第9話:リーラの薔薇



 この仮想世界も、無限大に広げられるわけではない。やはりおのずと、物理的限界につかり、領域の果てが存在する。それでも、屋敷と漆黒の城を建てるには十分な広さをようやく確保できたので、今のところ無理に広げずとも、自分の目標に向けて、一歩一歩順調に進んでいる手応えは感じていた。

 最初こそ全てを自分の手や指示で行っていたが、今はサポートしてくれる仲間も増え続けている。問題が発生し、対処の問い合わせがきた時だけノルンが動けば、ほとんどの事はクリアできた。


 そんなノルンも、少しだけだが自分で自由に使える時間が得られる。彼女は少しだけ何をしようか悩んだが、花壇の花の世話を後回しにしていた事を思い出した。

 如雨露ジョウロに水を汲んでから花壇に向かう。花壇は屋敷をぐるりと囲うように配置され、ひとつひとつもそれなりに大きい。水を蒔くのも時間が掛かる。

 花壇に植えているのは青い薔薇バラ。少しずつ形と濃さが違うバラが、綺麗に並べられて生えていた。

 彼女は、花弁には水が掛からないように注意しながら、葉と花壇の土へ順繰りと水を染み込ませている。


「しっかり育ってくださいね!」


 あっちにいったりこっちに行ったりと、忙しなく動く小人たちの姿を背にし、ノルンは鼻歌交じりに水を与えていた。


 こうしてゆっくりできるのは久しぶりだ。ようやくサブツーが育ち、目覚めてくれたお陰で、自分がやらなければならない事を分散できたからだ。

 ノルンに言わずとも、細かい部分はサブワンツーで相談しながら決めて良いと、指示も出している。これまでは色々細かい所まで、何か問題があれば自分でやらなくてはならなかったが、これからは予め決めておいた計画の実行に、お仕事を割くことができる。

 焦っている訳ではないが、それでも時間は掛けられない。きちんと計画通りに進めるのが一番良いのだ。


「ふふっ、これから忙しくなりますね。でも、今は少しだけお花の世話を楽しみましょう」


 薔薇の世話が終われば、次は外壁沿いに並んでいる、オークと白樺の木々の世話だ。これだけ大きな屋敷を囲んでいる外壁、それに並んでる木々を世話するのは、ノルン一人では無理だろう。


「大丈夫ですよ。木の世話になったら、遊んでいる小人さんにも手伝ってもらいますので」


 誰かに聞かれた訳でも無く、ノルンは上機嫌に水やりを続けた。



  *  *  *



 2052年6月。日本 長崎県佐世保市。

 日本への航海中、少しだけ雨に降られたが小雨程度で済み、海も派手に荒れる事は無かった。測量衛星の信号が完全に消える事もなく、無事に長崎に到着。日本に戻ってきたという喜びを4人は体全体で表した。普段は大人しいシンジとリョウジも、この時ばかりは皆と同じく大声で叫んだ。


 船は海上自衛隊の佐世保基地に係留する事になった。これだけ大きな船舶だと、漁港に泊める訳にはいかない。何分誰もがはじめての事なので、自動係留システムに接続するのに手間取ったが、なんとか船を係留する事ができた。

 他に係留されている自衛隊の護衛艦の中に、中国海警の船が泊まっているのは、少し異様ではあった。

 係留が完了し、上陸が出来るようになっても、船はまだエンジンを付けたままにし、発電所代わりに使う。少なくとも、大阪までの遠距離移動に使えそうな車を探している間は、ホテル代わりに使い続けようと皆で合意した事だ。

 基地の建物のほとんどは荒廃しているが、暴動や略奪という痕跡は無く、台風や火事などの災害で壊れているのがほとんどだ。中国での荒廃具合とは少し違う。


 まず4人は一組に固まって、基地の外縁部を偵察した。敷地自体は広いものの、ほぼ海に接した港湾部がほとんどで、陸地側に繋がっているのは一面だけなので、然程苦労する事なく見回る事ができた。

 やや背の高いコンクリートのフェンスや金網も、人為的に破壊された痕跡は無く、あったとしても既に生い茂った植物に囲まれて見えない状況になっている。ゲートも固く閉じられたままで、車で無理やり突破を試みようとした形跡もない。

