第2話

4


「ここが堕天空域への入り口の街フォールンゲートか。案外栄えてるな」


曇り空の下、入り口の街に入ると帝国の田舎町と変わらない雰囲気を持つ街並みが広がっていた。


正直いきなり大空賊の襲撃を目撃したものだから、もう少しボロボロな街並みが広がっていると思っていただけに意外だった。


ちなみに空島といえど街に入る際に関所があるのだが、兵士に先ほど見た空賊の襲撃について報告しても反応は芳しくなかった。


あれだけ巨大な船が魔物付きでやられたというのに、兵士はあくびをしながら興味なさそうに話を聞いていた。


あの様子ではおそらく調査はされないだろうな。上に報告がされているかどうかも怪しい。


街並みは普通だが人間自体はすでに堕落しきっているのは明らかだ。


思うところはあるが、難癖つけられて止められたり賄賂を要求されたりしなかったということだけでもよかったということにしよう。


「さて、この空域に来たはいいものの具体的に何をするべきなんだろうか。こういった仕事を初めてなんだよな。今までずっと剣ばかりを振るってきたというだけだし」


巡察官という仕事はその地域の統治を監査する仕事だ。


各地に派遣されている代官の仕事に不正や怠慢があればそれを報告し是正する。それが役割である。


とはいえな。


「もう国のために働く気なんてないんだけれど」


かつては燃えてあげるようにあった彼の中の国に対する忠誠心は、残りカスとなっていた。


今一度火をつけようと思っても、着くことはないだろう。


それでも帝国からの役職を得ているのだから、むしろ彼自身が巡察官に捕まる側かもしれない。


(流れに任せてここまで来たが、やる気がないのならいっそのこと全て捨てて忘れてしまおうか)


そんな全てを投げ出してしまおうという気が起きる。


腰の剣をみる。


『お前は国のためではなく、民草のために力を使え』


「…!」


頭をよぎった言葉に顔が思わず引きつる。


いい思い出と嫌な思い出が一緒に掘り起こされて、心が前後に同時に引っ張られている感覚。


あまり気分のいいものではない。


「…ま、観光でもしていろと巡察官に任命したヤツが言っていたんだから、観光でもするか」


「ピィ」


腕に巻きついているベリルが肯定するように声を上げた。


ベリルというのはこの小さな龍の名だ。


鱗が緑色の宝石であるエメラルドに似ておりその元となる鉱石の名前のベリルから取った。


安直だがなかなか気に入っている。


背中を撫でると、こいつも観光を楽しみにしているらしい。


ひとまず1人じゃないということが、投げ出さずに済ませた。



5


「へぇ…、これ中央だと所持しているだけで捕まるんだけれど、辺境のこちらだと普通に売ってるんだな」


その後、宿を探してバイクと荷物を預けてから市場へと出かけた。


他の町では闇市でしか取り扱われないようなものがこちらでは普通の市場で取り扱われていた。


さすがは堕天空域の玄関口。様々なものが行き交っている。


違法薬物、武器、奴隷、伝承の品、不思議な骨董品、珍しい魔物や動物。


どれもがご禁制の品であり、中央で売っていたら即日捕まって牢屋行きになるようなものばかりだ。


「ここまでご禁制の品が一般にまで広がっていると言うことは、この街の代官は何もしてないな」


むしろ代官も現地勢力と一緒になってご禁制の品を促している可能性すらある。


巡察官としての本来の役目からすれば、これらの不正怠慢は報告してしかるべきだし、何なら直接乗り込むべきなんだろうけれど…。


胸の内にある燃えカスのような忠誠心と、ここに派遣した上司の顔を思い浮かべて比べる。


「ま、別にいいか」


「兄ちゃん珍しい龍を持ってるな。いくらだい?」


市場を歩いていると店を開いているおっさんに声をかけられた。


魔物を取り扱っているお店らしく、中央では見ないような魔物がずらりと牢屋に並んでいた。


そんなだから俺の腕に巻きついているスイクンのベリルに目をつけたらしい。


「こいつは俺の相棒になる龍で売り物じゃないよ」


「ピッピィ!」


ベリルも肯定するように鳴き声をあげた。


「なんだそうなのか。だけどそんな風に見せびらかしながら連れてたら盗まれちまうぜ」


「紐で結ばれているから問題ない」


「?」


紐が見えないのか不思議そうな顔をして店員は次の客を探し始めた。


「ふむ」


問題ないとはいえ、確かに余計なものに目をつけられるのは面倒だな。


「首の方に隠れていることはできるかい?」


「ピィ」


俺が言うとベリルは首の方に移動して隠れた。


「ありがとう、賢いなお前は」


「ピーピィ」


言うことを聞いたので、褒美としてドライフルーツをまた一つ与えた。


嬉しそうにペロリと食べる。


そうして再び闇市を練り歩いていると、市場の喧騒に紛れて遠くから女性の悲鳴が聞こえた。


本当にわずかで、一瞬で消えてしまった声。


周囲の人たちは全くもって気にしなかったが、俺は足を止めてしまった。


「…」


来て、早々そんな事件に巻き込まれるなんてことある?


