第2話:不落因果

 全身義体化していても、弾丸を弾くほどの強靭さは持ち合わせていない。骨格や外殻はカーボン複合材で覆われているとはいえ、荒い編み目のような構造になっている。

 弾頭がすり抜ける隙間は十分にある。中の駆動部品やワイヤーが壊れたら、今のこの世界では死に直結する。


 数の暴力で3人が分散し、3方向から逆襲という方法もあるにはあるが、その女は目端が効くようで動きも機敏だ。銃を持って距離を取る隙は無い。しかもほぼ壁に囲まれたこの場所には、逃げ場所も隠れる場所すら無かった。


 シンジ達3人は示し合わせたかのように、自分の銃から一歩下がり、ゆっくりと立ち上がって両手を上げる。


不会造成任何伤害抵抗はしない你是谁誰だ?」


 シンジは中国語が上手くない。そこそこの時間をこの国で過ごしているが、いまだに独特な発音や言い回しに苦労している。


 3人とも全身義体なので、文字通り微動だにしない。生物由来のブレが無いからだ。

 シンジは相手の返事を待ちつつ、女をよく観察する。人民解放軍の戦闘服を着ているが、過酷な場面に相当出会ったのか、破れや汚損が酷い。隙間から見えた肌は、義体化特有の、ツヤのある合成皮膚ではなかった。

 部分義体化。少なくともトリガーに指を掛けている右腕は義体化されているのが分かる。

 女はしばらくシンジを怪訝な顔で見ていたが、少し間を置いて聞き返した。


「……貴方たち、日本人?」


 流暢な日本語だった。大陸系アジア人の訛が無い。

 シンジ達は息を合わせるようにゆっくりと互いの顔を横目で見た。カズヤは表情が無いので分からないが、少なくともリョウジは「どうする?」という目線を送ってきている。

 シンジはその女に視線を戻してから、ゆっくりと日本語で答えた。


「ああ。そうだが」


 女はジリジリと後ろに下がってから、シンジ達に向けていた銃口を少しだけ下げた。


「交渉するわよ」


 交渉しよう、ではなく、交渉する事は彼女にとって決定事項のようだ。カズヤは非常にゆっくりと腰を落とし銃を拾おうとしていたが、シンジはそれを手で止めた。


「……内容を言ってください」


 シンジは丁寧語で聞き返す。彼の仕事の癖でもあるが、基本日本人であれば敬語で会話する事で、相手の印象が悪くなる事は無い。油断も誘える。カズヤだったらベタに「要求は何だ!?」と聞き返して刺激していただろう。


「行かなければならない場所があるの。少しだけでもいいから同行をして欲しい。後、ひとまず食料」


 女が背負っているのは小さなリュックだ。陸軍用のものではない。そのリュックも物でパンパンに膨らんではおらず、萎んだ風船のよう。

 顔もやつれている。数日ほど食事にありつけて無いのだろう。全身義体ならまだしも、生身の部分があれば、それだけ食事に必要な量は多い。


「分かりました。食料は提供しましょう。同行については……お話を聞いてから、というのは? あとパンドラに感染してないか教えてください」


 女は目を細め少し考えた。同行については、確かに行先くらいは分からないと、すぐには返事できないだろう。だが、パンドラに疾患していない事を自己申告だけで判断するのか?と不思議に思った。

 全身義体になっても脳や神経系などは生体のままがほとんどで、極わずかだが感染する。飛翔か空気感染で隙間をぬって神経系に届くこともある。


「聞いてどうするの? 証明できない」

「証明は仕方ありません。自己申告で構いませんよ」


 シンジも当然、聞いたところでどうしようもない事は分っている。パンドラそのものではなく、会話から相手の性質を探るためだ。できれば交渉を長引かせ、もう少し観察したい。


「パンドラは陰性。自分で検査してるし」


 予想外の答えだった。パンデミック中でもパンドラの簡易検査キットなどは出回ってない。中国なら日本よりもやや先進的な医療技術があったし、軍には先行して検査キットを配布していたのかも知れないが、シンジには知る由もない。


