第11話:ファティマの星



「ふぇっくしょぉいッ!」


 全身義体化しても、生理的反応というのは無くならないらしい。呼吸機構にはフィルターが付いており、鼻がむず痒くなるとか花粉症になる事など無い。しかし異物が入ったというセンサーの信号は生体神経回路に繋がり、本能的な記憶と連動して反射運動するようだ。


──誰かが噂でもしてんのか?


 くしゃみはともかく、義体化してても汗や涙は機能として装備されている。これは洗浄や冷却に使うためだ。これは純粋に義体の効率化を図るための機構だ。


 カレン・M・ギブスンは、汗だくになりながら、カリフォルニア州サクラメントの北にある、ビール空軍基地の近くに居た。基地施設が見えるような小高い原始林に身を隠しながら、双眼鏡で中の様子を伺っている。


 カレンの義体は小柄で、日本人が見ても中学生くらいかと思う程に小さい。炎のように真っ赤なセミロングの髪を、今日はポニーテールにしていた。汗を掻くほどに暑い天気なので、少しでも首元を涼しくしたかったのだ。


 全身義体の恩恵もあり、蚊や蜂に刺されるような心配も無いので、半袖の森林用迷彩服カモフラージュTシャツを着ていた。アンダーはダボダボのカーキ色カーゴパンツで、おおよそオシャレとは程遠い服装をしている。それでもカレンなりの洒落気があり、ボロボロの布を纏うことはしなかった。


 カレンが自分の中で一番気に入ってるパーツは顔だ。自分でデザインし、知り合いのデザイナーにブラッシュアップして貰い、一般人にはなかなか手の出ないような金額を掛けて作った顔。造顔費用の事は元々泡銭であり、手に残るような金でもなかったので、気にせずに注ぎ込んだものだ。

 言うなれば小顔の美少女だ。どちらかというと日本のアニメ寄りな顔をしている。リアルすぎずアニメ過ぎず、日本のコスプレイヤーを更に美化させたような、表情豊かな顔の創りになっている。


 元々カレンは、アメリカ生まれのアメリカ育ちで、日系クオーター。誰かの影響を受けた訳でもなく、気がついたら日本のサブカルにハマッていた。

 過去に遭った大きな事故の所為で生身の殆どを失い、選択の余地なく義体化した。どうせ義体化するならと、BMIを使ってパソコンで顔を自作し、知り合いに頼んだ。

 生身の時の顔も自慢ではあったが、今では生まれつきこの顔だと自分で思い込む程になっている。


「んー、なかなか動きがねぇなぁ」


 カレンはそう呟きつつ、双眼鏡を覗いたまま、片手でバックバッグをまさぐった。感触だけで目的のサプリスティック菓子を取り出し、口をもちゃもちゃと動かしながら観察を続ける。

 双眼鏡で見えるのは、無人の基地の中を走り回るカーゴボットの群体だ。特定の経路を走るのではなく、それぞれの位置から最短距離を求めながら走り、障害物があればそれを避ける。アリの群体の動きに似ており、人工知能としてはやや無秩序な動きにさえ感じ取れる。

 カーゴボットの頭上には飛行型ドローンが幾つか飛び回り、地上を走るカーゴボットの通信を中継しつつ、現場指揮官にあたる人工知能とのコミュニケーションラインを維持していた。それにより、一見無秩序に視える群体も、効率的な働きをしつつ目的を果たしている。


「ふへぇ、今日は収穫無しか」


 カレンにとっては何度も偵察で見てきた情景だけに、特に変化が見られなかった事を残念に思っている。偵察開始した時は、見るたびに変化に富んだ事ばかりであったが、今では運送系システムも安定しているのか、いつも通りの情景となっている。

 機構が安定化したとなれば、ハッキングする箇所さえ間違えなければ連鎖的にシステムは崩壊するだろう。その先が見えてしまえば、カレンにとっては用が無い情報となる。


 カレンは大きな溜息とともにその言葉を吐き出し、彼女にしては律儀に、食べ終えたゴミもバッグに仕舞まってから、近場の道路まで登っていった。


 道路に出ると騒がしさが増え、無人の輸送トラックが等間隔に列を為して走り去っていく。自動運転の安全装置の影響なのか、車両の数が多いからなのか、猛スピードではなく電動自転車よりもやや速い速度で走っていた。運送スピードよりも、積荷の安全・安定を優先させ、無駄を避けて効率化を図るという、『ノルン』らしい設計思想の現れだった。


