第三十九話 依頼開始
ノックを数回。大して待つことも無く、村長宅の扉は開かれた。
「ようこそ、おいでくださいました。似たような家ばかりで迷われませんでしたかな」
二人を出迎えた初老の男――この村の長が、マグカップをテーブルに並べながら話す。一見普通の茶のように見えるが、カップを持たずとも分かる程に苦みの強い香りがする。この村特有のものだろうか、とマスダは手を付けるふりをしながら想像した。よく知らない場所に行けば、よく知らない飲食物が出てくるものだ。珍しいことではない。
「いえ、子どもたちが教えてくれましたので。優しく育っていて良いことですね」
「そうでしたか。それは良かった」
「お約束通り、この後教会にて祝福を捧げます。時間が必要ですので、皆様とお話しするのは明日に。明後日、キラーキ村へ祝福を捧げて此度の訪問は終了とさせていただきますね」
「ええ、ええ。ありがとうございます、シスター様。宿泊は、教会内部に今後お使いいただくための生活施設がございますので、そちらへ。食事はいかがなさいますかな。よければこちらで用意いたしますが」
トーリスとのみ話していた村長の目がちらりとマスダへ向けられる。
「私は、祈りの間は食事を摂りませんので」
「ああ……じゃあ、俺はもらおうかな」
「おお、そうですか。であれば、日が沈む頃に届けさせましょうか。時間は経ってしまいますが、明朝の分も共に入れさせますのでな」
「助かるな。ありがとう」
平和な村だな、とマスダは心の中で呟く。真昼間とはいえ幼い子供二人だけで遊んでいるのも、暗くなる頃に外を出歩くことを当然のように話すのも。
「では、そろそろ教会へ参りますね」
「何卒、よろしくお願いします」
「ええ。星光のご加護があらんことを」
話は済んだ。トーリスが退室する背を追って、マスダも村長宅を後にする。中身をこっそり処理したマスダのマグカップと同様に、トーリスに出されたカップの中身も綺麗に空になっていた。普通に口を付けていたので、普通に飲みきったのだろう。あの見た目も香りも苦さを主張する汁を。バカ舌だなんだと言われるマスダでもちょっと遠慮したいものだったが、まあ、この修道女には味など関係ないことなのだろう。
◇
この村に似合わぬ外見と違わず、内部も立派な教会であった。ハルラックのような大きい街ほどのものではないにしても。この村に置いたのでは、行儀良く並んだ丈夫そうなチャーチチェアが全て埋まる日は来そうにない。
「……中も問題無いようですね」
トーリスも建物内を一通り見終えて満足したらしく、マスダの待つ礼拝堂へと戻ってきた。昼間の陽光が色鮮やかなステンドグラスを通し、白い顔を不可思議な色合いで照らしている。
「これから祝福を捧げます。その間は――まあ、今更言うまでもないですね」
今までにも同様の依頼は受けている。散々聞き飽きたので、言葉通り言うまでもなければ聞くまでもない。
「シスターは結界内でお祈り。結界が何かを感知次第、俺が出動ね。……依頼なんだから、認識齟齬の防止だってば。これも言うまでもないでしょ」
「丁寧で結構なことです。では、よろしくお願いしますね」
マスダから目を背け、礼拝堂の中央へ足を踏み出す。ステンドグラスがそのトーリスの姿を代わる代わる多彩な色に照らしていく。
正面の祭壇を見据え、数段の階段を上がる。剥き出しの木材の床がコツコツと音を立てるのを、マスダは黙って眺めていた。
「主よ」
両の掌を胸の前で掲げれば、華奢なそれが瞬時に色鮮やかに照らされる。数秒の後、光に捧げていた手で胸元に下がっていたペンダントトップを覆うように緩く握った。ペンダントの先にあるのは、祭壇に掲げられたものと同じ星光のモチーフ――『星を囲む輪』である。心臓の音を聞かせるように、その両手を胸元に付ける。
「……」
髪と同じ桃色をした上下の睫毛が合わさって、小さく震える。小さく深呼吸をした、その証左だ。
「光満ちる創造主よ、私たちの祈りに耳を傾け、この新たな教会に永遠の祝福をお授けください。集うすべての者が、あなたの導きを受け、心安らぐ平和を得られますように。この地に星の輝きをもたらし、道を見失いし魂を優しく迎え入れる場所としてください。主の御心がこの場所から、周囲の闇を照らしますように。私たちの行いがあなたの栄光を讃えるものとなり、この地が希望と信仰の象徴として末永く存在しますように。私たちを導き、あなたの赦しと救いがこの地に行われますように」
凛とした、しかし静けさに満ちた声が、静謐の教会を満たす。
「――光あれ、希望あれ、救いあれ」
キン、と耳が痛くなるほどの、一切の音が消えうせた、真の静寂が訪れる。
祭壇に掲げられ、そしてトーリスの握る星光の象徴に祈りの言葉が反応して、教会に結界が張り巡らされた。敬虔なる神の僕を守るために与えられた祝福だという。
一連の流れも、その理由も、この目の前の修道女から何度か説明されたものだ。結界の対象外となるための聖遺物も、既に手渡されている。
両膝を地について、夜通し祈るためのフェーズに入ったトーリスを一瞥し、教会の外に出る。取り付けられた重厚な扉もまた、この村には酷く不似合いなものだった。
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