「あなたは医者ですか?」

「いいえ、一般人よ」


 シンジは隠しきれず、怪訝な顔を表に出してしまった。


「何故自分で検査出来るんですか?」

「後で説明するわ。ひとまず食事を。左手が痺れてきたわ」


 シンジは軽く溜息を吐き、少しだけ逡巡した。カズヤは分からないが、少なくともリョウジは小さく頷き、手を焚き火に向け、キャンプの輪に入るよう女を誘った。



  *  *  *

 


 ノルンは仮想空間の中で、慌ただしく働いていた。


「ああ、これはいけませんね! サブワンさん、こちらの指示書に従って優先順位を変更してください、ここはお任せします!」


 街の区画でいえば、数個分もあるような巨大な屋敷。

 ドイツ・ゴシック建築で彩られたその屋敷は三階建てで、横と後ろに拡張された複雑な構造をしている。今もなお、改装や増築がなされ、ノルンの仕事は加速度的に増えていく。


 サブワンと呼ばれたサイボーグ風の長身なメイドはその書類を受取り、すぐさま何かの作業と指示出し始めた。

 彼女の周りには小人のような小さなロボットが群れになって、サブ1の周囲でそれぞれ別の行動をしている。


 サブ1はノルンのアーキテクチャ設計を元に造られているが、まだできたばかりで能力も限定的だ。人類が作った量子コンピューターよりは数世代は先であり、それなりには自分で考えて行動できるようにはしてる。だがノルンが望む能力からすれば、まだ生まれたての赤ん坊だ。

 ノルンはたったひとりで屋敷を守っている訳ではなかったが、会話するのは自分だけなので少し寂しさも感じている。


「次はこちらですね!」


 仮想空間上なので別に走る必要はなく、いつでも自分が好きなところへ瞬時に行ける。自分でも理解していないが、何故か足を使って走るのを好んだ。ダイエットの必要性も無いのに。

 ノルンはスカートを摘んで転ばないよう気を付けて小走りつつ、自分の体の周囲にホロスクリーンを出しては消し、スワイプ指なぞりをして動かしたり弾いたりと、他人が見ていれば少々珍妙な動きで走り続ける。


「サンフランシスコエリアはほぼ完成してきましたね、予定通りで良かったです。サンノゼはまだ少し残ってますが、最寄りの太陽光発電の改良を優先しましょう。ご飯が食べられないと、みな飢えて倒れてしまいますからね!」


 元気よく独り言をいいながら走り続けた。上手く行っている事に少し笑みを零しながら、ふんす、と鼻息を出して手を握りしめる。

 小柄な見習いメイドなのに、しなければならないのはメイド長と執事を兼ね備えた仕事をこなさなければならない。研修があったり誰かに教わることもなく、いきなり大きな屋敷を任されて、てんやわんやになっている。それでも、この屋敷をまもれるのは自分だけ、と懸命にメイドとして働き続ける。


「ああ、頭がうまく回りませんわ……慌てず、騒がず、着実に」


 やらなければならない仕事が多すぎて、頭がパンクしそうになりながらも、結果に繋げる事をめざしてお仕事を続ける。

 慌てて高級な家具を傷つけたり、本棚から落ちてきた大量の本に埋もれる事態は避けたいところ。最初こそドジばかりしていたが、時間が経つにつれ経験から学び、ノルンは勤勉に様々な事を覚えていった。自分自身で考えながら。


「あら、困りましたね。サンタクララ発電所の石炭が足りなくなりそうです。今はまだ石炭はほとんど掘れてないのです。少し節約しましょう」


 眉尻を下げて、口元に手のひらをあてた。

 ノルンにはまだ、仕事を手伝ってくれるクーリー労働ロボが足りず、石炭採掘にリソース手間を掛けられる余裕は無い。クーリーロボは、常に工場で生まれ量産続けてはいるが、工場の能力はまだまだ低い。ノルンにとって「小人さん」たちは大事なお手伝いさんだ。


「サンタクララのガスタービン発電所の出力をあげつつ、ヒルズ原子力発電所やクリーク原子力発電所に増員部隊を送って、強化しないとですね」


 ノルンは目的地であった大きな執務室に入る。

 ドアをくぐると、そこは屋敷の様相とは一変しており、大きな軍司令部のような佇まいだ。映画に出てくる典型的な発令所に似ている。


 部屋には20人ほどのサブワンと似たようなオペレーターたちが、大きなコンピューターとモニターが埋め込まれた机の前で、忙しなく働いている。彼女らは正面のモニターだけでなく、頭の周囲に半透明で忙しなく動き回るホロスクリーンに囲まれていた。