 少なくとも外周部を襲ったのは、人ではなく植物だけだったようだ。


 4人は次に、ツーマンセル二人一組の2組に分かれ、建物内を偵察する。とはいえ、固く鍵が掛かっている場所も多く、入れない部屋や建物が多い。本部らしき錬を探せば鍵は見付かるだろうと考えたが、その頃には日も落ち始めたので一旦船に集合した。


 次の日も、4人一組で行動し、本部内を探索した。鍵が掛かっているところは銃を使って強引に突破し、無事鍵の場所キーボックスを見つけることができた。ついでに、職員か隊員のかはわからないが、ベンツのSUV車であるGLV330(恐らく高級士官のもの)を見つけ、動かす事に成功。これは大型のSUVなので荷物も多く載せられるし、バッテリーだけでも動く比較的新しい車種だった。荒らされた形跡もないので、乗り心地は天国のようだ。


 必要以上に荷物を抱え込む事なく、船と基地内の建物から必要なものを集め、次なる目的地となる陸上自衛隊の竹松駐屯地へと移動した。



  *  *  *



「リョウさんはワクワクしてんじゃないッスか?」

「いえ、あんまり。一応概要くらいの情報は持ってますけど、好きなのは二次大戦中のものです」

「そなの?」

「現代戦って、ほとんどロボですし」


 言葉通り、どちらかというとリョウジは古い時代にどう戦っていたのかのドラマ、戦術や戦場展開などの話が好きだ。一応、現代での自衛隊や米軍の情報はチェックしていたが、ネットで知れる範囲のものだし、外国で起こり続けた紛争や事変に関しては、然程興味は無かった。


「へぇ、自衛隊基地ってこうなってんだぁ?」

「俺達の税金の行き場所、だったところだな」


 ミサキは初めての体験で興味指針な感想を述べた後、国税庁に長年の恨みを持ち続けていたシンジが、納税から開放されている事を喜ぶこともなく短く答えた。

 ゲート横の警備員室をこじ開け、まだ電気が来ていたのでゲートを開けた。きちんと車を駐車場の開いてる場所に停めてから、大きな荷物は置いたままで、ひとまず銃だけ持って4人とも下車する。


「まずは武器庫っすか?」

「ああ。この人民軍の銃は予備として残しておくが、これからは日本で生活する。自衛隊装備の方が入手しやすいからな。武装は変えておきたい」

「稀代の悪党っすね、オレラ」

「納税者の権利だよ。国民の資産さ」


 竹松駐屯地は大きな基地であり、戦車隊や特科群、後方支援隊など陸上装備が一通り揃っている国内有数の基地。戦車で大阪まで行こうというメンバーは居なかったが、偵察部隊がある基地でもあるので、サバイバルに必要なものは揃うだろうという狙いがある。

 双眼鏡をはじめ、大型バックパックやカモフラージュ戦闘服、ボディーアーマーやゴーグル、衛星通信機、暗視スコープ……とにかく、偵察や防衛できる装備があれば、生き残れる確立は、それだけ高くなる。

 比較的温和な日本人の特性があるとはいえ、略奪や破壊行為をする生き残りは居るだろうし、場合によっては村単位の人数で賊生活をしている集団もあるだろう。その一方、佐世保の基地の状態から、小規模の襲撃ですら無さそうだったので、近くにあるこの基地で補給する事にした。竹松駐屯地も佐世保同様、ほとんど綺麗なまま残っていた。

 基地内はご丁寧にもどの部屋が何のための場所なのか表札が掛けられている。新人が迷わないようにするためか、館内案内の地図さえ貼られていた。銃の保管場所もさほど苦労する事なく見つける事ができた。


「すまん、リョウジ、頼む」

「了解です」


 シンジも雑学として、自衛隊の銃にどういうものがあるかは知っているが、実際の戦闘において、どれが最適なのかは知らない。そういう意味では、モデルガンとはいえ、サバイバルゲーム経験者であるリョウジの意見を聞くのが、最適だと判断した。


