第10話:狐のステア



 およそ一週間後、大雨が降ったので外での訓練は中止にした。その代わり、これまで出来ていなかった通信網のチェックと探索をする作業に割り当てる。

 程よい大きさの窓がある小会議室を見つけ、窓際へテーブルを移動した後に、4人は衛星通信に必要な機材を並べた。

 シンジとカズヤはインターネット回線をチェックし、リョウジとミサキは衛星回線のアクセスを試みている。


「普通のブラウジングはダメっすね。ポータルサイトのトップページすら出てこないッス。応答時間見ると、断続的には繋がるけど、間隔が長すぎてまともに読めねぇ」

「会社のサーバーはダメだな。社員用のも無応答だ。ドメインすら消えてるから、サーバーが死んでるな」


 カズヤもシンジも、キーを打つような事はほとんどなく、それぞれ楽な姿勢をしながら画面を睨み続けるだけだ。インターネット全体が断絶されているわけではなく、経由しているサーバーが動かず遠回りとなり、結果としてネット回線が細くなってデータが届かない状況のようだ。

 一方、ミサキとリョウジは、衛星アンテナを微妙にずらしながら、通信可能な衛星を探している。角度変更の小型モーターの音が、時折聞こえてくる。


「うーん……室内だから、繋がりにくい、とか?」

「それは無いですね。一昔前のものならその可能性もありますが、今は出力も大きいはずなので、ここで拾える筈です」


 2030~40年にかけて、各国のGPS衛星も次世代型になり、衛星間通信なども備えて多機能化し、精度も上がっている。船で受信ができるくらいなら、アンテナを置いただけでも受信が可能なはずだ。だが、衛星自体が故障したり墜落していたりするならば、通信できないのも頷ける。


「あ! 拾えたかも!?」

「こちらにも送ってください──これは……IGS、M11…ですかね?」

「何それ?」

「日本の内閣が打上げている、多様化情報通信衛星ですね。たしか2033年打上げのやつです」

「それよ!」


 衛星の識別名で言われてもピンと来なかったが、ミサキが繋げたかったのは、まさに国が打上げた情報通信衛星だ。理研が生きていれば、専用回線でアクセスできる。


「その回線維持できる!?」

「えっと……やってみます」


 リョウジの仕事では衛星通信なんてほぼ恩恵が無かったが、社会見学などで学んだ基礎的な通信衛星の理屈からすれば、何とかなりそうだと感じ取った。自信が無い事はあまりやりたくはないが、ひとまずチャレンジしてみる。アンテナが細かく追尾している所を見ると、ちょうど日本上空を通り過ぎる辺りのようだ。


「ぅ……よし! 繋がった!」

「あ、信号揺れてますね。減衰傾向です」

「まった待ったまった!」


 ミサキは焦りながらも、入力ミスなんて無駄な時間を浪費しないよう、急ぎながらもタッチパッドとキーを打ち込み、理研のネットワークへ接続。目的の情報まで辿りつく事ができた。


「信号生きてるの、たぶん1基だけですね。弱くなってます」

「お願い! これだけでも!」


 リョウジは困惑した顔をミサキに向けた。待ってと言われてもリョウジが衛星を動かしてる訳じゃない。ミサキはリョウジの顔を見返しもせず、手で合わせながら画面の中に出ているプログレスバー進捗グラフにお祈りしていた。


「もうすぐ……あ、切れましたね」

「──ふぅ、間に合った」


 拾えたのはたった2つのファイルだけだが、無事入手できた事に気が抜け、ミサキは両手をだらんと下げた。

 そんなミサキの姿を一瞥した後、少しだけ驚いた顔をさせて、シンジはリョウジへと話しかけた。


「理研のサーバーは生きてるのか。不幸中の幸い、とはいえ、衛星はなぜ1基だけなんだ? ああいうのは複数で連動するもんだろ?」

「そうですね。GPSと同じで、どこからでも通信しようとするなら複数基必要です。単独でも、今みたいには繋がりますけど……衛星は移動してしまいますからねぇ」

「一応、他にも量子通信用のリレー衛星とかあるか、探してみてくれ」

「わかりました」


 シンジはミサキの方を見たが、相当焦っていたのか、今は気が抜けて呆けて居る。暫く放っておこうと思い、カズヤの方に向き直った。


「俺たちももう少し粘ろう。海外のゲームサイトとか覚えてそうなの片っ端からアクセスしてみろ」

「りょぅーかい」



  *  *  *



 ゲームサイトだけでなく、片っ端から銀行やら政府系やらネットワークの強そうなサイトを巡って見たが、ほぼ全滅状態だった。アクセス出来たとしても、ほんの数文字だけで通信が切れてしまう。衛星の方も結局見つからず、同じ衛星と通信できるのは、おそらく丸一日掛かるかも知れない。


