第8話:シルヴァー・フェイス



 船の上での生活というのは想像以上に難儀だ。長時間フェリーに乗った事があるなら、想像するのは容易いだろう。大きな波の揺れ、重く響き渡るエンジンの駆動音、海水を切る音──常に静寂とは無縁のものであり、自然と人工の音が奏でる奇妙なハーモニーは、時折人の心を蝕む。音と船体の揺れによってストレスを感じ、不快指数が上がる人も居る。だからこそ、警備艦や戦闘艦はできるだけ船員の負荷を減らす為に工夫がされている。

 2020年以降はテクノロジーのお陰で自動化が進み、船内スペースに余裕が出て、個室やシャワー、食堂などが完備されている。

 リョウジによると、この船はおよそ4,000トンクラスの大型船で、海上自衛隊の護衛艦とほぼ同じだ。全長100メートルを少し超えるスリムな船体には、様々なものが搭載されていた。

 主砲や垂直ミサイル発射装置、魚雷発射装置、爆雷投下装置などもあり、戦時になれば駆逐艦として使えるよう設計されている。警備艦としてはやけに重武装だ。

 今のシンジ達にとってみれば無用の長物だが、中国の中央政府としては、必要な防衛手段の一つなのだろう。

 そんな船を鹵獲できたのは幸運だ。


 ミサキはシャンパンの代わりにシャワーを浴びた。シンジがほぼ動くことなく船尾のヘリパッドに居続けている間、体を洗い流した後に女性船員用の制服に着替えた。数年ぶりとなる、現代文明の生活をほんの少し取り戻していた。そのころにはすっかり陽も沈み、月と星々が支配する時間になっている。

 夜は毎日というわけではないが、ほぼ定期的にミーティングが行われている。彼らが一般人ながらも、長い期間生き残れた理由の一つなのだろう──ミサキはそう考えつつ、艦尾へ向かい、シンジの元に戻った。


 シンジは甲板上であぐらをかき、腕をくんで考え事をしている。漫画でよく見る、唸りながら考え込んでいるキャラの姿とまったく同じだ。

 ミサキはシンジから少し距離を置きつつ、彼と同じように、あぐらをかいて座る。


「どう? 整理できた?」

「んー、ある程度は、かな」


 シンジはミサキが隣に座ったのを気配で感じ取っていたが、目を閉じたまま考え込んでいる。既にサングラスは掛けていなかった。


「話は筋が通っているし、矛盾点も一見無い。これがもし作り話だったら、シナリオライターとして雇いたいところだ」

「あなたの会社、初任給いくら?」

「24万。手取りで」

「……安いわね」


 学生時代からエリートコースを歩んできたミサキにとって、普通の学士卒の人がどれだけ給料を貰っているかのイメージは薄い。シナリオライターと言えども専門家なのだから、もう少し出しても、とは思う。


「この後、君から聞いた話をまとめて、皆で共有する予定だが……少しだけ追加で聞きたい事もある」

「構わないわ。もう隠す意味もないし」


 シンジは、やや仰々しく体ごとミサキの方へ向き、あぐらを崩して左足を立てた。膝に腕を乗せつつ、ミサキに質問した。腕で口元が隠れているが、シンジの眼はしっかりとミサキの顔を見据えている。


「おまいさんの目的は? ノルンをどうしたい?」

「……それについては、まだ明確な答えがないわ。ノルンの事を、まだよく知らないもの」

「ふむ、続けて」

「私は研究者よ。知りたいわね、もっと彼女の事を。どうするかはそれから考える」


 それを聞き、シンジは横を向く。視界には漆黒となり、時折月明かりが反射する波間が視える。地平線を境に、隅には星々も点っている。船の照明も点っているので、山中で見れる満点の星空とまではいかない。

 シンジが、そこに何を見ているのかは分からぬまま、横を向いたままでミサキに聞いた。


「目的地は?」

「埼玉県和光市。理研の本部よ」

「遠いな」

「そうね、車じゃなければ長旅になる」


 それを聞いて合点がいったのか、シンジはゆっくりと立ち上がり。ミサキに声をかける。


「決定事項ではないが、少なくとも大阪までは送ろう。その時までに、その後の方針を決めていく。まだ俺がそう思ってるだけだがな」

「そう。……ありがとう」

「礼を言うのは早い。とにかく生き残るんだ」

「仰る通りね」




 シンジは長い会議を嫌う。経験則として1時間半を超えると、会議の内容にノイズや無駄が入り、話の内容が右往左往するからだ。定例的なミーティングは、10分から30分もあれば十分であり、ネットと並行しつつ、情報共有の確認が取れればそれで良かった。

 この日の夜のミーティングは長くなり、シンジとミサキの説明だけで2時間を越えてしまった。カズヤは表情こそ分からないが、頻繁に体勢を変えて落ち着きが無かった。余計な口を挟まず、黙って聞いてはいる。リョウジは時々質問をしてきたが、基本寡黙だ。だがその表情は、シンジ以上にバリエーションに富み、彼ができる全てのパターンの表情を網羅するように変化していた。


