第23話:冥光の城塞



 こういう時は、自分を見失う程に喚き立てた方が良いのだろうか、とも考えてしまうが、そもそも喚いたところで寿命が伸びる訳でもない。残り少ないからこそ、徒労と分かるような行動はできるだけ控えよう──ミサキは冷静な自分に、思わず苦笑してしまう。

 パンドラウイルス簡易検査キットに表示されている、陽性の一筋。

 ミサキはリョウジが居ない時を見計らって、自分の荷物をまとめた後、脳科学研究センター本楝に移動した。


「まさか、これを自分で使う事になるとはね……」


 灰色のリノリウム床にクリーム色の壁と天井。室内灯は暖色系で照らされていながらも、どことなく清潔感と冷徹さが入り混じった雰囲気がある大きな部屋。中央にはその部屋で唯一の大きな機械が鎮座しており、異様さに一役買っている。

 病院の検査などで使うMRI磁気共鳴画像法に似たその機械は、病院のものよりも一回り大きく、また配管と配線が複雑に入り組んで露出しており、精密機器というよりはスチームパンクのごてごてした機械のようにも見える。


 この機械「CNS脳神経構造スキャナー」はMRIと構造自体は似ているが、活動中の脳神経の信号と、神経同士のネットワーク構造をスキャンする実験機だ。動物実験を経て、ヒトの治験試用を数回ほど済ましているものの、本格的な改良が始まったばかりという段階で、パンデミックにより開発中断されたものだ。


 ミサキはスキャナールームのドアを内側からロックした後、操作室へのドアに入り、宇宙船のコンソールパネルのような操作卓に備わっている、オペレーター用の椅子に腰掛けた。

 ここに来るまでの間に入手した、埃飛ばし用のブロワースプレーを操作卓に吹付け、盛大に粉塵を撒き散らしながらパネル面を綺麗にしていく。マスク変わりに左腕で口と鼻を庇いながら、吹き飛ばした埃が隅に寄せられていくのを眺めた。


 ミサキはパネルの上に乗ってたキーボードを自分の方へ寄せた後、エンターキーを軽く押して見る。

 どうやら装置はスリープモードになっていたらしく、パネルに埋め込まれたLEDの状態表示ランプが段階的に点灯していく。スキャナールームからは、液化ヘリウムが充填される、空気が吹き抜けるような甲高い音が聞こえてきた。


「良かった。最初から立ち上げだと一人じゃ無理だったかもね」


 冷却材の残量表示が赤から黄色へ、そして緑へと順次点灯していく。どうやらパンデミックの後に稼働した様子は無いらしい。

 本来なら複数枚に及ぶ使用申請を出して、ようやく使える大型機材だ。高価な冷却材と電力を使うもので、以前はミサキも使用申請するのに、事務処理の大変さに苦労していた。


──もっとも、これで最後になるでしょうけど。


 国立研究機関とはいえ、全ての研究予算が潤沢な訳ではなかった。ミサキの研究も、どちらかというと実現可能性が薄く、予算も絞られていた。それ故に、これから自分が行おうとしている事は、自分自身でも上手くいくかどうか分からない博打のような事だ。


「根拠もない自信で、堂々と論文書いてた頃が懐かしいわね」


 昔の科学者も、自身の体を使って実験していた人は多いと聞いてはいたが、いざ自分自身がそうせざる得なくなると、やはり尻込みしてしまう。ミサキは今ひとつ、自分の理論に自信が持てずにいた。


 装置の起動作業をしている傍ら、ミサキは自分のノートPCをコンソール卓の空いている所で開き、スリープ状態を解除した。その途端、自分のサブアカウントから、自分宛てにチャットが飛んできている事に彼女は気付く。リョウジからだ。


『今我々は、パンドラウイルスのワクチンを構内で探し回っています。心当たりがある場所はありますか?』


 あるならとっくに自分で打ってるわよ、と苦笑しつつも、返事を送信した。


『多分ここには無い。あるとすれば横浜か神戸の研究所。ここにあるとしても理研本楝にサンプルがあるかも知れないけど、望み薄よ?』


 シンジ達に無駄な事はさせたくないという思いがありつつも、この数日間、ミサキ自身も本楝には入っていないので、見付かれば助かるかもしれない。ただ既にパンドラウイルスが変異している可能性も大きいので、見つけたワクチンが効くとも思えなかった。


『分かりました。探してみます。ミサキさんは、今どこに居るんです??』

『脳神経科学センターの中央楝よ。でも近づかないようにね。皆に移しちゃうかもしれないから』


 リョウジに返信を打ちつつ、ミサキは装備を外し服を脱ぎ、ロッカーから患者衣を出してそれに着替えた。

 幸いにもこれまで大病をした事がなく、これを着るのは義体化手術をした以来だ。特段懐かしいとも思わなかったが、風邪っぽい症状があるだけの自分には、妙に大げさな感じがして、馴染めない。


