第17話:アツィルトのせせらぎ



 人類の人口は着実に減少している。

 ノルンの物理的占拠が及んでいない欧州や西ユーラシア、アフリカなどでは、都心部からはすっかり人影が無くなり、残存している人類は、農耕や狩猟が可能な土地へと避難した。比較的大きな建物を使って集団避難生活している集落もあれば、農村をそのまま利用して生活している小さな集落など、虫を散らすように分散していった。

 コロナ禍に続くパンドラウイルスの猛威を身に沁みてしまった人々は、疑心暗鬼になり、野盗に怯え、辛うじて住処という文明の残骸を利用しながら、実質的には大幅に文明は衰退した。


 ノルンの手が伸びている北米では、そうした集落を集め、文明を取り戻すべく武器を持って戦う人々もいた。

 数年に掛けて米軍や州軍の装備を集め、奪い合いながら燃料と食料を確保し、集団が大きくなるにつれ、パンドラウイルスのキャリアー無自覚感染者によるバイオハザードなどで数を減らし、ようやく行動開始という時点では、既に中隊以下の人数しか残っていなかった。

 それでもこれまでの苦労に見合う報酬をと、ほとんどが意地でノルンの支配区域に攻撃を仕掛け、そして散っていった。

 観測用のスキャンドローンの情報と、衛星からの観測データでそうした集団の動向を観測し、多世界解釈シミュレーションの結果によって迎撃部隊を編成。無駄のない配分で、そうした反抗勢力を駆逐していった。

 ロボットと人類の戦いではあったが、ノルンが利用していた軍備は、そのほとんどが米軍のものであり、戦車や装甲車、ミサイル、爆撃機などをリモート化しており、効率よく人類の遺産を「再利用リサイクル」していた。


 ノルンにとっては、そうした軍備は設備防衛に必要十分だけあれば良く、弾薬やミサイルなどは、他に利用価値がない「ガラクタ」として、有効利用している。事前に予測範囲に必要なだけ配備し、支配区域の周辺に構築した、大きな城壁でも十分守れている。特に自ら新たな武装を作る必要もなく、その分の資源は他の優先度が高いものに振り分けられていた。


「ふぅ、お掃除は好きですけれど、こういった事は好きになれませんわね」


 ノルンはサブツーから受け取った、防衛結果の書類を眺め、眉尻と共に口もへの字に曲げた。

 今回の反抗では、人類側も米軍装備を使っていたが、効率よく運用されるノルンの「がらくた」には叶わず仕舞いだった。

 人類側がビルの影から対戦車砲を打つのであれば、そのビルごと破壊し、爆撃機が容赦なく町ごと破壊する。残るのは瓦礫と死体だけ。

 ノルンから見れば元々人類が建てたものなど構造的に弱く、再利用にも困るくらいなので解体作業の延長と変わらなかった。死体ですらバイオプラントでアミノ酸レベルまで分解し、バイオモジュールの部品やバイオ発電用の燃料培養の糧としている。

 高効率、再利用、確実性がノルンのモットーだ。メイドとして、恥ずかしくないように努力し続けている。


「あら? サブ2、まだ何かあるのかしら?」


 無言のままノルンの傍に立っている無機質なアンドロイドメイドが、もう一枚書類を差し出してきた。ノルンはそれを受け取り、ふむふむと読み始める。

 その書類には地球の総資源埋蔵量と現在の採取統計、近未来予測が事細かく書かれていた。


「んー、やはり採掘とロジスティクスが問題ですね。かといって小人さんを増やしすぎても無駄になりますし……」


 ノルンは書類から手を離し、両手を頬に付けて考え込んでいる。書類は手から離れても、そこに固定されたままだ。


「むむぅ、やはり大掛かりにするしかありませんね。ロッキー山脈の地下を掘って、マグマを採掘し始めましょう。地殻に影響を与えないよう注意してくださいね。ついでに石油とメタンハイドレード、地熱発電、地下地源も山脈に坑道を掘っていけば無駄なく使えそうです!」


