第26話:ミサキ
『この動画ファイルを見てるという事は、既に私の生命活動は停止したという事よ。これから、私の処分方法を貴方達に伝えるわね。まずは何よりも貴方達の安全を最優先にしてね。私の体は隣接されている脳科学研究センター本楝の──』
この長い動画では、シンジ達への自分の火葬について説明されているものだった。ミサキは自分の死亡時に、BMIから信号を発するように予めセットしておき、心肺機能及び脳波停止でこの動画をシンジ達にチャットで知らせるようにしていた。
結局、ミサキはパンドラに疾患し、ろくな医療行為も受けられず、合併症によって死亡してしまった。
シンジ達は、このミサキの死亡通知を最初は心ここにあらずといった様子で聞き逃してしまう。楽観視していた訳ではないが、あれだけ健康的だったミサキが死亡するとは思えなかっただけに、この事実を受け取るまでに時間を要した。
「彼女の指示に従おう。三日後に防護服を着て、彼女を弔う」
重々しいシンジの言葉に、カズヤとリョウジは静かに頷くだけだった。反対する理由はなかったが、感染防止の為に3日も待たなければいけない事にもどかしさを感じている。
季節は夏であり、比較的腐敗が進みやすい。屋外とは違い、室内でありミサキの居る場所が比較的清潔な場所なので、そう酷くはならないだろうが、そこが気がかりではあった。
シンジ達はミサキの指示どおり、別の楝から防護服を見つけ、一度は試着した。それぞれの体をよく観察し、破れや破損が無いかを確認。カズヤはやや身長が高めであり、彼に合う無事な防護服を探すのには少し時間を要した。
防護服があれば三日も待たずとも、ミサキの様子を見に行けるとも考えたが、亡くなった彼女の意思と親切を無駄にする訳にもいかず、シンジ達は座して待つ事にした。
リョウジは既に理研のネットワーク全体を支配下におき、今はその様子を見ている。ミサキに必要だった領域は膨大なもので、今もAIによる学習成果の保存と再利用で、メモリと計算処理が増加傾向にある。冷却も上手く作動しているのか、リョウジが駆けずり回ってエアコンや水冷設備を点検する必要は無い範囲だ。
一方、カズヤはミサキのモデリングを終えた後、特にやる事が無かったので、彼女の背景用のセットを作り始めていた。単色の背景では味気ないし、自分達もミサキのアバターを見ていて、より自然に受け入れられると考えたからだ。それに、何もせずに時間が過ぎるのを待つ性分でも無かった。
シンジはミサキのデスクを借り、ミサキの火葬手順とこれから先の事を、仮組みの予定表を交えながら整理している。
流石に理研でも、火葬できそうな設備は無い。敷地は広大だが、植物が生い茂っているので、延焼を起こさないように火葬予定地の周辺の植物は刈り尽くさないとならない。それは、この予定整理が終わった後、三人で行う事にした。
火葬後は遺骨を大きめのビーカーに入れて蓋をし、そのまま火葬した場所に埋めて墓を作るつもりだ。
場所を確保するのに何本か木を倒さないとならない。広島で入手したチェーンソーを使えば、苦労せずに木を倒せる。その木を使って、簡易的ではあるが墓標として使う事を考えていた。
一方、ミサキの弔いについては具体的な方針は立てられるが、その後となると途端に何も思い浮かばない。
そう選択肢は多くなく、ここを離れてひとまず安全そうな場所で生活を始めるか、それともこの場所に残って、ノルンが支配した東京の様子が見れるように維持するか。あるいは関西に戻るか……。
シンジにとって付き合いの長い二人が、どの選択を取るかは予想が付かない。場合によっては三人それぞれで意見が異なる可能性もあった。
そんな時、リョウジから何故か気の抜けた声が出される。
「チーフ、ミサキさんから、連絡? が?」
リョウジも困惑しているのか、言葉が途切れ途切れだ。
「何かしらのファイル送信とかじゃないのか?」
「いえ、チャットコール、です」
