第24話:ナルヴィの試み



 無い袖は振れない、その現実にシンジは重く息を吐き出した。

 三日間に及ぶ捜索でも、見つかったのは散乱した注射器と、空になったワクチンのアンプル容器だけだった。よく考えれば分かる事だが、本楝に有ったとしても、既にワクチンが使われているのは当然のことだ。

 そのワクチンは有効だったのか、それとも効かなかったのか。効いたとしても生き残るために移動したか、それとも野盗に襲われて死んでしまったかで、死体らしきものは見当たらない。

 シンジは虚無に彩られた顔を隠せないままにいる。その評定を鏡写しにしたかのようなリョウジの顔。カズヤは表情こそ見えないが、ずっと虚空を見つめているようだ。


 自然と集合地点となったミサキのオフィスに、三人はそれぞれ、次に何をすべきかを考える所まで辿り着けず、ただただ呆然とするのみだった。

 一年どころか数ヶ月ほどの浅い付き合いである筈が、何故かミサキの疾患については、重く伸し掛かる。

 ミサキが女性だからという理由ではない。上海手前で偶然出会い、交渉が可能な状態を維持していたというそのタフさが、彼らを魅了していたのかもしれない。

 拭えない、喪失感。


 シンジはようやく、文字通り重い腰をゆっくりと上げ、オフィスの窓際に立ち、ミサキが居るであろう、脳科学研究センター本楝の方を眺めた。窓の外は鬱蒼とした雨が振り滴り、そう遠くないにも関わらず、本楝は霞みかかっている。

 

 ミサキの置き手紙にはこうも記されていた。

 自分が死亡した時点で、BMIの信号停止を受信したノートPCから、量子リレーデバイスを経由して死亡した事を知らせるメッセージが届く事。そして、少なくとも死亡通知から数日間は、本楝に近づかない事。義体部分は自由にしてくれて構わないが、生体部分の死体は火葬にしてウイルスごと焼き去って欲しいと。

 そして、こう括られている。


──貴方達に出会えて、私は幸運だった。これまでの感謝を抱きつつ、眠りにきます。ありがとう、さようなら。


 シンジが思い描いていたステレオタイプな科学者ではなく、彼女は普通の一人の女性であったと再認識させらる。それが余計に、重石となって心が潰されそうになる。

 僅かな期間だが、こんな世界だからこそ、短くとも仲間としての深い絆が結ばれたのだろう。


──ひとまず、あの時通り過ぎた村を見習い、自給自足を目指すか……。


 ここは遅かれ早かれ、漆黒のビル群に呑み込まれる可能性が高い。もう少し離れた場所、仙台辺りか、もしくは一度戻って和歌山も悪くないだろう。海に近い方が、食い物には困らない。

 そして、貰った種と飼料と化した野菜の実もある。三人程度なら、狩猟生活していれば、暫くは保つだろう。

 ぼんやりとそう考えつつも、それを二人に打診するタイミングを逃している。

 辺りも暗くなり始め、もうすぐミサキが自主隔離してから、四日目が過ぎようとしていた。

 そんな時、突然リョウジが叫びだした。


「チーフ! ミサキさんから連絡です!」


 ここの所、リョウジは驚いてばかりいるので、飛び上がる程の驚きではなかったが、その言葉の内容には飛びついた。


「無事なのか!?」

「分かりません……僕のPCにチャットが繋がりました!」


 リョウジはキーボードには触れぬまま、カズヤとシンジがノートPCの前に来るまで、ミサキからのコール画面を表示させたままにした。



  *  *  *



 清潔感がありつつも、無機質な感触のある大きな部屋と鎮座している巨大な機械。そのCNS脳神経構造スキャナーに身を埋め、ミサキはスライド式のベッドの上で、身動き一つせずに寝ている。厳密には半麻酔の薬剤を飲み、脳の活動以外をできるだけ抑えていた。それでパンドラウイルスの活動を抑えられるわけではないが、できるだけ長く生き、自分の記憶と思考パターンを、理研のネットワークストレージに保存しようと務めた。