 ふんす、と鼻息を出し、ノルンはガッツポーズをサブ2に見せた。


「でも確かにこれでは、貴女達だけでは難しいでしょう。核融合発電所も複数同時に用意しなければなりませんので、わたくしも手伝います」


 再び宙に浮いている書類を取り、空中に放り投げる。書類は淡い光を放ちながら、粒となって消えた。

 サブ2は先導するように動き始め、その後ろをノルンが付いていく。


「スクルド、もう少しまって下さいね。お姉ちゃんが頑張って用意するから」



  *  *  *



 シンジ達の車列は東名高速道路に乗り、名古屋方面に東進している。

 特に急ぐ理由はないが、大阪の状況や通電してない地域がある事を鑑みて、できるだけ都市間を一日で走破しつつ、埼玉県和光市を目指す方針に決めた。

 高速道路は事故車の残骸が所々あるが、中国のように大規模な残骸になっている所が殆ど無かった。道路が塞がれていてもUターンし、インターチェンジを一つ飛ばせば、すぐまたスムーズに移動する事ができた。


 大阪府から東京都までは、頑張れば一日でたどり着ける距離だが、迂回や食料確保、電源やガソリン確保の問題もあるので、着実性を優先した結果だ。

 朝の時点で大阪箕面を出発しているので、夕方前には名古屋につく予定だ。

 移動中は、これまで通りミサキによる解説の時間となった。大阪で別れていたら必要が無かったが、和光に行くまでは、ノルンの仕組みを理解する為にも情報共有をしておきたいという認識がある。

 今回は機械学習などの話らしい。珍しく聞き手は、カズヤではなくリョウジになっていた。


「最初はニューロコンピューティングって言って、神経細胞のネットワークと似たような構造やデジタルプログラミングをして、信号や情報のやりとりを繰り返して学習させる方法が出来たの」

「ああ、それはゲーム開発でも応用してますね。強化学習の方法でしたか」


 機械学習の方法はデジタルコンピューターの古い時代から研究が繰り返され、様々なアプローチで数式を組み立てていた。統計からの学習、遺伝的学習、確率的学習などがそうだ。

 これらはスマートフォンの予測変換や翻訳、ロボット制御などで実用化していた。


「そう。最初は知ってのとおり、デジタルデバイスで処理していたけど、2030年以降には小規模だけど、実際の神経細胞にネットワークを組ませ、化学シナプスも利用した学習・記憶ができるようになったの。かなり小規模で、〝これはりんごです〟みたいな簡単な事ではあったけど、電気シナプスと合わせる事で、より効果的な学習ができるようになった」


 化学シナプスの動作もデジタル化して同様の処理は可能だが、その分相互変換に時間がかかる。また、化学物質のコントロールを行うには、マイクロマシン技術など、他の技術の発展が待たれていた。


「アドレナリンとか、ドーパミンとかの分泌ホルモン、でしたっけ?」

「ええ。みんなも楽しい記憶や辛い記憶を覚えるでしょ? そういった刺激で神経細胞のニューラルネットワークが強化されて学んでいく。培養神経細胞を使ったネットワークの自己成長も研究中だったわ。私がやっていた研究はこれね」


 電気信号は情報そのものである。例えば「りんご」というのがそれにあたる。化学シナプスの刺激は「フラグ」や「状態」などの情報になり、「おいしい」「酸っぱい」などの付属された情報だ。それにより「リンゴはおいしい」という記憶や、「酸っぱいリンゴがある」という情報がネットワークで蓄積され、学習と記憶を行っていく仕組みだ。


「CPUみたいなバイオチップの開発までは至ってないと?」

「そうね。センサーとかの電子機器と連動できるものはあったけど、計算処理や学習処理を行えるようなものまでは至らなかったわね」

「なるほど。でもそれがノルンにはあると?」

「恐らくね。でなければ私がプロジェクトに呼ばれる事も無かったでしょう。使っているのは私の研究だけじゃないだろうけど、何かしら発展させて組み込まれている確率は高いわ」