「で、何が拾えたんだ?」


 シンジは、船の保存食と共に入手できた、貴重なコーヒーをミサキと二人で飲んでいた。カズヤとリョウジは、今は施設内を警戒巡回中で居ない。


「私がプロジェクトを外される前にまとめた、ノルン用のバイオユニットに使ってる神経細胞のデータと、理研のパンドラウイルスの分析データ。他にも色々欲しかったけどね」


 和光市の理研本部に到着してからでも遅くはないが、何があるか分かったものではない。理研のネットワークが生きていた事と、ファイルも無事なのが分かっただけでも幸運だが、できれば中身も見れるかどうか確認したかった。

 それに、車中での空いた時間に考察できる事もある。

 シンジには何故それがミサキに必要なのかは分からないが、単語から表面的な理解は得られる。どんな時でも、情報は多いに越したことはない。


「まぁ、明日も同じ時間くらいに試して見よう。もしかしたら、丁度通り過ぎる寸前だったのかもしれん。もう少し前の時間から試そう」

「ええ、そうね。悪いけど、ちょっと査読したいから部屋に戻るわね?」

「ああ、わかった」




 仮宿舎にある自室に戻ったミサキは、まずパンドラウイルスの構造分析結果から査読を始めた。その書類は、よほど急いで作ったのか、英文で書かれているその書類には誤字も散見される。妙な文脈のものも在り、恐らく補助AIに書かせたのだろう。専門用語が別の意味で書かれている。

 正しい文脈を頭の中で整理するという、余計な仕事をさせられている事に苛つきながら、何とか一通りは読めた。


『……結果、人工的に造られた可能性が高いウイルスである。既知のタンパク質構造とは異なり、不明瞭な物質も確認された。さらなる分析と調査が早急に必要である』


 ミサキは頭を捻った。未知のタンパク質構造というのは、あのRNAデータからも読み取れるが、不明瞭な物質についてはまったく心当たりが無い。

 別のファイルも開いてみる。


『──QAS量子分析シミュレーションシステムでの結果により、パンドラウイルスのmRNA遺伝子コードに記されているコドン組合せは、既知のものも含まれる。一方、一見ランダムに見える配列は1つ抜かし、もしくは3つ抜かしで連続しており、既知のコドンに対応している。また、現在米国でノルンシステムを利用した分析が進んでいるが、一部のゲノムはまったく機能しておらず、不明瞭なアミノ酸が確認されており……』


 専門分野ではないとはいえ、まるで意味の分からない内容だ。未知の物質? 不明瞭なアミノ酸?

 いくらノルンが数世代先のスーパーコンピューターでも、生物学の根底を覆すようなものは設計できないだろう。


──この人工ウイルスはノルンではなく、別の手によるもの?


 馬鹿馬鹿しい考えだ。タンパク質構造はいまだもって全てが解析された訳ではないが、その設計図となるアミノ酸構造については、現代科学でも確立されたものだ。でなければ、遺伝子工学どころか物理学も変わってしまう。

 映画のように地球外で生まれ、まったく異なる環境下などであるなら、無理やりこじつける事もできようが、事は地球の、しかも地上で起こっている。


 すっかりコーヒーが冷めきっているのも忘れ、妙な気分で乾いてしまった喉を潤した。苦みは感じるが、コーヒーの味がしない。


 他のファイルもいくつか見てみたが、「ノルンシステムで分析中」「未知の構造」などの文字が書かれており、結局分かったのは、


「何も分からなかったって事ね」


 なんとも、21世紀半ばにもなって、人類は無力な存在なのだなと感じてしまう。

 それは自分の専門分野でもある神経工学でも同じだ。ある程度「こうすれば、こう動いている」は分かっても「どうやって?」は、まだ未解明な所が多い。

 それなのに、まだ実験段階だったバイオコンピューター技術も、ノルンの登場で一気に加速し、作った本人たちすら理解していないブラックボックスが動いてしまっている。


 ミサキは一度自室を出て、少しだけ館内を散歩して頭を冷やした。無人の館内は静寂に包まれ、時折聞こえてくる鳥の囀りだけが響き渡る。積もった埃のせいでミサキの足音には硬質の音は無い。長い廊下を2往復した辺りで、何も考えが進んでない事に気付き、諦めの吐息を出しながらミサキは自室へと戻った。

 そして再び、点けっぱなしのノートPCと向き合う。


 今度は、プロジェクト・スレイプニルのドキュメントだ。ノルンのバイオロジックユニット神経論理回路の構造についての物。過去にも一度読もうとしていたが、保留にしたまま時間が経ってしまい、そのすぐ後にプロジェクトから外されてしまう。忘れていた訳ではないが、もう一度開こうとする気は失せていたファイル。


『──により、光子信号を直接神経細胞内に挿入したマイクロマシン受信機に……』


「マイクロマシンですって!?」


 ミサキは驚きの余り立ち上がった。驚かされた椅子は横に倒れ、少しだけ抗議の音を出しながら転がった。

 マイクロマシンの概念は知っているが、これもまた実験段階でなかなか先に進めない分野だった。細胞よりも遥かに大きいマイクロマシンについては実用化にたどり着き、自分にも埋め込まれているBMIに利用された技術だ。しかし細胞クラス、さらには細胞内組織の大きさまで極小化されたマイクロマシンなど聞いた事がない。あるのならば、必ず論文を読んでいる筈だ。

 自分の専門分野に関しては、可能な限り最先端技術を追いかけていたつもりだが、いきなりこんな1~2世代も先の技術を知らない筈がないという自負はある。

 ミトコンドリアをはじめとした細胞内組織の大きさは、ウイルスよりも小さい。そんな物があるなら、パンドラウイルス用にマイクロマシンワクチンを製造できた可能性もある。


──ノルンシステムには使われているのに、ワクチンにはしなかった?