 カレンはバックパックからタブレットを取り出し、タッチパネルを数度ほどスワイプとクリックを繰り返した。

 行列となっているトラックの一台が速度を落とし、丁度カレンが居る場所の前で止まる。

 止まったのは6トンクラスの大型トラックで、小さいカレンは運転席によじ登るのに時間が掛かってしまう。遠目に見れば、幼稚園児が背の高い車に乗り込んでいるかと錯覚しただろう。

 止まったトラックの後方では渋滞が始まっていたが、クラクションを鳴らすことも無く、余裕をもった間隔で次々と止まっていく。

 ようやく運転席に座れたカレンは、再びタブレットを数度操作した。その操作が終わると同時にトラックは再び走り出し、後方の車列は、間隔が空きすぎたスペースを埋めようとスピードを段階的に上げていった。


「すまんね、また借りるぜぃ」


 誰に向けての言葉でもないが、カレンは毎度のようにそう声に出しながら、輸送トラックを利用している事が習慣になっていた。

 そして自分で運転する訳でもないのだが、何故か好んで運転席に座ることが多い。


 カレンは自分の事を世界一のハッカーだと自称した事はないが、少なくともこれまでの経験上、自分と同じスキルレベルを持つ人間とは会った事がない。

 裏稼業のクラッキングでは「ディース」のハンドル名で名が通っており、知る人ぞ知る有名人だ。高額なギャラと引き換えに、報酬相応の自分のスキルを提供していた。

 量子通信のハッキングは容易ではない。原理的には不可能とさえ言われていた。だがカレンはそれを、いとも容易く使いこなし、ノルンシステムの一部に介入し、こうして自動運転トラックで密航する事ができている。


「いやぁ、クーラー作った奴って天才だなァ!」


 さっきまで感じていたジャングルのような蒸し暑さから開放されたカレンは、前世紀のオールディーズ曲を鼻歌で奏で、タブレットのシンプルゲームで遊んでいた。


 フロントガラスの向こう側には、変わり果てたサンノゼの姿が遠目に見える。黒い墓標のようなビル群。サンノゼにあった全ての人類の手による建築物は無くなり、新しく建てられた黒い墓標だけがある土地となっている。人類文明の痕跡は、ノルンの手によって変貌させられたものしか残っていない。


 目的地に近づいたのか、カレンは郊外に差し掛かる前にトラックを止め、また降りるのに時間が掛かるが、ハッキングを解除してトラックを車列に戻した。トラックは逡巡した後、本来の目的を思い出したのか、ノロノロと走り出し、元のコンボイに混ざっていく。


 カレンの隠れ家に戻るには少し歩かなければならないが、小さい体でも疲れを知らない義体なら、そんなに苦労には感じない。だがカレンの身長ほどもある大きなバックパックの所為で、気分的な重量を感じ取ってしまう。

 その一方、彼女にとってこの情景は日常の一部になっているのか、特に何も気にせずにまっすぐと隠れ家へ歩いていった。



  *  *  *



 カレンの隠れ家、15階建ての高級マンションの最上階に位置するペントハウスは、ある意味ゴミ屋敷になっている。カレン自身、ズボラで面倒臭がりなので散らかす癖はあるものの、転がってるのは菓子袋やピザの箱の類ではない。様々な機械のパーツや工具、精密機器などが床の半分以上を埋めていた。カレンが普段から通るところだけが、獣道のように空いている。

 26平方メートルもある大きいリビングには、壁に寄せた背の低い高級なリビングテーブルがある。その上に鎮座している巨大なタワーPCとモニターを中心に、乱雑に置かれた周辺機器らしきものが山積みになっていた。一見すると配達ピザの箱を積んだように見えるが、その一つ一つがサーバーマシンの本体である。


 カレンは隠れ家に戻ってから一度シャワーを浴び、今は色気のない下着とTシャツだけの姿でソファーに転がっている。寝ているように見えるが、頭にはヘルメットかと思うような大きなMR混合現実デバイスを付けており、惰眠を貪っている訳ではない。

 ソファーの背に片足を引っ掛け、大股を開いているという美少女には似つかわしくない姿のままで、カレンの意識は仮想世界の方に移っている。


『侵入経路の探索終了したでち。ガード固くてむりでちよ』


 カレン自作の対話型アシスタントAIがそう報告してきた。AIアバターの大きさは、机に飾るような小さめのぬいぐるみ程で、間の抜けたゆるキャラたぬきの姿をしている。この空間に、カレンの他に居るのはその一匹だけだ。

 彼女が見ている範囲の空間は、かなり昔のアニメに出てくるような、ベタなデザインの司令室を背景としている。カレンは司令席の前で、悪の総帥のように腕を組んで仁王立ちをしていた。


