第16話:スクルドの微笑み



 ミサキは高層マンションの屋上で、ラジオ体操をしている。曲は何故かシンジのノートPCに残っていたものをコピーして貰い、今はミサキのタブレットで流している。彼は会社員時代に、習慣としてラジオ体操をやっていたのだろうか、という疑問が浮かんだが、すぐにそれを振り払いつつ、体操に専念する。


 特にシンジから命令された訳ではないが、彼ができるだけ体操しておくよう言っていた事を律儀に守っている。体操をやった日を、きちんと自前のタブレットのカレンダーに打ち込んでいた。

 山辺に居るというのに、まるで海辺のような塩の香りがする中、曲のテンポが落ちて、ラジオ体操第一を終えた。


 シンジとリョウジは、電気のある場所で氷を仕入れるのと先行偵察を兼ねて、車で京都方面に向かっている。カズヤはこのマンションの中で、使えそうなものを物色していた。

 ミサキはラジオ体操の後も軽く柔軟をこなしてから、仮住まいの部屋を掃除するために戻っていく。

 馴染ある国で、まだ文明の利器の恩恵を得られるからこそ、清潔感には少しこだわりがあった。



  *  *  *



 3日後。いつもは夜にやるミーティングを、この日は昼前から行う事になった。


「最後に確認だ」


 シンジはそう切り出す。前々からの予定通り大阪に到着したので、今後の方針を決めるためのミーティングだ。


「リョウジ」

「正直、僕はどっちでも構わないんで、如月さんに預けます」

「──カズヤ」

「同じッス。でもミサキさんに着いてったら、ハリが出るかなぁって感じッスね」


 大方はシンジが事前の予想していた答えが、そのまま帰ってきた。意外性は無い。

 シンジは自分の事はさておき、むしろ彼らにはもう少し能動的な考えを持って欲しいとさえ、そう考えてしまう。だが、ここでその話を出しても詮無きことだ。


「ミサキ」

「……私は、私の出来る事をやるのみよ。それだけ」


 これも同じく、予想通りの答えだった。

 それに対し、シンジは目を瞑ってから、少しだけ間を空け、結論を言った。


「2日後、埼玉へ向かう。京都から名古屋、東海道ルートで東京方面だ」


 それだけ言って、迷いなく立ち上がった。

 カズヤとリョウジは続くように立ち上がり、ミサキは嬉しいような申し訳ないような顔をして、ゆっくりと皆に続いた。


「各自準備を。余計なものは積むなよ」


 男二人はまるで予想してたかのように、拳銃と小銃を持ち、市内探索の準備を始めた。


「ミサキ。迷惑か?」

「いいえ」


 ミサキはそう一言だけ唱え、すぐにシンジに背を向けた。



   *   *   *



「ふぅ、街へ仕入れに出るのも、一苦労ですね」


 二頭の黒毛の馬に引かれ、古ぼけた荷馬車は屋敷の玄関口でゆったりと止まる。玄関口で待っていた小人ロボ達が、ノルンが馬車から降りるのを待たずに、荷台から積まれたものを下ろし始めた。

 ノルンはそれを気に留めるまでもなく、軽く額に浮かんでいた汗を拭き取り、スカートを軽くつまみながら、大きな玄関を潜り抜けた。


 玄関ホールではノルンと瓜二つで、背が少しだけ低い、可愛らしいメイドの少女が待ち構えていた。彼女はノルンの姿を見て、可憐なカーテシーで迎え入れる。


「おかえりなさいませ、お姉様」

「ただいま、スクルド」


 スクルドと呼ばれたその少女とノルンの違いは、背の高さと髪の長さ。髪の色もやや違い、銀髪のノルンに対してスクルドはやや金髪のような輝きを放っていた。ドレスはノルンとは対象的に、瑠璃紺るりこんと白を基調にした、クラシカルメイドのロングスカートワンピース。スカートの両横には薄っすらと、サルビアブルーの大樹の刺繍が浮かんでいる。