 いや、そうする必要も結果としては無かったのかもしれない。少なくともこの時点では。自らパンドラを設計したのであれば、人為的にセキュリティーホール抜け穴を用意しておけば、わざわざ製造難易度の高いマイクロマシンを設計・製造せずに済む。マイクロマシン自体に増殖能力を持たせるのも難しい。

 パンドラが自然派生であっても、マイクロマシンの増殖が出来ないのであればワクチンとしても作用しない。


 過去、コロナワクチンがそうであったように、パンドラウイルスワクチンも、ノルンの手によって3度も再開発されている。残念ながら効果は万能ではなく、コロナ同様に世代に合わせたワクチンを必要とされていた。ガンマ以降となる次のワクチンを研究中だったのかはわからないが、その前に社会構造が壊れてしまった。


 しかし、これも分からない。ノルンの意図が読めない。

 もしノルンが動き続けているのであれば、人間の手を必要とせず、ワクチンを開発してロボットで患者の処置が可能な筈だ。


 上海の空港で見た、あの巨大な検査機のように。


 ノルンは人類を見捨てた?

 それともワクチンから仕込んだ?

 第三者の介入があった?


「けど結局、キーポイントは『ノルン』なのは変わらないわね」


 ゆっくりと座りつつ、モニターの前で手を組んだ。

 もう一度ドキュメントの冒頭に書かれた一言を見つめる。



 この言葉が、今となっては恐怖の代名詞となっている。



  *  *  *



「んで? そのノルンちゃんの凄さって何よ? 昔の画像生成AIだっておべんきょして賢くなってたぜ?」

「それは、学習型よ! 進化とは違うの!」


 ここ数週間の訓練のお陰で、ミサキもすっかり逞しくなった。元から細身だった体はそのままに、二の腕と腹筋、そして肩が鍛えられ、こうして荷物を運びながらでも息切れせずに動けるようになっている。


「どう違うのん?」


 ミサキとセットで荷物運びをしているカズヤは、元々パワーのある義体なので、自分の体重以上のものも顔色変えずに持ち上げられる。表情は分からないが。


「もしアンタが猿だとして、ある日突然「俺、人間になりたい!」ってホモ・サピエンスに進化できると思う?」

「つまり?」

「あーもうッ!! そうね……ある日突然、自分の意思で美少女になれるのよッ!」

「なるほど、把握」


 機械学習一つにとっても、様々な学習アプローチがある。2020年代初頭から、膨大なインターネットアーカイブを網羅するように学ばせて、文字チャットではあるがある程度の会話が可能なチャットAIサービスが生まれてきた。そこから先は、加速度的に発展していく。

 一度は頭打ちとなる機械式学習法は、アルゴリズムが改訂・改良され続けると同時に、ニューラルネットワークによる生物学的学習法と組み合わされ、革新速度こそ鈍りが生じたものの、着実に人間との自然な会話になる方へと進んでいった。

 だが機械学習は、メモリされた学習データ以外の事は答えられない。まだ思考しているフリ、そういった挙動ではあったが、生物のそれとは違っている。

 体感的経験や発想、組み合わせの妙といったものは、まだ手の届く範囲には存在しなかった。


「自己学習、自己拡張、自己複製、そして自己修復、これらは分かるわ。今でも使われている、実用化された技術だからね。けど、自己進化ってのは別なのよ。さっきは美少女って言ったけど、ニュートンとかアインシュタインに自分が成れるの。技術革命が自分の意思で起こせるのよ」

「ほーん……なるほどねぇ。ノルンちゃん、すげぇんだな」

「さっきからそう言ってるでしょう……。危険な子なの」


 疲れている訳でもないのに、カズヤは荷物を目的の位置に起き、ふぅと大きく息を吐いた。臓器が無くても、小脳や視床下部の影響でそういう反応が無意識に出力される。


「しかしよくもまぁ、アメリカさんは、そんなもん作れたな」

「ほんとに。……とは言え、私も手伝ってしまったんだけどね」


 怪訝な顔と共に答えたミサキの言葉を、カズヤは聞かなかったかのようにして、再び荷物を取りに戻った。

 ミサキはそんなカズヤの心遣いに感謝しつつ、自分の余計な一言に少しだけ恥じた。


 予定通りであれば、シンジ達はあと一週間たたずに、東進を開始する。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る