 別に不老不死を狙っているわけではない。ただ、シンジ達への恩返しになるかどうか分からないが、自分の知識が役に立つこともあるだろう。そして、運が良ければカレンが見つけてくれるかもしれない。

 そんな思いを抱きつつ、やや圧迫感を感じるスキャンを受け続け、半覚醒状態のまま、ゆるやかに死を迎え入れる準備をしていた。


『コネクト。どう? 私の声、聞こえるかしら?』


 リョウジからの返事が来るまで、暫く待つことになる。彼らも困惑しているのか、それとも何か手間取っているかは分からないが、ミサキは同じ言葉を、間を開けつつ繰り返した。

 BMIで慣れてるとはいえ、こうしてネットワーク・サーバー経由での会話には、少し戸惑いを感じている。何せ、考えた事がフィルタ無しに届いてしまう可能性が高いものだからだ。

 今更恥と感じる事はないが、それでもやはり心の中では気恥ずかしさが残る。


『音声チャットで繋げます。リョウジです、ミサキさん聞こえますか?』 


 低品質なマイク越しで、リョウジの声がミサキのBMIに届く。量子通信時とは違い、アナクロな感触にミサキは戸惑いを感じつつも、無事に通信できた事を喜んだ。CNSスキャナー越しでの会話ができたという事は、理論上思考シミュレーションとも音声会話が可能だという事になる。

 最初の段階はクリアできた。

 次の段階としては、感情シミュレーションと連動したアバター表示だが、これにはもう少し時間が掛かるだろう。ひとまず今は、リョウジとの会話を継続する事を優先する。


『ええ、聞こえたわ。声が少し掠れて聞こえるけどね』

『お元気……いえ、体調はどうですか?』

『微熱と、少し頭がふらふらしてるくらいね。どうやら、検査キットはきちんと機能したようで何よりだわ。自分の体で実証実験となったのは、ちょっとだけ不本意だけどね』


 過去の歴史でも、ウイルス学者や医学学者が自らの体を使った実験を行い、倫理を越えて実証した例はいくつもあった。ミサキはそれを自身の体で行うとは予想してなかったが、言葉どおり検査キットはうまく反応してくれた事が分かる。

 最後の一つは、既にシンジ達へと餞別代わりに置いてあった。


『そっちはどうなの? あなた達には症状出てない?』

『今のところ何もないです。全身義体だから、感染確率も低いですし』


 ミサキは自分経由で、もしくはあの時にシンジ達にも感染うつっていたらという恐怖もあった。そうなれば、文字通り全滅となってしまう。絶対に避けたい所ではあったが、意識したからといって防衛できるものでもない。

 だがリョウジの返事を聞いて、感染したのは自分だけであったのは良かったと安堵した。


『まぁ油断はしないでね。あと二日無事なら、大丈夫でしょうけど』


 どんなに遅くても、これまでに確認されてるのは最大一週間で初期症状を起こしている。

 もう自己離隔してから4日は経っているので、時間と共に可能性は低くなる。


『しかしミサキさん……どうやってこの通信を?』

『そうね。一言で説明するなら、私の記憶と思考パターン、神経ネットワーク構造をコンピューターに移して、疑似人格として残す実験ね』

『なんですって!?』


 倫理的障壁やプロジェクト・スレイプニルの横槍が入ったりと、遅々として進まなかったが、一応動物実験まではこぎつけ、大量の消費電力とストレージエリアを一時寡占して、ある程度の成果は収めていた。人間の場合でもそれが上手く動くかどうかは、今回が初めてだ。