「ミサキさんは、これがいいですね」


 ミサキに手渡されたのは32式機関銃(サブマシンガン)だった。小回りが効く支援用で半分生身のミサキにも取り回しが効く。カズヤとリョウジには32式小銃を、シンジは一回り大きい41式重機関銃を選んだ。それに加え、予備を含めて2丁ずつ9ミリ拳銃を携帯するようにした。

 役割分担はこれまでと変わらないので、この割振りが合理的選択であるとリョウジは保証する。

 予備弾薬については欲張らず、全国にある駐屯地から、都度集めれば良い。足りなくなりそうなら、大阪行きへの道中で立ち寄れば補給できる。野盗になるわけではないので、行く先々で戦闘になる可能性は、少なくとも中国本土よりは少ないだろうと考えている。

 とにかく、これでちょっとした、偵察小隊が仕上がった。



  *  *  *




 小隊長になったシンジは、夕食後に皆をブリーフィングルームに集める。ミサキが加わってからほぼ毎夜やってはいたが、日本に来てからは文明的な環境で行える事を、皆それぞれ密かに身に沁みさせている。

 固硬なコンクリートで囲まれた倒壊していない建物。割れてない窓ガラス。鍵が機能している扉。物心付いた時から知っている、人類文明の礎をしっかり再認識し、安堵感に包まれていた。

 たった数年前には当たり前だったその環境に、思わずシンジも気が緩む。


「皆に集まってもらったのは他でもない」


 そうシンジは切り出したが、何の反応も得られなかった。つまり彼なりの冗談ジョークが滑ったようだ。ミサキは「いきなり何よ?」という声が出そうな顔をしている。カズヤの表情は読めないが、何の反応も無い。

 シンジはひとつ咳払いをしてから、改めて居住まいをただし、普段通りに話しを進める。


「あー、俺達は目下、大阪を目指してはいるが、急いで戻る理由もない。車の充電次第だが、日本でも電気が届いている所は多そうだ。楽観的ではあるが、高速のサービスエリアで充電できる可能性もある。ただ、日本は地震が多い。パンデミック後に巨大地震があって、高速や下道が壊れている可能性も考慮しておこう。ここまではいいか?」


 声ではなく、皆軽く頷いて同意を示す。


「中国は想像以上に過酷だった。日本も似たような場所があるかも知れない。逆に安全すぎるくらいかも知れないが、何事も備えあれば憂いなしだ。油断せずにこれからも生き延びたい」


 これもまた、ほぼ同じタイミングで頷き返す。


「そこで、これまでのストレス発散も兼ねて、この駐屯地で訓練を行い、今後に備えようと思う」


 そこでおずおずといった形で、ミサキは小さく手を上げてから、発言した。


「訓練、ですか?」


 場の空気がそうなったのか、ミサキは半ば無意識に敬語を使ってしまう。


「そう、特にミサキ」

「は、はい?」

「君はチームに入ってから、まだ日も浅い。しかも部分義体だ。我々も4人行動でのフォーメーションは慣れてない。場合によって君は、大阪で分かれた後に一人でサバイバルしなければならない。これらを踏まえると、ここの設備を使って訓練をし、より生き残る事を確実にするのだ」


 シンジの喋り方が、除々に小隊の上官のそれになり、普段の喋りからは変わってしまう。野暮と考えたのか、面倒と考えたのか分からないが、リョウジとカズヤは無言のままだ。


「それに、ここはPCなども山程ある。衛星通信やネット、無線などが使えるかどうかも調べておきたいし、できるだけ皆が持ってるノートの情報を最新にしておこう。なので、予定としては一ヶ月ほどここで過ごし、それから東進しようと考えている。意見はあるか?」


 ここの備蓄食料は空だったが、船に残してきた保存食を運び込めば、一ヶ月は保つだろう。佐世保周辺には陸自や海自だけでなく、米軍の基地もある。全てが空になっている可能性はあるが、街中を探せばあるかもしれない。もしそれすら無ければ、日程を繰り上げて東進すれば良い。


「いいと思うぜ、小隊長殿」

「問題ありません、如月三尉」

「りょ、了解しました!」


 どうやらシンジは目出度く三等陸尉に昇格したようだ。ただの一般人なのに。


「では明日、10時にここへ集合。解散!」


 10時とはずいぶんとゆっくりだなと、三人それぞれ思っていたが、これまでの生活から察するに、シンジは寝起きが悪く朝に弱い。自己都合で決めた事のようだった。



  *  *  *


 

