第12話:アールヴの気紛れ



 日本東進は、2台の車を使う事になった。これまで乗ってきたベンツのSUVを使いつつ、陸上自衛隊の32式1.5トン中型トラックを車列に加えた。第一目的地は大阪で、第二目的地を埼玉県和光にする。理化学研究所の本部がある場所だ。

 どちらも絶望的な状況であれば、いずれにしろ生活は続けて行かなければならない。生活拠点を定めた時に最初の立ち上げが楽になるよう、多めの物資を運ぶ必要ができた。

 4人とも運転はできるが、基本のドライバーはシンジとカズヤとし、シンジはSUV、カズヤはトラックとした。ナビは、SUV車がリョウジ、トラックをミサキ。先行車となるSUVの方が危険度が高いので、スカウト偵察タンク防衛役のダックが最適というミーティングの結果だ。


 基地に給油所があったのでガソリンは満タン。トラックもハイブリッドなのでバッテリーも100%にし、万全の体勢で世話になった基地を後にした。

 一応、出発直前に4人が整列し、民間人なのでお辞儀の最敬礼をしてきた。


 車列は佐世保中央インターから北回りで日本海側を沿うルートを選んで走っている。これは、遅かれ早かれ保存食も保たなくなる時期が来る事を考え、漁や狩猟で生活できるようにするためだ。基本は高速を使うが、途中で下道に降りて必要分の狩りをしつつの移動となる。

 時間は掛かるが、都心部での保存食確保は望めないため、そして生き続ける為にも、この選択で全員合意している。

 基地で車載用無線通信機も乗せたが、手を取られるので4人は量子通信を使う。車は2台に別れるが、会話や意思疎通は量子通信で行えるので、何かがあっても迅速に対応できる。


「このトラック、思ったより乗り心地悪くないっスね」

「ハイブリッド化する時に、隊員への配慮もあったんだろう。タフな隊員ばかりじゃないし、ストレス緩和は重要だしな。国も重い腰上げて、自衛隊の装備は30年代に強化したよ」

「義体ッつっても、24時間動ける訳じゃないっスからねぇ」


 シンジもリョウジも、ハンドルは握っているが、半自動化されているので、オートパイロットに任せられる。GPS信号と、日本の準天頂衛星「みちびき」からの信号は、今のところ届いているが、船旅でもそうだったように断続的になる事がある。信号を見失い、いきなり急ハンドルされても困るので、いつでもマニュアル運転ができるようにしていた。


 車窓の外には、佐世保の街並みが見える。ようやくたどり着いた、そして懐かしい街並みだ。中国の荒れた街や、上海のように特殊な建物もなく、ただ人だけが居ない街がそのまま残っている。一部では公園を基点として草木が侵食したのか、人工物が自然の威力に飲まれている部分も散見する。原始から続いている生物だけあって、生命力の強靭さは、人間のそれとは違う。人間の存在がいかに小さいか、嫌でも学ばさせられる。


「そういえば、みんなは量子について、どこまで知ってるの?」


 ミサキはふと、そんな言葉を皆に伝える。


「量子通信ってのがあるのは知ってるけど、中身はじぇんじぇん。習ってないし」

「俺もだな。スマホと一緒で詳しい内容は知らん」

「僕も情報通信部分くらいしか知りませんね」


 カズヤを皮切りにシンジとリョウジが続いた。シンジの言葉通り、量子通信というのが一般化されてはいるものの、その原理や仕組みについて知っている人は専門家くらいだろう。


「どうした? 何かあるのか?」

「いえ……みんなが『ノルン』と関わる選択をするかどうかは分からないし、今後の役には立たないでしょうけど、移動中の暇な時間で、『ノルン』についての仕組みとかの話しをしとこうかなって」


 大阪についてからの事は、今はまだそれぞれに考えておけという段階で、方針を決めているメンバーは居なかった。どうせ移動中は暇だろうし、今後ゲームを作る事はないだろうが、ネタとして知っておこうと、似たような考えを3人は思い浮かべて居た。


「どうせ暇だし、いいんじゃないか? 予習しておくに越した事はない」

「そう、ありがと」


 誰も反対しなかったので、道中はミサキが色々と話す時間に割り当てられた。黙々と道を進むよりはストレスにならないし、カズヤの無駄話よりはためになる。

 そうして、ミサキの講義が始まった。


「先ず、量子ってのはね……」


 一般的に勘違いされやすいのは「量子」という物質があるというものだ。量子は言うなれば単位である。

 例えるなら、眼の前に1平方センチメートルの箱があるとしよう。「箱」は物質だ。1平方センチメートルは、その大きさの単位だ。「1cm箱」がある訳ではない。それと同じで、量子は単位である。