無視しようかと思ったけれど、かつての師匠の言葉が頭をよぎった。


「民草のために力を使え、か…」


淀んだ空気を持つ堕天空域の入り口の街に風がかすかに流れた。




6


思った以上に状況は悪かったようだ。


数階建ての建物がずらっと並ぶ街並みの屋上を走って現場に駆けつけると、ちょうど裏路地の片隅でナイフなどの武器を持った小汚い男たち10人が、女性2人を追い詰めていたところだった。


おそらく姉妹だろう。


両方とも赤髪の美人で、おそらく姉の方は大きかった。


「やめて! 妹には手を出さないで!」


「安心しろよ! 両方ともみんな平等に食べてやるからよ!」


「お姉ちゃん!!」


姉が涙目に訴えかけるが、男たちの目は逆に燃え上がるだけだった。


明らかに不当な現場だ。


よかった。これで痴話喧嘩だったらどうしようかと思ってたんだよな。


まだ新人だった頃に不当な現場だと思って盛大に助けに行ったら、半殺しにした相手が彼氏だったということがありトラウマになっていたんだ。


あの時は本当に焦った。有名な貴族一家の娘だったらしく、娘の方は俺を処刑しろ処刑しろとずっと連呼していた。


幸いにして親の方は冷静だったらしく事なきをえた。


今回は明らかに違うようだから、さすがに止めることにしよう。


「やめろ」


現場のそばに降り立ち、路地裏全体に通るように端的に警告を発する。


唐突に現れた部外者にチンピラたちはわずかに驚いたような反応を見せたが、相手が1人だとわかると嘲るような表情を見せた。


「なんだてめえ。英雄気取りか?」


チンピラのリーダー格と思われる男がこちらを嘲笑った。


他の者たちもそれに続く。


「とにかくやめろ」


「はん! ここは俺たちのシマだって分かって言ってるのか?」


知らん。だって今日来たんだし。


「こいつは俺たちのおもちゃであり商品だ。それとも代わりにお前がおもちゃになるか」


そう言いながらチンピラたちは笑う。


なるほど。表に出ていた奴隷たちはこうやって収穫されていたらしい。


味わった後に奴隷として売るわけか。


一石二鳥、キャッチ&リリース。


清々しいほどのクズだな。


話が通じなさそうなので腰の剣に手を当てようとして、やめた。


その代わりに無操作に近づいていく。


男たちは俺は腰に剣を持っているということに気づいたのかナイフや鉄の棒などをこちらに構えた。


「やんのか?」


「ふっ!」


ある程度の距離まで近づくと魔力を起動して体中に風を纏い、チンピラの群に一気に詰めた。


拳に強く魔力を発して、最初の男の腹に打撃を食らわす。


食らった男はミシミシと音を鳴らしながら吹き飛び、壁に勢いよくぶつかった後にだらりと落ちる。


目の前で行われたことを信じられないのか、口を開けて唖然とするチンピラ達と姉妹。


組織だって動いているようだから警戒していたが、ただの素人か。


気にせずに黙々と作業を続ける。


「かはっ!」


「ぐぇ!」


「うぐっ!」


次々と吹き飛び壁のアートとなるチンピラたち。


作業が終わるのに1分もかからなかった。


「ふぅ…」


剣なしで戦うのは久しぶりだったが案外行けるものだ。


これまで俺を支えてきた武術は俺を裏切らなかった。


傍らに控えていた姉妹を見るとどちらも呆然とした表情でこちらを見ながら倒れていた。


2人の中で大きい方、おそらく姉の方が怪我をしていたので簡単な回復魔法をかけて治療する。


「これで大丈夫ですね」


「あ、ありがとうございます!」


「ありがとね!」


姉妹が礼を言う。


「その、是非家でお礼をさせていただけませんか?」


姉の方の手を取りながら立ち上がらせると、彼女は期待を込めた表情でいった。


「え? は、はい。 あ」


足がもつれる。


いきなりのお誘いに動揺してしまったのか、引き上げていた彼女の方にこけてしまった。


ちょうど彼女の胸に顔を突っ込む形で。


顔に胸の感触がいっぱいになる。


路地裏に再び悲鳴が響いた。


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