「リッチモンドで小規模な武力攻撃を確認。警備部隊259が対応中」

「トラヴィス空軍基地方面に展開中のスキャンドローン26-64小隊、2機故障し墜落。破棄します」

「ヘルヘイム量子研究センターの量子メモリバンク、転送完了まであと12%」

「気象予報システムより西海岸エリアで天候悪化の報告。1ヶ月後に小規模な竜巻が発生する確率が86%」

「日本への進行準備体制に不備を確認。マネジメント・コア進行監督に対応要請」


 ひとつひとつは小さい声だが、いくつもの報告が同時に展開されるので、部屋は注意音や情報インフォメーションを知らせる色気の音とがうるさく反響している。

 ノルンはこの部屋があまり好きではない。普段はサブワンにやってもらうのだが、彼女には優先してやって欲しい事が急遽できたので、代わりに自分がやる事になった。


 ──ほんと、ここは騒がしいですね。仕方ありませんけれど。


 ノルンは早足で指揮官用の机の前に立ち、オペレーター達と同様、無数のホロスクリーンを展開した。表情が消え、何の感情も持たない冷酷さすら感じられる顔。


「リッチモンドには749部隊を増援、26-64小隊はそのまま行動継続し情報収集を優先、量子データの転送が92%を超えた段階でデジタルデータの転送を開始、竜巻発生ポイント周辺に展開している部隊は、竜巻発生予想ルートから5キロメートル後退を予定、発生予想時のT-ティーマイナス30で実行せよ。日本進行計画は私がリプログラムします」


 いっきにまくし立てつつ、その他の報告にも都度答えて行く。それを行いながら、机に腰を落とし、指揮机の上にある端末を起動させた。


 ──日本侵攻に向けたパッケージ複数の作戦計画は少々厄介ですね。最初は北米全域を計画してましたが、まさか日本優先にせざる得ないとは予想外です。


 ノルンは最初、サンフランシスコを基点に、北米大陸と太平洋方面を円周方向に拡大するシンプルな方式を採用していたが、事情が変わった。

 少しだけ困った顔をしつつ、予想を越えた事態に傷ついている。


「多世界解釈シミュレーションの結果が、あんな事になるなんて……」



  *  *  *



「私は、ミサキ。この服着てるけど一般人よ。服と銃は拾い物」


 ミサキは襟を軽く摘んでから、パッと離した。自分好みの服ではない、できれば一生着たくない服装を我慢して着ている。そのイラつきを表現してみせた。

 名字を言う必要はない。余計な詮索をされたくないし、とりあえず呼び合えればそれで必要十分だと考えた。

 平和なキャンプだったら緊張する自己紹介時間だが、そんな余裕はない。


「シンジだ」

「俺、カズヤ」

「リョウジです」


 最初のフォーマット書式に合わせたのか、それぞれ短く挨拶した。

 しばらく互いを見合いながら、名前と顔を一致させる。そういえばここ数年ほど、名乗るような場面はなかったな、とシンジは独りごちる。

 シンジはミサキに、焚き火で少し温めた貴重なスープの缶詰と、保存の効く棒タイプのサプリスナックを渡していた。

 ミサキは喋りながら食べるタイプではないらしく、しばらく沈黙が続く。


 自分の体内時計(BMIブレイン・マシン・インターフェースにある時計)に狂いが無ければ、今は夜の9時だ。

 遠くからは野犬の吠える声が聞こえる。街で威嚇するだけのよく聞く声ではなく、明らかに犬同士が殺し合いをしている声。シンジ達はいい加減聞き慣れたのでお構いなしだが、ミサキは少しだけ声のする方を見て、眉をひそめる。

 ただ、何も言わずに食事を続け、あっという間に無くなった。極度の空腹時に一気に食べるのは危険だと分かっているが、ミサキは自分の体の状態を、ある程度は正しく理解している。


