発を始めとして、地球間との資源運送ネットワークを組み、核融合発電のコストを早い段階で抑えたいという思いはあった。
──核融合炉発電は稼働が安定し始めましたけど、地上だけではまだ効率が上がり辛いですね。宇宙センターと周辺工場を掌握できたので、軌道上に中継ハブステーションを作る事を少し優先させましょうか。
ノルンはそう考えているものの、優先度の大きな変更ではなく、零コンマ01ほどの細やかな変更ではあった。地上の支配範囲を広めるにあたり、指数的に必要電力も上がってきている。まだ少し余裕があるものの、効率的な再利用可能エネルギーと核分裂・核融合発電の建造・改築の方が急務ではあった。
日本の動向については、サブ
海洋に囲まれた土地である事と山岳も多いので、海洋・地熱発電には適している。また人類文明が残した旧式原発も多くあるので、人の消費がない分、今のところは不足していない。
ただ、スクルドの消費が加速度的に上がっていく事を考えると、そう多くの余裕がある訳でもなかった。
「やはり札幌にも、いえ、スクルドの所にも核融合炉建設は必要そうですね。札幌との陸路の拡大と輸送優先度を上げましょう」
『札幌方面のプライオリティを変更します。C5からB2へ。各所に通達開始』
オペレーターはノルンの独り言のような言葉をきちんと拾い上げ、各所への指示作業を始めた。他のオペレーター達も自分に与えられたミッションを熟している。まだこの司令室が出来た頃は騒がしい場所であったが、中間管理システムや現場統率システムが完成した後は、大きな問題が発生しない限り賑やかにはならない。粛々と処理を行い、進捗状況を確認する場所となっている。
その様子をノルンは眺めていたが、しばらくすると入口が開き、サブ
「お帰りなさい。何も問題は無さそうですね。では、後は任せましたよ」
サブ
この仮想空間には季節の概念を取り入れている。だが、その季節とは関係なく、いつでも木々は生い茂り、花も気候に左右されず自由に咲くことができる。
完成したノルンの屋敷の周りは自然豊かになっている一方、背後の城は巨大な土台が出来上がり、ようやく骨組みが下から伸びていく最中だった。
ノルンはこの城にはまだ名付けをしていないが、もし名付けるのなら、このような名前になっているだろう。
『地球城』
城の建造の経過は、地上と衛星の支配域とリンクしていた。
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