「共有事項は以上だ。休憩を挟むか?」

「いや、大丈夫っす」

「え、ええ、まだ整理付きませんが、続けましょう」


 シンジの問いに、カズヤとリョウジが答える。ミサキは自分の席で、イタズラがバレた子どものように小さくなっている。実際、彼女は気まずさをずっと抱えていた。


「ごめんなさい、内容が内容だけに……。信頼おけない人に話す内容でもないから」


 ミサキの気持ちもある程度想像できる。知り合って間もない間柄で話す内容ではなく、おそらく妄想癖として避けられるだろう。見捨てられる可能性も高い。もっともシンジたちとも、そんなに知り合ってから時間は経ってない。そうカズヤとリョウジは、同じ事を考えていた。


「ひとまず、大阪には行くって事でいいんですよね?」


 リョウジは少し伺うような目線をして、シンジに問いかけた。


「チームの目的だからな。これは達成したい。正直俺も、その後の事はまだ考えてない。到着するまでには決めたいところだが──」

「俺っちは問題ないっスよ。どうせ、なるようにしかならんでしょ」

「そうですね、異議はありません」


 ミサキは少し安心して、肩を緩めて緊張をほぐした。リョウジのような普段寡黙な人が怒り出すと怖い。それまで溜め込んでいた不満と共に一気に吹き出すからだ。特に研究に携わる人にはその傾向が多いので、ミサキは予めそうなる事を覚悟していたのだ。


「もし、大阪で別れる事になったら、送別会はしてくれるんでしょうね?」


 ミサキは本当に久しぶりに軽口を叩いた。




 空気を読んだのか、日光浴の影響かは分からないが、ミサキは先に自室に戻っていった。示し合わせた理由でもなく、男3人は同じように腕を組みながら、食堂のテーブルを囲っている。


「ミサキさんの言う事が本当でも、僕達にできる事なんて無いですよね?」

「疑ってるのか、彼女の事?」

「いえ、そういうんではなく……まだ飲み込めてないだけです、自分で」


 リョウジが不満不平を言う時は、どこか遠慮を交えつつも言わないとならないという性分なのか、言葉が途切れ途切れになりやすい。だが今のコレは、言葉通りの意味で、シンプルに困惑しているだけなのだろうと、シンジは感じ取っている。


「一言でまとめれば、人が神を創って、その神が人を滅ぼしたって事っしょ? 神話とか経典とかに書いてある、昔のウェブ小説って感じっすね! できればプレイヤーでいたっかたなぁ……。どーせオイラ達はNPCって理由でサァ」


 案外、カズヤの方が飲み込みが早かった。神という言葉に引っかかりは感じるが、おおよそ話の流れと合っている。しかしミサキ自体が確証を持ってないのと同様、これはまだ推測でしかない仮定の話だ。


「リョウジ、おまいさんがストーリーライターだったら、この後の展開をどうする?」

「あ、僕、専門外なんで」

「カズヤは?」

「そっすねぇ……。ノルンちゃん、可愛いかったから、人類と壮絶な戦いの後、愛を知って神の国に行くってのは、どうっすか?」

「そうだな、ある程度の王道ラインは残しておきたいとこだ」


 キャラクターデザインといえども、デザインするためには様々なバックボーンが必要で、さらには、キャラが歩んできた人生や背景を考えた上で、造形を作るものだ。そういう意味では、カズヤは記憶にあるノルンの姿から、連想した内容を話したのだろう。


「大阪が無事、という確証もない。定住するとしても、ニートが一番ハードルが高い職業になった今、何かしらの目標設定は必要だ。生きていくために、な」


 カズヤとリョウジは、この手の話を繰り返しするシンジの気持ちを察していた。耳にタコができるほと聞いているが、自分たちにもその実感はある。目標を失った、生きるためだけに生きることは、緩やかな死への道筋だ。


「当面、大阪を目指す。そしてその道中で、その後の方針を決めておく。これでいいか?」

「了解」


 どちらの声か判別できない程に、2つの声が重なった。



  *  *  *



「いいかい、戸張君。これは合衆国政府が正規のルートで日本に要請し、合意した内容なのだよ。理研との契約も済ましている。いち研究員である君が、我々にこのような事を話すのは越権行為に等しいんだぞ?」


 ミサキは少しだけ散らばった自分のオフィスで、自分用のPCモニターを睨みつけている。話している相手は太平洋の向こう側だが、モニター越しにでも自分の怒りを隠しもせず、むしろ増幅して送信して欲しいとさえ願っていた。


「重々承知しています。ですが、これは人類だけでなく、下手をすれば地球全体のライフサイクルに致命的な破滅を招く危険性があるんです! ある意味、貴国の持つ核兵器よりも危険です!」


 思わず口が滑って嫌味を言ってしまったが、後悔は無い。これは誰かが必ず言わなければならない事だ。超高性能知能が生み出した生体物の、地球環境への影響は予想すらできない。コロナパンデミックと世界核大戦が同時に起こるようなアポカリスクを生み出す可能性があるのだ。


「我々の『ノルン』システムには、きちんと人類優先と基礎的な倫理はプログラム済みだ。旧世代AIですら、きちんと倫理に沿ったのだから問題にならない」


 ステレオタイプな偏見だと思いつつ、ミサキは思わず舌打ちしそうになった。


──人類優先!? どうせあなたたちは「合衆国」を優先にしてるのでしょう? しかも人類優先自体が、おこがましい考えだわ。生物全体、引いては地球環境全ての問題なのよ!