『まぁ、成功しても私が死ぬ事は変わらないし、皆のサポートが出来る程度のもになるけどね。ある程度の追加学習も可能だけど、限度は高く無い、かな?』

『カズヤだ。ミサキさんのアバター、オレが創ってもいいかい?』

『え? まぁ、構わない、けど?』


 当然の申し出にミサキは面食らう。理研サーバーに残ってる汎用的な女性型3DCGキャラで済まそうと思っていたので、創ってくれるのならそれに越したことはない。


『美少女とかにはしないでよね。ありのままでいいから』


 とは言ったものの、どうせカズヤの事だから、何かしらのアレンジはいれるだろう。


『とにかく上手くいくかどうかは分からないけど、脳と神経ネットワークを生きてるウチにコピーしとけば、あなた達のサポートは続けられるわ。上手くいくことを願ってね』


 それを言い切ってから、ミサキは一方的にチャットを終わらせた。つぎは集中しつつ、アバターでの表示が行えるよう、BMIを通じて色々と組立・組み合わさないとならない。微熱によるケアレスミスが無いよう、できるだけ再チェックしながら行おうとしている。

 意識が混濁する前までに、できるだけ急ぎでやらなければならない事が多かった。



  *  *  *



「さらっと言ってましたけど、記憶と思考パターンを学習したAIなんて、実現できるんですかね?」


 ミサキとのチャットを追えたリョウジは、門外漢ではあるもののエンジニアとして興味深いものである。補助AIに反復学習を行い、ゲームのチート行為をする事は多くなっていた時代だが、その対策はそう難しくはなかった。そうしたツールを使っても、人間の行動とは違うAIの特徴的な操作が見られたからだ。


 シンジは、ミサキの考えを読む事は出来ないが、何となく彼女なりの恩返しの方法なのだろうとは感じている。その一方、現実味の薄い話でもあったので、彼女の試みが上手くいくかどうかは疑念が残った。


「あの『ノルン』の開発に携わったくらいだ。その能力を信じるしかないだろうな」


 そう言葉で括るのが精一杯だ。

 複雑な表情を浮き立たせているシンジと違い、カズヤはさっそく自分のノートPCとタブレットを空いているテーブルに広げ、ミサキのアバター創りを始めた。彼がこれまで生み出したデータ資産が全てそのPCにあるわけではないが、いくつかは自分の案としてストックしているファイルを探し出すところから始めている。表情こそ分からないが、これまでのどんよりとした雰囲気は霧散しているようにも感じ取れる。


 リョウジはチャットが終わった後に、会話中に届いていたミサキからのドキュメント書類を読んで、理研のネットワーク群とサーバーなどを掌握する作業に着手している。

 ミサキの記憶や思考を貯めるためのストレージ確保、そして今後シンジ達でも使えるようにしておくと良い、というアドバイスがあった。

 リョウジはネットワークエンジニアではないが、ゲーム開発では必須ともなっているので、専業よりはやや劣るものの人並みには操作ができる。


 そうした彼らの姿を見つつ、シンジは一人考えに拭けようと思ったが、今となっては考える事も無くなってしまった。

 無駄と知りつつ、一人でも足掻いてワクチンを探すか、それとも自分もPCを使って今後の事を練るか……。珍しく、手持ち無沙汰になってしまった。


──まだ見てない楝もある。偵察がてらに見回るか。


 いつの間にか、体に馴染んでしまった41式重機関銃を抱え、シンジはひとり、その部屋を後にした。



  *  *  *



 2052年8月中旬。東京都西多摩郡瑞穂町。在日米軍基地である横田基地は、無人ではあるものの頻繁に航空便が飛び交い、大小兼々のカーゴボットが行き交う賑やかな場所だ。航空機エンジンの甲高い音と、ボットの蚊の鳴くようなサーボ駆動音とが入り混じり、近場の木々に居る蝉たちの声が掻き消されている。


 米国カリフォルニア州トラヴィス空軍基地所属の大型輸送機『C-5 ギャラクシー』は戦車を2両積めるほどの巨大な輸送機。作業ロボットによって、余分なスペースを作るまいと、高さにも余裕が無いほどに荷物が積まれている。横田基地に付いてからは、それら荷物が荷卸ボットによって、動作が鈍いながらも着実にカーゴ荷室にスペースを作っていく。