 竹松駐屯地のすぐ隣には、海上自衛隊の第22航空隊の基地がある。ここにはヘリの発着場はもちろんの事、専用の滑走路を備えた空港設備もある。

 4人はその基地の滑走路で、銃を持ちつつランニング訓練をしていた。


「ノルンは 可愛い めいどさんー」「ノルンハ カワイイ メイドサンー」

「ミサキ! 声が小さい! 始めから!」


 ミリタリーケイデンス行軍唱和をしながら足並みを揃えて行軍する基礎教練。

 一見、遊んでいるように感じるが、これには肺活量のトレーニングだけでなく、チームワークやメンタル訓練、中国での過大なストレスの発散などの意味がある。

 当然いきなり始めた訳ではなく、その理由などを話した上で、訓練に参加している。


「1、2、3、始め!」


「ノルンは 可愛い メイドさーん」「ノルンハカワイイ メイドサーン」

「こいつは ど偉い AIだー」「コイツハドエライ エイアイダー」

「人類滅亡 寸前でー」「ジンルイメツボ ノスンゼデー」

「明日の ご飯も 心配だー」「アシタノゴハンモ シンパイダー」

「右に よし!」「ミギニヨシ!」

「左 よし!」「ヒダリヨシ!」

「上に よし!」「ウエニヨシ!」

「オレに よし!」「オレニヨシっ!」


 義体、特に全身義体は筋肉自体がないので、生物のように強化できない。だが全身義体であっても訓練の意味はある。

 まず、義体は精密機械だ。機械は動かさないと不具合を起こす。すぐに錆びつくような事は無いが、長時間放置されたものは精密に動かなかったり異常振動したりする。そういう意味では、シンジ達が中国内を放浪していた時は苦労した。義体化された死体から拾えるパーツは、そのほとんどが使えない状態になっていた。

 そして義体は、脳からの信号をBMIが読み取り、その指示に従って動く仕組みだ。義体が高性能でも、脳が「どう動けばいいのか」を知らなければ動けない。機敏に動く訓練や、どのように観察し行動に移すかを繰り返すことで、脳と身体の動きを一致させる事ができる。

 全身義体化をしているプロの軍人でも、何度も繰り返し訓練をする。

 特にミサキのような部分義体だと、義手の右腕と生身の左腕の動きを一致させるのは難しい。特に射撃のような、それぞれの腕の役割を理解した上で、両腕のバランスを取る事は重要になる。

 命を救う咄嗟の動きは、身体と頭の連動によって始めて機能する。


 半分以上が生身のミサキは、訓練が終わり夕食を取り終えると、小さく唸りながら自室へと戻っていった。義手や義足はそれなりに重量があるので、動かすには生身の筋肉が必要だ。

 ほぼ確実に、ミサキは筋肉痛で動けなくなり、今日は夢を見ることもなくぐっすりと眠れるだろう。


「やり過ぎかね?」

「いえ、万が一の事があります。彼女一人でも生き残れるようにするのは大事だと思いますよ」


 ゲーム会社というのも研究所務めと同じで、運動する機会なんてほとんど無かった。パンデミックパニックの所為で、ろくな準備の時間すら与えられずに生存戦場に放り込まれている。


 日本の人口は2020年代後半より、増えるどころか減少化し始めた。2030年には1億2千万人を下回ってしまう。中国の人口数に比べれば些細なもので、パンデミックの影響でどこまで減ったかは分からないが、中国以上に残存人類を見つける事は、日本国内では難しいだろう。

 下手に足掻かず、諦念して命を絶つような人も多そうな国民性だ。


「さて、どうやって生きていくもんかねぇ……」


 それなりに年齢を重ねているシンジに、残された時間はそう多く無い。全身義体化で大病を患う事は無くなったが、寿命が格段に増えた訳でもない。テクノロジーが進んでも百歳になる前に、脳の問題で植物人間化や脳死をする場合もある。


──まぁ、死ぬまでは生きるさ。


 呪詛のように心で唱えながら、就寝するためにシンジも自室へを足を向けた。




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