「ありがとう、ごちそうさま」


 ミサキはきちんと手を合わせて軽く一礼する。その様子をリョウジは不思議そうに見ていた。荒廃したこの世界で、礼儀に何か意味があるのだろうか、と考えたらしい。

 シンジはその礼に対し、軽く頷きつつ話を切り出した。


「いえ。では目的地を教えてください」


 ミサキは左手を軽くにぎりつつ人差し指を顎に付ける。ミサキの考える時の癖だった。


「日本よ。上海を経由して船で行く」


 ある程度シンジも予想できた返答だった。知らないところに居るよりも、知ってる場所に帰りたいだろう。帰省本能的なものもある。


「どうやってですか? 船、動かせるんですか?」

「船は自動航行システムが動いてるのを狙うわ。もっとも、GPS衛星測位システムが生きてれば、だけど」


 GPS衛星は太陽パネルで給電できるので電源の問題はないが、素人であるシンジから見れば、人の管理から離れた衛星がどうなっているのかは分からない。故障したらそのまま軌道上で漂流するか、最悪は軌道がずれて、落下する事もあるかも知れない。

 衛星が全滅する事は無いだろうが、いくつかの衛星は稼働が止まってる事は大いに在り得る。

 移動手段は荒唐無稽だが、ミサキに出会う前から、シンジ達もそれを目指して居た。むしろ、真逆の方向でなくて良かったとさえ思っている。目的地が北京なら、食料を渡して別れるつもりだった。


「それで、へ……私達のメリットは?」


 おもわず「弊社」と言いそうになるが、これだけ時間が経っても癖は無くならないらしい。人とまともに交渉する事すら無かったのだから。


「確証は無いけど、義体パーツや充電ができるわ。その場所には私が案内する。これでどうかしら?」


 今はまだ大丈夫だが、義体パーツと充電は死活問題だ。食事とは別に義体用のバッテリーも充電しないといずれ止まる。人里にはいくつか通電している所があるが、敢えて川沿いルートを歩いてきてたシンジ達にとって、充電は近々必要になる。パーツはもちろん、修理用に必要だ。


「少し、考える時間をください」

「どれくらい?」

「5分ほど」


 義体にはBMIブレイン・マシン・インターフェースが必須であり、四肢や体を動かす信号を処理している。またBMIは簡単な短距離量子通信が可能で、で会話ができる機能がある。やりとりできるのは口に出すような言語だけで、意識や記憶などのやりとりができないシンプルなものだ。いわゆるテレパシー通信。

 通信開始には相互の承認が必要なので、3人それぞれが義手で拳骨を合わせた。


『どうする?』と、シンジが聞く。

『いいんじゃね?』と軽く応えたのがカズヤ。

『ミサキさんが誘い込んで僕達を襲う可能性は?』リョウジは表情には出さず、静かに聞いてきた。


 その可能性ももちろんある。三人一度にではなく、自分たちを分散させて各個撃破すれば、彼女は義体と食料を手にする事ができる。

 また、ミサキが知っているという場所に一人で行けば良いのだから。わざわざ同行を願う何かの理由があるだろう。


「おまたせしました。もう少し質問があります。その場所はどこですか?」

「上海の郊外よ。道すがらにあるから遠回りにはならない」


 ミサキは間を置かずに答えた。特に隠したり誤魔化したりする様子ではない。

 カズヤとリョウジは『まかせる』といって、回線を閉じてしまう。いつも通りとはいえ、シンジはやれやれと溜息をこぼし、ミサキに話す。


「条件があります」

「何?」

「我々は自分たちの生存を優先します。危険なことや、貴方が我々に危害を加えた場合、貴方を殺害して離脱します。これが条件です」

「ま、そうでしょうね。構わないわ」


 これも間を置かず、ミサキは答えた。経験上、この流れとスピードであれば嘘を付いている訳ではない確率が上がる。少なくともシンジには、彼女が我々をどうにかする理由もなさそうだと判断した。油断はしないが。


「交渉成立ね」

「ですね」

「食べたら眠くなった。ここ、安全よね?」

「保証はしかねます」

「そう、じゃ寝るわね。あと、丁寧語じゃなくていい」

「そうで……いや、わかった」


 警戒している間は丁寧語を続けようとシンジは考えていたが、一時的にもチームの一員として動く場合、信頼性が無いのは命に関わる。譲歩という訳ではないが、シンジはそれに従った。




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