 

 無人機なので、搭乗用タラップなどは用意されていない。さすがにカレンも乗務員用出口から飛び降りる勇気は無かったので、カーゴに歩くスペースができるまで大人しく待ち、働くロボット達の横を通り過ぎて、堂々と日本への上陸を果たした。


「おー、これが憧れてた日本かぁ。って、基地内じゃ合衆国ステイツと変わらねーな」


 途中、空中給油とハワイでの給油を経て、約12時間のフライトだった。その殆どを機内で寝て過ごしたカレンは、小さい体を思いっきり伸びをしてほぐし、体に似合わぬ大きなバックパックを背負い、歩き始めた。

 全身義体とはいえ重いものは重い。苦痛こそフィルタリングして和らげているものの、早く自動配送車などを見つけてハッキングし、楽に移動したいものだと考えている。

 初めての日本だとしても、自動運転オートパイロットのものであれば、ノルンのデータベースにある道路情報も使えるので、迷うことなく目的地となる、埼玉県和光市へ行けるだろうと踏んでいる。


 返事こそできなかったが、社会崩壊後もミサキからは数度ほどメールが届いていた。メールデータが壊れていた事もあり、発信元までは追いかけきれなかったが、ミサキが生き残っている確率が高いと踏み、米国の隠れ家を破棄してまで飛んできた。


 プロジェクト・スレイプニルの研究所仲間を探す事も一度は考えたが、社会崩壊途中の混乱具合は戦時中そのものであり、生存しているとは思えない。それだけ、米国の銃社会というのが裏目に出てしまっていた。

 その点、銃社会でもなく比較的温和な日本であれば、生き残っている確率は高いだろう。ああ見えてミサキにはタフさがあり、そう簡単に絶望したりはしない、少なくともカレンはそう思っていた。


 重い荷物に苦労しながらも、何とか運搬用トレーラーに相乗りし、一時倉庫近くまで運んでもらった後に飛び降りる。あとは車両出入口までまた徒歩の苦行をして、適当なトラックをハッキングすれば、理研本部までゲームしながら移動できる。

 もっとも、一日以上も給電していないので、義体用バッテリーも充電しないとならない。それは基地を出る前に済ませておきたいところだ。


 内部に居ればセキュリティなどほとんど無い。カーゴボットの邪魔さえしなければ、適当な電源口から供給できる。

 カレンはわざわざ建物内には行かず、元々自動販売機があるところから電源を取り、体内のバッテリーをチャージした。チャージ中の暇な時間はタブレットを出してサプリをかじりながら時間を潰す。ゲームはアクション性の高いものを選び、眠くならないよう気を付けた。寝てしまっては過充電になるかもしれない。


 その間も、ノルンのロボット達は教育が行き届いているのか、休む間もなく只管ひたすらに荷物を運搬し続けている。故障機が出れば、その荷物を変わりに運び、手の空いたボットが機体を修理できる場所まで牽引する。


「これがもっと早い段階で実現できてりゃ、ようやく人類も労働から開放されたのにな」


 もっとも、その場合は経済の概念も覆さなければならず、人の持つ価値というのもシンギュラリティに併せて変化しなければならない。技術転換点となっても、社会構造問題や宗教問題は残ったままであり、『パラダイス楽園』となるまではあと数世紀は掛かっていたかもしれない。


 パンデミックの原因は不明のままであるが、それを知る前に人類は滅亡寸前にまでなっている。カレンもミサキ同様、『ノルン』の関与を疑っているものの、それを責めたところでノルンの行動に変化が出るとは思えなかった。

 それは、日本に来る直前の、ノルンとの接見で確実なものになっただけだ。


「ミサキ、頼むから生きててくれよな……。オレ一人じゃどうにもなんねぇんだ」


 あまりやる気が出なかったせいか、ゲーム画面の中では敵キャラに倒されたプレイヤーのアバターが写っていた。





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