 より正しく表現するなら、次のようになる。

「量子」は物質そのものではなく、エネルギーや物理量の最小単位を指す。例えば、光の量子は「光子」と呼ばれる。


 また、「量子状態」という言葉があるように、陽子や中性子、ニュートリノなどの物質がどのような状態にあるかを表している。例えば、電子は特定のエネルギーを持つ状態や、特定の方向にスピン(回転)を持つ状態など、様々な量子状態をとることができる。


「素粒子」という言葉も聞いた事があるだろう。これは、物質を構成する最小の粒子を指す言葉で、量子の一種と言える。陽子や中性子は、さらに小さな「クォーク」という素粒子からできている。


 これらが複雑に絡み合っているので、一般には理解されにくいのが量子力学と素粒子物理学だ。

 人類は目下、微小な世界から宇宙全体に適用されている全ての法則「統一理論」を完成させようと、様々な観測や研究、思考を長い事続けている。

 その中でも量子の性質を使った量子通信は2020年代から試験運用が始まり、日本でも通信衛星と地上との量子通信に成功している。

 2030年代前後では、H-IIIロケットで量子通信用衛星を順次打ち上げた。

 この量子通信が、パンデミック前までには一般でも使えるようになっている。


 人間が普段目にしている物理現象は、ニュートン力学などの「古典力学」に基づいた挙動をする。一方、量子は「古典力学」では説明できない動きをする。

 例えるなら、あなたがリンゴを取るとしよう。古典力学では


・目で見えている

・リンゴを

・必ず

・掴める


──となる。これが量子力学では「見えたらリンゴがある事が確定する」となり、「見えなかったらリンゴがあるかどうか分からない」と、一見訳がわからない事になる。

 粒子はそこに存在しているが、粒子の「状態」が、観測されるまで確定しないのだ。なので、


・見ている/見ていない

・りんごがある/りんごが無い

・掴める/掴めない

・必ず/半々で確率的


 という、2つの状態が重なっている状態ができている。

 この状態を「量子のもつれ」と呼び、より複雑さを増している。量子もつれとは、二つの粒子がたとえ離れていても、一方の状態を観測すると、もう一方の状態が瞬時に決まるという不思議な現象のことだ。


 先の例に戻ると、量子力学的には、


『あるかどうかも分からないリンゴを掴もうとするが、掴めたり掴めなかったりする』


 だが、要素が決まると、つまり観測「見る」事により、他の要素も確定する。


・リンゴが見えない=掴めない

・リンゴが見えた=掴めた


 となる。この2つの状態だけでなく、量子の状態は2つ以上の粒子の組み合わせで状態が確定される。この例の場合は「見る」と「掴む」だ。


「見れたら掴める。見えなかったら掴めない」という状態と、

「見えなくても掴める。見えなかったら掴めない」という状態が同時に存在し、

片方が観測によって確定したら、もう片方も確定するという不思議な性質がある。


 このように、学校で習った古典力学では説明できない挙動が、微小な世界では存在している。

 現在使われている「量子通信」は、この量子もつれ状態を使えば、内容次第ではあるが、多くの情報をより早くコンパクトに、盗み見されずに安全に送れるというものだ。


「うー、人に教えるの苦手だわ……」

「つまり、どういう事だってばよ?」

「何に例えれば分かる?」

「アニメやゲームだな! 専門家だし」


 ミサキもサブカル系は人並みに見ていたが、ゲーム制作に関係するような詳しさは持ち合わせて無い。


「無茶振りねー」

「がんばぇ~」


 ミサキはうんうんと数分ほど悩んだ挙げ句、ようやく短く説明し始めた。


「男の子か女の子か分からないけど、可愛い子が居る、としましょ」

「うんうん」

「少なくとも人間だとは分かるわよね? これが粒子」

「ほうほう」


 カズヤは頭の中で、獣人や亜人種などの可能性がある、と考えたが、自分で混乱しそうなので、それを忘れる事にした。


「胸が膨らんでたら、女の子かと思うでしょ? でもそれは偽物の場合もある」

「ぉ? まぁ、うん」

「でも触ったり見たりしたら確認できるわよね? その一方、下半身も見てみる。ええと……ナニが付いてたら男の子、無かったら女の子なわけ」

「ぁー」


 性知識に疎いわけでもなく、どちらかというと科学者なので「男性器」という言葉がややこしいと感じたので、カズヤにも分かりやすい言葉を選ぶ。


「おっぱいがあってナニが無ければ女の子、おっぱいが無いか偽物で、ナニがあったら男の子」

「性転換手術した場合は?」

「混ぜっ返さないで! 分かりやすく説明してるのにっ!」


 せっかく人が苦労して例え話を考えたのに、茶化された怒りで、ミサキはカズヤを軽く叩いた。


「ごめんごめん」

「続けるわよ……この可愛い子のペアの場合、かならず男女一人ずつだとしましょう。そうなると、片方が女の子だったら、もう片方は男の子で確定するわね? これが量子の挙動よ」