「どうしたの? 何か問題はありまして?」

「いいえ、お姉様。何も問題はありませんの」

「そうですか。わたくしはてっきり、あなたがお小遣いを増やして欲しいと言ってくるのかと」


 ノルンは口元に手をあてて、軽く笑みをこぼした。スクルドもそれに合わせて口端を上げる。姉が自分の事を和ませようと、気遣ってくれている事に嬉しさを感じていた。


「お小遣いではありませんわ。でも、欲しいものはありますの。できればそれを頂きたく、お願いしに参った次第です」


 スクルドは両手をきちんと腰の前で重ね、敬々しく頭を下げる。


「あら? 何かしら?」

「珪素型六対ヌクレオチド構造、それとQ型2式ナノマテリアルの本ですわ。お姉様がお持ちでしょう?」

「それはまだ、完成されていな──いえ。そうね、確かに貴方には必要な本ですわ」


 ノルンは手を胸の前まで上げ、スクルドに何かを見せるように手のひらを上に向けた。その上で淡い光が輝き始め、やがて飛び散る粒子と共に、2冊の魔導書のような古風な本が宙に浮かび上がる。


「ありがとうございます、お姉様。必ずお返し致します」

「いいえ、これは貴女が持っていなさい。その為に貴女を起こしたのだから」


 ノルンが軽く手のひらをスクルドに向けると、2冊の本は妖精のようにひらひらと舞いながら、スクルドの胸の中に溶けていった。


「はい、お姉様」


 スクルドは返事をした後、ノルンがこれから行くであろう場所に、先導して歩き始める。

 ノルンはその後ろを等間隔を保ちながら付いて行き、姉妹はロビーの階段を悠々と登っていった。



  *  *  *



 人の営みの証である地上の星の代わりに、これまで散々隠されていた宇宙の姿が、地上と地平線の区別も突かない闇の空で、煌々と輝いている。この数年で見慣れた夜空では会ったが、改めて自分の慣れ親しんだ場所で見る星々は、生まれて初めて見るような感動を与えてくれた。


 シンジは火の点いてない煙草を指で遊びながら、特に何も考える事なく純粋に宇宙の広大さを感じ取り、自分の存在の矮小さに苦笑している。

 シンジがマンションの屋上で呆け始めてから、どれくらい時間が経ったのかの自覚は無い。ミサキが様子を見に歩いてくるまで、時間の流れすら忘れていた。

 リョウジ達が街の自販機との格闘の末、鹵獲した缶コーヒーをミサキは二本持ち、シンジから少し離れたところで手すりに背を預けた。

 シンジは、ミサキから手渡された缶コーヒーを器用に片手で開け、一口だけ飲んでみる。


「無糖、ではないな」

「贅沢言わないの。私達には元より、選択肢なんて無いんだから」


 ミサキの言う通り、荒廃した世界で物品の選択肢なんてない。手に入れたものをいかに有効活用するか、それだけだ。それでも、そんな中でも、自分の生き様は選択できる余地が残されている。

 シンジはこれまでの人生で、大小様々な失敗を重ね、立て直しを繰り返し、小さな後悔も山程あるが、大きな後悔は無かった。人生の岐路に立った時、もう一つの選択をしていた場合の事を考えても詮無きこと。そう考え、過去からは学ぶが、振り返る事は極力避けている。


「選択したこと、後悔してるの?」

「いや、それはない。ただ、先が見えてないだけだ」


 だからこそ、シンジは間を置かずにそう答える事ができた。ミサキは「そう」と短く応え、缶コーヒーを口にする。


「私もだけどね、先が見えてないのは。和光に戻って、生活を続け、ノルンの事を調べて……それが何を意味するのかは、自分でも分かってない」


 ひとつひとつ慎重に言葉を選びながら、ミサキはゆっくりと、そして途切れ途切れに話す。彼女の迷いが、そのまま言葉に現れていた。

 シンジは鎌をかけるという行為が好きではない。だが、何かしらの言葉を出す事によって、相手の発想を誘える事は、これまでも何度もあった。カズヤやリョウジにも時折やっていた事だ。わざとありえない選択を提示し、相手の目的選択を絞らせる。