作業の邪魔にならないよう、ヴォリュームが抑えられたリョウジのノートPCからは、短いメロディの繰り返しが微かに奏でられている。シンジだけでなく、カズヤも自分の手を止めて立ち上がり、リョウジの方へと移動した。
ノートPCの画面には、テキストチャットの隣に、小さくWebカメラのような映像ウィンドウが出ており、そこにはカズヤが作ったミサキのアバターが写っていた。
『皆さんこんにちは。いえ、初めましてというべきでしょうね。私は戸張ミサキの記憶と思考パターンを模倣するAI、仮称ミサキAIです。音声認識、画像認識、文字入出力が可能です。適当なプロンプトを入力すれば、思考パターンシミュレーションを開始します』
ミサキらしいといえばミサキらしい、そんな事前説明の言葉が、無表情のアバターから出てきた。三人は、文字通り面食らった顔でそれを迎える。
リョウジは戸惑いつつも、少し間を空けてからキーボードで
『初めまして、リョウジです。思考パターンシミュレーションを開始してください』
プロンプトは、シンプルな単語の羅列や命令口調でも通じるが、何故かリョウジは丁寧語で入力した後に送信した。
『シミュレーション開始。これで上手く動くといいんだけど……みんな、聞こえてる?』
驚いた事に、最初の機械的な回答ではなく、生きていた時の本人と何ら変わらない調子で答えてきた。画面内のアバターも、人間のようなブレや繊細な表情を見せており、シンジ達はまるで、魂が乗り移ったかのような恐ろしささえ感じ取っていた。
「す、すごいな……生きてる、のか?」
余りの衝撃に、唾を飲み込みながらシンジは話しかけた。
「生きる? ああ、そうか。私、死んだのね? 厳密には生きてるというか、生きていたらこうなっているかも、というシミュレーションでしかないわ」
PC越しとはいえ、これがカズヤのデザインではなく、本人をそのまま模倣した3DCGアバターであれば、フェイク動画だと疑う程リアルに動きながら、まるで本人のような喋り方をする。これまで業務で数多くのAIを研究や試用をしてきたシンジ達にとって、一気にブレイクスルーに直面してしまったかのように感じ取れた。
「なるほど、自分の状態を確認したわ。手間を掛けて悪いんだけど、私の死体の火葬、よろしくね」
亡くなった人から火葬を頼まれる事なんて、三人とも経験が無い。リョウジのノートPCに付属しているWebカメラはアクティブランプが付いており稼働している。口を半開きしている三人の姿はミサキAIにも見えている。
「なんて顔してんのよ? ナニ? わたし、変なこと言った?」
「じゅ、十分変だと思うが……まぁいい」
やや掠れた声で、シンジが返答する。カズヤの表情は読めないが、ノートPCから離れ、応接用のソファに倒れ込むように座り、顔を片手で覆っている。
「まだ、スキャンデータ解析が終わってない部分も多いから、日常会話以外の専門的な部分の回答は信用しないでね。一応、今テキストで送ったアドレスにアクセスすれば、いつでも私を呼び出せるわ。でも、理研システムの能力では複数人と同時に会話できない。誰か一台の呼び出しだけで占有されるから、そのつもりで」
ミサキが喋っている間に、シンジとカズヤのノートPC、そしてタブレットから短いサウンドが聞こえ、アクセス用のショートカットが送られた。
「さて、何か急ぎの用件はあるかしら?」
「いや……今のところ、は?」
「そう。なら一旦ログアウトするわね。また後で」
むしろ生前よりもハキハキとした感じで、ミサキはチャットウインドウを閉じた。
* * *
カレンは小型の義体ではあるが、運動性能は市販品の中でも高性能なものを使用している。裏稼業で稼いだ金銭は、惜しみなく義体に使っている。仕事柄という事もあり、舐められる訳にもいかず、生き残るためには必須であったからだ。
それは社会崩壊が起きた後にも、十分に発揮している。比較的荒廃が進んでいない日本でもその機敏さは活かされ、野生動物だけでなく野生化した人間の攻撃を避け、排除する事に成功している。銃社会の中で育った事もあり、射撃も得意な方だった。