「なるほど。分かりやすい」


 ようやく納得できたようで、ひとまずミサキも安心した。思わず大きな溜息を吐いてしまう。シンジやリョウジからの返事や相槌は無いが、少なくとも黙って聞いているのだろう。


「この仕組みを利用して、通信や計算、コンピューティングに使っているのよ。2つの状態を同時に計算できるし、単純化した表現では、旧式のノイマン型コンピューター、つまりデジタルコンピューターの2倍は早い処理ができるわけね。正しくは指数的に性能はアップするけど」

「まぁ、まだパソコンみたいに小さくなってねぇから、会社はまだデジタル使ってたけどな」

「そうね。量子の挙動はデリケートだから、超低温にする必要があるの。だから計算そのものよりも冷却器が大きくなって、縮小化は目下チャレンジ中ね」


 ミサキは一気に喋ったことで喉が乾いたのか、陸自の装備品にあった水筒で喉を潤した。


「リョウコちゃんは可愛いってのは分かったよ」

「アンタねぇっ!」


 今度は思いっきりグーで殴った。義手の右腕で殴ったので、ガキンという大きな音が車内に響く。カズヤは少しだけ圧されたが、自動運転中なので支障は無い。


「あの『ノルン』は、その中でも世界最大、世界最高峰の量子コンピューターなの。正確にはバイオテクノロジーも使ってるからハイブリッドね。これまでのと比べたら、米粒と象くらい差があってもおかしくないわね」

「で、『ノルン』ちゃんは何を目指してるの?」

「さてね……私が知りたいわ」


 その会話を最後に、移動は再び静かなものとなった。



  *  *  *



 車列はそのまま高速を途中下車し、県道50号から国道204号へ乗り換え、やや遠回りではあるが玄海町の方へ向かう。日が落ちる前に狩猟をする流れだ。


 とはいえ、シンジ達の中に狩猟を経験している人間は居ない。車の安全保護を確認してから山道へと入り、マーカーと紐を使って道しるべとしつつも、野生動物の足跡や糞などを見る事も無く、気分のままに進んでしまう。

 人類の干渉が無くなってから十数年経った訳でもないので、野生動物の天国という程でもない。歩けば見付かると思っていたシンジ達を裏切り、動物たちは久しぶりの侵入者を警戒して、遠くへと避難している。


 結局、シンジ達は動物の姿を見る事なく、銃も使わぬまま日暮れを迎えてしまい、仕方なく来た道を戻りながら、自分達の無力さを反省していた。


 車列まで戻った一行は、近場にある座川へと向かい、そこで一泊する事にした。

 雰囲気だけでも、という事は夕食だけは河原で採り、つかの間のキャンプ気分を楽しんでストレスを和らげた。河原でのテント泊は危険なので、車中泊となる。車中とはいえ、車内は広々と使えるので、窮屈さは感じない。

 一応、4時間程度の睡眠と周囲警戒を交代で行いつつ、人の気配がまったくない静かな夜を過ごす事ができた。


 運転席で寝ていたシンジは、メンバーの中で一番最後に起きた。寝起きが良くないシンジはノロノロとドアを開けて車から降り、外の新鮮な空気を吸いながら体を解した。

 日本の季節は6月後半の梅雨時であるにも関わらず、雲ひとつない快晴の空の下。油断しているつもりは無いが、それでも中国本土でのサバイバルよりも、どこか安心感があるこの空気感が、寝起きの鈍さを少しだけ伸ばしている。 


「いやしかし、文明の麻薬から、はやく抜け出さんとなぁ……」


 いつまでも保存食に頼る訳にもいかない。ミサキは特に部分義体であり、生体部分も多い。できるだけ自然物やタンパク質源を定期的に摂る必要がある。


 シンジは、大阪行きの道すがら、大きな本屋があったら立ち寄ろうと考え始めた。





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※注意:量子などの科学情報は、作者がつたない知識で理解している事を記しています。SF的解釈も含まれているため、科学的な正確性を保証するものではありません。正しい情報はかならず他文献などを参照して下さい。よろしくお願いいたします。

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