 シンジにとってミサキは部下ではないが、仲間ではある。手を差し伸べる、という烏滸おこがましい事は考えてないが、人は何か切っ掛けがあれば、足を踏み出す事ができる。


「ノルンを止めて、人類を救う、とかか?」

「アハハ! 万能の神みたいなラスボスを? あなたがそんなゲーム作ったら、クレームの嵐でサービス終了ね」


 自社展開のサービスではさすがに無かったが、下請けした案件では似たような事例になった事がある。この難易度でも、ユーザーならクリアできると、期待しすぎた結果だ。それを思い出し、シンジは苦笑する。


「努力した結果が報いとバランスが取れない、というのはよくある事だ。だが自然はこちらのレベルなんて気にしない。容赦無く襲ってくる。人類は文明というゆりかごから自然の脅威を遠ざけたが、甘えすぎた人間と自然が戦えば、おのずと結果はこうなった。そういうバランスで、プログラムされてるのかもな」


 ミサキがこの数年でどういう場面に出会ったのかは分からないが、シンジ達と似たような事は山程あった事だけは、聞かずとも分かる。人は自然に寄り添い、過酷な生存競争の戦いに挑まなければ生きる資格を失う。


返金要求クーリングオフはできるのかしら?」

「規約にある通り、一切受け付けかねます、ご了承ください」


 二人共、感じていた苦笑を、思わず声に出して笑った。ただ、そこには諦念の感触は無い。


「たとえ人類が滅びても、他の生物がそうであるように、人類もまた地球の歴史の中に埋もれるだけよ。そうなっても不思議じゃない。ノルンは人類が最後に残した未来で、今彼女はその為に先んじて動いてるのかもしれないわ……でもね、私は知りたいの。どんな未来があるのかを。──そんな単純な理由よ」


 望めば叶うという夢は、成人すると共に消え失せる。努力しても報われる事は少ない。報いが少ないと感じるのは、期待が大きすぎたか、あるいは甘くみていたか。それは単純に「欲」と言う名のものだ。欲が無ければ足が鈍り、欲が大きいと潰されてしまう。歳を重ねれば重ねるほど、その中間にある「程よさ」のぬるま湯に身を沈めていく。

 だからこそシンジは、生き続ける気力を保つために、達成可能な目標設定を口酸っぱく説いていた。


「彼女を憎んではいないのか?」

「憎む? そうね……きっと家族も今は居なくなってる。そういう意味では憎んでもいいのかも知れない。でも不思議と、そんな感情にはならない。不思議とね」


 家族の敵、友人の敵、パンデミック後の騒乱で命を失った同僚の敵。元々ミサキは生物系の学徒であり研究者であるから、パンドラウイルスが憎いとは感じていなかった。パンドラにしろノルンにしろ、例え人為的に起こされた事象であっても、元々を辿れば人や生物、ウイルスなどは、自然が作り出した物。粒子から宇宙全体まで、この物理世界そのものだ。


「そうでもないさ。今は相手が大きすぎて、何も見えてないんだろう。いずれ、その姿が見えるようになった時、感じた事をそのまま受け入れればいいだろう」


 手が届くところまで近づけたなら、その時得られた感情が、自分の本質そのものだ。それが体験というもの、とシンジは心で感じ取っていた。


「そう……そういうものなの?」

「さてな、保証しかねる」


 指で遊びすぎて時化しけってしまった煙草を加え、シンジはライターでその先を灯す。この周囲一体で、唯一の人工の明かりとなった。




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