「チッ、隙が無さすぎるぜ」


 カレンは腕を組んだまま、意識だけで視界の中にある図面やテキストを操作している。サイコキネシス的な操作方法を、カレンは一番効率的だと考え採用した。高性能マシンで動くバッチ自動化システムには幾分負けるものの、自分の考えを直接動作化できるので、ハイスピードで立体パズルを解くような変化がビジュアルとして描かれている。


「ロスのルートはどうだ? あそこはまだ完成してないだろ?」

『探索開始でち。……ダメでちね。壁で囲まれてるでち』

「まじかよ、早すぎんだろ……」


 カレンが対峙している相手は、自分より遥かに優れたハッカーで、なかなか付け入る隙を見せていない。しかもかなり早いスピードで、手を変え品を変えて展開している。

 相手はカレンと違い、物理的障壁を即座に構築し、対応できる能力がある。最悪、ネットワークケーブルを切断する事すら厭わないだろう。そうなれば彼女は為す術もない。


『逆探ボットを20検知、撃退したでちよ。ボットログは回収できず、逃げられまちた』

「もう一度、『ノルン』の西海岸エリアの支配区域マップを出してくれ」


 言うと同時に、正面にはサンフランシスコを中心とした北米地図が現れた。『ノルン』が既に物理的にも占拠し、コントロール下においている箇所が、赤く染められている。

 サンフランシスコ周辺のサンノゼ、サクラメント、サンタ・ローサ。そこからは飛び地になり、ロサンゼルス、ラスベガス、サンディエゴ。更に離れて、ダラスとヒューストンの一部が赤い。

 サンフランシスコ周辺が一番大きい。ロスやラスベガス、サンディエゴとダラスは、まだ範囲が小さいのか、大きめの点でしか無い。


「ったく、チートすぎんだろ、ノルンちゃんよぅ」

『物理的な制約があるとはいえ、早い展開でちね。指数的な拡大をしてるでち』


 分単位ではないにしろ、数日前に見ていた地図よりは着実に、少しずつ支配域が広がっているのは視覚的にも理解できた。しかも支配域は、文明遺産を建て直す箇所ではなく、既に何かしらの機能を持っている設備建造物になっているエリアだ。解体作業している範囲を含めれば、もっと広域なエリアとなっている。


「まぁある意味ウイルスみたいなもんだな。天敵が居ない上に、工場で延々とロボを増やせたら、当然こうなるわ……多少の故障や破壊はあるだろが、微々たるもんだろ」

『現在、残存人類による中規模以上の反抗行為は見受けられないでち。散発的な野盗がほとんどでちね』


 土地から離れる事を頑なに拒否する人々、文明の痕跡を破壊する物として戦う者など、散発的な抵抗はあるが、戦闘用でもない自動運送トラックの犠牲や、カーゴボットによる物理的な押し出しなどで、義体化済みの人間ですら抵抗できずにいるのが現状だ。


「この国でどれくらい生き残ってる?」

『算出できないでち。確度の低い統計的予想では、3,900万人以下になってるでちね』

『10%も居ないのか……こりゃダメかもわからんね』


 カレンは予想してたのか、大きく落胆する事もなく、腕を解きやれやれと肩をすくめてみせた。自分が最後の一人になってないだけでも、気楽なものだ。


「うーむ、どうしたもんかなぁ」


 痒くもない顎先を指で掻きながら、右足はリズミカルにタップを刻む。調査行動は根気との戦いであるのは十分に自覚しているものの、やはり少しでも体を動かしている方が気が楽になる。


『ペンタゴンかNORAD北アメリカ航空宇宙防衛司令部の外部予備サーバーに侵入するのはどうでちか?』

「いや、ダメだな。アタシでもまっさきに抑える。既にあの子ノルンのシマだな」

『今調べまちたが、そのようでち』


 考え得る方法と経路は全て探してはみたが、隙があっても侵入する直前で阻まれ、すぐさま穴を埋められてしまう。それどころか、その周囲一体を強化するほどだ。

 大手企業が作った最新型量子コンピューターを数台使っても、こんなに早く対応される事は無いはずだった。

 これまでのハッカー人生も成功ばかりではなく、半分近くは失敗を重ねて学んでいったものだ。それでも、人間相手なら勝てる自信は十二分にある。

 だが自己進化型で自分で考える事のできるスーパーコンピューターAI相手では、分が悪い。蟻が太陽に挑むようなものだろう。


「やっぱそろそろ潮時だな……」

『では、例のアレのソレの準備をするでちね。カレンちゃまは、お眠でちか?』

「そだな、今日はハイキングだったから、ちょいと寝とこう、あとよろ」


 そしてゴーグルの中は漆黒の闇に染まり、カレンはデバイスを着けたまま、眠りに落ちていった。





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