それでも、徒歩と電動自転車による移動で時間が掛かり、なかなか目的地に付く事ができないでいる。焦る必要はないと自分に言い聞かせながら、安全を確保しつつ、ゆっくりと北進していた。
「しっかし……噂にゃ聞いてたけど、日本って住宅密度高ぇな」
カレンは割とカルチャーショックを受けていた。カルフォルニア周辺で良く見る、庭付きの広々とした戸建て住宅とは違い、これでもかと言うほどに密着した縦長住宅の多さは、想像以上だった。
訪日した経験のある知り合いが「日本は高級ホテルもワンサイズ小さい」と嘆いていたが、こういう事だったのかと体で実感させられた。
更には東京都区周辺の道路事情の複雑さも、カレンを迷わせるには十分なものである。太陽の方角が分からなくなるほどではないが、それでも同じ道を何度も往復させられた事があった。狭い小路には道路標識すらない。
途中、休憩しつつもタブレットを弄り、ハッキングシステムの更新をしようとしてはいたが、今のところ上手くいってない。最初の外門は開けそう、という程度で止まっている。
「ほんと、人間は無力だぁねぇ……」
残量を気にしつつ、スティックタイプのサプリ菓子を齧りながら、大きなバックパックを背負って、カレンはまた歩き出した。
* * *
ミサキが死亡し、ミサキAIが稼働し始めてから三日目。シンジ達は彼女の遺言に従い、脳神経科学研究センターの本楝に入った。装備はハンドガンだけを腰に付け、防護服を二重チェックした後に、案内板とミサキAIから提供された地図とを見比べながら館内を進む。
そして、ロックが外された
ミサキAIが気を利かせたのか、スライドベッドが自動的に動き、患者衣をまとったミサキの全身が顕となる。
三人は示し合わせたように黙祷を捧げ、そして両手を合わせて死者を弔った。
予め用意しておいた、救護室のベッドから剥ぎ取ったシーツでミサキの遺体をくるみ、体格の大きいカズヤが抱え上げる。
脳科学研究センター楝の西側には小さな池がある。その辺の木々を刈り、ミサキの火葬と埋葬をそこで行う事にしている。
刈り取った草木は火葬用の燃料として使い、シンジが自衛隊のキャンプ用品であるガスライターを使い、ミサキの荼毘が始まった。
火の勢いが強まった頃に、三人は防護服を脱ぎ、その焚き火に放り込んで一緒に焼却する。有毒ガスを吸わないように少しだけ距離を空け、三人は静かに、火の行方を見守った。
蝉を始めとした虫たちの鳴き声を葬送曲とし、夏のそよ風に翻弄されながら、灰色の煙が空への道を
地上に残された三人はそれぞれの思いを抱きつつ、ただただ黙って灰色の道を眺め続けた。
火葬の炎が落ち着き始めた頃、リョウジは急に後ろを振り向いた。シンジとカズヤも慌ててそれに倣い、小さな人影を見つけた。
「邪魔して悪ぃな。煙が見えたんでな。誰かの
小柄な義体と同じくらいの大きさがあるバックパック。それが数歩だけ前に出てきてから立ち止まり、声を掛けてきた。
ややハスキー掛かった少女風の声。サブマシンガンを持っているが構えてはいない。咄嗟に構えたシンジ達とは対照的に、銃口にその身を晒していた。
流暢な日本語で喋りかけられたシンジ達は、彼女の武装状態を気にしつつも、敵意が無いと判断して、ゆっくりと銃口を下ろした。
「ああ、仲間がパンドラにやられたんでな。何か用か?」
「どうやらまともに会話できるみてぇだな。野生帰りしてなくて助かるぜ。少し聞きてぇ事があるが、葬式の後でいいぞ」
そう言ってカレンは彼らの横に付き、胸の前で十字を切り、一緒に死者の冥福を祈り始めた。
* * *
カレンにとって、まともな会話が平和裏にできる相手と話すのは、随分と久しぶりとなる経験だった。小柄ではあるものの邪魔にならない程度に火葬と埋葬を手伝いつつ、互いの自己紹介とミサキの件について、作業の間を使って聞く事ができた。
今は脳科学研究センター西楝のミサキのオフィスに居る。カレンへ手伝ってくれたお礼にと、貴重なコーヒーが振る舞われ、応接セットで4人が顔を合わせている。