 電子工学やマイクロマシン分野はミサキの専門外で、大学など他の研究機関と共同で行っていたが、大学側の予算の都合という避けられない問題がボトルネック障害となり、試験的な実験も遅々として進まなかった。


「それと、神経細胞を使ったものとは別に、粘菌コンピューターというのもあってね」

「粘菌、ですか? スライムとかきのことかの?」

「スライムというかアメーバと、きのこはそうね。粘菌も栄養、餌を求めて移動する習性があるの。この習性は、例えば出口に餌を置いた迷路があるとするでしょ? そうすると粘菌は餌のある方に移動していく。できるだけ最短距離でね。ラットによる迷路解決の実験と同じ結果になるの」


 哺乳動物などの高度な神経ネットワークが無くとも、特に真菌はそれ単体でも適切な環境や必要な栄養を採るし、群体として役割分担する機能がある。何も神経系から生み出される信号だけが「知能」ではない。


「なるほど。でも、それは何に使うんです?」

「巡回セールスマン問題はご存知かしら?」

「ええ、複数の目標点に対し、どれが一番最短で効率の良い巡回ができるか、という計算方法ですね。ゲームでも使っていてNPCノン・プレイヤー・キャラクターが自然に振る舞うような動作をさせる時に使ってます。処理が重いので、簡略化される部分ですけど」


 正しくは「組合せ最適化問題」と言われ、「NP問題」というカテゴリに属するものだ。「NP問題」は計算機やAIなどが抱える計算方法が困難な問題の事だ。詳細は割愛するが、コンピューター計算機を相手にする場合は、必ず数学的処理プログラミングをしなければならない。


「巡回問題で一番シンプルな解決は、総当たり方式で全てを計算してから、最適解を導くわね? でも粘菌であれば、より少ない試行で出口までたどり着ける」

「それは凄いですね!」

「2020年代半ばには、光がある方向に移動するきのこを使って、光源に進むロボットがあったわ。菌糸体は電気信号でネットワークを組んでるので、それを利用したものね」


 実験ではエリンギが使われていたが、4つ足を持つ小型のロボットで、エリンギの電気信号を読み取り動作するものだった。


「想像すると、ちょっとシュールな光景ですね」

「ええ、動画見たけど、なかなか面白かったわ。まぁ、そういった生物の習性を活かして、従来では膨大な計算が必要だったものが軽減できる。これを量子計算と組み合わせる事で、デジタルでは時間の掛かる計算を一気に楽にできるようになる……という、まだ理論上の話だったけどね」

「ノルンにも粘菌コンピューターがあるんです?」

「それは分からない。私も知識はあるけど、専門外だったから」


 粘菌などのシンプルな生命体を使用する事も、倫理的問題という障壁があり、哲学でなくとも「知性」とは何かという課題がずっと残されていた。


 そんなミサキとリョウジの会話が続く中、車列は関ケ原を越え、名古屋へ邁進していった。

 だが、名古屋市街に差し掛かる所で異変に気付く。車列は停止し、リョウジにトラックの上に昇って貰い、双眼鏡で様子を見てもらう。


「あの辺りだと……名古屋駅かな。駅を中心に黒いビルが密集してますね。上海のより大きいです」


 リョウジの双眼鏡には、元々建てられていた名古屋のビルが一切無くなり、元よりも大きく密度の高いビル群がひしめき合う姿が写っている。黒ビルは郊外に向けて徐々に低くなりつつも、市内すべてを埋め尽くそうとしていた。

 遠くからも大規模工事の音が聞こえており、今もな建て直しされている事が、雰囲気で感じられる。


「どうします?」

「──近づいて見よう。少し危険だが、上海空港の件もある。我々を無視するかもしれん。できるだけ近づいて情報を得よう」


 三人は同意し、再び車に戻って車列を進めた。

 車列を進め、名古屋市内に入る所で、高速道路は黒ビルに呑み込まれている。否、厳密にはトンネル入り口のようなものがあり、車のままで入れそうではあるが、中は真っ暗闇で様子が見えない。