 そう憤る一方、どうしても政治というのは何にでも絡んでくる。資本主義だろうが帝国主義だろうが、人間には社会システムが必要で、行政は社会を動かすためには必須要素。

 話してる相手は大統領関係者ではなく、プロジェクト・スレイプニルの研究所長だ。さすがに大統領補佐官に直訴するのは越権行為がすぎると自分でも思っていた。


「──倫理チェックは行ったんですか?」

「言われるまでもない。きちんと機能していたし、チューリング完全の結果だよ」


 AI技術に関してはミサキも疎い。自分でも支援AIサービスを使っているが、その中身はブラックボックスだ。どういう理屈で言葉を理解して、それなりの返答が帰ってくるのかのロジックは知らなかった。


「それと戸張君。我々のプロジェクトメンバーであるドクター・ギブスンとよく交流しているようだが、少し控え給え。ドクターも民間人だからある程度の自由は許されるが、極秘プロジェクトに参加している以上、自由も制限される。そういう契約をギブスン君とも結んで居るのだ。勝手な行為は控えてほしい」


──『自由の国』が聞いて呆れる。体の良い監禁でしょうに。


「このプロジェクトは、270億ドルもの膨大な予算を掛けた、人類文明のシンギュラリティを迎えるものなのだよ? 君を招聘した事を、我々に感謝して欲しいものだね。以上だ」


 面会チャットは一方的に終わり、相手の顔が最後の瞬間で固まって表示されている。ミサキは思わずその画面を義手で殴りたくなったが、腕を振り上げた所で止めた。比較的予算が潤沢であっても、備品の購入は手続きがであるし、モニターには罪が無い。

 そして大きく前のめりになり、ミサキはキーボードの上に頭を乗せる。複数のキーが押しっぱなしになり、エラー警告音が鳴り響くが、お構いなしにうなだれた。


「あなたはどうするの、カレン?」



  *  *  *



 嫌な事を思い出したなと、ミサキはこめかみを軽く押さえ、よろけるようにベッドに転がり込んだ。久しぶりのベッドは天国のような柔らかさでミサキを迎え入れてくれたが、感触の喜びとは裏腹に、頭の中は漆黒の森に迷い込んだかのように重い。


 あのプロジェクトは、本当に神を創ってしまったのだろうか……。


 人工的に組み立てられた不可解なRNA配列、驚異的スピードで試薬までたどり着いたワクチン、コロナ禍など生易しいと思えるほどの社会混乱と国家崩壊、核戦争や国家による資源の奪い合い紛争なども起こる間もなく、崩壊に至る時間の短さ──昔見た、高度なAIが世界を支配し、人類の滅亡や資源としの活用をしたSF映画のような世界だ。

 殺戮ロボットや人間牧場といった方法は、合理的ではない。資源とエネルギーを食い散らかす人類を滅ぼすのであれば、ウイルスの利用が一番妥当な選択だろう。


 手を弄り、ベッドに放り置いてあるタブレット端末を拾い上げ、友人からの暗号メールを読み返した。


『いいか、『ノルン』は資源とエネルギーがある限り、ソフトもハードも無限に拡張できるんだ。それは最初の起動から始まってる。手足ロボットを手に入れてからは、どんな分野だろうとネットを通じて拡張してやがるバケモンだ』


 ミサキはノルンの一般公式発表の中継を見ていた。ずいぶん可愛らしい化け物だと、おもわず苦笑する。


『アタシでも、もう手におねぇ。まだ他の奴は気付いて無いようだが、あの子は着々とこの研究所を掌握してる。まだ試運転中なのにだぜ? 止められるのはオーディンやゼウス、シヴァくらいだろうな。アッラーやキリストじゃワンパンだ。ノルンは神じゃァねぇが、似たようなもんができちまってるな』


 ブッダを忘れてるわよ、と軽く心の中で突っ込む。


『ノルンが何をしようとしているのかはまだ分からねぇが、おそらくノルンは、足かせにしかならない人間どもを邪魔に思うだろう。あの子から見りゃ、人類なんて文明未開の野蛮人だからな。だからミサキ、逃げる準備しとけ。死ぬなよ』


 この分割されていた暗号メールを最後に、連絡は取れなくなっている。生き残っているかどうかは分からないが、少なくともタフそうではあるから、たぶん生きてるだろう、と思っている。女の勘として、そう感じている。

 インターネットは半壊状態だが、理研の本部であれば、友人と連絡が取れるかも知れない。今はその僅かな可能性のために生きている。


 成り行きでシンジ達を巻き込んだのは心苦しいが、大阪までたどり着ければ、あとは一人でも何とかなるだろう。

 送迎会の冗談は言ったが、いずれ多大な恩を返していこうとは心に誓った。




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