そしてカレンは今、リョウジのノートPCに写ったミサキAIを怪訝な顔で見ており、どう考えたものか悩んでいた。
ミサキは先程の葬儀の対象者であるにも関わらず、こうしてAIとして意思と記憶が残り、会話まで可能。これを生きているというべきなのか、まったくの別物なのか、カレンは判断できずにいた。
「たった今、ミサキの葬儀を終えたとこだ。なのにこうして話してるのはなんつーか……」
「手間かけたわね、カレン。見送ってくれた事、感謝するわ」
「死者に感謝される謂れはねぇよ」
カレンはモニターを見てはいるが顔を横に向け目を反らしながら話している。どうにも直視できない感触があった。態度が悪く、右足をソファーに乗せて肘を背もたれに乗せているので、一見すると怒っているようにも見える。
実際カレンは、ぎりぎり間に合わなかった自分に対し、幾ばくか怒りを感じており、居心地の悪さもあった。
「カレン、さん……ミサキとは仲良かったの、ですか?」
シンジはミサキと初対面時でもそうだったが、丁寧語で話しかけた。葬儀の時はそこまで気が回らなかったが、改めてこうして落ち着いた時に、その癖が出てしまう。
「呼び捨てでいいよ、ミスター・キサラギ。ミサキから聞いてると思うが、アタシもプロジェクト・スレイプニルのメンバーで、システムエンジニアだった。『ノルン』システムの基礎OSを作った本人さ」
その言葉は、シンジ達に大きな驚きを与えた。特にリョウジは量子コンピューターのOS設計などできず、しかもミサキが使っていたハッキングシステムの開発者でもある事に気付いた。それだけに、こんな小柄な女性が高度なスキル持ちである事に驚愕してしまう。
「悪かったなミサキ、間に合わずに。とはいえ、ワクチンなんざアタシも造れねぇから、その点では役に立たなかったが」
『仕方ないわ。いずれは、と覚悟してたからね。でも来てくれて嬉しいわ、カレン』
ミサキの感情をシミュレーションしているのか、ミサキのアバターは苦笑じみた笑みをカレンに向けている。カレンはそれを横目で見た後、小さく溜息を吐いてそれを受け入れた。
『それで、カレン。なんで態々ここまで? 私に何か出来ることがあったの?』
「それなんだがなぁ……」
カレンは痒くもない頭をボリボリと掻いて、少しだけ考え込む。一応シンジ達の目線も感じ取り、すぐに髪を手櫛で整えるが、鏡も無いので少しだけ乱れが収まったくらいだ。
「ま、『ノルン』を生んだ親の責任っつーか……なんとかハッキングしようとしたけど、一人じゃ無理だったんでな。ミサキに手伝って貰おうと、さ……」
ミサキに対しても無茶振りであるという自覚があるのか、少しばかり淀みながらカレンは答えた。
『私はハッカーじゃないわよ?』
「知ってる。だけどアタシの女の勘って奴でね。ミサキなら手伝ってくれるっつーか、たぶん何とかなる? てきな?」
天井を見上げつつ頬をぽりぽりと掻きながらカレンはミサキに応えた。その様子がミサキには可愛らしく見えたのか、くすくすと笑って冗談を言ってきた。
『らしいと言うか、らしくないというか、非論理的ね、ドクター・ギブスン』
「まぁな。ミサキと違って、アタシのはなんちゃって博士号だ。アタシぁ生粋の
この時初めて、カレンは真正面からミサキAIを見据え、いたずらな顔を向けて笑いかけた。ミサキも声を少しだけ出して笑っている。
人間らしい会話と冗談、笑う事ができるAIの存在と、カレンという『ノルン』システムを生み出した一人という、別世界な人物たちのやりとりを、シンジ達は唖然としながら聞いているしかなかった。
『それで、カレン。これからどうするの?』
「さてな……まぁ『ノルン』を何とかするのは変わらねぇ。少なくとも、死ぬまでには何とかしてみせるさ」
カレンは目を瞑って腕を組み、自分に言い聞かせるように重々しく答えた。
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