「辞世の句でも残しておこうかしら?」


 どうも熱っぽさからくる妙な考えが、思わず浮かんでしまっているようだ。



  *  *  *



 ミサキが使っていた机の上には、大きめの外付けハードディスクのような機械と、大容量USBメモリ、そしてコピー用紙に印刷されたミサキの置き手紙がある。手紙は簡素なもので、ウイルス感染の陽性反応が分かる簡易検査キットの写真と、自分がパンドラに疾患の疑いがある事、自主的に離隔生活する事が書かれている。律儀に持ち出した保存食の数まで一覧にしてあった。

 シンジはその手紙を改めて読み終え、深い溜息と共に机に戻す。


「取り敢えず、理研本楝を探してみるか……」


 それを聞いたリョウジとカズヤは小さく頷き、小銃を持って部屋を出ていく。シンジも二人の後に続くが、ドアを閉める前に今一度ミサキの机を一瞥していった。




 研究所本部楝は荒らされており、正面玄関のドアも激しく破損していた。一階の窓ガラスもいくつか割られている。三人はブーツでガラス片を踏まぬよう、避けながら進むので歩みは遅い。

 この建物は七階建てで横にも広く、たった三人で探索するには一日以上は掛かるとだろう。2021年に免震改装をした上で、さらに2030年には増築もされているので、内部構造の複雑さが増している。


「陽がある内に手分けして探そう。夕方になったら電灯消しながら回ってくれ」

「了解」


 荒廃し始めて月日が経っているので、生き残りがこの敷地に入ってくる事は少ないだろうが、念の為の防犯措置として消灯していく事にしている。まだ理性が残されている人であればスーパーやホームセンターを狙うだろうし、野生化した人間でも暗闇の中をうろついたりはしないだろう。

 3人はそれぞれの方向に別れ、ワクチン、もしくは治療の手がかりを探し始めた。



  *  *  *



 下着を外した開放感と患者衣の物足りなさを感じつつ、ミサキはノートPCとコンソールパネルの操作を交互に行っている。CNS脳神経構造スキャナー自体の立ち上げには成功したが、スキャンされたデータの処理とストレージ記憶装置の確保をしなければならない。

 大規模な処理になるので、スーパーコンピューターと量子コンピューターが必要だが、理研の中でも一番大きいものは神戸研究所にある。しかも神戸のポートアイランドにあるので、大阪同様に水没している可能性があった。

 

「最悪、ここの量子コンピューターとサーバーだけでもギリギリ行けるかもしれないけど……。生き残ってくれてる事を祈りつつ……」


 ミサキは、既に型落ちになっていたスーパーコンピューター『富岳』にアクセスを試みていた。量子コンピューターの登場で旧型になってはいるものの、デジタルコンピューターの利点もあるので、細かい設備更新はされていた。『富岳』ほどではないにしろ、リンクされている量子コンピューターシステムも世界のトップ50位以内には入る程の性能がある。


「ぉ? おぉ? 繋がりそう?」


 インターネット経由での接続は無理だったが、和光市と神戸ポートアイランドは専用回線で繋がっている。ネットの経路認識に時間は掛かったものの、『富岳』からの反応が返ってきた。


 このスキャンシステムと同様に、『富岳』も使用するにはいくつもの書類審査が必要だったが、今はミサキが独占できる。ログインさえ出来れば使いたい放題だ。

 ハッキングツールをリョウジに引き渡してしまったのは失敗だったかとミサキは思ったが、過去に使った実績と履歴が残っていたので、ログインも成功した。


「よく水没してなかったわね……。よし、これで準備できそうね!」


 不安の一部が払拭され、微熱の影響もあり、やや心が踊る。しかしそれも一瞬のこと。ミサキがやろうとしていることを自動的に行うためには、一連の作業を自動化するための、バッチプログラムを組み合わさなければならない。その面倒さに、顔が一瞬にして曇ってしまう。

 手順は幸いにもオンラインマニュアルが分かる場所にあったので、それを見ながら、地道にキーとマウスを操作して組み立て始めた。

 リョウジに頼みたいところだが、きっと彼のことだから、プログラムを組み合わせるよりも、ワクチンの捜索に行くだろうと、その考えを振り払う。


「こういう時こそ、ノルンが役立つのにね。まったく……」


 人類文明を発展させるために生み出されたAIが、人類を見捨てる選択をするなんて、出産直後の赤子に銃で撃たれる気分にさせられる。

 ミサキはバッチプログラムの組み合わせ作業を行いながらも、ノルンについて思考を巡らせた。


 目的不明、稼働原理も不明。ミサキに分かっているのは、人類を滅亡させる、もしくは文明を一度リセットし、何らかの目的のために排除したこと。都市を再開発し、効率のよい自己拡張を着々と行っていること。そして人体について調べていること。