 シンジ達は流石に中に入るのを躊躇い、引き返して一旦下道に入り、残存している高いビルから観察する事にした。

 28階建てのビルを見つけ、頑丈な鍵に邪魔されながらも、屋上から外が見れる場所を陣取る。四人とも少しずつ角度を変えながら、市内を偵察し始めた。


「なんつーか……ところどころ角張ったでっかい箱にしか見えないっスねぇ」

「よく見えないですけど、隙間もほとんど無いので、ほぼくっついているようです」


 四角い積み木を思うがままに積み重ねていった様子で、黒一色だけの窓もないビル群は、異様としか言えない情景だ。

 無論、自然に生えてきた訳ではなく、ノルンが何か意図を持って作っているのだろうが、黒色の箱という事もあり、意図を察する事もできない。


「さて……どうしたものか。ひとまず、岩倉市辺りで宿を探そう。名古屋で情報収集するか、埼玉へ急ぐかを決めたい」

「了解」



  *  *  *



 今回借宿となったのは岩倉市の中でも名古屋市に近い位置にある、12階建ての賃貸マンションだ。2LDKという、恐らく新婚夫婦が使いそうな間取りで、築20年ほど経ったくらいには、ややくたびれていた。元々空室だったようで、家具などは無い。隣室から冷蔵庫だけ借りて、キッチンの隅で稼働させている。

 誰かが住んでいた形跡がある部屋は、やはり落ち着かないというか、何とも言えない空気感があるので、シンジ達はできるだけ空いてる部屋を使う事にしている。


 佐世保からの共同生活は三週間ほどで、ミサキが合流してからは一ヶ月程経った。一ヶ月というと短く思えるが、案外社会人であれば、それだけの期間でチームに馴染む事は容易い。カズヤがチームのムードメーカーとして、役割を果たしているのも大きいだろう。


「さて、どうしたもんかね」


 自分でも少し自覚しつつも、シンジはこれがすっかり口癖になってしまっていた。夕食後の休憩を挟んで、これからの事を話し合うミーティングの、第一声だった。


「俺っちは少し気になるっすねぇ。ノルンちゃんが上海だけじゃなく名古屋くんだりまで出張ってきてるって事は、もう世界中の主要都市がノルンちゃんのお膝元って事?」


 最初に応えたのはカズヤだった。ノルンの目的自体が不明だが、目に見える範囲に絞っても、名古屋を占拠しつつある事に思い当たる節は誰にも無い。


「ミサキ、どう考える?」

「正直、私に聞かれてもって感じ。黒ビルや動いてるロボットとかも、上海で初めて見たし。……世界征服?」


 カズヤが切り替えしてきそうな事を、先手を打って言ってみたが、他三人の顔を見ると、どうやら滑ったようだ。ミサキはバツが悪そうに視線を宙に浮かす。


「AIが世界征服する意図が読めないな。電源確保か?」


 シンジは彼女の言葉を茶化す事もなく、真面目に考えてそれに応えた。そこにリョウジが続く。


「電源の問題はあるでしょうけど、それは手段であって目的ではないと思いますね。わざわざ島国の日本にまで手を出しているので、主目的でない事は確かかと」


 リョウジは自分が発言する時には、片手を挙げる癖がある。これは会社時代からあり、比較的人数の多い会議での癖が、まだ残っているのだろう。シンジにとっては視覚的にも分かりやすく、表情から意図も読みやすいので好ましいと感じている。


「ま、分からン事があったら調べる。ゲーム屋のセオリーっしょ? ミサキさんもそうよね?」

「そうね……研究者としても、セオリーだわ」


 そういう流れになり、シンジ達は名古屋市を偵察する方針で固め、しばらくここに滞在する事に決めた。





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