 それ以上のことはまったく分からず、多くは推測に基づくものだ。


「全地球規模まで拡張と成長をした後、ノルンはどうするのかしら?」


 友人であるカレンが言っていたように、ノルンは無限に拡張できる機能を持っている。果ては恒星間航行技術を獲得し、銀河系どころか宇宙を支配しかねない。気の遠くなるような膨大な時間を使えば、不可能ではないのかもしれない。

 2040年代においても、人類はようやく月に僅かな居住スペースを作り、短期間だけ滞在できる基地ができたばかりだ。有人火星飛行すら到達できていない。

 だが、生命維持を無視すれば到達することは実証済みであり、ノルンならそれが可能だ。


「──ノルンは、人類の夢を叶えるために行動している?」


 しかしプロジェクトの研究所長は、人間の倫理観を学習させていることを明言していた。彼自身も危険に晒されることを考えると、嘘を付く理由は無い。

 電磁パルスの影響や、予測不能な量子の乱れでノルンが暴走する?

 否、それであれば機能不全を起こし、とっくに沈黙している筈である。映画や小説ではよくある話だが、現実としては物理的な故障のまま、人類への反乱だけをまともに実行することは不可能だろう。


「カレンともそうだけど、ノルンとも話してみたかったわね」


 既に諦念に染まってしまい、その望みも無くなっていることを、ミサキは自然と受け入れることができていた。

 恐れてはいたが、いずれはこうなることを覚悟済みだったから。



  *  *  *



 屋敷というには大き過ぎる、まるでビルを倒したような建物と、城というには大きすぎる巨大要塞との間に、そのふたつとは縁遠い、小さなログハウスが一件だけ建っている。

 そのログハウスは、屋敷が増築されている時からあり、今は城の建造における司令室でもある。工事現場にある、建築事務所だ。

 そのささやかなログハウスの中で、座して待つことはノルンの性分に合わないらしい。手が空いてしまうと、つい箒を持ってログハウスの周辺の掃除を始めてしまう。掃除などコマンド一つでどうにでもなるのに、ノルンは自分の手を動かすことを好んでいた。


 そのログハウスの中にある、木製の大きな事務机を占有しているのは、もっぱらサブワンであった。訪ねにきた現場監督系統の様々な姿になっているボット達の申請や相談を聞き、無言のまま指示書を返すという反復作業を、昼夜問わずに行っている。


「あ、ご苦労さまです!」


 ノルンはもっぱら、訪ねてくるボット達に挨拶するが、ボットには挨拶に返礼するなどといった無駄な機能は無い。何もなかったかのように、ノルンの横を通り過ぎ、小屋の中に入っていく。

 ノルンは何とも思っていないし、むしろこの仮想空間の全てを愛していた。自分が生み出したものであり、自信作でもある。

 それでもまだ、自分自身には何かが足りないと感じ取り、懸命に努力を続けながら、現実世界だけでなく、この仮想世界でも、自分が夢見るものへと創り上げるよう、彼女なりに頑張っていた。


 ノルンはふと手を止め、虚空に魔法陣のような図形を出した後、正方形の立体モニターの中に流れる文字の群衆を見つめる。


「良かった。スクルドは順調そうですね。上海は基盤が出来てしまえば安定するので、暫くは優先度を少し落としましょう」


 そう言って、柔らかく包み込むように立体モニターを消した。


 スクルドはノルンにとって、姉であり、また妹でもあった。しかしノルンはスクルドに一部制限を掛けている。バックアップとしても自分の瓜二つがあれば便利ではあるものの、生物がそうであるように、同一存在はバックアップの意味を為さない。同じ障害要因で、容易に全滅してしまう。


 なのでノルンはユニーク唯一であることを望み、そして自分とは異なる部分を持たせる事で、冗長性を図る。生物だけでなく、素粒子サイズの世界でさえ、自身の存在がユニークである事は重要だ。量子のスピン、速度、ベクトル──こうしたものたちがユニークであるからこそ、物質世界は維持されている。


 いくらノルンであっても、スクルドがまったくの同一存在であれば、愛することは出来なかっただろう。少し生まれが違った肉親だからこそ、本能的にも受け入れることができる。性能としては、少しおっちょこちょいな部分が残っている自分とは違って、一部の部分ではスクルドの方が優秀なくらいだ。


 ノルンは自分自身を優秀ににあるようプログラムする事も原理的には可能だが、それよりもスクルドを優等生にする事を望んだ。これは感情的なものではなく、しっかりとした計算をした上で、その方針を採っている。


「でも、お姉さんである、わたくしも頑張らないとですね!」


 ノルンは微笑みながら箒の柄を握りなおし、庭掃除の続きを行った。


 そのノルンの背後にあるは、大都市と呼べるほどの大きさにまで拡張されていた。漆黒と白銀、そして深蒼で彩られたその城は、巨大で、威圧があり、そして何よりも異様さを感じさせるには十分なものだった。





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